第21話(最終話):『本当の物語』
師とリリーナがいる庵に戻ったシンは、覚悟を決めていた。 彼は、眠り続けるリリーナの傍らにひざまずくと、神剣グラムを静かに抜き放つ。
「落ち着いて、落ち着いて……」
シンは呼吸を整え、精神を集中させた。 神剣が、清浄なる息吹を放ち、刀身が透き通る。
「……リリーナ、待たせたね。今、呪いを解くから」
彼は、その白く輝く切っ先を、祈るように天に捧げ、そして、リリーナの心臓へと、静かに突き立てた。
神剣はリリーナとベッドを貫くが、そこに傷跡はない。
ゆっくりと剣を引き抜くと、神剣には呪詛の文様が黒く絡みついていた。
聖なる息吹と呪詛の文様が、激しく拮抗する。
シンがさらに魔力を注ぎ込むと、呪詛は一文字一文字、炸裂するように砕け散り、神剣の刀身は、緩やかにただの鉄塊へと戻っていった。
庵を包んでいた聖なる光が、消える。
光が収まると同時に、リリーナの瞼が、ゆっくりと開かれた。
「……シン、様……?」
「り、リリーナ……!」
「……むっ、成し遂げたか、シンよ」
ほぼ同時に、隣のベッドで眠っていたアルパスもまた、深い息と共に、その目を開く。
「……師匠!」
奇跡を喜ぶ三人。 しかし、その時間は、長くは続かなかった。 シンの体が、足元から、ゆっくりと、美しい光の粒子となって崩壊を始める。
「シン様……!? 体が……!」
リリーナが動揺して叫ぶと、シンは穏やかな笑みで答えた。
「ああ。……呪いを解く、代償ってやつみたいだ。でも、安いものだよ。リリーナと師匠が、また、笑って生きてくれるなら」
全てを悟ったリリーナが、消えゆくシンに泣きながら抱き着く。
「嫌です! 嫌です、シン様! あなたがいなくなってしまうなんて……!」
「大丈夫、大丈夫だから。元の世界に戻るだけ。ただ、それだけだよ。……なんとなくだけど、分かるんだ。この世界は幻で、本当の世界から、一時的に招かれただけだって」
「…………」
リリーナは深く瞼を閉じ、彼の腕に巻かれたままのブレスレットに、そっと手を当てる。
「……例え、この世界が偽りだったとしても。この世界で生きたこと、そして、あなたが積み重ねてきた経験は、紛れもない『本物』です。どうか、それだけは忘れないでください」
「そして……」
彼女はシンの目を見つめた。
「どんなときも、どんな絶望の時も、あなたは、もう、一人ではありませんよ」
彼女は、そう告げると、彼の唇に、そっと、自らの唇を重ねた。
顔を真っ赤にして照れているシンの横で、アルパスが「ゴホン」と、わざとらしく咳払いをした。
「……さすがに、ワシのキスはいらんじゃろうからな。最後の一言だけ、贈らせてもらうぞ」
彼は、シンの目を、まっすぐに見つめて言った。
「お主は、もう立派な賢者じゃ。本物の賢者とは、知識の量ではない。心が揺れず、溺れず。慈しめるモノを言う。お主は、どの世界でも、本物の賢者として、生きていける。……元の世界でも、達者でな。わしの、自慢の息子よ」
「……師匠……」
シンがアルバスの抱擁を受けると、庵の扉が、勢いよく開け放たれた。 息を切らしたゼイドが、駆け込んでくる。
「はぁ……はぁ……! おい、シン、もう行くのか! そうか……!」
彼は、これ以上ない深刻な表情で、言い放った。
「ライバルとして、最後の忠言だ! いいか、前に言った通り、お前のように空白期間が長い場合は、履歴書の志望動機や自己PR欄が大きいものを買え! 熱意と企業との接点を、最大限に書き込むんだ! ……そして、職務経歴書は――」
彼の、あまりにも現実的なアドバイスの途中で、リリーナが思い切り、その脇腹を蹴り飛ばす。
「――少しは、別れの情緒を考えなさい!」
吹っ飛ぶゼイド。慌てるアルバス。そして、叱責するリリーナ。 その、あまりにも混沌として、しかし、最高に愛おしい光景に、シンは、心の底から笑った。
「はっ、はははっはははっ」
彼の体は、もはや、胸から下までが、光の粒子と化している。
消えゆく意識の中で、彼は、全てをくれた仲間たちに、最後の言葉を告げた。
「うん。また会おうね、リリーナ。師匠。ゼイドさん」
「――そして、ありがとう。僕に関わってくれた、みんな」
彼の体は、完全に光となり、静かに、消滅した。
【現実への帰還】
冷たい、薄暗い自室。 中年の、だらしない体形の男が、まるで長い夢から覚めたかのように、ベッドの上で、はっと目を覚ました。
「……夢、か……」
しかし、それは、あまりにも長く、あまりにも現実味のある夢だった。 呆然とする彼の視界に、ふと、自分の腕に巻かれた、見覚えのあるものが映る。 リリーナの、あのブレスレットだった。
唇には、ほのかな温かみと、柔らかな感触が、まだ残っている。
彼は、それが現実であったことを悟った。
肥満した体を動かし、埃を被ったカーテンを勢いよく開ける。 窓の外には、晴天の青空が広がっていた。
「……この世界の空も、こんなに綺麗だったんだな」
アパートの二階から呆然と青空を眺めていると、登校中の小学生が駆けていくのが見える。 かつての彼なら、急いでカーテンを閉めたはずだ。しかし、彼は、その姿を見つめて呟く。
「……そういえば、小さい頃の夢、なんだったっけな。……ああ、そうだ。ゲームクリエイターになりたかったんだ。まあ、今からなろうとは思わないけど」
中年の男は自嘲気味に笑うと、部屋の引き出しを開けた。
そこには、縄と、練炭が入っていた。
彼は、それらを、黙ってゴミ袋に入れる。 そして、部屋の掃除を始めた。
部屋が片付く頃には深夜になっており、腹の音が鳴り響く。 カップラーメンを食べ、僅かな小銭を数え、通帳を見る。
「確か、福祉課に行けば、住宅や食料の支援があるってゼイドは言ってたな。……まあ、この世界に、そんな支援があるのかは分からないけど、調べるだけ、調べてみるか」
男は、いつもなら開くゲームや動画サイトのアイコンを無視して、役所のサイトを眺め、メモを取っていく。 朝日が差し込む頃、彼は欠伸をしながら、大きく背を伸ばした。
「……なんか、あの地獄の現場を一年近くやっていたせいか、こういう徹夜も普通にこなせるな。理不尽な板挟みもないし、うん、楽なもんだ」
男は数時間だけ仮眠を取り、そのまま役所へ向かった。 淡々と申請を終え、一時金を受け取ると、スーツを買いに行く。
一週間後。
数多の不採用通知を受け取るが、男は一切動揺しなかった。
書類選考が通った一社を、静かに見つめる。
「……書類が通ったってことは、少なからず可能性がある、ってことだよな。キャリアのため、多少、待遇が悪くても割り切るべきだ。……そう、だよね。ゼイドさん」
それから二週間後、彼は内定を得た。
法律関連の事務の仕事。細々とした作業が多かったが、建設現場で段取りのイロハを学んでいたため、日夜、改善を繰り返し、一ヶ月もすると、職場に馴染んだ。
三年で中難易度の資格を取り、彼は独立した。
「さて、式の書き方も十分学んだし。……これからは、自分で式を描いていこうか」
男は、腕のブレスレットにそっと手を当てる。
「……僕も、僕なりに、頑張ってるよ。みんな」
「……よし、今日も、頑張るか」
精悍な顔つきになった中年の男は、自分の足で、自分の道を歩き出した。
第21話(最終話)、お読みいただき、本当にありがとうございました!
異世界での「本物の物語」は、現実を生きる「お守り」となりました。 次回、エピローグ。この物語を見届けた、天使たちの結末とは――。
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また明日の6時30分にお会いしましょう。 Studio_13




