第13話:『治療という名の処刑』
翌朝、学園の空気は、まるで鉛を溶かし込んだかのように、重く、沈黙していた。 校長から「リリーナの呪いの真相」を聞かされたシンは、自室のベッドから一歩も動けずにいた。 激しい罪悪感と、圧倒的な無力感。
それでも、彼は、校長が口にした「王都の治療施設」という、蜘蛛の糸よりも細い希望に、必死にすがりついていた。
(……国王が保護するんだ。悪いようにはならない。きっと、すぐに良くなる。良くなるに決まっている)
午前になると、その希望を嘲笑うかのように、物々しい全身鎧に身を包んだ王国騎士団の一団が、学園に到着した。
彼らは、リリーナを「保護」するために来たと機械的な声で説明する。 その鉄仮面の奥の瞳は、まるで罪人を見るかのように冷たかった。
【コントロールルーム】
「……本当に、彼に選択を委ねるのですか。もし、彼が何もしなければ、ヒロイン役のリリーナは……」
セラフィムが、モニターに映るシンの無力な姿を見て、静かに問うと、神楽は冷淡に返す。
「その時は、火炙りになるだけの話だ」
神楽は、二人の騎士役の天使に、インカムで指示を飛ばした。
「いいか、クライアントの近くへ行き、聞こえるか聞こえないか、ギリギリの声で、これから話す『真相』を漏洩させろ。もし聞こえなかった場合は、プランBに移行する」
【アルカディア魔法学園・敷地内】
シンは、遠くから、騎士たちに囲まれて聖堂から出てくるリリーナの姿を見つめる。 彼女は、シンを見つけると、不安げながらも、健気に微笑んでみせた。
その時、シンの近くを通りかかった二人の騎士が、ひそひそと会話を始める。
「……可哀想に。あの少女、ご自分がどうなるか、ご存じないのだろうな」
「仕方ないっすよ。『聖泉の離宮』の治療なんて、ただの建前っすからね。本当の目的地は『断罪の祭壇』での処刑。火炙りにされ、その魂ごと呪いを浄化するとは、残酷っすよねぇ」
「聖女が災厄の導き手とは、随分と皮肉な話だ」
「処刑」「火炙り」。
その言葉が、音を失った刃のように、シンの頭を殴りつけた。
全身の血が、急速に冷えていく。
シンは、通り過ぎようとした二人の騎士に掴みかかる。
「ど、どういうことですか! リリーナが火炙りにされるって!」
騎士は仮面越しに「しまった」という表情を見せると、シンを乱暴に振り払う。
「何の話だか、分からんな」
「さっきの話です! あなた方は口にしたじゃないですか、リリーナが処刑されると!」
「……聞き間違いだろう。あの少女は治療の為に『聖泉の離宮』に招かれる。それだけの話だ」
「嘘を言わないでください! 本当のことを……」
シンが騎士に掴みかかろうとした瞬間――。
騎士は、一息にシンの懐に入り込み、短刀を彼の首筋に突き付けた。
「あまり騒ぐな。……我ら王国騎士団には、任務を阻害する者への生殺与奪が与えられている。これ以上騒ぐなら、ここで首を刎ねても構わんのだぞ」
「……ひっ」
この世界で初めて向けられた殺気に、シンは間の抜けた声を出して立ちすくむ。
「一応、忠告するが、今聞いた内容は誰にも漏らすなよ。……まあ、その震えようでは、何も出来んだろうがな」
騎士は、侮蔑するようにシンを突き放して立ち去る。 もう一人の騎士は、親しみやすい声で言う。
「まあ、そういうことだから、今の話は内緒でお願いするっすよ。あの少女のことなんてさっさと忘れて、君は学園生活を楽しみなさい。あんな聖女のまがい物……『出来損ない』は、さっさと処分するのが、この世界のためっすからね」
軽薄な騎士はそう言うと、シンの頭を軽く撫でて立ち去った。
「……出来、損、ない」
その言葉が、引き金だった。
吐き気がこみ上げ、シンはその場に膝から崩れ落ちる。
(なんで、こんなこともできないのよ!)
(ああ、いいよ。先生がやっておくから、向こうに行ってなさい。邪魔だから)
(お前の頭には何が入っているんだ。空っぽなのか、この出来損ないが!)
両親、教師、上司……。 過去の全ての拒絶の言葉が、一度に彼を襲った。
「……う、うぉえ……」
シンは嘔吐するようにえずくが、胃からは何も出てこない。 ただ、魂の奥底から絞り出したような、乾いた空気だけが、虚しく漏れた。
【コントロールルーム】】
「クライアントの精神状態、レッドゾーンに到達! 数多のトラウマが想起されている模様!」
スタッフの一人が心配げに告げる。 神楽は、楽しげにモニターの中のシンを見つめていた。
「さあ、どうなるか。見捨てるか、決断するか」
「……一応、確認しますが、見捨てた場合のフォローは?」
セラフィムが、万が一の事態を想定して尋ねる。 神楽はモニターに集中したまま、言い放つ。
「そんなものはない。言っただろう。私の脚本は、リリーナの火炙りをもって完結する。この脚本から逃れたければ、クライアント自身が、新たな物語を描くしかない」
「冗、談でしょう!? もし、彼が聖女を見捨てれば、それこそ、魂の純度が一気に黒ずみ……」
セラフィムが言葉を詰まらせると、神楽は、モニターから彼女へと視線を移した。
「……セラよ。人が変わるには何が必要だと思う。金か、権力か、それとも愛とやらか」
「愛です。我ら天使は、愛を授けるために存在しています」
「なるほど、100点満点の模範解答だな。……0点を与えてあげよう」
神楽は冷ややかに言い切った。その瞳は、まるで出来の悪い生徒を諭す教師のように。
「いいかい、セラ。人が変わるのに必要なのは、危機感だ。『このままではまずい。こんな自分は嫌だ。変わりたい、でも変われない、それでも変わりたい』。この葛藤が危機感によって煽られ、エゴは、必死に知恵をこねくり回して変質を始める」
セラフィムは、神楽の圧に呑まれ、視線を逸らせなかった。
「君の言う通り、愛は確かに大切だ。だがな」
神楽は一歩、セラフィムに近づく。
「愛されるだけの環境では、魂は成長せんのだよ。守られ、許されることに慣れると、人は行動を失ってしまう。形こそ違えど、あのクライアントのように、最後は部屋に閉じこもってしまうのだ」
「…………」
「ただ与えられることに慣れた魂にとって、愛とは『現状維持』のための言い訳。……逃げ込むだけの『盾』となる」
「だが」と、神楽の声のトーンが変わる。
確信に満ちた、熱を帯びた声へ。
「『やればできる』という成功体験と、『自分を信じてくれる』という愛の記憶を、先に植え付けていれば、話は別だ」
神楽の口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。
「絶体絶命の危機に陥った時、その愛は、もはや逃げ込むための『盾』ではない。己を奮い立たせ、運命に抗うための『剣』へと昇華する」
彼は、再びモニターに視線を戻す。 そこには、地面にうずくまり、葛藤するシンの姿が映っていた。
「――クライアントには、最高の剣を、既に授けてある」
【アルカディア魔法学園・敷地内】
シンは、絶望の淵にいた。 「もう嫌だ」「逃げ出したい」という、前世で何度も繰り返した思考が、彼の心を支配する。
(そうだ、僕には関係ない……僕がでしゃばる理由なんて、ないんだ……)
彼は、必死に理屈で自分を納得させ、逃げ道を探そうとする。 だが、その時、うずくまった彼の視界に、キラリ、と光るものが目に入った。
それは、腕に巻かれた、リリーナのブレスレットだった。
―――『あなたの無事を、心から祈っていますわ』
彼女の、偽りのない、真っ直ぐな言葉が、脳裏に蘇る。
今までの人生を振り返ると、彼女だけだった。
シン自身の「無事」を、ただ、ひたすらに祈ってくれたのは。 その愛が、今、彼の心に突き刺さる。
(僕のことを想ってくれた。そんな彼女を、見捨てるのか?)
(自分の保身のために、初めて、守りたいと思った、あの子を見捨てるのか?)
シンの目が大きく見開かれると、腰に掛けた神剣が目に入る。
―――「お前の行いは、ただの傲慢じゃ!」
脳裏に、アルバスの叱責が蘇る。
ああ、そうだ、僕は傲慢だった。全てが肯定され、自分のことしか考えていなかった。 今、ようやく師の言っていた「傲慢」の意味が分かった。 自分に危険がなければ力を誇示し、危険が迫ると子犬のようにおとなしくなる。 これを傲慢と言わずして、何というのか。
遠くで、リリーナが、囚人用の馬車に乗せられようとしていた。
その瞳は、自分の運命を悟っているかのようだった。
――もう、迷う時間はない。
シンは、涙を袖で乱暴にぬぐうと、震える足で、しかし、確かな意志を持って、立ち上がった。 そして、震える手で、神剣グラムを抜き放つ。
腕に巻かれた彼女のブレスレットが、彼の決意に呼応するように、淡い、しかし力強い光を放った。
【コントロールルーム】
モニターの中で、シンが神剣を手に立ち上がった。 それを見ていた神楽は、満足げに、しかし獰猛な笑みを浮かべると、傍らに置いてあった王国騎士団の豪奢な鎧を身に纏い始める。 そして、少しサイズの小さい鎧を、セラフィムに投げ渡した。
「なっ……なぜ、あなたが鎧を着るのですか。それに、なぜ、私にまで」
「人員が足りんのだ。それに、お主も、あの者が魂の底から変わる瞬間を、その目で、間近で見たいであろう?」
「……そ、それは」
神楽は、全部署に通達を入れる。その声は、歓喜に打ち震えていた。
「――全スタントチームに通達! これより、本当の『物語』が始まる! 役者は揃った! 最高の舞台の幕開けだ! 盛大に暴れようじゃないか!」
そして、神楽は、祈るように戦況を見守るリリーナに、最後の指示を出す。
「リリーナ! 神剣グラムの同調率を、第二段階まで引き上げろ! クライアントが本気で、この世界に、そして自分の殻に抗おうとしているのだ! 我々も本気で応えねば、失礼というものだろう!」
神楽とセラフィムが、決戦の舞台へと転移していく。
本当の「物語」が、今、始まろうとしていた。
第13話、お読みいただきありがとうございました!
ついにシンが「剣」を取った! 次回、愛する人を救うため、たった一人のために創られた「本当の物語」が始まります。
彼の覚悟に胸が熱くなった!と感じていただけましたら、 下の【★★★★★】での評価やブックマークが、作者が執筆する、何よりの力になります!
また明日の6時30分にお会いしましょう。 Studio_13




