第8話「先触れの意志」
その男、彼らを吊り下げ式の廊下へと案内した。主要なアトリウムの上にかかる金属製の通路で、その手すりからは下の階の様子がよく見える。カオスはまだ続いていたが、その高さからでは、音はくぐもったざわめきとなり、慌ただしく動き回る番兵たちは、ひっくり返された蟻の巣の中のアリのようにしか見えなかった。その光景は、まるで目に見えない壁越しに災害を眺めているかのような、どこかシュールな隔たりを生み出し、緊迫感や恐怖から彼らを切り離していた。彼らのブーツの下で、通路の金属がブルブルと微かに振動している。それは、眼下で繰り広げられるパニックの亡霊のようなこだまだった。
「私の名はブリッグス」男は歩みを止めず、背筋をピンと伸ばし、一切の躊躇を許さない確固たる足取りで言った。「秩序の番人、大尉。このキサナトラ駐屯地の責任者だ」
「グンダーだ。そしてこいつはトム」グンダーは二人を代表して、一切の抑揚のない、完璧にニュートラルな声で答えた。「余たちは『秩序の先触れ』だ」
ブリッグスは小さく、最小限の仕草で頷いた。「そうだろうと思った。階級持ちの番兵が制服も着ずに兵舎に現れることはない」その言葉にはチクリと刺すような批判が込められており、トムはカァッと顔を熱くした。気まずそうにグンダーと視線を交わすが、彼はまるで形式など些細なことだというかのように、ポーカーフェイスを崩さない。「君たちはどこから来た?」
「ファラームからだ」トムは、内心の動揺よりも毅然とした声で答えた。
「そんな遠くからか…」ブリッグスはふぅーっとため息をついた。その音には、単なる肉体的なものを超えた、魂にまで染み渡るような疲労が滲んでいた。「ここの事件は多くの者を怖気づかせた。ここ数週間で、経験豊富な番兵や、君たちのような他の『先触れ』たちが尻込みするのを、私は見てきた。正直に言うと…」彼は一旦言葉を切り、コツ…コツ…という自分の足音で沈黙を埋めた。「『秩序』は我々を見捨てたのかと思い始めていた」
彼の言葉が冷たい空気の中に漂い、トムの頭の中で点と点がカチリと稲妻のような速さで繋がった。「だから、首都の騎士たちがここに…」彼女は問いというよりは、納得したように呟いた。
「『黒鋼の刃』が到着したのは先週だ」ブリッグスは、その部隊名が示す金属のように重く、冷酷な響きで肯定した。「どうやら、ダクトの問題が大商人たちの交易の邪魔になっているらしい。奴らの不満が首都の古い貴族たちの耳に届き、金のなる木が危険に晒されると、連中の対応はいつも過剰になる」
「『見捨てられた』と言ったな」グンダーの声が、まるでメスのように鋭くブリッグスの言葉を切り裂いた。「それは、具体的にどういう意味だ?」
ブリッグスはピタリと足を止めた。足音が唐突に途絶える。彼はゆっくりと首を後ろに向け、彼らの目に自分の視線が合うギリギリの角度で止まった。先ほどの超然とした真剣さは消え去り、代わりにゾッとするような虚無――疲労と喪失の奈落が広がっていた。「ここ数日で、私の番兵たちの多くが死んだ」彼の声は感情を欠いていたが、それがかえって肌を粟立たせた。「そして、君たちの前に来た『先触れ』たちも全員な。皆、この事件を解決しようとして死んだ」
グンダーは「へぇ…」と低く声を漏らした。その音には、状況の深刻さを嘲笑うかのような、純粋な軽蔑が滲んでいた。対照的に、トムはゴクリと唾を飲み、冷たい汗が一筋、首筋をツーッと伝うのを感じた。危険は想像以上に現実的で、致命的だった。だが、血も凍るような恐怖の底で、チリチリと頑固な決意の炎が灯る。これほど危険な事件…ならば、これこそが『セレストの王冠』へと繋がる、紛れもない手掛かり、兆しなのかもしれない。
ブリッグスは再び歩き始めた。「正直、もう誰も来ないと思っていた。他の番人の本部が我々の呼びかけに応じなくなってから、もう何日も経つ。だが…」彼はチラリと二人を一瞥し、その灰色の瞳に分析するような光を宿した。「少年と謎の男がふらりと現れるとも思っていなかった。君たちは危険を知らなかったか、あるいはただの馬鹿かだ」不意に、彼は何かを思い出したかのように再び立ち止まった。「少年、君はここに個人的な用事があると言っていたな?」
ヴェルンの嘲笑を思い出し、トムの顔が再びカッと赤くなったが、彼女はグッと堪え、顎を上げて平静を装った。「僕は『セレストの王冠』を探している」
ブリッグスは顎に手を当て、考え込むように、懐疑的な視線を向けた。「セレストの王冠…危機の中心にやってきた『先触れ』の動機が、子供のおとぎ話とはな」
トムは視線を逸らし、羞恥心が顔を焼くようで、何か言い訳をしようと口を開いたが、ブリッグスがそれを遮った。
「だが…」彼は続けた。その声色は変わり、まるで古い物語を詠唱するかのような響きを帯びる。「『失墜の叙事詩』によれば、かつて神々が争った時代、戦の神は月の女神のために王冠を鍛えたという。そして、彼がそれを鍛えた場所は、『遥かなる昔に忘れ去られた、灼熱の砂漠の巨大な裂け目に佇む都』であった、と」
トムの目が見開かれた。肺から空気がフッと消える。「ここなのか?ここ、キサナトラで?」
「世代から世代へと語り継がれてきた、ただの物語だ」ブリッグスは肩をすくめ、魔法を解いた。「だが、いくつかの説ではそうなっている。キサナトラは、その伝説の都の遺跡の上に築かれた、と」
トムの顔に、抑えきれない輝くような笑顔がパアッと広がった。純粋で、圧倒的な希望が胸に込み上げ、さっきまでの恐怖を完全に消し去る熱い波となった。本当だったんだ。ありえるんだ。
「なぜ、そいつにそんな話をする?」グンダーの声が、鋼のように冷たく響き、トムの陶酔の瞬間を打ち砕いた。「貴様自身、そんな言葉を信じてはおるまい。ただの子供騙しだ」
ブリッグスは完全に振り返り、その視線をグンダーの目に突き刺した。一瞬、空気がズシリと重くなる。静かなる認識の衝突。大尉は、目の前の男がただの傭兵ではないと悟ったようだった。グンダーが物事の表面だけでなく、彼の魂の深奥まで見透かせることを見抜いたのだ。「情けをかけたからだ」ブリッグスはついに、低く鋭い声で答えた。
グンダーは片眉をくいっと上げた。その視線が無言の挑戦を投げかける。
「その少年が、今日の夕刻まで生きているかどうか、私には分からん」ブリッグスは続け、その視線からは一切の同情が消え、虚無が戻っていた。「ただ、それだけだ。情けを、かけた」
トムの笑顔が消え、その顔は真剣さと挑戦心を宿した仮面へと変わった。彼女は大尉を見据え、その瞳の炎が獰猛な激しさでギラリと輝いた。「僕は、こんな場所で死ぬために、遠くから来たんじゃない」
ブリッグスは彼女を見つめ返し、一瞬、彼の唇にかすかな、ほとんど見えないほどの笑みが浮かんだ。それは面白さからではなく、敬意からだった。「来たまえ」彼は背を向けながら言った。「事件に関する報告書を渡そう」
◇ ◇ ◇
再び広場に戻ると、兵舎の冷たく重苦しい空気は、上層都市の活気あふれる交響曲へと変わった。楽しげな会話のざわめき、ホログラムパネルのブーンという唸り、高級レストランから漂うスパイスの甘い香りが空気を満たし、繁栄と生命力に満ちた光景を描き出していた。だが、トムとグンダーにとって、その黄金の外面は今や紙のように薄っぺらく、今にもビリリと破れて下の腐敗を露わにしそうに見えた。
グンダーは疲れたような眼差しで、自分の前をぐるぐると歩き回るトムを見ていた。トムは顎に手を当て、床をじっと見つめ、受け取った情報の迷宮の中で完全に迷子になっていた。
「人が消えて、ダクトが爆発…」彼女はイライラしたような囁き声で、ぶつぶつと独り言を言った 。「番兵や『先触れ』が死んで、青いマントの謎の連中が目撃された… 何もかも、意味が分からない」
彼女はピタリと立ち止まり、顔を上げた。広い大通りを希望と不安の川のように流れていく群衆を眺める。笑顔の顔、散歩する家族、商談をまとめる商人たち。完璧に振り付けられた平和の幻想。ブリッグス大尉の言葉が、彼の執務室の薄暗がりから心のなかで響いた。「キサナトラは『商業都市』と呼ばれているが、それは古い名前にすぎない。今では『不運の都』と呼ぶ方がお似合いだ…」
トムは、もっと注意深く観察し、以前にも気づいていたが、今やより重く、より不吉な意味を帯びて感じられる何かに気づいた。ここの上の人間たち…その多くは、下の人たちと同じなのだ。制服を着た労働者だけでなく、市民そのものが。非の打ちどころのない服装をした上流階級の者もいたが、彼らは少数派で、質素だが清潔な服で体裁を保とうとする疲れた顔の海に浮かぶ、富の孤島にすぎなかった。
彼女の視線は、キラキラと輝くショーウィンドウや空中庭園を通り過ぎ、商業地区の上にそびえ立つ巨大な居住タワーへと上がっていった。磨かれた金属と黒いガラスの塔。空を突き刺す針のように、街のエリートたちを収容しているはずの建物。
「グンダー」彼女は張り詰めた声で呼びかけ、上を指差した。「何が見える?」
グンダーが近づき、その猫のような目をキュッと細め、建築物の向こう側にある何かに焦点を合わせた。「空き家だ」彼は低く、断定的な声で言った 。「商業エリアは人でいっぱいだが、住居用のフロアは…ほとんどが空っぽだ。あの上は、ほぼゴーストタウンだな、…まで」
「…街の頂上まで」トムはゾクリと悪寒を感じながら、その言葉を継いだ。グンダーは頷いてそれを肯定した。そこ、到達不可能な頂点に、キサナトラの男爵たち、あの黄金の鳥籠の真の所有者たちが住んでいるのだ。
「ここに政治的な危機があるとは思わないか?」トムは、新たな視点に頭をぐらぐらさせながら、ピースがはまり始めて尋ねた。「経済に関係する何かが?」
「かもしれんな」グンダーは認めた。「ブリッグスの話からすると、番人たちはダクトの爆発が男爵たちへの抗議だと信じているようだ。どうやら、上層都市の物価があまりにバカ高くなったせいで、人々は毎日ここまで仕事に来るために登らなければならないにもかかわらず、下層都市への移住を余儀なくされているらしい。だが…」彼は一瞬言葉を切り、視線が遠くなる。「それでは、青いマントの男たちの説明がつかん」
「ただの街の革命グループかも」トムは提案した。その説は、彼女自身の頭の中ではもっともらしく聞こえた 。
「かもしれんな」グンダーは疑わしげな口調で言い返した。「だが、余はそうは思わん」
「どうして?」彼女は、苛立ちよりも好奇心が勝って尋ねた。
グンダーは群衆に目を向けたが、その視線は彼らを通り抜け、トムには見えない、彼らを結びつける見えざる流れを感じているようだった。「この者たちの間に、摩擦を感じんからだ。奴らは互いに憎み合ってはいない」
トムは、彼の声に含まれる奇妙な確信に驚き、目を丸くした。
「このような政治危機は、人々が地元の政府に不満を抱いていなければ起こらん」グンダーは、彼の知覚が反論の余地のない事実であるかのように続けた。「そして余は、その不満を感じない。感じるのは疲労、諦観…だが、憎しみではない」
トムははぁーっとため息をついた。相棒の奇妙で、しかし間違いのない能力の前で、彼女の理論はガラガラと崩れ去る。「まあ、ここで突っ立って考えてても仕方ないか」
「では、次の一手はどうする?」グンダーは腕を組み、現実主義が主導権を握った。「下層都市のダクトを調査するか、それとも街の頂上で運試しをするか?」
トムの目は、後者の選択肢にキラリと瞬時に輝いた。頂上!男爵たちが住み、秘密が隠されているかもしれない場所。天に最も近く、伝説の王冠が隠されているかもしれない場所。興奮が彼女を包み込み、期待と夢見るような笑みが唇に浮かんだ。
グンダーは彼女の表情をほんの一瞬だけ観察し、そして、完璧に単調な声で彼女の空想をバッサリと切り捨てた。
「よし。貴様はダクトへ行け」
彼はくるりと背を向け、話は終わりだと言わんばかりに歩き始めた。
「おい、ちょっと待て!」トムは、砕かれた夢と、純粋な憤りに変わった興奮を胸に、彼の後を追いかけながら叫んだ 。「僕はまだ何も決めてないぞ!!」




