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月の斑(はん)  作者: エーテル
第一幕・隣接する夜: 『鋼鉄と月光の奔流』
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第46話「天頂と深淵」

 太陽が天頂を極めていた。正午。天空の最も高い場所。


 キサナトラ全域において、秩序の番人たちの部隊が巡回ルートを網目のように敷いていた。光が傲慢に反射する黄金の大通りから、希望が腐り落ちる湿っぽくて不潔な暗い路地裏まで。


 ブリッグス大尉は、数人の部下を従えて下層都市の迷宮のような路地を歩いていた。彼の灰色の瞳は、金属製の歩廊の下に広がる深淵を覗き込み、計算高く細められる。


 ギロリ


 影に飲み込まれた路地裏。下層都市の深部、巨大な換気ダクトの近くで、死がその作品を展示していた。地面に転がる死体。その胴体はグロテスクに切り裂かれている。不純な色が混じり合い踊る油溜まり。その歪んだ水面に、一人の女のシルエットが映り込んでいた。青みがかったマント。脚のあたりで裂けた布地。高く結い上げられた金髪のポニーテール。そして、彼女は歌っていた。足元にある惨劇とは裏腹に、柔らかく、しかしどこか不協和音を奏でる旋律を。


 フフフ……♪


 はるか上空、上層都市では、「黒刃の騎士」たちが監視の目を光らせている。その重苦しい威圧感は、人々の怯えた視線を引きつけ、同時に拒絶していた。


 上層都市の低層エリアに立ち、オードリーは商業区画の人工的な空を見上げていた。淡い青色の瞳が、ネオンサインの輝きを捉える。この高度では風が攻撃的だ。彼女の長い黒髪が、バサバサと激しく打ちつけられる。


 大きな商業広場の一角。きらびやかなショーウィンドウの前で、青いフードを目深にかぶった金髪の少年が、じっと佇んでいた。彼の視線は、機械仕掛けの玩具が行う単純な手品――その些細なイリュージョンに釘付けになっていた。


 一方、貴族や産業男爵たちが集う舞踏会。痩せた男が、世界の重みを肩に背負ったような足取りで会場を彷徨っていた。肩まで伸びた黒髪。手には高価な酒が入ったクリスタルグラス。だが、その瞳は深い疲労に侵食されている。彼は壁の時計を見た。露出した黄金の歯車が、チクタクと時を刻んでいる。


 そこから遠く離れた場所。下層都市にある秩序の番人の小さな前哨基地、その発着プラットフォーム。風景は純粋に工業的だった。


 少女の瞳が、カッと見開かれた。グンダーが数日前に用意したリネンの服に身を包んだ彼女の顔に、純粋な興奮が広がる。


「これに乗ったことは?」目の前の男の声はしゃがれていた。無造作に高い位置で結われた黒髪、無精髭がその自堕落さを物語っている。ヴェルンは、今や「フェンリエ」という役割を演じているイングリッドを見つめた。その唇が、微かに歪む。


「ううん。私はまだ、これを使える年齢じゃ……」フェンリエはガックリと肩を落とし、ほとんど演劇的ともいえる落胆を装った。


 ヴェルンはアルカンエンジンのハンドルを指先でなぞった。冷たい金属の感触。


「こいつらは船や列車と同じくらい高く飛べる。問題は腕前だ。何をしてるかも分からずにエネルギーを使い果たせば、高所からの落下は長くて戻れない旅になるぜ。ククク……」


「随分と手慣れてるみたいですね」彼女は最高級の魔法技術で鍛造されたバイクに見惚れながらコメントした。


「昔はよく乗ってたんでな」


「そのようなガラクタへの執着、余には理解できん」傲慢と自尊心に満ちた男の声が響く。


 フェンリエが声の主へ振り向く一方で、ヴェルンはチッと舌打ちをして視線を逸らした。


「余が下まで運んでやれば済む話だ。そのような機材の使用は不要である」


「ならテメェは勝手に飛んで行けよ……」ヴェルンは懐かしむようにアルカンエンジンのカウルを撫でながら呟いた。


「でも、私も乗ってみたい!」フェンリエは抗議した。両の拳を胸の前で握りしめ、プーッと頬を膨らませて、説得力のある駄々をこねながらグンダーの方へ向く。


 グンダーは数秒間、その幼稚な演技をじっと見つめ、分析していた。(……中身はともかく、外見は完璧に子供だな)


「悪く思わんでくれよ、使い魔の旦那」ガラガラとした不機嫌な声が静寂を破った。


 グンダーが振り返ると、二人のドワーフが秩序の番人を伴って近づいてきていた。グリムが先頭を歩き、息子のリリムドールが必要な機材の重みに耐えながらすぐ後ろに続いている。


「素性の知れん精霊の魔法より、サピアンの機械仕掛けのガラクタの方が信用できるんでな。儂の流儀じゃよ」グリムが鼻を鳴らす。


「おや、グリム殿……」グンダーが呟く。その慇懃な態度は、苛立ちを隠しきれていない。


「お前の魔法は強力なんじゃろうが、お前さんが自分の『守り子』を守るためなら何でもするのは分かっとる。儂はそのとばっちりを受けたくないんでな、オラァ!」


 イングリッドがヴェルンの娘「フェンリエ」であるという変装を維持するため、グンダーは少女の使い魔である猫の精霊という役を演じていた。


「貴公の論理には一理あると認めよう……」グンダーは、ほとんど憎悪に近い侮蔑のこもった視線をヴェルンに向けた。「危機的状況において、我が守り子の『父親』ですら、余の保護対象外であることは間違いない……」


「地獄へ落ちろ、砂場のトイレ使いめ!」ヴェルンが言い返す。


「ま、まあ……もう全員準備はできたみたいだし、ね?」フェンリエが慌てて割って入り、高まる緊張を散らそうとした。


「……よかろう」グンダーはフェンリエに向き直った。「決めろ、先触れ」


 この状況下、ドワーフたちの前では単なる使い魔に過ぎないグンダーは、先触れとしての権威を公然と振るうことはできない。茶番の序列は守られなければならないのだ。


「貴公が、この任務の責任者だ」彼はそう言い残し、少女の横を通り過ぎた。


 フェンリエは立ち尽くした。数秒間、虚空を見つめ、その言葉の重みを処理する。(……僕が、決める)


 二人のドワーフとグンダーはヴェルンと共に縁に集まり、眼下に広がる深淵の遺跡を見下ろした。かつて誇り高きキサナトラの都市の一つであった場所の入り口を、化学松明の緑色の光が照らし出している。


 フェンリエが振り返った。緋色に見えるほど濃い茶色のショートヘアが、首元で揺れる。茶色の瞳には確固たる意志と自信が宿っていた。その一部がドワーフへの演技であることを知っていても、決意に満ちた笑みが彼女の顔に浮かぶ。


「始めましょう」


◇ ◇ ◇


 キイイイイイイィィィ――!


 魔法の鋭い駆動音が静寂を引き裂き、遺跡の壁に反響した。三台のアルカンエンジンが重力に逆らい、深淵へと急降下していく。そのデザインは重厚なバイクを思わせるが、車輪はない。前方には風を切るスタビライザーだけがあり、後部ではセルリアンブルーの光球が激しく脈動し、重力推進を生み出している。シャーシの中央では、魔法技術のエンジンがズオオオと唸りを上げ、乾いた熱と焼けた銅の臭いを撒き散らしていた。


 彼らは螺旋を描きながら宮殿の基部へと降りていく。そこには、ヴェロニアとラグラムとの戦いの傷跡が、まだ生々しく石に刻まれていた。


「派手にやったもんだな、おい」ヘルメット越しにこもったヴェルンの声。暗いバイザーが目を隠しているが、彼がマシンを操るその口調には明らかな嘲笑が滲んでいた。


「う……それは、彼らのせいというか……」傭兵の背中にしがみつき、革の鎧に顔を埋めながらフェンリエが呟く。


「実際には、そこに貴公の魔力痕跡サインも残っているがな」黒猫の姿をしたグンダーが指摘した。振り落とされないよう、少女の肩に爪を軽く食い込ませている。


「事故だったの!神聖な歴史的遺産を壊したかったわけじゃありません!」彼女は抗議した。必死さのあまり、声が少し裏返る。(僕だって好きでやったわけじゃないのに!)


「神々がレンガ数個のために不眠症になるとは思えんがな」ヴェルンが答えた。


 フワリ


 アルカンエンジンは不自然なほど滑らかに、巨大な階段の前に着地した。秩序の番人が操縦する他の二台のマシンも、後部にドワーフたちを乗せて降り立つ。


 プスン……ヴェルンがイグニッションを切ると、光球の輝きが消えた。


 フェンリエが降りると同時、グンダーが彼女の肩から飛び降りた。空中で、小さな猫のシルエットが歪む。エーテルと肉体がボゥッと膨張し、ブーツが地面に触れる頃には、彼はすでに人間の姿に戻っていた。長いコートが動きに合わせて翻る。


「我々はここで出口を監視する」秩序の番人の一人が告げ、一行が宮殿の影に足を踏み入れるのを見送った。


「おい、使い魔」グリムの不機嫌なしわがれ声が響く。グンダーは片眉を上げて振り返った。「帰還用の魔法は使えるのか?」


「セーブポイントのことか?」


「ああ、それじゃ。出来るのか、出来んのか?」


「知識としては有している。問題は余の魔力消費だ。余の予備魔力に少しでも揺らぎが生じるか、リンクが遮断されれば、帰還点は即座に崩壊する。余の好みからすれば、あまりに不安定な代物だ」


「じゃあ、普段はどうしてるんだ?」ヴェルンが眉をひそめて尋ねた。「通常、遠征には逃走経路確保のために魔術師を連れて行くもんだが」


「まあ、余は……」グンダーが手袋を直しながら言い淀む。


 答えたのはフェンリエだった。彼女の瞳が虚ろになる。そこに郷愁の色はなく、あるのはトラウマ的な記憶だけだ。


「目の前のもの全部爆発させて、私を肩に担いで……全力疾走」


「……そいつはハードだな」傭兵が同情した。


「気の毒にな、嬢ちゃん……」ドワーフも付け加えた。


「とにかく行くぞ。時間座標タイムスタンプはすでに確立した」グンダーは会話を断ち切り、背を向けて階段を上がり始めた。


「もうかよ?」グリムがその手際の良さに驚き、息を呑む。


 フェンリエとリリムドールは、精霊の後を追うために足を速めた。


「単純な魔法だ。生命の署名サインをマーキングして、その場所に紐付けるだけでいい」すぐ後ろを歩きながらヴェルンが解説する。


「魔法理論の中でも、最も基礎的な魔法の一つだと認識していますが」フェンリエが補足した。


「基礎なら、なんでテメェは使えねぇんだ?」ヴェルンがからかう。


「私は魔法が使えないと言ったはずです!」


「知っとくべきだろ。誰かさんが教育をサボったようだな」


「余は教師として雇われているわけではない……」グンダーは振り返りもせず、単調な声で答えた。


「相変わらず役立たずだな……そもそも金も貰ってねぇだろ!」ヴェルンが言い返す。


「だからこそだ!この無礼なクソガキめが!」


「二人ともやめて……!」


 機材の調整で少し遅れていたグリムは、遠ざかっていく一行の背中を見つめた。洞窟に響くヴェルンとグンダーの罵り合い、そして仲裁しようとするフェンリエの声。


「騒がしい家族だこと」

おはようございます、こんにちは、こんばんは、わるー……コホン! エーテルです!


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


もし物語を楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価をいただけますと幸いです。皆様の応援が執筆の大きな励みになります。


またねー!! ヾ( ̄▽ ̄) Bye~Bye~

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