第45話「精霊の愛し子」
ガラスの照明が天井からぶら下がり、単調で鈍い黄色い光を放っていた。『秩序の番人』の兵舎の廊下は、その人工的な明かりに浸されていた。扉はすべて閉ざされ、重苦しい沈黙を強いている。
シーン……
その中の一つの扉の前で、男が一人、彫像のように佇んでいた。ヴェルンの体は強張り、振り上げた腕と固く握られた拳は、木の扉から数センチのところで凍りついている。ノックをする準備はできているのに、動けない。
(くそ……なんて言えばいい?)
彼の視線は宙を彷徨っていた。顔は躊躇いに歪み、適切な言葉が見つからない焦りを露呈している。元騎士は深く息を吸い込み、その場の空気から欠如した勇気を無理やり引きずり出そうとした。
スーッ……
ついに、彼の筋肉が動こうと緊張したその瞬間……
ギュッ
「おや?」
背後から男の声がした。驚きを含んでいるが、隠しようのない傲慢さと、忌々しいほど聞き覚えのある声。
ビクッ!
ヴェルンは苦悶の表情を浮かべたまま、錆びついた機械のように首を音のする方へ回した。そこにいたのは、グンダーだ。その精霊は、疑念と嘲笑に満ちた眼差しで彼を見据えていた。
◇ ◇ ◇
「なるほど……では、今度は貴様がアレの父親代わりというわけか?」
グンダーの問いは皮肉に満ちていた。ヴェルンが最近の出来事と、案内人の雇用についての説明を終えた直後のことだ。
ヴェルンはバツが悪そうに視線を逸らし、後頭部をかいた。
ポリポリ……
彼らは今、兵舎の外、整備専用の裏口にいた。辺りの空気は重く、焼け焦げたオイルと熱せられた金属の匂いが充満している。番人の整備士たちが、魔導二輪の日々の修理を行っていたのだ。
ヴィィィィン……バチバチッ……
『アルカンエンジン』から発せられる静電気の唸りが、肌を粟立たせる。
「悪かったな……。結果的にそうなっちまって……」
「謝罪など不要だ」
グンダーは素っ気なく遮った。精霊は視線を落とし、眼下に広がる砂の街の景色を眺めた。ヴェルンは驚き、その突然の礼儀正しさに戸惑った。
「無能な貴様を信用した余の落ち度だ。謝罪など口にするな」
グンダーはわざとらしい嘆きのポーズで彼を見た。
「……けっ、くたばれ」
「いずれにせよ、撤回は不要だ」
ヴェルンは落ち着きを取り戻し、警戒しながら彼を観察した。
「『トムとグンダー』という変装は二重の役割を果たしていた。アレの正体を隠すこと、そして主たる目的は、その身に宿る『月の斑』の存在を抑え込むことだ」
スタッ
精霊は近くのベンチに腰を下ろし、優雅に腕を組んで整備士たちの作業を眺めた。
「『月の斑』が発現して以来、アレの本質が安定するのはこれが初めてだ。だからこそ、余はアレに『フェンリエ』という変装を許したのだ。……なにせ、アレが“それらしく”振る舞えるまたとない機会だからな」
「……子供らしく、か?」
ヴェルンが言葉を継いだ。
「『少女らしく』と言うつもりだったがな。アレはいつだって耐え難いほどの子供だ」
グンダーは溜息をつき、芝居がかった疲労を見せた。
ハァ……
「違いねぇ……」
人間も同意した。その顔には、彼自身の記憶の重みも映し出されていた。
「楽しむが良いさ。『斑』が眠っている間だけはな」
ヴェルンはグンダーの隣に腰を下ろした。
ドカッ
その瞬間、精霊は数センチ横へと滑るように移動し、意図的に距離を置いた。
スッ……
ヴェルンは露骨に嫌そうな顔をした。
「いつまでその状態が続くんだ?」
「正確な予測は不可能だ。だが、月が昇るたびに『斑』の器は満たされていく。……おそらく三日、あるいは四日か?運命が余らに慈悲深ければ、せいぜい一週間といったところだろう」
ヴェルンの瞳は虚ろになり、遠くの整備士たちを見つめながら、己の罪だけを見ていた。
「それもまた、貴様の制御できることではない」
修理される機械から目を離さずに、グンダーが言った。あまりに批判的な存在からの赦しに、ヴェルンは混乱した視線を向けた。
「誰かが現実に直面させなきゃならなかった。弟のことについてな」
「余は詳細を知らぬし、アレが貴様にどう反応したかも知らぬ。だが……アレの両親のことは知っている」
傭兵の眼差しが、痛ましい追憶に沈んだ。
「あの男が不名誉な自決を選ぶとは……ましてや、母親が自らの屋敷に引きこもることになろうとは、夢にも思わなかった」
「ファラームの聖騎士たちは、彼らが守護した国そのものよりも有名だったからな。この大陸で彼らの名を知らぬ重要人物など、ほとんどいないだろう」
「まるで俺が彼らにとって無価値だったみたいな言い草だな……」
ヴェルンは彼を睨んだ。瞳の奥で、抑え込まれた怒りが燻っている。
ギロリ
「そして、実際そうではなかったと?」
精霊は横目で冷ややかに彼を見た。
「共に戦ったからといって、必ずしも深い友情があるとは限らぬだろう」
ヴェルンは鼻で笑った。苦く、乾いた笑いだった。
フンッ
「もっともだ。俺の知ったことじゃねぇな」
「その通りだ。貴様には関係ない」
バサッ
グンダーは立ち上がり、ヴェルンを通り過ぎて兵舎の入り口へと向かった。しかし……
ピタリ
彼は足を止めた。
「だが……アレが仮面も演技も必要とせず、話すことができた相手は貴様が初めてだ」
ヴェルンは顔を上げ、横目で彼を見下ろす精霊を見返した。
「貴様のような男のどこに、アレが何を見出しているのかは謎だがな。それでも……心からの感謝を受け取るがよい。アレが何者であるかという重荷を、ほんの束の間でも忘れさせてくれたことにな」
グンダーは再び歩き出した。
コツ……コツ……
「余が手を離している間、余の愛し子の面倒を見てくれたこと、礼を言うぞ」
ヴェルンは衝動的に立ち上がった。
ガタッ!
「『グンダー』は変装用の名だと言ったな。……本当の名はなんて言うんだ、大精霊サマ?」
グンダーは再び立ち止まった。彼はゆっくりと体を傭兵の方へ向けた。
「なぜ知りたいと願う?」
その唇には、傲慢で挑発的な笑みが浮かんでいた。
「あんたみたいな手合いが、人間にそんな態度を取るなんて珍しいからな。単なる好奇心だ」
グンダーの笑みが深くなった。
ニヤリ……
「いかにも。アレは余のもとへ運ばれてきた。それ以来、余は我が子のようにあの子供を育ててきたのだ。食わせ、守り、教えてきた」
グンダーは目を細めた。縦に割れた紫色の瞳に、冷たく危険な光が宿る。
ゾワッ……
「貴様の意図は感じ取れるぞ。どういうわけか、貴様は今、保護者気取りをするつもりらしいが……」
ヴェルンは毅然と見つめ返したが、その額を一筋の冷や汗が伝った。
ツツーッ……
「余について誤解しているようだな」
精霊の答えは、元騎士の不意を突いた。
「裏の意図などない。余の望みは、何としてでもあの愛し子を守ること。ただそれだけだ」
ヴェルンは悪戯っぽく笑い、鼻をこすりながら視線を逸らした。
「そうやって話してると……まるで、あんたがあいつの『母親』みたいだな」
!!
グンダーの目が見開かれた。一瞬だけ驚愕がその顔を支配し、傲慢な態度が崩れ去る。
しかし、すぐに鋭い眼光が戻り、謎めいた笑みが再びその顔に浮かんだ。
フッ……
「あるいは、そうかもしれぬな」
彼は背を向け、そのまま歩き去っていった。絶対的な混乱に顔を歪ませたヴェルンを、その場に残して。
「……あるいは、だと?」
おはようございます、こんにちは、こんばんは、わるー……コホン! エーテルです!
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