第26話「斑(はん)ある真実」
ふぅーっ……と、長い長い溜息が唇から漏れた。まるで永遠に肺の中に閉じ込められていた空気が、ようやく解放されたかのようだ。それまで筋肉を強張らせていた氷のような緊張がスウッと溶け、後には震えるほどの疲労と、深い安堵だけが残された。
「これで、ずっとマシだ……」
トムは誰もいない虚空に向かって宣言した。その声は今、人工的に作られたものではあるが、聞き慣れた少し低く、ハスキーな響きを取り戻していた。
まだ病院の薄っぺらい白い寝間着を着ているが、その下のシルエットは劇的に変化していた。女性特有の華奢なラインはフッと消え失せている。体は引き締まり、肩幅はわずかに広がり、より直線的な骨格へと変わっていた。かつて細く柔らかかった腕や脚は、今やガッと筋肉の筋が浮き出る、少年の乾燥した体つきを見せていた。
グンダーの魔法が、第二の皮膚のように重く、そして確実に彼女を覆っていた。パートナーの執拗な手入れによって軍隊式に短く刈り込まれた緋色の髪が、その像を完成させる。怯える少女は消え、トムが帰ってきたのだ。
「その姿を嫌っていたのではなかったか?」
部屋の隅から声がした。グンダーが白い壁に背を預け、ブーツの底をコツンと壁に押し付け、腕を組んで立っていた。猫のような縦長の瞳孔を持つその目は半眼に細められ、退屈と臨床的な分析が入り混じった、歓迎したくない視線で彼女を観察していた。
「大嫌いだよ!」トムは敵意を剥き出しにしてバッと振り返り、叫んだ。彼女は両腕を上げ、変装特有の攻撃的な身振りで訴える。「今だって嫌いだ! でも、正体がバレるよりはずっとマシだ!」
グンダーは微動だにしない。共感も嘲笑もなく、ただ冷徹な観察眼で彼女を見つめ返すだけだ。
「あれからもう十年だぞ」
彼はそう言い放つと、壁から背を離し、コツ、コツとゆっくり彼女に向かって歩き出した。
「まだ死んだ人間に成りすますために、そこまでの労力が必要だと信じているのか?」
彼は、トムがその圧力を肌で感じるほどの距離でピタリと止まった。その視線が彼女を頭から爪先までジロリと舐めるように走り、彼自身が作り出した幻影を値踏みする。
「用心に越したことはないって、いつも言ってるのはお前だろ……」トムはボソリと呟き、その鋭い視線に耐えきれずプイッと顔を背けた。
「シンクレアは貴様を守ると言った」グンダーは言い返した。その声は穏やかだが、鉛のような重みがあった。「それに、正直なところ、貴様の兄が犯した罪が、今さら貴様に降りかかるとは思えん。貴様の家族は、すでに奴の罪の代償を血で支払ったのだからな」
ゾクリ。トムの背筋を悪寒が駆け抜けた。グンダーの声には何かがあった……その言葉には、純粋な庇護や慰めよりも遥かに重い、押し潰されそうな疲労が含まれていた。
トムの茶色の瞳に怒りの火花がバチッと散った。彼女は勢いよく彼に向き直った。
「隠れろって言ったのはシンクレアだろ! 兄様が『逃げろ、消えろ』って言ったって伝えたのは、お前じゃないか!」
彼女の声がワナワナと震え、苛立ちが溢れ出す。グンダーはさらに目を細め、その瞳孔は危険なほど細い線になった。トムは言葉を捲し立てた。
「だいたい、なんで今そんな話をするんだよ!? それに、僕が男のフリをしなきゃいけないのは『月の斑』のせいだろ……」
「『斑』の抑制の話ではない」
グンダーはその言葉を、外科医のメスのように冷徹に切り裂いた。
「余は、セヴァー家の話をしているのだ」
ドクンッ!
トムはカッと目を見開いた。その名は物理的な打撃となって彼女を襲った。一瞬、呼吸が止まる。次の瞬間、彼女はギュッと目を固く閉じた。背骨を這い上がってくる苦い記憶の津波をせき止めようとするかのように。
焦げた匂い。 ギャァァァという悲鳴。 暗い湖の水音…… 毎日必死に埋葬しようとしてきた、遠い記憶。
「なんで……?」彼女は、壊れそうな声で囁いた。
「余は『感じる』からだ」グンダーは言い、再びカツ、カツと部屋の中を歩き始めた。「この病院で貴様を見つけてから、貴様の心は壊れたレコードのようだ。貴様はずっと奴のことばかり考えている。貴様の兄のことをな」
彼は開け放たれた窓の前で立ち止まった。午後の日差しが彼の顔と紫のオーバーコートを照らしたが、彼はキサナトラの街並みよりも遥か遠くを見つめているようだった。
「『斑』を憎むと言いながら、貴様は是が非でもそれを理解しようとする。そして、兄の行いを憎むと言いながら……」
グンダーは顔をわずかに向け、横目で彼女を見た。その瞳はギラリと、魂を丸裸にするような超自然的な光を宿していた。トムがガックリと項垂れて隠そうとしている真実を、彼は見透かしていた。
「……心の奥底では、まだ彼を許している。まだ、愛しているのだ」
ギリリ……トムは拳を握りしめた。爪が掌に食い込む。真実という無言の告発を受け、体が小刻みに震えた。
「『月の斑』の魔力不安定を抑え込むために男装するのは、肉体的な必要性だ」グンダーは容赦なく続けた。「だが、イングリッド・セヴァーの存在を隠すのは、政治的な選択だ」
トムの堪忍袋の緒がブチッと切れた。苦悩は、防御的な叫びとなって爆発した。
「だから、なんで今そんな話をするんだよッ!?」
グンダーは完全に振り返った。その表情は深刻で、差し迫ったトラブルの影がその顔を暗くしていた。
「バレたからだ」
シーン……
世界が止まった。風の音も、病院の喧騒も、すべてが消え失せた。トムの顔からサァーッと血の気が引き、シーツと同じくらい蒼白になった。
「え?」
その一音は、唇から漏れた純粋な恐怖の音だった。
「だ、誰に?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
シーン……
その青い瞳には、永遠の冬が宿っていた。氷、雪、北極の広大さと極地の荒涼そのものが虹彩に凝縮され、捕食者のような執拗さでこちらを見据えている。その絶対的な冷たさとは対照的に、指揮官の漆黒の直毛はサラリと液体の滑らかさで肩に流れ落ち、その無慈悲な瞳とは不釣り合いなほど整った顔立ちを縁取っていた。
オードリー・セベリアンは、威圧的なまでの優雅さで座っていた。足を組み、体をわずかに斜めに傾けている。頬杖をついた拳は、高級木材の肘掛けにガシリと固定されていた。
彼女はまだ、光を反射するのではなく吸収するかのような艶消しの暗灰色の鎧を纏っていた。背もたれには王国の紋章が刻まれた深紅のマントが、まるで乾いた血の滝のようにダラリと垂れ下がっている。その沈黙の高みから、オードリーは裁きを下そうとしていた。
その正面で、トムは処刑台の被告人のように晒されていた。病院の薄い寝間着はもうない。代わりに、いつもの冒険者の装い――体のラインを隠す厚手のシャツ、丈夫な素材のダボついたズボン、そして砂漠の埃にまみれた革のブーツ――を身に着けていた。
厚い布地とグンダーの魔法に守られているにもかかわらず、トムの体は恐怖でガタガタと震えていた。その目は侵略を前にした城門のようにカッと見開かれ、拡張した瞳孔が目の前の脅威の細部をすべて吸い込もうとしている。唇は内側に巻き込まれるほどギューッと結ばれ、極限の緊張で震える一本の線となっていた。
だが、この圧迫感の犠牲者は彼女だけではなかった。
オードリーの隣には、石の番人の如くブリッグス大尉が直立していた。青い制服に高位を示す金モールを飾った将校は、背中で手を組み、ビシッと動かない。普段は分析的で冷徹な灰色の瞳にも、今は隠しきれない居心地の悪さがジワリと滲んでいる。地元の「秩序の番人」の最高権威である彼でさえ、あの女性が放つ空気を呼吸困難にするほどの重圧を感じていたのだ。
そして、トムの両脇を固める二人の奇妙な保護者たちが、この断罪の光景を完成させていた。
右側には、金色の装飾が施された紫のオーバーコートに身を包んだグンダーが座っていた。トムとは対照的に、彼は椅子の上でダラリと液状化しそうなほどリラックスしていた。猫のような縦長の瞳孔を持つ目は天井や自分の爪をぼんやりと眺め、無関心な静けさを漂わせている。彼にとって、この死にそうな緊張感など、夕食を遅らせる人間の退屈な手続きに過ぎないのだ。
左側では、ヴェルンがトリオを完成させていた。黒い蓬髪と無精髭の傭兵は、今にも逃げ出せるように椅子の端に浅く腰掛けていた。グンダーとは違い、彼は冷や汗をタラリと流していた。死や戦いへの恐怖ではない――彼はもっと恐ろしい修羅場をくぐり抜けてきた――それは、説教に対する本能的かつ深い嫌悪感だった。高官の講釈を座って聞かされる拷問は、いつもの二日酔いよりも避けるべき苦行なのだ。
指揮官の無言の圧力によって、部屋の時間は限界まで引き伸ばされ、ピキピキと張り詰めていた。
「さて……」
オードリーの声が、風の刃のような鋭さで静寂をスパッと切り裂いた。
「ヒッ!」
その音にトムはビクッと跳ね上がり、椅子から転げ落ちそうになった。心臓が肋骨をドンドコと叩く。
「貴公のパートナーは、貴公の……その……」
オードリーは意図的に言葉を切った。トムの視線はジッと指揮官の唇に釘付けになり、次に続く言葉を絶望的に恐れた。その音が発せられる前に、地面が割れて自分を飲み込んでくれないかと祈った。だが、それは不可避だった。
「……『秘密』について、語ることを拒否したが」
「そ、そそそ、それは僕が……っ!」
トムの言葉はカヒューと喉の奥で詰まり、パニックに絡め取られて空回りする。
「失礼ながら」
ブリッグスの重々しい声が、彼女のどもりを遮った。大尉は背中で組んでいた手を解き、厳格さと、不本意な過ちを認める表情を浮かべてザッと一歩前へ出た。
「私は兵士を見た目で判断することを避けてはおりますが、今回の件に関しては私の不徳と致すところです。貴公の顔立ちは確かに女性的な繊細さを持っておりますが、まさか本当に貴公が……」
大尉の灰色の瞳が部屋を、特にグンダーとオードリーをギロリと一巡した。
「ましてや、前衛部隊長と『賢者』殿が、病室で気絶した少女を相手に綱引きをしている現場に遭遇するなどとは……」
言われた二人は、プイッと微妙に不貞腐れた顔で視線を逸らした。
「みんな知ってるのかよォッ!?」
トムは首がグキッと鳴るほどの勢いで振り返り、叫んだ。絶望的な視線でグンダーを見つめ、パニックの共有を求める。
それに対し、グンダーは手袋をはめた手で口元を覆い、**フワァァ……**と長く無礼な欠伸を漏らした。まるで彼女のヒステリーが、世界で一番退屈な出来事であるかのように。
オードリーはその叫びに瞬き一つしなかった。ただ片方の眉をピクリとミリ単位で上げ、数トンの重みがある無言の問いを投げかけただけだ。
「なぜ、変装を?」
質問は乾いており、直接的だった。そこには純粋な好奇心などなく、上官が戦術的データを要求する冷たさだけがあった。
「それは、僕が……」
トムはゴクリと唾を飲み込んだ。冷や汗でシャツが背中にベッタリと張り付く。彼女は再びグンダーを見た。パートナーの顔から退屈の色は消えていた。今やその縦長の瞳孔はジッと彼女を見据え、重く、緊急のメッセージを送っていた。
『斑』だ。
トムの思考がグルグルと回る。もし「月の斑」の真実を明かせば……失われた危険な魔力を隠すために男装していると言えば、結果は予測不能だ。空気を切り裂くあの女に、その場で拘束され、研究材料にされるか、処刑されるかもしれない。
彼女は視線をヴェルンに移した。傭兵は頭を抱え、こめかみをグリグリと揉みながら、肉体的・精神的苦痛に顔を歪めていた。国家機密を聞かされるくらいなら、酔っ払ったオークの軍団と戦う方がマシだと言わんばかりの態度だ。彼は関わり合いになりたくないのだ。
選択肢は明白だった。魔法のバケモノか、戦争犯罪人の妹か。後者の方が、生存確率はわずかに高い。
グンダーはここに入る前、詳細を伝えなかった。ただ「バレた」という警告だけ。だが、彼は病室で「セヴァー」の名を口にした。それがヒントだ。彼が用意した脱出路だ。
トムは一瞬目を閉じ、スーッと部屋の重い空気を吸い込んだ。目を開けた時、震えていた姿勢は、暗い諦めに変わっていた。
「僕は……」
その声は低く、しかしハッキリと、圧迫感のある部屋に響いた。
「……僕は、イングリッド・セヴァーだからだ」
シーン……
効果は劇的だった。
ブリッグスの目がカッと見開かれ、軍人としての冷静さが初めて揺らいだ。それまで氷の彫像のようだったオードリーが、グッと身を乗り出し、その青い瞳の輝きが鋭く、危険なほどに増した。
ヴェルンでさえ、額を揉む手を止めた。彼はヌウッとゆっくり顔を彼女に向け、汗ばんだ額に皺を寄せた。アルコールで霞んだ古い記憶の中から、その名前を検索しようとするかのように。
「貴公は……」
オードリーが口を開き、言葉が重く引きずられるように空気中に漂った。
トムはギュッと目を閉じ、首をすくめて衝撃に備えた。嘲笑、嫌悪、あるいは即決処刑の冷たい宣告を待った。
だが、言葉の刃は振り下ろされなかった。
「……恐ろしい重荷を背負ってきたのだな」
指揮官の声は、ガラスのように鋭い響きを失い、深く厳粛なトーンへとフッと和らいだ。
「セヴァー家を襲った運命は、ファラーム王国が決して忘れることのない悲劇だ。誠に、痛恨の極みである」
パチクリ。イングリッドは目を開け、瞬きをした。オードリーの瞳の氷は完全に溶けてはいなかったが、その質感は変わっていた。捕食者の敵意は消え、静かで敬意に満ちた共感へと変わっていた。
「身を隠す理由は十分に理解できる。先ほどの配慮に欠けた追及、許していただきたい。セヴァー嬢」
鎧の女性が向ける眼差しには、奇妙な優しさがあった。犯罪者や魔法の異端者としてではなく、嵐の中で迷子になった怯える子供に向けるような、庇護的な眼差しだった。
「い、いや! 謝らないでくれ! ……ください!」イングリッドは慌てて答え、ブンブンと手を振って否定した。急激な態度の変化に戸惑いを隠せない。
オードリーは手袋をはめた手を顎に当て、少女の動揺を無視して考え込んだ。
「それにしても、驚きだ。まさか、あの伝説の『ゴースト・ダッチェス』に、このような辺境の街で出会うことになるとは……」
その言葉が宙に浮いた。
「ゴースト・ダッチェス……」
イングリッドはその二つ名を囁くように繰り返した。ボッと頬が赤く染まり、瞳に子供じみた憧れの輝きがキラリと宿る。想像力が翼を広げ、唇に**ニヘヘ……**と締まりのない笑みが浮かび始めた。
「へへ……へへへ……」
震えるような笑い声が漏れる。ゴースト・ダッチェス。ミステリアスで、強そうで、ダークな響き……。まさに彼女が好むタイプの異名だった。
「誉め言葉として使っているわけではないと思うが……」
グンダーの声が妄想を断ち切った。彼は片眉を上げ、他人の正気を疑ういつもの視線を向けていた。
「そいつはただ、民衆が行方不明になったセヴァーの娘につけた呼び名だぜ……」ヴェルンがヤレヤレと目を回し、自分に注目が集まっていない安堵を隠すように軽蔑を装って言った。「生死もわからねぇ被害者、影に対する呼び名だ。自慢できるもんじゃねぇよ」
パリンッ。イングリッドの空想の風船が割れた。彼女はムゥッと頬を膨らませ、傭兵を睨みつけた。即席の癇癪だ。
「な、なんだよ! お前なんてカッコいい異名がないからって、嫉妬するなよこの酔っ払い!」
「実際、誉め言葉ではないな……」ブリッグスの重低音が、悲しいほどの真面目さで響いた。
「ああ……断じて違う」オードリーも小さく首を振り、同意した。
二人の将校は今、隠そうともしない憐憫の目で彼女を見ていた。自分の傷を理解していない手負いの動物を見るような目だった。
「うぅ……」
イングリッドの肩がガックリと落ちた。瞳の輝きは消え、深くコミカルな落胆に取って代わられた。彼女はシュンと項垂れ、色褪せた現実に小さな英雄願望を潰されて唇を尖らせた。
「ま、まあ……いずれにせよ……」
ゴホンッ。オードリーがわざとらしく乾いた咳払いをした。気まずい空気を必死に払拭しようとしている。彼女は落ち込む少女から視線を逸らし、戦争被害者の幼い夢を粉砕してしまった事実を無視しようと努めた。
指揮官は居住まいを正した。ジャリッと鎧が微かな音を立て、氷の権威が戻ってくる。
「貴公の正体と血筋に関する事実はさておき……私がこの場を設けた真の理由は別にある」
ズンッ……
空気が一変した。一瞬だけコメディを許した大気は、再び重く冷たいものへと凝縮された。
ヴェルンは貧乏揺すりを止め、危険を嗅ぎつけた獣の緊張感を漂わせた。ブリッグスは腕を解き、その顔は軍人の義務感でカチリと硬化した。イングリッドでさえ顔を上げ、子供っぽい失望を拭い去り、真剣で曇りのない眼差しになった。
全員の表情が、最初からそうあるべきだったもの――鋼鉄のような決意――へと戻った。
オードリーは前傾姿勢になり、その青い瞳をギラリと危険な切迫感で輝かせた。
「我々を脅かす『敵』について、話さねばならない」




