第16話「湮滅の渦」
ボワッ、ボワッ! 彼女の周囲に紫色の渦が、何十個も浮かび上がる。埃、瓦礫、死者のボロ切れ…周囲の全てが、ジワジワと渦の中に吸い込まれ始めた。彼女はグッと身をかがめる。獲物に飛びかかる捕食者の構えだ。
「アハハハハ!」 女が甲高い、純粋な歓喜の叫びを上げた。ゴオオオオッ!と風がハリケーンのようにあらゆる方向から吹き荒れる。青いマントと髪がバサバサと荒々しく揺れた。彼女の指がグニャリと曲がり、何もない空間を引き裂くように、腕を振り回し始めた。
ヴェルンの周囲の全てが破壊され始めた。ザシュッ! ザシュッ! 現実が引き裂かれていく。
ヴェルンは回避を強いられる。左の石柱がスパッとスライスされ、ガラガラと崩れ落ちる。右の床がゴソッと存在から消し去られた。彼女が腕を振るうたび、何かが破壊されていく。
ヒュン、ヒュン! 彼は避け、跳ぶ。死の鬼ごっこだ。ヴェルンは進まない。ただ、守りに徹していた。
(空気を斬ってるんじゃねぇ…あの渦が空間を歪めてやがる。密度か、数か…力任せじゃねぇ…『歪曲』だ)
最後の一閃が、巨大な柱を襲う。ヴェルンはゴロンと転がり、間一髪で回避した。だが、彼はもう跳ばない。立ち止まり、彼女を見据えた。
「どうした? もう限界か?」 彼は彼女に向き直った。「普通の男は三分で終わりだそうだがな。俺は!」 彼はドンと胸を張った。「『バケモノ』なんでな! 分かんだろ、ハニー?」
その傲岸な笑みとは裏腹に、彼の目はじっと彼女を観察していた。(…だが、こいつ、何か不満そうだ…まだ何か隠してやがる…)
「………」
「何か言ったか? 聞こえねぇぞ、ダーリン」
だが、ヴェルンの傲慢でふざけた表情がスウッと消えた。目が細められ、構えが変わる。
「いつまで…私を本気で相手にしないつもり?」
「あー…まあ、そいつは…」
「私は嫌い…嫌い…」 恍惚の表情が、病的な憎悪の仮面へと変わる。「アンタみたいな人間が大ッ嫌いよ!」
**ブワッ!と渦が荒れ狂う。ヴェルンの背中を押す風が、彼を女の方へと吸い寄せようとする。彼女は怒りにギャアアアッ!**と叫び、腕を振り下ろした。
それと同時に、彼女の正面にあったもの全てが、ゴッソリと消滅した。
空間消滅の波。物質そのものを喰らう「無」の津波が押し寄せた。
だが、その一撃はヴェルンに届かなかった。
カキンッ!
最後の瞬間、一つの形が現れた。円形で、歪な、まるで凍った液体金属。月光の淡い光を放つ銀色の盾が宙に浮かび、破壊の奔流をガッと受け止めていた。
女は目をカッと見開いた。衝撃は本物だった。あの病的な笑みが揺らぎ、怒りに満ちた不信へと変わる。彼女の絶対的な力、空間を消し去る能力ですら、アレを破壊できなかった。
世界がゆっくりと動くように見えた。
女は盾に集中する。それはトムの武器の中央の柄が再構成されたものだった。そこから、極細の、ほとんど液体のような糸が伸びている。彼女は視線で糸を追った…一本は裂け目の闇へ…そして、もう一本は…
彼女の視線がバッと遺跡の奥へと飛ぶ。トムがいた。
先触れはフラフラと、しかし不動の構えで立っていた。血が額と口から流れ、服は血と埃で汚れている。その手には、武器の三本目の先端が握られている。右腕が後ろに引かれ、ギリギリと全ての力で糸を引いていた。
女の視線がヴェルンへと戻る。だが、遅すぎた。
キィィン! 目の前にあった銀色の盾が、月の鋸刃のように回転しながら彼女に向かってシュッと射出された。
彼女はニタァ…と笑みを深め、衝撃に備えた。だが、盾が飛翔する中、それはフワリと形を失った。固体の金属が、生きた水銀の鞭のように、ヒュルルと彼女の顔めがけてしなった。
液体金属が彼女に当たる直前、それはパッと二つに割れた。鎖が、トムの握る先端から切り離されたのだ。
二本の銀色の先端が、彼女の頭部の両側をシュンッ、シュンッ!と数センチの差で掠め、そして、彼女の背後で再びカチリと連結した。
罠は仕掛けられた。
そして、トムが動いた。
彼女は握っていた棍を、女の頭上を通る高く暴力的な弧を描いて投げつけた。鎖の檻で彼女を絡め取り、切り刻むための流れるような一撃。
だが、制御不能な怒りの中、女は左腕をブンッと後ろへ振るった。紫色の渦が、彼女の手に合わせて踊る。
バゴォッ! 空間破壊の衝撃が、トムの棍を空中で捉え、裂け目の方へと吹き飛ばした…
その時、**キィン!**と甲高い音が遺跡に響いた。弾かれたはずの棍が…跳ね返った。
同じ材質の何かに、**ガキンッ!**と打ち当てられたのだ。
(全て、陽動…! 裂け目に落ちたはずのあの棍…失われていなかった。誰かの手に…!)
彼女が気づいた時。盾は目の前にあった。ヴェルンの手に。
銀が**シュルル…**と解け、再構成される。酔っぱらいの手に握られた武器が流れ、スッと真っ直ぐで残酷な刃と化す。彼女の喉元めがけて。
青白い月光が、彼女の目に反射した。そして、気づくのが遅すぎた。
背後に気配。
弾き飛ばされ、跳ね返ってきた、もう一本の棍。
シュバッ! トムが現れた。
彼女は推進していた。氷のように冷たい青色のルーン文字が彼女の周囲を舞い、背中に光る半月を形成している。月光の力が、彼女を前方へとゴオッと射出していた。
半月形の戦斧。その長い柄が、彼女の手に固く握られていた。
その顔は怒りと血の仮面。額と唇から流れる血は、今や幻の光の下で暗く、ほとんど黒く見え、彼女の瞳とルーン文字が放つ青白く生命感のない輝きを反射していた。
そして、その超人的な力の代償。血が、ゴボッ、ゴボッと、開いた蛇口のように彼女の喉から止めどなく溢れ出ていた。
完璧な一撃。銀色と復讐の挟み撃ち(ピンサー)。回避不能、防御不能。
だが、二つの刃が彼女の首筋にヒュッと迫る、凍りついた刹那。女は思った。
(コイツら…本気で私を殺れるとでも? このクソガキ…生意気な…!)
彼女の視線はヴェルンの刃を無視し、背後から迫る血まみれの姿に集中した。
(そして何より…この男…私をナメてる! 何様のつもりだァッ!?)
病的な笑みがグニャリと純粋な憎悪の形相に変わる。彼女の瞳――蒼黒かったはずの――がグルグルと回転し始めた。ポータルの紫色がその虹彩を侵食し、黄色い螺旋が狂った銀河のように渦巻く。彼女の体そのものが、紫色の球の中心点と化した。
ヴェルンはそれを見た。
(クソッ!)
彼は待たなかった。ダッ!と飛び込み、トムの胸倉をガシッと掴むと、裂け目の縁へと全力で投げ飛ばした。
「退けェッ!」
彼もすぐ後ろに跳んだ。
次の瞬間、女が「爆発」した。
炎ではない。真空だ。紫と黄色の純粋な消滅の渦が、彼女がいた場所から**ゴオオオッ!と噴き出し、全てを飲み込んだ。柱も、石畳も、緑の炎も、がらんどうの死体も…全てがシュウウウ…**と吸い込まれ、耳を聾する沈黙の中で消滅していく。
ヴェルンに投げ飛ばされたトムは、**ズサァァ…と古い石畳の上を滑りながらも、ピタリと着地した。ゆっくりと、月の戦斧がシュルル…**と解け、金属が流れ、武器が元の姿に戻る。一本は右手に、一本は左手に、中央の柄が背中に弧を描く。
「危ねぇ…」 ヴェルンが彼女の隣に着地し、息を切らした。彼は横目で先触れを見た。
そして、その光景にゾッとした。
彼女の視線は虚ろだった。血が未だに顔を伝っている。だが、青いルーン文字は、今やバチバチと火花のように、火の粉のように、彼女の体の周りで不規則に踊っていた。
遺跡を破壊した渦が**シュウウウ…**と縮小し、自己の内側へと吸い込まれ、やがて消滅した。
静寂が戻る。
その時、ヴェルンは気づいた。
背後に。
女がいた。両腕を広げ、笑みを浮かべて。だが、その顔は…歪んでいた。悪魔的な恍惚に引きつっていた。
「ガキッ!」 ヴェルンが叫び、彼女を押しのけようと動いた。
だが、遅かった。
トムが、女の顔を鷲掴みにしていた。
トムの表情は変わらない。虚ろで、真剣なまま。
そして、二人は「無」に吸い込まれた。
ヴェルンは立ち止まった。伸ばした手は、虚空を掴む。**グルル…**と怒りの唸り声が漏れた。彼は破壊された場所へと駆け寄った。
遺跡があった場所には、今や巨大なクレーターだけが残されていた。彼は見下ろした。穴は、キサナトラそのものよりも深く、何十階層も下の岩盤を貫通していた。
◇ ◇ ◇
遥か下。光も、硫黄の匂いもない場所。
都市そのものよりも古い遺跡の前で、二人は虚空から吐き出され、ドサッと落ちた。
女は膝から着地し、その体は弱々しくではなく、病的なエネルギーでブルブルと震えていた。
トムは、数メートル離れた場所で立ち上がった。ゆっくりと。ギシギシと痛む体で。
青いルーンの火花が、まだ肌の上でパチパチと弾けている。彼女は右の棍を前に、体を横に向け、左の棍を後ろに引いた。膝をわずかに曲げる。
壊れかけのまま、彼女はスッと構えを取った。




