第1話 白き夢、選別されし魂
それは、ある夜のことだった。
世界中の都市が、奇妙な静寂に包まれていた。
通勤ラッシュの喧騒も、子どもたちの笑い声も、まるで最初から存在していなかったかのように消えていた。
すべてが、どこか“間違っている”ような、不自然な静けさだった。
「……何かを、忘れている気がする。」
誰かがそう呟いた。
その声は、世界のあちこちで同時にささやかれた、名もない違和感だった。
──そして、世界は夢を見た。
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──君は、これまで何をしてきた?
──君は、この世界をどう思う?
──君は、これから何を望む?
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それは音ではなかった。
思考に直接届く、静かな“問い”だった。
逃げられない。否、逃れたいとも思えなかった。
その声は、怒りでも裁きでもなく、ただ真実だけを見つめていた。
心の奥に触れられたその瞬間、
記憶が震え、後悔も希望も、すべてが露わになっていく。
やがて、白が訪れた。
空も、地も、人の影も、音も、すべてを包み込む“完全な白”。
それは夢の中ではなかった。
確かに“現実”として、世界を包んでいた。
言葉も交わされず、誰も叫ばなかった。
ただ全人類が、静かに、“そこ”へと引き寄せられていた。
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果てのない、静かな白の空間。
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──君は、何を望む?
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誰かの心が揺れた。
絶望に沈んでいた者も。
諦めを装っていた者も。
誰かを思い続けていた者も。
その答えは、言葉ではなかった。
ただ、心に宿ったわずかな光が──灯る。
それは最初、とても小さなものだった。
けれど、次第に灯火は増えていく。
ふたつ、みっつ、十、百と。
やがて星座のように白の空間を結び始める。
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私は──オリステラ・エグジス。
長きにわたり、この世界を見つめてきた者だ。
いくつもの時代、いくつもの国を超え、
私はただ、人々とともに季節を過ごし、喜びも絶望も、隣で感じてきた。
この問いは、救済ではない。
選ばれたのは“完璧な魂”ではない。
ただ、前に進もうとした意志を、私は見ていた。
それでも私は、まだ“選ぶ”という行為に慣れていない。
選ばれる者がいるということは、選ばれなかった者がいるということだ。
その現実は、私の胸を今も確かに締めつける。
だが、それでも。
選ばれた光は確かに希望だった。
誰かを助けたいと願った心。
今度こそ、正しく生きようとした想い。
信じたいと願った、あの日の記憶。
それらは光となり、天を昇っていく。
歓声も、涙も、ここにはなかった。
ただ静かに、魂は新たな地へと導かれていく。
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私の記憶には、何千年もの営みが焼き付いている。
誰かが笑い、誰かが泣き、誰かが誰かを救おうとした。
そのすべての想いが、私の中に生きている。
だからこそ、選別は苦しい。
美しさは、選ばれなかった者の中にもあった。
けれど世界は、すでに限界を超えていた。
すべてを救う時間はなかった。
だから私は、希望を選んだ。
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──そして、朝が来た。
人々は、いつもと変わらぬ日常へと戻っていく。
目覚ましの音に飛び起き、朝食をかき込み、満員の電車へと駆け込む。
昨日と同じ日常。
変わらない喧騒。
何ひとつ違わないはずの世界。
──けれど。
どこか、妙な違和感だけが胸に残っていた。
なにか、大切なことを忘れているような。
夢を見たはずなのに、その内容がどうしても思い出せないような。
まるで、“問いかけられた”記憶だけが、
淡く、心の奥に霞のように漂っているかのようだった。
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誰もそれを口にしないまま、
ただ世界は、静かに、確かに“変わり始めていた”。
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──これは、始まりの記録。
この世界を創る者たちの、
最初の一歩の物語である。