第九十八話 アリスの気持ち
「……まさかリリーさんが、夫君の正体に気がつく……。いえ、気がついたのは、グレゴリー王子でしょうね」
「グレゴリー王子とは、顔を合わせたことがあるからなぁ。顔を隠して声を変えても、わかってしまったか。アリス、どうしようか?」
「そのまま、何食わぬ顔で学園生活を送るしかないです。これは推測なのですが、リリーさんはこのことを他の生徒たちに漏らさないでしょう。それと多分、サクラメント王国でもこの事実を知る人は少ないはず」
「バラしてしまったら、切り札でなくなるからか?」
「はい」
まさか夫君がゾフ王であると、リリーさんに知られてしまうとは想定外だった。
詳細は追々調べるとして、夫君には普段どおりリリーさんと接してもらわないと。
彼女がリックさん、ケイトさん、クラリッサさんに漏らすとは思えないので、かえって騒がないことが大切だと思う。
夫君も、想定外であったが、動揺はしていないようでさすがだ。
「でも、リリー様がエルオールの正体に気がつくほど、繊細には見えないわよねぇ」
「それは間違いないです」
私も、リンダさんの言うとおりだと思う。
リリーさんは王女に相応しい品格と美しさを持つ方ですが、夫君の正体に気がつくようなタイプではなく……よく言えば純粋、悪く言えば単純な方ですから。
「講和交渉で活躍したグレゴリー殿下が新しい王太子となって、ゾフ王国との関係修復を目指す。リリー様の留学続行はその合図というかアピールといった感じかしら?」
「概ねそんな感じだとは思いますが、一つ気になることがあります」
「気になることですか?」
「はい。いまだにグレゴリー王子が、王太子に任じられていない件です。彼はゾフ王国との講和交渉をまとめたのですから、とっくに王太子に任じられていないとおかしいのですが……」
「そう言われると確かに、おかしな話ですね。あっ、もしかしたら、ファブル殿下の喪があけるまで待っているとか?」
「それならよいのですが……。とにかく、サクラメント王国への警戒は続けます」
将来、夫君の奥を共に管理するリンダさん、ヒルデさんとも情報を交換しつつ、余も学園生活に戻ったのですが……。
「エルオール、妾もネネと同じような戦い方を取り入れた方がいいかの?」
「ネネの魔晶機人改の動き方は、無理に真似しない方がいいかも。本人が持って生まれた特性ってものもあるから」
「確かに、妾の性には合わぬの」
「リリー様は、今の戦い方を磨いた方がいいと思いますよ」
「ネネ、少なくともこの学園にいる間は、様などつけずともよい」
「ボク、ただの騎士の娘だから、そういうのに慣れないんですよ」
「まだ学園生活は続くのじゃから、じきにあらたまるかの? エルオール、今日はみなで街に繰り出そうではないか」
「いいねぇ、王都も新しいお店が増えたから」
「せっかくの学園生活ですからね。自国内にいては、町中で買い物や外食なんてなかなかできませんから」
「もしそんな機会があっても、沢山のお付きがいてあまり楽しめないですしね」
「クラリッサさんも、お忍びで街に繰り出したことがあるんだ」
「それはありますよ。その時は護衛が沢山いて、あまり楽しめませんでしたが」
「大変だねぇ。俺はそんなことはなかったけど、ゾフ王国の王都観光も悪くない」
その日は魔晶機人の一斉整備の日で、午後からはお休みだった。
夫君がゾフ王であることを知っていたリリーさんに大きな変化は……このところ彼女はだいぶ柔らかくなったというか、年頃の娘らしくなった気がする。
エルオールのみならず、クラスメイトたちとも打ち解け、このところ余やケイト、クラリッサ、リック、二年生のリンダ、ライム、ユズハなどと共に学園生活を楽しむようになった。
サクラメント王国とゾフ王国とは戦争があったばかりなので、警戒されないようにしている……それにしては楽しそうに見える。
「エルオール、参ろうぞ」
リリーさんは夫君の手を取るが、表向き夫君はグラック男爵なので、これにゾフ王の婚約者である私がケチをつけるわけにいかず。
「リリーさん、ずるいですわよ。エルオールさん、私と一緒に参りましょう」
「エルオール殿、いいお店を見つけたのだ。私とそのお店に行こうではないか」
「クラリッサさん、抜け駆けは禁止よ」
「そうだぞ、みなのエルオール先生じゃからの」
「姫様のおっしゃられるとおりです」
「ささっ、エルオールさんは姫様と共に」
「……」
あれ?
これはもしかして、余への宣戦布告なのでは?
リリーさんが夫君の正体をバラさないのは、それを利用して余を牽制し、学園内で夫君と仲良くするため?
「(余はゾフ王の婚約者だから、リリーさんがグラック男爵と仲良くしていても怒るわけに……。やられた!)」
そういうことか!
リリーさんは夫君の心を掴み……実際今のリリーさんは可愛いので、夫君も悪く思っていない。
将来夫君がゾフ王であると世間に知られた時、リリーさんも夫君に嫁ぐ作戦だと見た!
「(まさかリリーさんが……)」
これまで恋愛にまったく興味がなく、ビックリするほど疎かったのに、急に変わってしまうなんて……。
何者かが、リリーさんにアドバイスしたにしても……。
「(グレゴリー殿下か……)」
今の余がリリーさんたちに対抗したら、夫君がゾフ王であることがバレてしまう。
私は、夫君たちに付き合うので精一杯だった。
だから!
「(アリス様、大丈夫?)」
気になったのか。
リンダさんが、私に小声で話しかけてきてくれた。
こういう時に、年上のリンダさんがいてくれると心強い。
「(ええ……。リリーさんが誰に策を授けられたのか知りませんが、随分と可愛らしくなりましたね。夫君が好きになっても仕方がありません)」
「(いやいや、リリー様は王女としての柵がない学園での生活を楽しんでいるだけよ)」
「(夫君が本当にそう思われているのならいいですが、私も普通の女子なので心配になるのです)」
「(そうよねぇ。あとで私が釘を刺しておくから)」
「(いえ、その必要はないです。夫君をゾフ王に押し上げたのは余たちゾフ王国の者たちですから、学園生活が終われば余たちで夫君を独占できますから)」
家臣たちも気を使って余の仕事を減らしてくれているので、学友たちとの午後のお茶会が終わって屋敷までの道では、夫婦らしく二人で手を繋いで帰るくらい許されるでしょう。
「夫君の手、温かいです」
「今夜の夕食はなにかな?」
夕方、余と夫君で手を繋いでお屋敷への道を歩いていきます。
同年代の友人同士と町で遊ぶのも楽しいけど、今の余にとってはこの時間が一番尊く大切な時間だと思う。
リリーさんの件は少し気になるけど、こんな時間を作ってくれた夫君には感謝しかありません。