第九十六話 ゾフ王の正体
「今日の実技講習はここまで! 撤収準備を始めてくれ」
「了解!」
今日も午前から実習込みの講習を受け、午後からの実戦訓練を兼ねた魔物の駆逐作業を無事に終えた。
つい半月前、ゾフ王国とサクラメント王国が戦争をしたとは思えないほど平穏な日々を送っておるが、妾の心は晴れぬ。
サクラメントの王太子である兄が、功績欲しさに半ば奇襲のような戦争をゾフ王国に仕掛けたのだ。
ゾフ王国内にある学園に通っている妾たちは肩身が狭い思いをしておる……ということもなかった。
ゾフ王国の学生たちも、校内の他国出身の学生たちもそのことについて一切触れず、陰口を叩く者もいるが、大半の生徒たちには気を使われているのが明白じゃからの。
戦争はサクラメント王国の大敗じゃったから、勝者の余裕というのもあるかもしれぬが。
妾個人の事情としては、サクラメント王国の王太子は異母兄ゆえ、その件でも気を使われたのかもしれぬ。
しかしながら、当の本人である妾は、実の兄の葬式にも呼ばれぬ立場となっていた。
『引き続き学園に通いながら、ゾフ王国の優れた魔晶機人技術の入手と習得に努めつつ、ゾフ王国との関係改善を図るように』
ラングレー兄の死後、ゾフ王国との講和条約締結に尽力し、次の王太子に任じられると噂されているグレゴリー兄からは表向きそう命じられたのじゃが、当然裏の事情がある。
グレゴリー兄によると、今妾がサクラメント王国に戻ると、確実に政争に巻き込まれるそうじゃ。
『リリー様を女王に即位させようとする貴族たちが、かなり大きな勢力となっているのです』
『妾が女王だと? 詮無いことを考えるものじゃ』
サクラメント王国に女王がいなかったわけではないが、それは特別な事情があった時のみ。
アーベルト連合王国を除くと、どこの国も女王を嫌がる貴族たちが……主に男性が多いからの。
女王は、男の王の三倍功績をあげぬと評価されぬ、なんて話もある。
『妾は女王になどなりたくないし、支持が集まるまい』
『それが、かなりの勢力になりつつあるのです。ようは、リリー様の夫としてサクラメント王国を支配できると』
『女王となる妾は、飾りか……』
よくぞまぁ、自分たちの都合よく考えられるものよ。
『次の王は、グレゴリー兄でよかろう。というか、他におらぬ』
グレゴリー兄は操者としては微妙じゃが、為政者としては妾よりも圧倒的に上であろう。
なにしろ、あの悲惨な戦争の講和交渉を無事に纏めたのじゃから。
聞けば、あまりに悲惨な大敗だったため、外交担当の貴族たちは全権大使になるのを嫌がったとか。
あきらかに屈辱的な条件を飲まねばならず、それは自分のキャリアを終わらせてしまうからの。
正直なところ、グレゴリー兄はよくあの条件で講和を纏められたものだ。
特に、普通なら見捨てられてもおかしくない、ゾフ王を暗殺しようとした操者たちを全員引き取った。
しかも、預かっていた必要経費名目とはいえ、身代金を支払ってまでもだ。
最初から、サクラメント王国に切り捨てられることを覚悟していた彼らはグレゴリー兄に感動し、その忠実な部下になった。
グレゴリー兄の周囲にいる、大貴族家出身の操者たちの腕前は微妙なので、自分に忠誠を誓う腕のいい操者たちを手に入れられたグレゴリー兄が、得をしたとはいえだ。
『私もそう思いますが、グレゴリー様は優れた操者ではありませんから……』
『ラングレー兄は優れた操者だと評判であったが、結果はこの様じゃぞ』
『リリー様を女王にしようと目論む貴族たちの言い分によりますと、世界一の操者だと評判のリリー様ならば、ゾフ王に対抗できるはずだと』
『無理を言ってくれる』
ゾフ王に認められた操者であるエルオールに勝てぬ妾が、ゾフ王に勝てるわけがない。
『操者としての腕前だけでなく、サクラメント王国の魔晶機人では、ゾフ王国の魔晶機人改に勝てぬのは、先日あきらかになったと思うがの』
そもそも女王になった妾が気軽に前線に出られるわけがなく、それならグレゴリー兄が王でもなんら変わらぬではないか。
『そういう理屈で、操者としては下手なグレゴリー様ではなく、優れた操者であるリリー様を女王にしたいのですよ。そして、リリー様の夫となった貴族がサクラメント王国を仕切るのです』
『そんなところであろうが、そなた遠慮なしに言いたい放題じゃの』
『いけませんか?』
『無意味に言葉を飾る者よりも数十倍マシじゃ。グレゴリー兄に伝えてくれ。妾は学園を卒業するまでサクラメント王国に戻らぬと』
『畏まりました』
その間に、グレゴリー兄が王太子に任じられれば、後継者問題は解決するであろう。
それに、この男。
アミン子爵と名乗っておったが、妾は名前しか知らなかった。
グレゴリー兄の周囲にいる、『なんちゃって親衛隊』にいる貴族たちとは一味違うようじゃ。
『ところでリリー様に対し、個人的に一つお聞きしたいことがありまして……』
『なんじゃ?』
『リリー様におきましては、グラック男爵を落とせそうでしょうか?』
『グラック男爵か。彼は凄腕じゃからのぅ。今の妾では、戦っても落とせぬであろう』
これから頑張って腕を上げても難しいところじゃが、少なくともエルオールと腕前に差がつきすぎて、置き去りにされるのは嫌じゃ。
頑張って彼に直接教えてもらえる、今の立場を維持しなければ。
『……リリー様、そういうことでなく、グラック男爵を夫にできそうか、と聞いているのです』
『なっ!』
えっ、エルオールを妾の夫に?
確かにそうなったら嬉しい……。
むしろそうなることを夢見ていないとは言わぬが、妾はサクラメント王国の王女なので、勝手にゾフ王国の貴族とは結婚できぬ。
なにより、彼はまだ男爵じゃからのぅ。
せめて、伯爵くらいになってくれれば……それでも難しいか……。
『妾とエルオールでは、身分の差がありすぎる』
悔しいが、それが現実よ。
王子様と平民の娘が結ばれる本を、ライムから勧められて読んだことがあるが、あれは物語だから許されるのであって、現実では不可能に決まっておろう。
王女と男爵の身分差は大きく、だからこそ妾は優れた操者となるべく奮闘しておる。
妾が真に優れた操者となれば、独身のままサクラメント王国に残れるやもしれぬ。
エルオールと結ばれぬのであれば、生涯独身のままでいた方がマシじゃ。
操者としてなら、エルオールと接する機会も増えるのでな。
『そこは問題ないと思いますよ』
『アミン子爵、随分と軽く言ってくれるが、なにか根拠はあるのか?』
『ありますよ。だって、グラック男爵とゾフ王は同一人物なのですから』
『はあーーーっ?』
突然なにを言い出すのだ?
アミン子爵は。
『エルオールがゾフ王だと? そんなことがあり得るわけが……』
『私は確信していますし、グレゴリー様にご説明申し上げたら、信じてくださいましたよ』
『そなた、エルオールと会ったことはあるのか?』
『あります。私はグレゴリー様の政治的な側近ですから、大要塞クラスを落としたグラック卿にグレゴリー様が褒美を渡す時、すぐ横にいました。ゾフ王とは、二回目の大異動の時と、この前の講和交渉でグレゴリー様に付き従った時の二回お会いしています。まったく同じ背丈と体格、声はなにかの細工で変えていましたけど、喋り方やイントネーションが同じでした』
『たまたま同年代で、背丈や体型が同じだったということはないのか?』
サクラメント王国の郷士であったエルオールが、どうやってゾフ王国の王になれたのか?
そこがわからないと、エルオールとゾフ王が同一人物と言われても、信じられるものではない。
『グラック卿がゾフ王になれた経緯は、これからゾフ王国への諜報活動を強化して掴むとして、不思議なのはゾフ王は仮面をつけていることが多い点です。もう一つ、リリー様は、グラック男爵とゾフ王が一緒にいるところを見たことがありますか?』
『そういえば、一度もないな』
『さらに言えば、ゾフ王国人以外の人間で、彼の素顔を見たことがある人はいますか?』
『……いないはずじゃ』
そう言われてみると確かに、エルオールとゾフ王が一緒にいるところを見た者は、少なくとも妾の知り合いにはいない。
ゾフ王が仮面を外したところを見た者も、一人もいなかった。
『仮面は、暗殺者避けだと聞いていたが……』
『仮面なんてつけても、暗殺の危険が減るわけがないです。かえって目立ちますし、それなら影武者を用意したり、護衛を強化した方が効果的ですよ』
『確かにそうだ』
となると、ゾフ王が仮面をつけているのは、妾たちの知っている人物、つまりエルオールであることを隠すためか。
『しかしアリスは……』
ゾフ王の婚約者じゃが、そんな素振りを見せておらぬ。
『アリス様は幼き頃から、王のいないゾフ王国で最高執政官として国を治めてきたお方です。ゾフ王の正体がグラック男爵であることを隠すくらい、余技でできますよ』
『そうじゃったな』
アリスは、妾など相手にもならぬ優れた為政者であった。
そのくらいの腹芸くらい余裕か。
『……(待てよ! となると、アリスがエルオールと結婚するのか?)』
それを想像したら、もの凄く腹が立ってきた。
妾の方がエルオールと知り合ってから長いのに、いくら王女とはいえ……妾だって王女ではないか!
『グレゴリー様は、ゾフ王国との関係改善を望んでいます。派手に負けましたしね』
『……わかった。正妻は難しいが、今の妾ならエルオールの側室は狙えるはず。そういうことじゃな?』
『はい。グレゴリー様がスムーズに次の王になるため、今リリー様がサクラメント王国に戻ってくると……というわけです』
『了解した』
この男、グレゴリー兄の政治的なブレーンのようじゃが、なかなかの切れ者のようじゃ。
妾は王位に興味などないが、下手に国に戻ると無理やり貴族たちによって女王に擁立されるかもしれぬということか。
ラングレー兄の暴走のせいで、グレゴリー兄も大変なことよ。
『ちなみにそなた以外で、エルオールとゾフ王が同一人物であることに気がついた者は?』
『多分いませんね。ゾフ王国の者たち以外は』
『それはいいことを聞いた。それならば、妾が先制できるはず』
『リリー様は大変お美しいのですから、やる気を出せばグラック男爵くらい簡単に落とせますよ。アリス様は、グラック男爵とゾフ王は別人という体で学園の生徒たちと接しなければいけませんから、そこに隙を見出せばいいのです』
『妾がエルオールをデートに誘ったとしても、アリスは文句を言えぬのか』
『はい』
『アミン子爵、そなた、なかなかの策士よのぉ』
『はい。そのおかげで、グレゴリー様に重用されておりますれば』
最近、ケイトやクラリッサもエルオールとよく話しておる気がする。
彼女たちも王女だが、クラリッサはアーベルト連合王国の出なので、婿は自由に選ぶことができた。
ケイトも第三王女なので、エルオールがじきにゾフ王だと世間にバレたら、側室になることもできるわけで……。
『ぬぬぬっ、先を越されてなるものか!』
『リリー様、その意気です』
エルオールに嫁げれば、ずっと魔晶機人の操縦を教われるからの。
……ずっと一緒にいられるというのもある。
妾はお飾りの女王になんてなりたくないので、頑張ってエルオールを落とすとしよう。
具体的にどうやるかは、臨機応変で。
残念ながらまったく経験がないので、初めて魔晶機人を操縦した時よりもドキドキするが、女は度胸だと母も言っておった。
午後の実技演習も終わったので、妾は必ずエルオールをデートに誘うのじゃ。




