第七十四話 日常への回帰
「なんだと! エルオールが学校に?」
「はい。グラック卿は所属する国を替えましたが、姫様が学校に推薦した事実は変わらず。だからだそうです」
「それで、卒業までは学校に通うそうです」
「エルオール、妾が思っていた以上に肝が据わっておるのだな」
「陛下が、ならば卒業まで学校に通うがいいと、許可を出されたそうで」
紛争に関する後始末がすべて終わった翌日。
久しぶりに登校すると、ライムとユズハから引き続きエルオールが学校に通うのだと教わった。
まさか、ゾフ王国貴族になったのに、サクラメント王国の学校に通い続けるとは……。
妾が推薦したので、それを守るためだそうだ。
父上は感心し、登校するエルオールに害を与えないよう、学校関係者に通達を出したそうだ。
とても嬉しくはあるが……大丈夫なのであろうか?
そんなことを考えていたら、教室にエルオールが入ってきた。
リンダも一緒で……実は彼女も、なんら境遇に変化がないそうだ。
相変わらず、エルオールの婚約者扱いのままであった。
一気にゾフ王国領と隣接してしまったフィール子爵家なので、グラック領と婚姻関係で繋がるのは、フィール子爵家の安全保障政策の一つなのであろう。
悲しいことに、サクラメント王国はそれに表立って文句も言えない。
元々フィール子爵は、ルシャーティー侯爵たちによるゾフ王国侵攻に大反対で、それを誰に憚ることなく公言していた。
もしルシャーティー侯爵たちがゾフ王国に勝っていたら彼の面目は丸つぶれで、最悪没落、改易されていたかもしれない。
だが現実はフィール子爵の言うことが正しく、彼の領地はゾフ王国との最前線になってしまった。
ここで下手に彼を批判すれば、最悪フィール子爵領までゾフ王国に所属を変えかねない。
リンダが今もエルオールの婚約者のままなのは、フィール子爵家なりの安全策なのだろう。
「姫様、お久しゅうございます」
「そうだな……久しいな、エルオール」
事実ではあるが、エルオールの普段となにも変わらない様子を見ると、彼の肝の据わり方は尋常ではないと思う。
公的には紛争ということになっているが、実際は戦争で、しかもサクラメント王国が失った領地を考えると大敗でしかない。
しかも、その損失のせいでルシャーティー侯爵家以下、破産寸前まで追い込まれた上級貴族たちも多い。
そこと関係があるクラスメイトたちは、エルオールを見てヒソヒソと話をしていた。
なにを話しているのか大凡予想がつくが、間違いなく『裏切者なのに、よく学校に来れるな』であろう。
表立って言うと父上の命令に逆らうことになるので、陰でヒソヒソ言っているのだ。
勿論そんなクラスメイトは少数で、彼に同情的な視線を向ける者は多かったが。
「卒業までは、私もただの学生なので」
「そなた、ゾフ王国でも郷士のままなのか?」
「いえ、領地の広さや、操者として評価していただきまして、男爵となりました」
「そうか、それはめでたいな」
絶望の穴で大要塞クラスを落としたにもかかわらず、エルオールの爵位は上がらなかった。
それが、敵に降伏した途端評価されて男爵にまで爵位が上がった。
妾が目指していたことをゾフ王国が…… なんとも皮肉な話ではある。
「裏切者で、郷士風情が、俺の実家と同じ爵位だと? ヘドが出るな!」
あれほど父上から自重するようにと通達があったのに、それが守れないバカがもう出た。
数は少ないとはいえ、こういう奴らを見ていると、なるほど我が国はゾフ王国に紛争で負けて当然だよなと思う。
バカな味方ほど、性質が悪い者はいないのだから。
「こんなバカが、将来男爵になるのか。ヘドが出るな」
「貴様! 今、なんと言った?」
「だから、お前のようなバカが将来男爵になるんだなと言ったんだ」
「誰にそんな口を利いている!」
「エルオール?」
「すみません、姫様。私は現在、ゾフ王国の男爵なので……」
「そうだな」
エルオールがバカにされたということは、彼を男爵に任じたゾフ王国がバカにされたに等しいのだ。
彼としては黙っているわけにいかず、反撃に出て当然じゃ。
それもわからず、エルオールに喧嘩を売る味方貴族。
こいつは将来、第二のルシャーティ侯爵になりそうじゃの。
「(エルオールの所属国が変わったことを理解できないのか?)」
こ奴は本物のバカで、それがどういうことか理解できていないのであろう。
こ奴は今も、サクラメント王国の下級貴族をバカにしているつもりなのだ。
だから、エルオールに言い返されて激高している。
彼はもう他国の男爵だというのに……。
「(おい、彼はもう他国とはいえ男爵なのだぞ。君は、まだ跡取りでしかない)」
「だからなんだ! 俺は偉大なるサクラメント王国の貴族で、そいつは吹けば飛ぶような小国の男爵だ。俺の方が偉い!」
「「「「「……」」」」」
周りにいるまともな貴族たちが注意するが、まったく聞く耳を持っていなかった。
我が国の方がゾフ王国よりも圧倒的に格が上だという理由で、エルオールへの挑発をやめなかった。
バカになにを言っても無駄なのか、それともプライドが高すぎて今さら引くに引けなくなったか……。
そんなことを考えていたら、エルオールは男爵のドラ息子にある物を投げつけた。
それは白い手袋……決闘を申し込んだのだ。
「これ以上の暴言は聞くに堪えない。あとは決闘でケリをつけよう。これはゾフ王国の名誉のためである!」
「望むところだ!」
「(おい、彼は姫様に認められるほどの腕前なんだぞ。お前は操者としては全然じゃないか)」
「そんなことはない! 俺は強いんだ!」
駄々っ子か……。
お前ごときが、魔晶機人同士の戦いでエルオールに勝てると本気で信じてるのか?
この前、ルール破りで魔晶機神に乗った連中だって簡単に負けてしまったというのに……。
「魔晶機神に乗ってきても構いませんよ」
「バカにするな! 俺の腕前を見せてやる!」
こうして放課後に、エルオールと男爵のドラ息子との決闘が行われたのだが……。
結果は言うまでもないか……。
男爵のドラ息子は瞬殺され、実家は決闘に敗れて奪われた魔晶機人を取り戻すために大金を支払う羽目になった。
結果的にはエルオールが大いに得をし、ドラ息子の実家は無駄な出費をしてしまったわけだ。
跡取りが決闘で負けて奪われた機体を取り戻すのに大金を使い、我が国は損失を増やし……貴族の金なので厳密にいうと王国が直接損をしたことにならないから困ってしまう。
「(まさか、エルオールもそれを狙って?)」
どちらにしても、困った話じゃ。
そして、さらに困った連中が次々と現れた。
「グラック男爵、貴殿に決闘を申し込む!」
「受けて立ちましょう」
世の中では、鳥は三歩歩くと物事を忘れてしまうと言われている。
ところが、それにとてもよく似たバカ共が我が国にもいた。
エルオールを決闘で敗退させ、先日の紛争で我が国が被った不名誉を挽回する。
裏切り者に鉄槌を下し、王国上層部に自分の名を売ろう。
エルオールの操者としての実力と功績など、調べればすぐにわか……それすらしないバカなのか、それでも勝てると本気で思っているのか……。
次々とエルオールに決闘を挑み、大金を奪われる生徒が続出したのだ。
中には機体を取り戻す金を支払えず、機体を没収された者までいた。
大半の者たちはその様子を冷ややかに見ていただけだが、学校が元の状態に戻るまでに、数十名もの生徒たちが決闘で敗れ続けた。
「リンダ、ヒルデ。帰りにケーキでも食べて帰ろうか?」
「いいわね」
「エルオール様、ありがとうございます」
「ヒルデには、機体の整備で負担をかけたからさ」
あれだけ毎日決闘していればな。
整備担当のヒルデも大変だったであろう。
「特に損傷もないので、整備もそんなに大変じゃなかったですけど……」
「ヒルデ……」
「ああっ! 姫様、申し訳ありません!」
妾が近くにいるので、リンダはヒルデの発言に釘を刺した。
我が国の操者たちは、あれだけ毎日エルオールと決闘して、彼の機体に傷一つつけられなかった。
つまり連中はとても弱いと、この国の王女である妾に言っているのに等しいと、リンダは思ったのであろう。
「連中が呆れるほど弱いのは事実じゃ。我が国はこの世界で一番の魔晶機人大国と言われており、勿論優れた操者も多い。じゃが、同じくらいあんな連中が多いのも事実なのだ」
さすがに、あの手の連中は絶望の穴に派遣されない……とは言い切れぬか。
妾ならまずお供に選ばぬが、グレゴリー兄が政治的な理由で彼らを選ぶこともあるかもしれない。
上級貴族の子弟たちに戦功を与えるのも、王族の大切な仕事なのじゃから。
「姫様……」
「ちゃんと努力している者たちもおるし、彼らはエルオールを見ても冷静だった。どうしようもない子供だが、せめて少しでも学校で矯正されればいいなと思い、学校に通わせている親もおるのじゃ」
もっとも、学校で変わる者は少ないが……。
「このような生産性のない話をしても仕方あるまい」
「それもそうですね。姫様、これからケーキでもご一緒にどうですか?」
「それはいいの。そういえば、エルオールは金があったな」
「臨時収入は多かったですね」
バカな貴族たちの決闘に応じ、かなりの大金をせしめたからな。
いい気味だと思うが、妾はそれを口に出して言えぬのが残念じゃ。
「では、せっかくなのでご馳走になろう」
「ケーキ、いいですね」
「楽しみです」
なんかやけにライムとユズハが楽しそうだが、お主らは年下には興味がなかったのではないか?
それに、エルオールは他国の貴族だぞ。
「いいではないですか、姫様」
「そうですとも、これも両国の融和のためですよ」
確かに、せっかく紛争が終わったのだ。
絶望の穴から湧き出る異邦者の存在がある以上、そう国同士で争ってもいられぬ。
ならば、妾がエルオールと仲良くするのは国益にもなっておるはず。
それに、どうせ妾は操者でしかない。
難しい政治の話は父上とラングレー兄とグレゴリー兄に任せ、今はケーキを楽しむとしよう。