第七十二話 グラック領失陥
「だから私は反対したのだ! ルシャーティー侯爵たちでは無理だと!」
「お前が反対を口にしたのは今だろうが! それまでは黙っておったくせに!」
「全滅とは……しかも、みんな捕らえられおって! ヘタクソどもが!」
「しかしどうするのだ? ルシャーティー侯爵たちの身代金代わりに、グラック領は完全に占領されたと聞く。さらに、ゾフ王国はもう各国に手回しをしておる。事前にグラック領占領で終わらせると通告していたそうではないか。今回の紛争は我が国の負けだ」
「しかしながら、このまま一矢報いもせずに一方的に負けを認めるのは……。魔晶機人大国であるサクラメント王国の名誉にかかわるぞ」
「ここで、プライドのために王国軍を投入しろと? それでは戦争になってしまうではないか! もしそんなことをすれば各国が黙っておらぬぞ。グラック領占領までで終わらせる。先に通告していたゾフ王国の外交が……それに比べてうちの外交担当者は……」
「我々が悪いと言うのか? そもそもここまで無様に負けてしまったら、外交もクソもないではないか! どうやって外交交渉で覆せと言うのだ! やれるものならやってみろ! すぐに役目を代わってやるぞ」
今、謁見の間において、王族と貴族たちが醜い言い争いを続けていた。
多くの者たちの反対を押し切り、ルシャーティー侯爵たちがゾフ王国に侵攻させた諸侯軍が壊滅してしまったからだ。
特に、魔晶機神と魔晶機人の部隊が全滅した事実は重いことに、みなが衝撃を受けていた。
グラック領とゾフ王国領の間に作られた本陣どころか、グラック領まで完全占領されて、サクラメント王国側にいいところは一つもなかった。
全滅したルシャーティー侯爵以下操者たちであるが、数名を除き生きているのがせめてもの救いか……。
いや、本人たちは死にたい気分であろうな。
彼らは停戦交渉が終われば領地や故郷に戻れるが、同じ操者と戦って討ち取られたのならともかく、捕らえられてしまった。
技量の差は歴然で、彼らの操者としての評価は地に落ちてしまったのだから。
機体もすべて奪われ、これも取り戻そうとすれば莫大な金がかかる。
身代金も必要なのでどちらを優先するかといえば……人間の方であろう。
十数名の上級貴族、下級貴族がいるのだから。
「そういえば、グラック卿はどうなったのだ?」
「いくら郷士といえど、この戦況で降伏などしておらぬよな?」
「まさか、そんな恥さらしはしておるまい。潔く討ち死にしたであろう」
「でなければ、罰をくれてやるわ」
「いい加減にしろ!」
「……姫様?」
「お主ら! 好き勝手なことばかり抜かしおって! エルオールが降伏していれば罰を与えるだと? では、ルシャーティー侯爵たちが生きて戻って来たら、今回の不始末の罰で首を刎ねるのだな! もしくは自害を勧めるのか?」
「いや、さすがにそれは……」
「ルシャーティー侯爵家は、王国建国以来の名家ですし……一方、グラック卿は郷士でしかない」
「おかしなことを言うな。それほどの名家なら、余計に今回の不始末を恥じておろう。逆にそうでなければならない。とはいえ、ルシャーティー侯爵家は王国建国以来の名家。当代が腹を切って、息子が跡を継ぐわけだな?」
「あのぅ……それは……」
「上級貴族はどんな失態をしても罪に問わず、下級貴族は責任を取って死んでいなければ罪というわけか。そもそも、今回の紛争。ルシャーティー侯爵たちが勝手に始めたことだ。参加していないグラック卿に罪などないではないか」
「しかしながら……せっかくの広大な土地が……」
「それとて、グラック卿が広げたものだ。しかも彼は、大異動でゾフ王にも負けない比類なき功績を挙げておる。どこぞの、魔晶機神に乗れるだけの侯爵よりも、はるかに王国に貢献しておるぞ」
「そこまでの腕前があるのなら、なおのことゾフ王国に対しサクラメント王国貴族としての意地を見せていただかなければ……」
「左様ですな」
「魔晶機人が三機のみ! それでも郷士にしては戦力が多い方だ。それで、一国の軍勢と戦えると思うか? なら、先にお主がやってみよ!」
「私はその……」
「どこぞの、魔晶機神に乗れるだけの侯爵と同類だからな。同じ操者としては呆れるしかないな」
「リリー、もういいだろう?」
「陛下?」
「私の言いたいことを、すべてリリーが言ってしまったな。それと、グラック卿であるが、ゾフ王国の外交官がその腕前を称賛しておったな。たった一機でゾフ王国軍に立ちふさがり、十数機を戦闘不能にするも、多勢に無勢で降伏したと。領民たちの身を案じてのことらしい。どこぞの侯爵に、爪の垢でも煎じて飲ませたいな」
「「「「「……」」」」」
父上の発言を聞き、エルオールを批判していた連中は黙り込んでしまった。
この期に及んで上級貴族であるルシャーティー侯爵に忖度して批判できず、代わりに紛争に巻き込まれてしまった郷士であるエルオールを批判する。
どうしようもない連中で腹が立ったが、すっきりした。
「して父上。今回の件ですが……」
ここですかさずグレゴリー兄が、どうやって今回の件を処理をするのか尋ねてきた。
「残念だが、グラック領は諦めるしかないな。グレゴリーは残念であろうが」
「はあ……」
なんだかんだ言いつつ、グレゴリー兄はエルオールに配慮はしていた。
妾と違って昔からの前例を破れず、あれだけの戦功を稼いだ彼を郷士のままにしていたが……。
ただ、エルオールが結界を張った広大な領地は、その保有を認めていた。
開発で金がかかるであろうと、彼が死ぬまで分担金ゼロという褒美も渡している。
もし彼の孫が領地を維持できていた場合、爵位を上げることも可能だと思ったのであろう。
もっとも、グレゴリー兄の配慮はすべて無駄になってしまったが……。
「(エルオールは無事か……よかった)」
いかにゾフ王が凄腕の操者とて、エルオールがそれに劣るとは思えない。
実際、降伏しつつも戦果をあげてゾフ王国に評価されたと、父上が仰っていたからな。
生きていればまた会える。
残念ながら、もう魔晶機人の操縦は教えてもらえないか……。
「今回の『紛争』は、あくまでも紛争というわけだ。表向き、そういうことにした」
「父上、と仰いますと?」
「少数の我が国の上級貴族たちが、ゾフ王国に対しではなく、ゾフ王国貴族と争った。その過程で、領地が近いグラック卿が被害を受けてしまった。かの領地は上級貴族たちに食料を補給していたから、占領されてしまったのだ。ルシャーティー侯爵たちに、遠く離れた領地からゾフ王国までの補給路を構築できる財も能力もないのでな」
だからエルオールは、ルシャーティー侯爵たちに食料を売る羽目になった。
あれだけの上級貴族たちの諸侯軍だ。
グラック領で現地調達でもされたら困ると思ったからであろう。
上級貴族ともあろう者たちが、同じ国の貴族の領地で略奪などするはずがない……と断言できるほど、どの国も貴族の統制が完璧だとは言い難かった。
特に紛争や戦争の際には、戦力を増やすために素性の怪しい連中を雇うことが多いのじゃから。
「グラック卿は、ゾフ王国に降伏してそれが認められたそうだ。彼はゾフ王国貴族となる」
「そうですか……」
せっかく、妾が表舞台に出そうと学園に推薦までしたのじゃが……。
そのくらい、彼は操者として優れていた。
そんなエルオールが、ゾフ王国貴族になってしまう。
「とんだ裏切り者ですな」
「陛下の恩義をなんと心得るか」
「……」
こいつは……。
殴ってやろうか?
妾が睨みつけたら、すぐに大人しくなったが。
「グラック卿を降伏にまで追い込んだルシャーティー侯爵たちだが、当然無罪ではないぞ。身代金を支払わねば領地に戻れぬから、まだ罰することもできぬが……」
「急ぎルシャーティー侯爵たちを取り戻しましょう。ところで陛下、彼らはどこぞの郷士とは違ってゾフ王国貴族に鞍替えなどしませんのでな。そこを考慮して、処罰を軽くした方がいいでしょう」
「ルシャーティー侯爵たちは、サクラメント王国を長年支えてきた藩屏なのですから」
「すぐに所属する国を変えたグラック卿とは違いますからな」
「……(これから、妾と魔晶機人で模擬戦でもするか?)」
「「「ヒッ!」」」
臆病者たちめが!
まだエルオールを批判する上級貴族がいるとはな。
これが、この国の……世界の上級貴族か……。
いい加減嫌になる。
ルシャーティー侯爵たちはゾフ王国に捕らえられており、領地に戻るには多額の身代金が必要となる。
それにしても、操者が生け捕られるとは……。
討たれたのならまだ救いがあるが、操者が同じ操者に捕らえられるなど……。
技量差が隔絶している証拠なので、これ以上の恥はなかった。
さらに、奪われた魔晶機神も魔晶機人も戻ってこない。
魔晶機人は、我が国は半分の機体が乗り手不在で余っているから、金を出せば手に入る。
だが、魔晶機神は余っていない。
いくらルシャーティー侯爵家でも予備の魔晶機神などあるわけがないので、取り戻せなければ上級貴族なのに、魔晶機神を所有していないことになる。
他の上級貴族たちにバカにされるので、プライドだけは高いルシャーティー侯爵は我慢できぬだろう。
実際、二度の大異動で魔晶機神を失った上級貴族は、バカにされながら血眼になって魔晶機神を探しておる。
もっとも、稼働できる魔晶機神を手放す者などいないので発掘品に賭けるしかなく、発掘をしている者たちに金を出して支援したりするのだ。
それでもなかなか出土しないのが、魔晶機神であったが。
「財政が傾きそうな家がいくつも出るな。分担金が支払えるかどうか」
父上の心配はそこだろうな。
基本的に、分担金は爵位に応じて上がる。
法衣貴族は支払わないで済むので、領地経営に失敗すると、領地を王国に返上してしまう者もたまにいた。
これもかなり恥ずかしいこととされるが、紛争で大敗したルシャーティー侯爵家が今年度の分担金を支払えるかどうか、かなり怪しいところではある。
他の、諸侯軍を出した貴族たちも同じか。
身代金、失った機体の補充経費、今年度の分担金……。
ゾフ王国征服に参加した貴族たちの大半が、領地を失ってしまう可能性が高い。
「愚か者どもめが……こちらが改易にできないのをいいことに、好き勝手して自滅しおって!」
グレゴリー兄が怒るのも無理はない。
我が国もそうじゃが、どこの国も独立した領地を持つ、実質小国の主である在地貴族の統制に苦慮している。
外交交渉で紛争扱いにした以上、父上もルシャーティー侯爵たちを罰することができないのだ。
だが、分担金を支払わなければその限りではない。
よほど僻地にあるとか、特別な事情がなければ、ルシャーティー侯爵たちが分担金を支払わなければ領地を没収する。
それに不服で王国に逆らった場合、我らは彼らの領地を攻めるだけだ。
他の貴族たちも助けないであろうから、領地を失うことは確定じゃな。
領地を返上しても法衣貴族ではいられるので、貴族でなくなるわけでないが、役職も権限もないただの法衣貴族に大した力などはない。
やはり没落は決定事項か……。
サクラメント王国としては、グラック領の失陥を、ルシャーティー侯爵たちの領地で補うわけだ。
それにより王国の力が増すので、そう悪い話ではないのか。
グラック領を含む南部の広大な領地を失陥したが、現状ではあまり開発も進んでいない。
西部開拓の方に、サクラメント王国としては力を入れたいのが本音なのだから。
あくまでも、エルオールの存在はイレギュラーというわけだ。
「どこぞの国の古い言葉にある。零れた水は容器に戻せない。グラック卿は惜しかったな。リリーよ」
「はい……」
せめて、エルオールが上級貴族であったなら……。
父上も取り戻す算段をしたはずだ。
だが、彼は下級貴族、それも郷士であった。
たまたまエルオールに才覚があり、グラック領は広がり、彼自身も優れた操者として実績をあげた。
たまたま彼一代のみがだ。
そのせいで、サクラメント王国はエルオールを切り捨てたのだ。
ゾフ王国との停戦交渉を締結するために。
悔しいが、彼の命には代えられない。
リンダとマルコもそうか……。
「いまだ、絶望の穴の戦況が安定しない。連合軍は、大貴族たちの紛争にも目を光らせ始めている。それどころではないのに、私欲で争う愚か者という評価を国際的に与え、処罰しやすい空気にしようとしているのだ。ルシャーティー侯爵、貴族でなくなることだけは避けられたのだ。ありがたく思え」
父上の言葉に、貴族たちは全員が押し黙った。
これで少しは統制が利いてくれればいいが……。
無理であろうな。
特に国境付近の貴族たちは。
ただ、大規模な紛争が減れば、少しはこの世界も平和になるはず……せめてそう思わなければ、王女などやっていられぬ。
「(今、エルオールはなにをしているのであろうか?)」
彼は出来る限りの努力をしたのに、そんな彼を批判する上級貴族たち。
もしかしたら、こんな国の貴族ではなくなった方がいいのかもしれない。
妾は、ただエルオールに対し申し訳ない気持ちでいっぱいであった。