第六十話 サル
「エルオール、どうだ?」
「まだ来ませんね」
サルの無法者は、夜に畑の野菜を食べるそうだ。
偽装ネットで機体を隠し、暗闇でも見える特殊な望遠鏡……魔法技術を用いた品だ。アマギにある赤外線スコープは、姫様に疑われるので持参していない……で様子を探るも、まだ現れる気配はなかった。
念波は何時間も続けて使えるものではないので、これも使わず、真面目に姫様と交代で見張っていた。
共に操縦席にいるので、姫様とは魔法通信で話をしている。
「勘づかれたかの?」
「自分が襲う予定の畑の近くに、リリー様が待ち構えているのをですか?」
勘で、強い敵を避ける?
私は、姫様を見た途端、すぐに強さを把握してから逃げ出すのだとばかり思っていた。
『あの無法者は、妾を見てから逃走した。これも一種の勘であろうが、さすがに見なければ相手の強さはわからないはず。じゃが……』
「じゃが、なんです?」
『エルオールは強いからな。無法者が怖れ慄いてしまったかもしれぬ』
「まさか……」
その無法者も、エスパーか、私のように念波使いだというのか?
それはないはず。
実は同じ念波使いなら、お互いに相手を察知してしまうからだ。
サルの無法者は、経験か勘で相手の強さを推し量れるタイプなのだと思う。
「とにかく今は、待つしかないですよ」
『こういうのは性に合わぬがな』
姫様の場合、ずっと訓練でもしている方が性に合うのは確かであった。
敵を待ち伏せするなど、まず普段はやらないのだから。
「きたっ!」
大方の予想どおり、無法者はこの領地の畑を狙ってきたようだ。
まさかこの世界で、見た目がニホンザルのようなサルに出会うとは……。
残り二つの村の畑を襲撃する場合、どうしても移動距離が増えてしまう。
主食が野菜などの植物がメインの場合、あの巨体を維持するには大量に摂取しなければならない。
移動距離が多いとカロリー消費量も増えるだろうから、こちらが隠れていれば近道を取ると思ったとおりだ。
『エルオール?』
「挟み込みますよ」
『わかった!』
こっそり近づくなどはできないので、ここは奇襲で一斉に襲いかかる作戦であった。
サルは姫様を見ると逃げるので、ならば私がそれに対処すればいい。
「キィーーー!」
『待て!』
サルは前回と同様、姫様を見た途端逃げ出した。
戦っても勝てないことを理解している証拠だ。
サルは姫様に背中を向けて逃げ出すが、その方向には私がいる。
「キィ!」
さて、サルは私にどういう評価を下すか?
などと思っていたら、私の予想を超えた速度で距離を縮め、私に襲いかかってきた。
咄嗟に利き腕ではない左腕を出すと、本能からかサルは左腕に食らいついた。
装甲がある部分なので、傷が少しついたくらいか。
私は右腕で、サルの頭部を思いきり殴りつける。
もしサルが動いていたら当たらなかっただろうが、私の機体の左腕に食らいついていたので、容易に一撃を加えることに成功した。
サルは噛みついていた左腕から離れるも、頭部を思いきり殴られた後遺症でフラフラしていた。
続けて私はナイフを抜き、サルに対して身構える。
逃げるかと思い、念波で未来を予想しながら身構えたが、サルはどういうわけか逃げなかった。
「キィーーー!」
半ば、投げやりな表情をしながら私に襲いかかってくる。
逃げないので追う手間が省けてよかったが、話に聞いていたよりもサルは冷静ではないな。
今度は飛び上がって上空から襲いかかってくるが、やはり冷静さを欠いている。
なにかに怯えて、冷静な判断ができていないような……。
今度は頭部を狙ってきた。
冷静ではないが、魔晶機人の頭部を破壊すれば操縦席の視界が完全に死んでしまうことには気がついているようだ。
だが、狙われている場所がわかっていると、かえって対処が非常に楽であった。
まずは私の機体の首筋に食いつこうとするが、私はそのまま冷静に右腕のナイフをサルの側頭部に突き立てた。
頭にナイフが刺さって千鳥足のサルに対し、続けて抜いた剣で首筋に一撃を加える。
サルは頸動脈から大量の血を噴き出し、そのまま倒れてしまった。
しばらくは手足をピクピクとさせていたが、すぐに動かなくなり、これにて無事にサルを退治したことが確認される。
『やはり凄いの、エルオールは』
「そんなに強くなかったので。ですが、どうしてこの無法者は私を見て逃げなかったんだ?」
相手の強さがわかるというのであれば、無理に私に襲いかからず、そのまま逃走すればいいものを。
もっとも、改良して速度が上がっている機体なので、絶対に逃がさなかったし、実はそこまで考えていなかった可能性もあった。
『簡単なことよ』
「簡単ですか?」
『そうだ。この無法者は妾には勝てないが、妾からは逃げ切れると判断した。実際、ライムとユズハもいたのに、無法者は捕まえられなかった。じゃが、エルオールを見た無法者は、きっとこう思ったのだ。『勝てないのは勿論、逃げられない』とな。逃げられない以上、そのまま無抵抗で殺されるよりは、一か八かでエルオールに挑んだ』
だから冷静さを欠いてるように見えたのか。
半ば破れかぶれで私に襲いかかったと。
『無法者に、そこまで覚悟させるとはな……さすがよな』
「実感はないですけど。とにかく、無法者を倒せてよかったですね」
もしグレゴリー王子に続き、姫様もしくじったとなれば、サクラメント王国の権威が下がってしまったであろうからだ。
私は姫様の下で戦ったので、サルの無法者は姫様が倒したことになる。
別に功績を誇るつもりはない。
なにしろ私は郷士だ。
それに嫉妬して、敵意や害意を向けてくる上級貴族もいそうだからだ。
「じゃあ、死体を貰いますね」
『約束したのだから当然だ』
「ではっ!」
『もう帰るのか? このあと祝勝会があるのだが……』
「私が参加すると、不愉快になられる方もいますので……」
『そうだったな……』
本当なら、無法者を退治した功労者が祝いの席に出ないなどあり得ない。
だが、もし先に失敗したグレゴリー王子とその親衛隊の方々が私を見れば……。
いい気分ではないだろうから、出席しない方がいい。
姫様が退治したことにした方が、のちのことを考えると安全だ。
それに、グレゴリー王子が安心する。
姫様が世界で一番の操者と呼ばれていても、今回は手柄を郷士から奪ったことを彼には隠せないのだから。
グレゴリー王子は操者としては駄目だけど、それに気がつかないわけがない。
これまで姫様は完璧過ぎたのだ。
そのくらいの傷があった方が、逆にグレゴリー王子も安心するというもの。
姫様のためでもある。
などと思いつつ、公式には姫様の手柄なので、私のような郷士が堅苦しそうな……名誉ある祝勝会に出ない方がいい、と心から思っていただけなんだけど。
「証拠があった方がいいでしょう」
私は剣で、無法者の首を一閃して斬り飛ばした。
これを証拠として差し出せば、姫様も疑われることはないはず。
私が欲しいのは、この無法者の筋肉や骨格、関節なので頭はいらなかった。
脳味噌が美味しいとかあるのであろうか?
食べられるとしても、他に美味しいものなどいくらでもあるのだから、無理に欲しいとは思わない。
「では、これにて!」
私は無法者の残骸を抱え、リンダとマルコと共にグラック領に戻る……と見せかけて、アマギが浮かんでいるゾフ湖を目指すのであった。
「……姫様、どうかなさいましたか?」
「エルオールは戻ってしまったな」
「それは仕方がありませんよ」
「ライムの言うとおりです。ここでこれからおこなわれる祝勝会にエルオール様が顔を出せば、グレゴリー様を怒らせるだけですから」
「むしろ、グレゴリー様を無法者に撃破させてしまった親衛隊の方が怖いですね。最悪、エルオール様が殺されかねません」
「男の嫉妬は恐いですからね」
事実ゆえに、妾はライムとユズハの意見に反論できなかった。
エルオールが妾の求めに応じて来てくれ、予想以上の結果も出してくれたというのに、それを公で褒めることすらできないとは……。
あの無法者は、妾と戦えば負けるが、逃げ切れると判断して逃げの一手であった。
ライムとユズハも配置して待ち伏せなどを試みたし、妾の親衛隊も配置してみたが、それをあざ笑うかのように逃げ続けた。
機体を撃破されてしまったグレゴリー兄よりはマシだが、妾もあの無法者を倒せない時点で同類だ。
結局無法者はエルオールが倒したが、やはり彼は凄かった。
妾たちを圧倒する実力があるのだから当たり前だが、無法者が逃げても逃げきれないと感じ、ヤケになって襲いかかるくらいなのだから。
無事無法者は倒されたが、公式には妾が倒したことになる。
王族二人が倒せなかった無法者を、郷士風情が倒してしまう。
王家の権威はがた落ちになるし、エルオールにもよくないことが起こるであろう。
上級貴族の中には実力もないくせに、エルオールの功績を『出しゃばり、自分たちへの反抗』だと感じ殺そうとする輩まで出るかもしれなかったからだ。
さらに褒美も、エルオールは無法者の死体だけで十分だと言ってくれたが……。
「妾はこの国の王女でありながら、エルオールの世話になりっ放しで、なにも恩を返せていないな……グレゴリー兄も同類だが……」
「そこでさり気なくグレゴリー様を批判するとは……」
「いつもの姫様で安心しました」
「そんなことで安心しなくてもいい」
妾たちのグラック領への滞在だって、エルオールは郷士家の当主だから領地の開発などで忙しいのに、無理に魔晶機人の操縦を教わっているのだから。
「姫様、ご安心を」
「なにかエルオールに恩を返す策でもあるのか?」
爵位……は反発が大き過ぎる。
三代続けて功績がなければ昇爵できないのが決まりのようなものなので、これは無理じゃ。
異邦者との戦闘で功績を挙げる……大要塞を落としてその資格を得たが、広大な領地の承認と、開発への援助で生涯分担金ゼロを代わりに得てしまった。
もう一度、絶望の穴の中で大異動が起これば……いや、グレゴリー兄が、エルオールを召集するのを邪魔するはずだ。
上級貴族たちのエルオールへの風当たりが強くなるし、さすがに次こそは自分の親衛隊に活躍してもらわないと、グレゴリー兄も立場がないのだから。
「エルオールには、金品くらいしか与えられないと思う」
「いえいえ、姫様から贈れるものがありますよ」
「そんなものあったかの?」
「あります。私です。姫様のお傍に仕える護衛であるこの私を、エルオール様に下賜なさるのです」
「私も下賜するといいでしょう。王女殿下が寝室に入れている護衛を下賜する。グラック卿にとってこれ以上の名誉はありません」
「あとは、金品でいいのでは?」
「……なあ、お主ら、一ついいか?」
「どうかしましたか? 姫様」
「ライムもユズハも、エルオールを最下級の郷士だとバカにし、年下で頼りない、自分たちは年上が好みだとか言っていなかったか?」
ライムもユズハも、エルオールの嫁になるだと!
先日、散々文句を言っていたくせに!
それとこの話を聞いた途端、妾は無性に腹が立ってきた。
ライムもユズハもそのうち嫁に行くだろうし、妾はそれを手助けしようとも思っている。
それなのに、この二人がエルオールの嫁になると聞くと、どうも心がざわつくのだ。
「姫様、実にいいアイデアだと思います」
「姫様が、グラック卿を信用しているという、心からの証ですから」
なぜだ?
なぜ妾は、ここまで腹が立つ?
たとえ、この二人とエルオールが結婚したとしてもだ。
妾とエルオールの関係には、なんら変わりはないはず。
それなのに……。
「その話はあとにする。祝勝会に行くぞ。無法者の首を忘れるな」
「姫様、考えておいてくださいよ」
「私とライムの実家は騎士爵家なので、そうおかしな話ではないですよ。ここは決めてしまいましょう」
「グレゴリー兄が不機嫌で楽しくない祝勝会であろうが、出席は義務なので仕方がない」
「姫様、考えておいてください」
「いいアイデアですよ」
それはわかるが、どういうわけか、妾は素直に許可を出せなかった。
今はとにかく、一日でも早くグラック領に戻ってエルオールに稽古をつけてもらうとしよう。
そうだ。
きっとそれがいいのだ。