第五十四話 配慮
「姫様、今日も体のあちこちに傷が……すぐに魔法薬を塗って治しますから」
「我々の腕は劇的に上がったとはいえ、少し厳し過ぎる気もします。それに、グラック卿は郷士です。少し無礼が過ぎるような気もします。注意した方がいいかもしれません」
「それはありますね」
「くだらぬことを言うな!」
これまで、自分は郷士だからと、妾に対し遠慮があったエルオールが、この一ヵ月、妾たちを厳しく鍛えてくれるようになった。
ようやく彼は、妾に対し対等に襟を開いてつき合ってくれるようになったというのに、ライムとユズハのバカどもが!
王都に巣食っている、家柄しか誇ることがないバカ上級貴族たちと同じようなことを抜かしおって!
「妾は気がつかなかった。護衛はすぐに代えよう」
「えっ! どうしてですか? 姫様!」
「私たちは、その身をすべて姫様のために捧げておりますのに!」
「なあに。以前王城で、上級貴族たちに言われたことを思い出してな。妾の護衛は、騎士の娘風情ではなく、もっと爵位の高い信用ある者にしてはどうかと思ってな」
「「……」」
「自分が言われて気がついたか! この愚か者どもが!」
妾は、ライムとユズハを腕だけで選んだ。
そのことに対し反発も大きかったが、妾はそれを押し通した。
妾が王女だから、その希望が通ったという事情もあるがな。
グレゴリー兄だったら、強引に上級貴族の子弟に変更させられたであろう。
実際、彼の護衛や親衛隊に下級貴族の子弟はいない。
元から選択肢に入っていないのだ。
妾に選ばれた二人も、これまで散々上級貴族の子弟たちに嫌味を言われた。
だからこそ、二人は懸命に努力をしたと思う。
ところが、熱さが喉元を過ぎればこの様だ。
郷士であるエルオールに、身分がどうの、妾に対する態度がどうのと、自分たちを否定した上級貴族たちと同じようなことを言っておる。
妾の護衛をしているという今の状況に溺れ、もうあの連中の仲間入りとは恐れ入る。
「お主らは騎士の娘で、エルオールは郷士だ。そこまで差はないはずだが、どういうわけか随分な増長ぶりではないか。しかもこれまで、エルオールに鍛えてもらったにもかかわらず、その言いよう。考えようによっては、恩知らずという要素も加わるな。操者は腕がすべてのはずが、エルオールに手も足も出ないから、騎士の娘であることと、妾の護衛だという立場で上に立とうと言うのか?」
せっかくエルオールが、妾と対等に接してくれているというのに……。
しかも、妾を名前で呼んでくれるようになった。
いまだ『様』づけなのには不満があるが、これはいつか解消されるはず……。
せっかくいい状況に進んでいるというのに、それを邪魔するのであれば、たとえライムとユズハでも容赦しない。
護衛は替える。
妾が替えると言ったら、二度と覆すことはない。
「申し訳ありません! グラック卿があまりにも強く、つい嫉妬の感情が……」
「私たちとて、尋常ではない努力を重ねてきたつもりです。それなのに、あそこまで差があると……」
「そうか。もう二度と言うな。言った途端、妾はお主らを交代させるぞ。明日も早い。魔法薬を塗ってくれ。いかに鍛練中の身とはいえ、エルオールに傷のある肌で接するのはどうかと思うからな」
明日も、厳しい訓練がおこなわれるであろう。
辛くはあるが、妾の腕前は以前とは比べものにならないほど上がった。
まさか妾に、これほどの伸びしろがあったのかと思うほどだ。
「なんとか、夏休み後も訓練をつけてもらえる算段を……学校だとうるさい連中も多い……なんとかしなければな……」
まずは、明日に備えて寝ることが大切だ。
なにしろ、エルオールは妾のために無理をしてくれているのだから。
「ユズハ、これは本当にヤバイわね」
「私の推察どおりでした。姫様は、グラック卿に恋している状態です。残念ながら、姫様はそういうことに異常なまでに疎いので、それに気がついていませんが……」
「この場合、それは幸運なんじゃないの? 姫様が、まるで恋する乙女のように明日の訓練を楽しみに寝る……。変わった恋愛模様ね……」
「私たちも、グラック卿にお世話になっているけど、姫様の護衛役としては、時に姫様の不興を買ってでも釘を刺しておく必要があるから……」
私たちも下級貴族だから、これまで散々王城の上級貴族たちに嫌味を言われてきた。
だから、グラック卿に身分差を利用した陰口なんて言いたくもない。
それに、グラック卿はご自身が郷士で、私たちは父親が騎士だから、そこまでの身分差がないのも事実であった。
せめてグラック卿が騎士ならば、と思ったことは何度かある。
下級騎士の中でも、騎士の従士から貴族化した郷士はさらに身分が低いとされ、準男爵や騎士の中にも露骨に郷士を下に見る人もいるから。
上級貴族に対し鬱屈した感情がある人が、郷士にその鬱憤を向けているといった感じだ。
まったく生産性がない行為なので、そんな人はそれほど多くないけど。
少なくないのは、この世界の悲しい現実かもしれない。
サクラメント王国だけの問題じゃないから。
「でもここで、姫様の訓練を止めるのは難しいでしょう。グラック卿と引き剥がそうとしたら、大暴れしそう」
「一緒にしごかれているリンダ様は、グラック卿の婚約者と聞くわ。同じくこのところ魔晶機人の修理と整備でお世話になりっ放しのヒルデさんはグラック家の重臣の娘で、側室候補だとも。グラック卿は歳のわりに冷静で、現実が見えているから、彼が先走ることはないはず」
「ならば、私たちが姫様を抑えるしかないですね」
「そういうことになるわね。他に方策もないし」
「ああ、あと」
「なによ、ユズハ」
「このところ、訓練がてらグラック領の発展具合を直接確認しました。郷士であの領地の広さと実入りは凄いです。しかも、グラック卿が死ぬまで分担金免除は大きい」
確かに、今のグラック領って大物上級貴族並の領地を開発中なのよね。
もしこれが次代以降も維持できるとすれば、将来グラック領は富裕な領地になるはず。
そこに妻として入れれば……。
いくら姫様の護衛でも、私たちが上級貴族家に嫁入りできるわけがない。
下級貴族家の場合、旦那が魔晶機人を動かせる人だと、私たちのような操者の嫁は嫌がられるケースが多い。
常識的に考えれば、魔力が多い奥さんを迎えた方が子供も魔力も上がりやすくなるので歓迎すべきなのだけど、『夫よりも魔力が高い妻は生意気になる』とか言って嫌がる下級貴族は多いのだ。
たまにそういう奥さんを受け入れても、今度は魔力が多い奥さんの方が威張っているなんてケースもあって、余計に私たちのような女性操者は嫁入りが遅れる傾向にあった。
「でもさ、前にユズハは年下は嫌だって……」
「思うに、グラッグ卿はあまり年下に見えないので」
「それはあるわね」
年の割に、妙に大人びているというか……。
それなら、年下でも二歳差くらいなら大丈夫よね!
きっとそうよ。
「姫様とグラック卿が恋仲になるのを防ぐため、私たちが防波堤になる。いいアイデアじゃない」
「これぞ一石二鳥ですね」
「なんだ。簡単に解決するじゃない」
今の状況なら、リンダさんに配慮して二番目か三番目の側室になれれば、私の子供は最低でも村を預かる代官か、郷士として独立できるかも……これは美味しいわね。
「姫様のため。さらに護衛としての評価を得るためにも、私たちはグラック卿に見初められる必要があるのよ」
「まさに大義はここにありですね」
どうせ姫様は、王国の有力貴族か他国の王族に嫁ぐでしょうから。
そんな時に、もし姫様とグラック卿との間に恋の噂が立ってしまえば、それはグラック卿に不利になってしまう。
それを防ぐためにも、ここは私たちが身を挺して頑張らないと。
これも鍛えてもらっているお礼と思ってくれれば。
ようし、頑張ってグラック卿の側室に収まるわよ。
「今日のパウンドケーキは美味しいね」
「私が作りました」
「へえ、お菓子が作れるんだ」
「私もユズハも下級貴族の娘なので、そのくらいはできますよ。ケーキのお替りはいかがですか?」
「いただくよ……(それはいいんだけど、妙に近いな……)」
今日も厳しい訓練が終わり、夕食も終わってノンビリとデザートとお茶を楽しんでいた。
リビングの大きなテーブルに、VIPゲストである姫様と私が向かい合わせに座り、私の右隣には婚約者であるリンダが。
そこまではいいとして、なぜか左隣ではライムがいそいそと私にケーキを切り分け、お茶を淹れていた。
もう一人の姫様の護衛であるユズハは、姫様の隣でやはり同じような世話と、護衛も兼ねていた。
ここは屋敷中なので護衛はいらないが、念のためであろう。
昨日はユズハが私の左隣に席に座って私の世話をしており、ライムが姫様の担当だったので、彼女たちがそういう風に決めたのであろう。
これは、魔晶機人の操縦を教わっているお礼と見ていいのかな?
これまでその左隣の席で私の世話を焼いていたヒルデが、ちょっと不満そうな顔をしていたけど。
「ライム、ユズハ。たまには妾もエルオールにお茶でも淹れて……」
「なにを仰いますか。姫様がそのようなことをなされては、あとで陛下に私たちが叱られてしまいます」
「グラック卿への感謝の気持ちは、姫様の護衛である私たちが代わりに担当いたしますので」
「あのな。こういう私的な席なので、妾がエルオールの隣に座っても構わないのでは?」
「とは申しますが、外の目がない保証もございません」
「グラック卿が不利益になる行動は慎むべきかと……。姫様の代わりに、私たちがグラック卿のお世話もさせていただきますから」
「いやしかしだな……」
「お諦めください」
なるほど。
ライムとユズハは、私の立場を慮ってそういうことをするようになったのか。
旧ゾフ領のことを誤魔化すため始めたスパルタ訓練だが、予想外の効果があってちょっと得したような気分になる私であった。
このまま夏休みが終わるまで、どうにか今の状況が続いてくれれば。