第四十五話 ゾフ湖
「これがゾフ湖か……そして沿岸にあるあの城が、七百年前に滅んだゾフ王国の廃城か……」
「我がサクラメント王国は、今のグラック領付近においてゾフ王国と小競り合いを続けていたそうだ。幾度か大決戦もおこなわれたという。互いに千機を超える魔晶機人と魔晶機神が死闘を繰り広げた。と、古い歴史書には書かれている」
「ゾフ王国はどうして滅んだのです?」
「わからん。古い歴史書によれば、ゾフ王国は一晩で滅んだとか。グラック領の南方にある廃村は、元々はゾフ王国の貴族たちだったそうだ。いきなりゾフ王国が滅んで混乱し、彼らはサクラメント王国に降ったというわけだ」
「でも、結局領地を維持できなかった」
「およそ百年ほど前までに、領地を維持できず放棄した。最南端の貴族がグラック家になった瞬間だな」
鍵付きの箱に入っていた地図に従い、魔晶機人で偵察をおこなうと、本当に古に滅んだとされるゾフ王国の王城と城下町。
そして、巨大な湖の姿が確認できた。
かなり透明度の高い巨大な湖の畔に、大きな城とその城下町という、風光明媚な景色が眼下に見えていた。
私と姫様は、その綺麗さに一瞬心を奪われてしまう。
「意外と朽ちていないような気が……」
「うーーーむ、状態保存の魔法かの?」
「そんな魔法あるんですね」
「昔にはな。今は失われている。あれば、魔晶機人の運用コストももう少し下がるのじゃが……」
部品などが摩耗しにくくなるから、できれば復活してほしいものだと姫様が語った。
「もしかしてこれは、滅んだのではなく放棄したのかもしれないな」
城と城下町の様子を見ようと、機体の高度を下げると、あちこちに魔物の姿があった。
「エルオール!」
「大丈夫」
一匹、逸った魔物が飛び上がって私に襲いかかってくるが、かかと落としを食らわせて地面に叩きつけた。
頭から地面に叩きつけられた巨大なチーターのような魔物は、数秒だけ痙攣してから、その動きを完全に止めてしまう。
そしてその魔物に、金色の巨大なライオンや、銀色の巨大マントヒヒ、赤いメタリック色をした巨大な虎などが襲いかかり、すぐにその肉を奪い合いながら食べ始めていた。
「まさに生存競争よな」
「あまり仲間意識はないみたい。でも不思議だな」
「なにがだ?」
「これだけの城と城下町。サクラメント王国は占領しようと思わなかったのか?」
「その気はあっても、できるかどうかはまた別の話なのでな。なぜか詳細な記録は残っておらぬが、大昔のサクラメント王国は、ゾフ湖とその周辺の領土を探索はしておる」
「それで?」
「当時は王都を拡張中だったそうで、遥か南の、結界が解けて魔物だらけの城と城下町に手を出す余裕がなかったのだと思う」
そしてその後、南方にある多くの村々が魔物と無法者のせいで廃村になってた。
王都とゾフ湖との距離がますます広がってしまったため、手間とコストの問題でそのまま放置されたわけか。
「西部開拓の方が、手間もかからず実入りもあるというわけで、今はそちらに集中している。他の方面は『開発できたら認める』というスタンスだ」
だから、いくらグラック領が広がっても書類を出せばオーケーなのか。
硬直した身分制度もあって、今では郷士としてあり得ない身代だけど、私は郷士のままだ。
大要塞クラス討伐の功績で、王国に支払う分担金が将来無料なのは美味しいな。
多分、成り上がりの郷士がイキって結界を広げても、次の代で放棄されるか、結界が狭まると予想しての処置なのだろう。
新しい村が拓かれて結界が張られ、早いと次代で維持できなくて放棄されてしまう。
三代功績がなければ陞爵できないのには、ちゃんとした理由があるというわけだ。
「このあり様では、ゾフ湖を結界の中に入れるのは難しいであろう」
ゾフ湖付近の魔物たちは、リアル弱肉強食を繰り返しているようだからな。
体も大きいし、下手な魔晶機人と操者だとすぐにやられてしまうだろう。
なによりも、私が先ほど倒した奴の死骸に集まる魔物の多さだ。
どこから湧いたんだよ、というくらいに多い。
これは、大規模な掃討作戦をおこなわなければ、人間は入り込めないな。
「実際に初めてみたが、これは厳しい」
地図があるから攻略できるって話ではないな。
それがわかっただけでも収穫だな。
「リリー様、戻りますよ」
「感心よな。今日は二人きりで偵察しているから、ちゃんと妾の名前を呼んだか。できれば呼び捨てが嬉しいのじゃが、それはあとの楽しみとしておこう。グラック領にいる時でも、名前で呼んでくれるともっと嬉しいのじゃが」
「あの二人に聞かれると面倒なので……」
一応姫様の護衛ということになっているが、陛下も承認しているお忍び視察なのだ。
あの二人から他の王族なり上級貴族たちに情報が洩れていると思った方がいいだろう。
ならば、馴れ馴れしく姫様を名前で呼ぶのは、二人きりの時でなければ駄目だ。
他者に聞かれない時でなければ、決して一国の王女様を名前で呼んではいけない。
無礼講をはき違えて、人間関係を間違える。
社会人あるあるだよなぁ。
「つまらぬのぉ。では今から、二人きりの時は『様』などつけずにリリーと呼べ」
「それはさすがに……」
「では、エルオールに『理由』を与えてやる。サクラメント王国王女の命令だ」
「それはずるいですよ……」
なるほど。
お上の命令なら従う、私の性格を利用したわけか。
「リリー」
「満点じゃな。では、エネルギー代を稼いで戻るか。エルオール、あの銀色の大きな猿がいいぞ」
正式名称は『シルバーモンキー』というそうだが、見た目は銀髪で立派な尻尾があるマントヒヒといった感じだ。
大きさはほぼ魔晶機人の半分くらいで、これだと魔晶機人を動かせるだけの素人操者には厳しいかも。
動きが素早いので翻弄されてしまうからだ。
「銀色の毛皮が高級品で、これを用いて作られたコートはとても高額だ。マジッククリスタルの質もいい」
ならば、これを一匹狩って持ち帰れば赤字にはならないな。
姫様には隠しているが、私は自分の魔力だけで魔晶機人を動かせるのだから。
「しかし、相当素早いぞ。エルオールならどうする?」
「こんな感じかな?」
相手は野生動物以上に勘が鋭い魔物で、気配を消して近づくなんて不可能だ。
そのまま上空から全速力で降下し、逃げようとしたシルバーモンキーの頭上に剣を突き立てた。
脳天を一撃されたシルバーモンキーは、その場で息絶えてしまう。
「もう一匹」
同じ方法でもう一頭を仕留め、うち一頭を姫様に持たせて今日の遠足は終わりだ。
「いつ見ても恐ろしい腕前よな……。おおっ、ゾフ湖は透明度が高くて綺麗だな。のう、エルオールよ。あれはなんだ?」
「見たことがない魔物とかですか? なっ!」
「変な遺跡よな。戻ったら、王都の考古学者に聞いてみるか……。エルオール? どうかしたか?」
「いえ、見たことがない大きなものなので驚きました」
「魔晶機人を作った古代文明の遺跡かな? とはいえ、ここに学者たちを派遣するのは困難だな。ゾフ王国が気がつかないわけもなく、どうせ成果はすべて運び出されておろうが」
「……そうですね……」
ゾフ湖の底に沈む、流線形のフォルムをした巨大な物体。
私は、それに見覚えがあった。
三年ほど前、私の体がまだ汎銀河共和国軍特務隊ケンジ・タナカ上級大佐だった頃、職場兼生活の場としていた特殊航宙強襲艦『アマギ』だったのだから。
「(じゃあ、ケンジ・タナカの体はどうなった? エルオールの魂は?)」
色々と確認したいことが増えてしまったが、今は姫様がいる。
私は一旦心を落ちつかせ、倒したシルバーモンキーを抱えてグラック領へと帰還するのであった。