第三十九話 お忍び
「えっ? 夏休みって三ヵ月もあるの?」
「そんなものでしょう。貴族の子弟でも、操者は忙しいもの」
入学から三ヵ月。
学校は夏休みとなった。
その期間は、驚くなかれ三ヵ月間だ。
学校に通う上級貴族の子弟は操者である者が大半で、忙しいという理由もあるかららしい。
先日の二人は除くけど。
一応定期試験はあったが、あれは白紙でも留年とかはないそうだ。
私は姫様から推薦された手前、ちゃんと勉強して……というほど試験は難しくなかったけど。
形だけ試験があるのだろう。
「エルオール様は、夏休み中はなにをしますか?」
「領地開発の手伝い」
「普段とまったく同じね」
リンダがつまらなそうに言うが、少なくともまともな貴族及びその一族なら、結界の維持と領地開発は地道におこなう。
王都にいる、年金暮らしで、役職にあぶれているような貴族たちの中には、遊んでばかりでどうしようもない人たちがいるらしいけど。
領地から税収があがるようにしなければ、貴族も見栄を張れないから当然だ。
貴族が見栄を張れるのは、領民たちがちゃんと税を納めているからなのだから。
「私もエルオール様の機体の整備と、父を手伝っています」
ヒルデは修行中の身でもあるので、たとえ夏休み中でも仕事はある。
元々夏休みなのは、私だけだからなぁ……。
「私も魔晶機人の訓練がてら、エルオールの手伝いなんだけどね」
「マルコの訓練もするから、結構忙しいんだよ」
そもそも、学校自体が本来下級貴族には必要ないものなのだ。
それでも姫様の推薦があったので、彼女に恥をかかせないように通っているだけ。
定期試験についても、成績は中の上くらいにしておいた。
筆記試験が簡単だったので首席を狙うことも可能だったが、それをしたら役人として立身出世を願うような生徒たちを敵に回してしまう。
かといって、あまりに点数が低いと、今度は推薦してくれた姫様の顔に泥を塗る行為になってしまう。
点数と成績の微調整が、一番私を悩ませたのだ。
「(そんな面倒事とも、三ヵ月はおさらばだ。普段の暮らしに戻ったと思えば……)」
「おーーーい! エルオール!」
まずは魔獣狩りをするかなと準備をしていたら、突然父が血相を変えて飛び込んできた。
その手には、手紙が握られていた。
しかも、便箋にはサクラメント王国の紋章が透かしで入っていて、私は嫌な予感しか感じなかった。
「父上、どうかされましたか?」
「王女殿下から手紙がきてな。夏休み中は、このグラック領に滞在されるそうだ」
「なぜうちなのです? リンダの実家であるフィール子爵家ならともかく」
というか、フィール子爵家を差し置いてうちが姫様の滞在先になったら、向こうがヘソを曲げるではないか。
もしそうなったとしたら、グラック家が不利益を受けてしまう。
「断りたい……」
「断れないだろうな」
もし断れば、今度は姫様から不興を買ってしまう。
あちらを立てればこちらが立たず。
『本当にもう!』といった感じであった。
「使用人たちに、客室の掃除をさせねば。食事はどうすれば……」
田舎の貧乏郷士家が、王女様を客として迎え入れる。
私と父は、今日の予定をすべてキャンセルして対応に当たったのだが、翌日そのリリー王女殿下は普段の服装ではなく、下級貴族の娘が着るような服装で、お供も二人のメイド……彼女たちも魔晶機人に乗っていたので操者であったが……のみであった。
姫様の魔晶機人も、王家の紋章や派手な装飾などが外され、非常に地味な装甲や装飾に変えてあった。
「姫様?」
「エルオール、夏休みは世話になるぞ」
「ええっーーー!」
三ヵ月間、ずーーーっと姫様をもてなさなければならないなんて……。
私ほど不幸な郷士家はいないであろう。
「お忍びなので、今の妾は下級貴族の娘リリーということになっておる。派手な歓迎などは無用じゃぞ。食事も、普段エルオールたちが食べているものと同じでいい」
「あのですね……」
姫様は王族なので、毒殺の危険があるから食事をお出しするには細心の注意と毒見役が必要であった。
そんないきなり、うちの食事なんて食べさせられないのだ。
「エルオールも見覚えがあろう? 妾の従者ライムを」
姫様が連れている二人のメイドのうちの一人。
そういえば、絶望の穴で戦った時、姫様のテントの中にいたな。
私と姫様が接近すると、殺気の篭った視線を送ってきた女性だ。
もう一人も、綺麗な人だけどいかにもできるといった感じだ。
「この二人は、毒の味がわかるのだ。そういう訓練を受けておる」
毒見をして、味覚のみで毒を探知し、多少毒を摂取しても死なないように訓練されているそうだ。
それでいて操者で、生身や素手でも戦闘力が高い。
王族や大貴族を専門に護衛する一族が王国には存在しており、資格がある人物に派遣されてくる。
私のような郷士には、一生縁がない話かな。
「ゆえに、心配は無用だ。それに、妾が毒殺されかけたことなど一度もないのでな。あくまでも念のため。普段の護衛や身の回りの世話。そして操者としての腕前の方で貢献してもらっておる」
一人は確かライムで、もう一人はユズハという名前だそうだ。
二人ともライトグリーンの髪をサイドアップにしており、ライムは右側に、ユズハは左側に束ねた髪を垂らしていた。
姉妹ほど似ていないが、もしかしたら従姉妹同士かもしれない。
「今回のお忍びの旅だが、ちゃんと父上の許可はもらっておるぞ。グラック領が急速に拡大、発展しているので、視察が必要ということになったのじゃが……」
そこで、この世界の硬直した身分制度が問題になってくる。
王族が、下級貴族の領地を公式に視察するなど前例がないと、上級貴族たちが騒ぐであろうと予想されたのだ。
「かといって、下手な貴族など視察に行かせても、物の役に立たないのでな。父上からすれば、自分か信用できる王族に見てきてほしいわけだ」
そこで、姫様がお忍びでグラック領に視察……三ヵ月滞在するのは、オマケなのか?
むしろ視察がオマケなのでは? と思えてしまうのだ。
「姫様は、公務があるはずですが……」
「それは、父上がグレゴリー兄に命じてやらせておる。グレゴリー兄は、次兄として王太子であるラングレー兄を支える役割がある以上、頑張ってもらわねばな」
大異動時の魔晶機神大量喪失や、自らの負傷。
陛下としては、グレゴリー王子に不安を抱いたわけか。
そこで、しばらくは操者としても徹底的に鍛え上げると。
「妾がいると、グレゴリー兄は逆上してまたしくじるかもしれぬ。そこで、妾は親衛隊に王都警備などを任せ、夏休みを取ることになったのじゃ」
「姫様は、姉君たちとは違って、これまで操者として忙しい日々を送ってまいりましたので」
ライムが説明を付け加えた。
もう殺気は送ってこないので、敵だとは思われていないのか?
姫様には二人姉がいるそうだが、この二人は魔晶機神を動かす魔力があっても、操者としての才能は皆無であり、嫁入りに備えて花嫁修業をしているそうだ。
「妾が三ヵ月間ここにいるのは秘密ということになっておる。グラック領を訪れたのは、二人のメイドを連れた騎士爵家の娘リリーなのじゃ。そういうことなので、普段と違うことはしないでくれよ」
「はい……」
用意周到で結構なんだが、それならもう少し前に言ってほしいと願う私であった。