第百十七話 毒殺未遂
「エルオール様、大変申し訳ありません」
「これは人間の業みたいなもので、そう簡単になくせるものではないしなぁ……。それに今は、異邦者との戦いの方が大切だ」
「父上は、ラーベ王国の次の王をどうするか、まだ決めてしません……」
「早計に決めれれないんだろうなぁ……」
「兄たちを支持していた貴族たちは、カーラ姉様とエステル姉様の支持に回る者も多く、ラーベ王国は三つに分裂しているようなものです」
このところ、ケイトは私に謝ってばかりだな。
ラーベ王国に戻る前は、夫として私を狙っているような素振りも見せていたが、それは第三王女だから、というのもあったのだろう。
今そんな態度を見せると、姉たちとそのシンパである貴族たちからの批判が大きいはずだ。
最近など、これまでは毎日のように食事を共にしていたのに、なかなか顔を出さない状態が続いていたほどなのだから。
異邦者の駆逐と領土の奪還が順調なので、ケイトの評判が上がれば上がるほど、姉たちと彼女のシンパたちから嫌がらせを受けることが多いと、密かにアリスかラーベ王国に潜らせた間諜から報告が入っている。
私は前世軍人だったけど、諜報の分野はさっばりで、ゾフ王国を守りながら手配してくれるアリスの存在はありがたかった。
「アリス、ありがとう。愛してるよ」
『はっ、恥ずかしいではないか……(嬉しい)」
衛星通信でお礼を言ったら、かなり恥ずかしそうにしていたけど、アリスのおかげで私はゾフ王としてやれているのだ。
感謝して当然だろう。
それよりも、このままだとケイトが疲弊する一方なので、私は彼女を傍に置いて守ることにした。
これは、この非常時に生意気にも後継者争いなんてしているラーベ王国への牽制のためだ。
どうにか、異邦者たちに奪われた広大な穀倉地帯の三分の二、およそ全国土の二割を取り戻したが、言うまでもなく畑は荒らされており、今年の収穫は絶望だ。
異邦者に奪われたのが穀倉地帯だったのでラーベ王国は食料不足に陥り、住んでいた農民たちの中には他国に逃げ出す者も多かった。
運良く大半の人たちが逃げ出すことに成功したと聞いたが、よく魔獣と異邦者に食われて全滅しなかったものだ。
そんな命からがらサクラメント王国などに逃げ込んだラーベ王国の農民たちだったが、すでに新しい農地を得て新しい生活を始めており、取り戻した穀倉地帯を誰が耕すのか、という問題にも直面していた。
ラーベ王国は、農民たちを帰国させてくれと要求してきたが、仲間が魔獣や異邦者に食われながら、長い距離を命がけでたどり着き、ようやく新天地を得た彼らに国に戻れというのも酷な話だと思う。
農民たちの中にはゾフ王国に移住した人も少なくなく、ラーベ王国に戻る農民は皆無だった。
仕方がないと思うのだが、ラーベ王国の貴族たちの多くはそう考えなかった。
やっと取り戻した……実際に取り戻したのはケイトと私たちだけど……領地に戻ってみたら、農地荒れ、領民たちも逃げ出していた。
このままでは在地貴族として立ち行かなくなるため、領民である農民たちを返してくれと懇願するも、彼らはすでに新しい農地を得て新生活を始めており、帰国を拒否した。
ラーベ王国貴族たちはゾフ王国を恨むようになり、自然とカーラ王女とエステル王女の支持に回るようになったというわけだ。
そして、私たちと行動を共にすることが多いケイトを裏切り者扱いするまでに、そう時間はかからなかった。
ケイトは異邦者たちに土地を奪われた祖国ラーベ王国を心から心配しており、ラーベ王国救援艦隊を編成して戻ってきた。
彼女は第三王女なので、祖国を諦めて自分の幸せを追求することだってできたはず。
そんな彼女をゾフ王国の手先として批判するのだから、バカなラーベ貴族たちは救いがたい。
「ケイト、しばらくは私たちと行動を共にすればいい」
無理に自分を批判するラーベ王国貴族たちと接するから、ストレスになってしまうのだから。
「そもそも、矛盾していませんか? カーラ王女とエステル王女にしても、ゾフ王であるエルオール様の子供を産もうとしているのに。それこそ、ラーベ王国がゾフに乗っ取られる危険が高いじゃないですか」
「ヒルデ、追い詰められた者たちなんてそんなものじゃぞ。傍から見るとバカみたいなことをしているが、本人たちは必死だし、視野が狭まっているから、他人の忠告など聞かん」
そして、滅んでいくんだよなぁ……。
前世でも、反乱への対処を誤って政権が倒れるところをいくつか見てきたが、人間は切羽詰まれば詰まるほど、バカみたいな選択を取り続けるし、それを注意しても決して聞き入れなかったのを思い出した。
「(ラーベ王国は、亡国の道を歩んている。だけど……)」
そのラーベ王国ため懸命に頑張っているケイトに、『このままだと、ラーベ王国は内側から滅ぶ』とは言いにくかった。
本人も気がついていないわけではないので、余計に口に出しにくいというか……。
「まあ、今夜は大変なことを一時忘れて、ご馳走を楽しむことにしよう」
ケイトの心の負担が少しでも減ることを祈って、今日はラーベ王国の王都で評判のお店で料理を作ってもらった。
忖度なしに、とても美味しそうだ。
みんな早速食べ始めるが、やはりケイトは食欲がないようで、あまり手が動いていなかった。
心なしか、顔色も少し悪いような……。
「……(もしや!)」
前世で、こんな光景を見たような……と思った瞬間、一気に顔色が真っ青になったケイトがテーブルに突っ伏してしまった。
「ケイト!」
「ケイトさん!」
和やかに始まった夕食の席が騒然となるが、私はすぐさまケイトのところに駆け寄り、彼女を抱え起こしてからその顔色を確認した。
普通では考えられないほど青くなっており、これは間違いなく毒を摂取させられたからだろう。
「その給仕を捕らえろ!」
今日はお店に料理を頼んだので、配膳をお店の人間に任せていた。
私に捕らえろと言われた給仕たちは同様のあまり身体が硬直していたが、一人だけ素早く部屋から逃げ出そうとした者がおり、リックが飛びついて捕らえることに成功した。
「あんたには、あとで聞くことがある」
リックは捕らえた給仕が舌を噛んで自害しないよう、テーブルフキンを口に噛ませてから両腕を縛った。
「……これでイケるかな?」
急ぎケイトが食べた料理を吐かせると、持っていた解毒剤を彼女に飲ませようとする。
だが彼女には意識がないので、それは叶わなかった。
緊急事態だと自分に言い聞かせてから、私は解毒剤を口に含み、ケイトの口に流し込む。
「「「「「キスぅーーー!」」」」」
外野が騒いでいるが、今は緊急事態だ。
それに、こんな状態では色気もへったくれもなく、キスというよりは人工呼吸の類だろう。
「顔色が戻ったな」
「エルオール、なんの毒がわからぬのに、凄い解毒剤じゃな」
「フィオナに持ってるように言われているんだよ」
前世でも、現地政府軍ではなく私が反乱鎮圧した事実が都合悪かったり、プライドを傷つけられたなんて理由で、食事に毒を混ぜられたり、毒矢を撃たれたこともあった。
そんな事態に対応すべく、フィオナが万能型の解毒剤をアマギで製造しており、それを渡されていたというわけだ。
「毒殺の恐怖に怯えている王族や貴族は多い。彼らが喜びそうな解毒剤じゃの」
「確かに」
今のところ、他で売る予定はないけど。
下手に解析されて、この解毒剤が効かない毒を作られるかもしれないので、フィオナもこの解毒剤を商売にするつもりはないと言っていたし。
「顔色は完全に元に戻り、心臓の鼓動も問題ないし、呼吸も正常だ。だけど、危なくて城内に戻せないな」
ケイトの料理に毒を混ぜたのは、料理を配膳した給仕の一人だが、誰が黒幕なのか素直に吐いてくれるといいのだけど。
「エルオール、その給仕が黒幕を知っているかしら?」
「その黒幕の手下でもいいさ」
カーラ王女とエステル王女。
どちらを支持している貴族なのか、それがわかれば十分なのだから。
「犯人はその二人のどっちかなのね。他に候補者はいないと?」
「いないさ。リンダは、他にケイトを殺そうとするラーベ王国王族と貴族に心当たりがあるのか?」
「ないわね」
「エルオール、ラーベ王はどうなのだ? ケイトの母君はすでに亡くなっていると聞く。姉たちの母親に配慮したのでは?」
「あの人には、そんな決断力もないだろう」
リリーの問いに、それはないと答える私。
アリスが送り込んだ間諜からの報告によると、ルールブック侯爵の言っていたとおり、ラーベ王は三王女の争いでは完全に中立を貫いているという。
「誰が勝利しても、自分の娘だからだろう」
中立を貫くだけで、誰が次の王の母親になっても勝者になれるのだから。
「……とんでもない王じゃな。少なくとも王の資格はない」
自分がラーベ王国の支配権を譲る身で安全なのをいいことに、異母姉妹たちの、いつ殺し合いに発展してもおかしくない争いを静観している。
リリーは、王失格だと断言した。
「その過程で出る犠牲は、今のラーベ王国には大ダメージなのに、自分の保身しか考えていない。王失格だ」
俺も同じ意見だ。
それにしても、とんでもない夕食になってしまった。
ケイトは解毒剤のおかげで死なずに済んだが、命を狙われていることが判明したので、もう王城に戻せない。
どこに、カーラ、エステルの手の者がいて、再びケイトを狙うかわからないからだ。
「ルールブック侯爵を呼び出してくれ」
「わかった」
リックを使いに出すと、顔色を変えたルールブック侯爵が、私たちの宿舎となっている屋敷に飛び込んてきた。
「ケイト様の食事に毒が盛られたというのは本当ですか?」
「本当だ。王国で一番有名なラーベ王国料理を出すレストランに夕食のデリバリーを頼んだら、給仕の中に犯人が紛れ込んだ。ラーベ王国料理ってのは危険なんだな」
「陛下、その犯人は?」
「捕らえて尋問したらすぐに雇用主を吐いたが、ナクロワ準男爵って何者だ?」
そいつが、レストランの給仕として暗殺者を送り込み、配膳の過程でケイトが食べたオードブルの中に毒を仕込んだ。
無味無臭で、かなり入手の困難な毒だと判明したし、私たちがそのレストランに夕食を頼むことにしたのは前日のことだ。
王都でも老舗の高級レストランで、配膳という大切な役割を担う者を毒殺犯と入れ替えるなんて、ただの準男爵にできることではないと私は思うのだ。
「ナクロワ準男爵は、エステル様の側近であるボーマン子爵の腰巾着として有名です」
「下の姉の方か。まあ、そんなことはどうでもいい」
「どうでもいいのですか?」
「どうせどっちも同じことを考えているのだから。これまでは、どうにかラーベ王国の後継者争いを防ぎながら、ラーベ王国を救おうと努力してきたけど、さすがに無理だな」
「陛下、ラーベ王国を見捨てないでください!」
ルールブック侯爵は、突然頭を下げた。
「ケイトは学園の同級生であり、大切な友人でもある。明日から急病のために療養中となるが、王城には戻せないことはわかっているよな?」
「はい……」
それがわからないほど、ルールブック侯爵も愚かではないか。
「彼女の療養の理由を発表しないわけにいかない。下手に隠すと、二王女たちに付いている貴族たちが、ゾフ王国の仕業だと言って騒ぐからだ」
ゾフ王国がラーベ王国を乗っ取ろうとしていると騒いで、民と貴族を煽る。
一番簡単な人気取りなので、なにも考えていないバカな貴族たちがやりかねない。
「それなのに二王女たちは、私と結婚し、生まれた子供を次のラーベ王に勝利しようと画策している。そして肝心の王は、このくだらない争いを解決しようしない。今もラーベ王国は存在するが、この国はもう崩壊しているのだ」
王自身が、どの王女が勝っても自分には損がないと思って、この争いを止めもしない時点で終わっている。
「ゾフ王である私が、他国に利用されるわけにいかない。私たちは独自にやらせていただく」
カーラ王女派も、エステル王女派も、ラーベ王も自分が一番可愛いのはよくわかった。
あとは好きにすればいい。
民たちは可哀想なので、彼らは可能な限り救う努力はするけど。
「ルールブック侯爵、貴殿も腹を括ることだ」
ルールブック侯爵は優れた操縦にして軍人であり、旧式の魔晶機人、魔晶機神だけで、異邦者の王都侵入を阻止し続けた。
二王子が討死したあと、二王女たちと距離を置いて消極的にケイトを支持していたが、二王女のシンパのようになにか行動したわけではない。
「軍人は政治に関わらずか?」
「……はい」
ルールブック侯爵もそうなんだが、前線で戦う操者、軍人たちは潔癖すぎる。
ただ前線で戦うケイトを褒め称えるだけで、カーラ王女とエステル王女が次の王の母にならないよう、追い落とすこともしなかったのだから。
「カーラ様とエステル様がいかに次の王の母に相応しくなかったとしても、それを決めるのは陛下ですから」
「そうやって、ケイトを褒め称えることしかせず、彼女の周囲には学生たちしかいないから、焦った二人がケイトの毒殺を謀ったって事情もあるんだが……」
ケイトは大きな功績を挙げ、民たちの人気も高まった。
それなのに、軍人たちはケイトを褒めることと、一緒に戦場で戦うことしかしない。
「それなら、ケイトを暗殺してしまえば、ケイトを褒め称える軍人たちも諦めて、自分たちを支持するだろう。ルールブック侯爵たちは、脳筋軍人だとバカにされているんだよ」
「なっ! 私たちはラーベ王国のために命を賭けて戦っているんですよ! バカにするなど許されることではありません!」
「ルールブック侯爵たちが命を賭けて異邦者と戦っている事実と、後継者争いは別の話だ。少なくとも、ルールブック侯爵たちはそう思っている。軍人は政治にが関わるな? 平和になってからそうしてくれ。ラーベ王国は、これからも異邦者と戦い続けないといけないのに、あの二人が生んだ子供が成長するまで、ろくに魔晶機人に乗ったこともない王妃と、その腰巾着の貴族たちが机上の空論で、軍人と操者を使い潰す未来が見えるな」
「……」
ルールブック侯爵は、私が考えた未来のラーベ王国の話を聞くと、黙り込んでしまった。
「私たちはどうすればいいんですか?」
「そんなことは自分で考えてくれ。それが国の統治者ってものだ」
その結果、上手くやれれば国が大きくなるけど、選択を誤って国が滅ぶことだってある。
完全に自己責任なので、ゾフ王である私がラーベ王国の国家方針なんて考えても仕方がないどころか。
敵に塩を送るようなものなのだから。
「こんな時に、ラーベ王はなにもしていない。許せない話だが、それも彼が選んだ選択肢だ。ルールブック侯爵たちもそれに付き合うのか?」
「それは……」
残念な王様に従い続けるのか。
それとも……。
「もはや、ラーベ王国すべてを救えないと私は思う。では、どうする?」
「ケイト様を次の王の母にすべく、我々はも強固な派閥を作ります」
派閥を作るなんて聞くと、それはよくないと思う人は多いが、派閥がないと話が進まないことなんていくらでもある。
現に、高潔なままケイトを支持して褒めていたから、姉の派閥の貴族に暗殺されかけたのだから。
もしボーマン子爵の謀略が成功していたら、カーラ王女かエステル王女が後継者に決まっていた。
酷い話だが、正しいから勝つのではなく、強いから、先に手を打つから勝つのだから。
「次の王の母なんて、胡乱なことを言っているから、この国は混乱しているんだ。ケイトをラーベ王国の女王にすればいい」
「しかしながら、ラーベ王国では女王は認められていません」
「その決まりだが、ラーベ王国の法として残っているのか? 私が調べさせた限り、そんな法は存在しなかったが……」
そうなんだよ。
ラーベ王国では女王は駄目だって強く言うのに、その根拠となる法が見つからなかったのだ。
つまり、ただ長く続いている慣習でしかなかった。
「二人の王子が討死してしまったんだから仕方ないだろう。今は非常時だから、ケイトを女王にすべく動こうよ」
「ですが……」
「言っておくが、私はカーラ王女ともエステル王女とも結婚する気はないからな」
「それは……」
いくら男尊女卑でも、完全に婿に頼る王位継承なんてやろうとするから、ラーベ王国は混乱する羽目になったんだ。
「有事には、非常の決断をするしかない。それとも頑なに昔の決まりに拘って国を滅ぼすか?」
「……いいえ」
「ならば、覚悟を決めてくれ」
「わかりました」
今すぐケイトを女王にするという話ではないが、そういう将来を見越して、ルールブック侯爵には政治的に動いてもらう。
操者だけしたいなんて甘えは、もう決して許されない。
そしてそれが、ケイトの命を守ることにも繋がるのだから。