第百話 騒乱
「というわけで、しばらく世話になる。ゾフ王よ」
「……えっ?」
「せっかく講和を結んだのに、このような形になってしまって済まない。ああ、貴殿の正体については、私とアミン子爵、そしてリリーと彼女のお付きの二人しか知らないので安心してくれ。今のサクラメント王国で、ゾフ王の正体を知る者は一人もいない。なぜなら、最初に貴殿の正体に気がついたのは、ここにいるアミン子爵だからだ」
「……あの……それでサクラメント王国は?」
「グレゴリー様は重い病のため、陛下の末子であるケント様……実は、王宮で父に舞を披露した踊り子に産ませ、密かに城下で養育していたようですが……が立太子されました」
「私も、彼が立太子されるまでその存在を知らなくてね。父にやられたよ」
「とはいえ、ゾフ王国に大敗し、ファブル様まで討ち死にした今の陛下の力は見る影もなく、親子してお飾りというわけです」
「で、先日結んだ講和を無効として、ゾフ王国に攻め寄せてくると?」
緊急事態が発生し、私はゾフ王として仮面を被り、ある人物と謁見していた。
その人物とは、先日講和交渉でサクラメント王国側の全権大使を務めたグレゴリー王子とアミン子爵を名乗る貴族で、彼らは命の危険を感じてゾフ王国に逃げ込んできたと自ら説明した。
ゾフ王である私と対等な態度を崩さないのは、これからゾフ王国の力を借りてサクラメント王国の王になる気があるからだろう。
随分とムシのいい話に思えるが、グレゴリー王子には勝算がある。
まず、今のゾフ王国ならサクラメント王国の侵攻など容易に防げるが、ではサクラメント王国を完全併合するかと問われたら、答えはノーだ。
できなくはないが、これからゾフ王国内の開発を本格的に進めなければいけない時に、サクラメント王国の領地の面倒なんて見られない。
お金はどうにかなっても、まず人手が足りない。
もしサクラメント王国貴族たちを気軽に受け入れると、足を引っ張られる可能性が高いからだ。
それに加えて、サクラメント王国は歴史の長い大国なので貴族たちの名門意識が強く、どこの馬の骨とも知れぬゾフ王である私に忠誠など誓うわけがない。
簡単に他国を完全併合などできないのだ。
ゾフ王国側が強硬策に出ると旧サクラメント王国領が反乱祭りになって、なんのために併合したのかわからなくなる可能性もあった。
「(グレゴリー王子のサクラメント王即位を助けて、その謝礼を貰えばいいか)」
私の正体がグラック男爵だと知っている、という切り札もグレゴリー王子は持っていた。
最初、彼の腹心であるアミン子爵が気がついたようで、グレゴリー王子とアミン子爵、そしてリリー、ライム、ユズハしか知らない。
それにしても、リリーは私がゾフ王だと知っていたのか。
ここ数日、そんな素振りも見せずに楽しく学園生活を送っていたとは……。
さすがは、グレゴリー王子の妹というか……。
本人は兄に対し含むところがあるようだけど、やはり兄妹なのだなと思ってしまった。
「ただ、父や貴族たちも完全にバカではない。すぐゾフ王国に攻め入ることはないはずだ」
「それは、サクラメント王国としても軍備を整える必要があるということですか?」
「それもある」
「それもある?」
なんか引っかかる言い方だな。
確かにサクラメント王国がしっかりと軍備を整え終わると、数年後、またゾフ王国と戦争になるかもしれない。
しかも前回の復讐戦を兼ねているから全面戦争になる可能性が高く、向こうもそう簡単には引かないだろう。
ゆえに、急ぎ今のサクラメント王を引き摺り下ろす必要があるということか。
「となると、少数精鋭による王都急襲が必要となりますか」
サクラメント王国と普通に戦争をしていたら、なかなか王都は落ちないはず。
時間をかけたくないのであれば、リスクを取って王を優先して捕える作戦が有効だと私は思う。
「そのような策は、決して受け入れられないがな。グレゴリー殿がここに逃げでくる際に連れてきたのは、アミン子爵のみ。しかも夫君と違って、どうも貴族たちの支持を受けていないように思える。たとえ、サクラメント王国の王城にいる王に届き、その身柄を確保できたとして、そのあとグレゴリー殿と我が夫君が、貴殿の即位を認めないサクラメント王国貴族たちから、袋叩きにされては堪らぬ」
「これは、サクラメント王国が自ら生み出した混乱の後始末だ。自力でどうにかできないのであれば、ゾフ王国側で時間がかかっても、確実に錯乱したサクラメント王を廃除できる作戦を実行させてもらう。ゾフ王国軍の強化が終わるまで、グレゴリー殿下は大人しくしていてもらおう」
サクラメント王国の王城を奇襲する案は、アリスや他のゾフ王国貴族たちに反対されてしまった。
もし失敗して、私になにかあると困るからだろう。
そうなると、お互い戦力を集めて普通に戦争をするということか。
「となると、北上しながら、サクラメント王国の戦力をジワジワと削り、土地を占領していくしかないか……」
士官教育を受けている身だが、奇襲が駄目なら正攻法しかないと思う。
手間はかかるけど。
「だがその方法だと、さらに面倒になることは理解していただきたい」
「面倒なこと?」
時間がかかり、金と物資をバカ食いする普通の戦争で勝利しようとすると駄目なのか?
しかし、そう都合よく奇襲は成功しないだろう。
アリスとゾフ王国貴族たちは、俺になにかがあるのが一番困るのだから。
グレゴリー王子の言う『面倒なことってなんだろう?』。
そんなことを考えていたら、伝令が謁見の間に飛び込んできた。
「陛下! 宰相閣下! 大変です! サクラメント王国の大軍が、隣国リーアス王国へと侵攻、リーアス王国軍の魔晶機人部隊と交戦して大勝利。大損害を受けたリーアス王国は王都を守りきれずに放棄するとのことです!」
「なっ!」
「サクラメント王国は北部の隣国を攻め落として力を蓄え、ゾフ王国に挑むという方針らしいが、このまま放置するかね?」
そのままゾフ王国と戦っても勝てないから、北の隣国を併合して力を蓄える戦略か。
確かに時間はかけられないな。
しかし……。
「連合国の結束は脆いですね……」
王太子の暴走から、とんでもないことになってしまったな。
異邦者対策があるので、連合国同士の争いは貴族の紛争レベルに留めるという暗黙の了解はどこにいったのだろう?
「明文化されたルールというわけではないし、それを破った国に対し他の国は報復ができない。さらに戦争が広がってしまうからだ。父や暴走した貴族たちは、そこに賭けたのだろう」
「サクラメント王国を放置していたら、戦争が広がるのみですか……」
「私自身の欲がないわけではないが、父を引き摺り下ろす必要がある」
グレゴリー王子も、このまま他国に避難、亡命したまま人生を終えるのは嫌だろうから、気持ちは理解できる。
私としては、グレゴリー王子が新王になってサクラメント王国が安定してくれればいいのだ。
「グレゴリー殿、時間をかけられないというのなら、ゾフ王国の精鋭でサクラメント王国の王都を急襲、現王を退位させるしかないが、リーアス王国に出兵していない操者たちに強く妨害されたら、作戦の成功は覚束ないですよ」
他にも、王都にたどり着くまでにいくつも貴族の領地を通らなければならないため、彼らに抵抗されて時間がかかると、リーアス王国から増援が戻ってくるかもしれない。
この前のように、サクラメント王国が密かにゾフ王国領内に魔晶機人部隊を送り込んでいない保証がない以上、ゾフ王国の守りを疎かにできないから、戦力もあまり増やすことができないというのもある。
「私が駄目な操者で人気がないとはいえ、今回の父のやり方に不満を持つ貴族たちも多い。ファブル兄の暴走で、多くの操者と機体を失ったのだからな。当然、国内に残留している私のシンパたちが工作をしている。それと……」
「リリーですか?」
「ほほう、リリーか。実にいいことだ。彼女は優れた操者で人気も高いからな。彼女も従軍させる。私も操者として前線に立つ……」
「それはやめてください」
グレゴリー王子の腕前は決して褒められるものではなく、もし死なれると困るので、キャリアーで指揮をとってくれと懇願した。
「……わかった」
「では、急ぎ準備を……」
こうしてサクラメント王国への出兵が決まり、その準備に取りかかることを決めた直後、再び伝令が飛び込んできた。
「大変です! 絶望の穴から大量の異邦者が飛び出し、現地の連合軍総司令部と連絡が取れません! さらに、大量の異邦者が世界各地に飛び散ったそうで……」
「絶望の穴に派遣していた、ゾフ王国軍は?」
「連絡が取れません!」
「逃げていてくれればいいが……。グレゴリー王子、これは一日も早く戦争を終わらせないと……」
もしリーアス王国に主力軍を送っているサクラメント王国領内に異邦者たちが襲いかかったら、あっという間に蹂躙されてしまう。
「サクラメント王国は滅亡するぞ」
「ええい! バカ父め!」
グレゴリー王子は、自分の父親に対し激昂していた。
「ゾフ王国も防衛態勢に入る必要がある。絶望の穴に派遣した連合軍、無事に戻ってきてくれないかな?」
頑張ってキャリアー艦隊と魔晶機人改を配備し、操者たちを鍛えたのに……。
経験を積んだ操者や、キャリアーを動かせる船員たちは大変貴重な人材であり、それを失うことは大損害だ。
どうにか生き残っていてほしいと思う。
「サクラメント王国の派遣軍も、帰還は望み薄どころか、連合軍が全滅する規模の大異動がこんな時に……」
グレゴリー王子が嘆くのも仕方ないが、起こってしまったことは仕方がない。
世界中に飛び散ってしまった、膨大な数の異邦者たちからゾフ王国を守りつつ、サクラメント王国の王都に進撃するという、困難な作戦を成功させるしかないのだから。