3話
山から出るため、石段を下りていく。石段を下りるごとに段々と体が重くなっていく。
(……学校、行きたくないな)
足取りが重い理由は明確だ。学校に行きたくない。その理由に尽きる。学校に行った所で話し相手になるような友達はいないし、会いたくない奴らもいる。
どうにもならない、解決するはずもない考えが頭の中をぐるぐると廻っていく。
石段の終わりが近づき、赤い鳥居を通る。不気味な程静かだった山の中と違い、鳥居を通った瞬間から雑多な音が聞こえてくる。
(結界を抜けたか)
上手く言葉では言い表せないが、鳥居の中と外で明らかに空気が変わる。
結界の中では、悪霊や雑妖からちょっかいをかけられることがないため、安心感があるが、結界を抜けたらその守りがなくなり、漠然とした不安が心に広がる。
この不安感を抱えたまま、ここから40分かけて登校しなければならない。大きなため息を吐いてから俺は行きたくもない学校へ向けて歩き出す。
学校では目立たず、ひたすらに自分を消して過ごす。授業態度は真面目。休み時間は話しかけられることもないため、終始次の授業の教科書を読んでやり過ごす。
入学して3か月。周りを見るとある程度仲のいいグループが作成されている。もちろん俺はどのグループにも所属していない。完全に友達を作るスタートダッシュに失敗したからだ。
理由は明白。俺たち兄妹の悪評を流す奴がいるため、誰も俺に話しかけようとしない。
(……まあ、当たり前かな)
誰だって、幽霊や妖怪が見えるなんて吹聴する、虚言壁のある人間と好き好んで関わろうとはしないだろう。
それでも、それは小学校低学年までの話で、中学生になる頃には妖に関わらないように上手に立ち回ってた筈なんだけどな。
ある事ないことを吹聴して回る田淵の存在に辟易する。
……原因は確かに俺たちにあるかもしれないけど。それでも逆恨みで俺たちを貶めようとする田淵の執念には脱帽するしかない。
窓際の席で国語教師の退屈な授業を聞いていると、徐々に眠気が襲ってくる。普段から寝不足のため、睡魔に抗えない。
田淵の事を考えていたためか、授業内容よりも昔の思い出したくもない記憶を思い出してしまう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
小学校低学年の時は、他の人も幽霊や妖怪が見えてると思い込んでいた。そのためいろんな場所で幽霊に話しかけたりしていたためか周りからは気味悪がられていた。
だけど、その反省を活かし中学に入学してからは俺と緋色は上手くやっていたと思う。
――あの事件があるまでは。
中学1年の時、元いた小学校の同級生からは避けられていたが、他の小学校から入学した田淵は気さくに話しかけてきてくれた。
孤独だった小学校時代とは違い、夏休みには勉強会を行おうという話にもなった。
緋色は常に学年で5番以内に入る学力で、俺もその学力にあやかり、自宅ではよく勉強を見てもらっていた。だから成績は緋色ほどよくはないものの、そこそこの順位をキープすることができていた。
そのためか俺たちにも勉強会のお誘いがあり、初めてクラスメイトから休日に誘われた事で俺たちはすっかり舞い上がっていた。
家が広いからという理由で、田淵家での勉強会を開催することになった。
田淵家は想像以上に広く、立派な門があり紅家のボロボロの平屋とは全然違い、屋敷と言っても差し支えないほど厳かな建築だった。
仏壇がある和室に通される。この時勉強会に参加したのは、俺と緋色を含めて5人。男は俺と田淵。それとお調子者の岩橋。女子は小学校が一緒だった川下と緋色の2人だけだ。和室には長いテーブルを置いてあり、余裕で並んで着席することができた。みんなで夏休みの宿題をしたり、勉強を教え合ったりと各々自由に勉学に勤しんだ。
5時間ほど休憩を挟みながら勉強や宿題を行い、そろそろみんなの集中力が途切れそうになる頃おもむろに田淵が口を開いた。
聞けば、最近田淵家で怪奇現象が起こるとのことだ。深夜に物音がしたりたまに金縛りがあったりするらしい。
月並みな怪奇現象だと思う。だけど確かにこの家からは霊の気配がした。
しかし、この話題は非常にまずかった。この手の話から小学校の時同級生だった川下から俺たちの昔のことをいつ漏らすかと戦々恐々していたが、案の定お調子者の岩橋が話題に食いついた。
「息抜きに肝試ししようぜ」
時刻は夕方19時頃。日も暮れはじめた頃だった。
俺は乗り気じゃなかったが、夜物音がするという廊下や、使ってない物置などをみんなで見てまわった。
「やっぱりなにもないね。もう今日は解散しない?」
早々にこの話題を切り上げようと思って俺が発言する。この時は妙な胸騒ぎしかしなかった。
「紅さん達なら何かわかるんじゃない?」
俺たちの小学校時代を知る川下が触れてほしくない事を言う。
俺たちの小学校時代を知らない田淵と岩橋がどう言う事かと興味津々に川下に話を聞く。
「紅兄妹は霊感があるって事で、北岩小じゃ有名だったんだよ」
そうでしょう?と意地の悪い目つきで川下が俺たち兄妹の方を見る。
「でも本当は霊感なんてないんでしょう?みんなの気を引きたかっただけだよね」
挑発するように川下が言う。
――意地が悪い…….。
せっかく中学生になり、穏やかに過ごしていたというのにこんな所で躓くとは思わなかった。
「――いるよ」
波風を立てないように慎重に言葉を選ぼうとしている俺の横で緋色がポツリと呟く。
「……なんて?」
訝しみながら川下が聞き返す。
「だからいるってば。なんでみんな関係ないところを探しているのかなって思ったけど……。気づいてなかった?」
緋色の袖を引っ張り、俺は出来るだけ小さい声で緋色にだけ聞こえるように言う。
「売り言葉に買い言葉はやめとけ。昔みたいに理解されないでのがオチだって」
「でもこのまま嘘つき呼ばわりは嫌じゃない?……それに葵も気づいてる?このままじゃかわいそうだよ」
不機嫌な顔のまま緋色が言う。
――だったら証拠を見せてよ。
そう川下に言われ、引くに引けなくなった俺たちは、田淵から大きめの農業用スコップを借りて緋色が案内した隣の空き地に向かった。
緋色に空き地になにがあるのかと尋ねるが、葵も気づいてないの?と少し呆れられてしまった。
俺には田淵邸になにかしら霊の気配があることしか分からない。緋色の方が霊感が強いため、これから緋色が何をするのか検討もつかなかった。
空き地には所々雑草が生えていて、ブロック塀の隅に大きめの石が転がっていた。
石をどかして掘ってみてと、緋色が俺と田淵と岩橋に指示を出す。
引くに引けなくなった俺たちは黙々と掘っていく。1mと少し程度掘り進んだだろうか。段々と変な臭いがしてくるようになった。
どこから嗅ぎつけたのだろうか蝿が纏わりついてきて非常に鬱陶しい。
――なんだろう。この臭いは昔嗅いだことがある。
「おい!なにやってる!」
突然、俺たちに男が声をかけてきた。
男は大学生くらいで酷く取り乱した様子だった。
「ど、どうしたんだよ兄貴」
突然の大声に田淵が顔を上げる。
俺たちに突然声をかけてきた男は田淵の兄、田淵龍一だった。
「ここはうちの私有地だぞ!?勝手に掘るんじゃない!」
激怒しながら涼真のスコップを龍一が奪いとる。
「な、なんだよ兄貴。なんでそんなに怒ってんだよ」
いつもと様子の違う兄の姿に面くらいながら涼真が怯えながら会話する。
「涼真君のお兄さんがお父さんですか?」
緋色が興奮している龍一に声をかける。
「な、なんで……」
緋色の一言で元々青ざめていた顔がさらに青くなる龍一。
(涼真のお兄さんがお父さん?緋色はなに言ってるんだ?)
緋色の言葉の意味を考えながら、言われた通りに俺は作業の手を止める。
すると、静止を受けても黙々と作業をしていた岩橋のスコップから土を掘っていた時とは違う音が聞こえてきた。
「お、なんだこれ」
そう言って掘った地面から黒いゴミ袋に覆われたものを取り出す。
穴を掘る最中に破いてしまったのか、岩橋が持ち上げた袋からは液体が滴り落ちている。
その袋からはとてつもない悪臭が放たれていた。いつか嗅いだことのある臭いだ。
「うえっ!なんだこれ!くっせえ!!」
岩橋があまりの臭気にビニール袋を無造作に投げ捨てる。緋色と龍一の目の前に袋が落ちると、湿ったような音が短く空き地に響いた。
「なにしてるの!」
緋色が慌てて駆け寄り、破れた箇所から袋を広げていく。
ここで俺はこの嗅いだことがある異臭に気づく。
昔、料理をはじめたばかりの頃だった。その時も茹だるように暑い夏で、当時生ごみの処理の仕方を知らず、魚の内蔵や賞味期限が切れた豚肉をそのままゴミ箱に入れていたら翌日とんでもない異臭がして爺さんに怒られた事があった。
だけど、この臭いはその時の何倍も臭い。
緋色が上着を脱ぎ、ゴミ袋の中からなにかを取り出す。とても優しく、まるで赤ん坊でも抱きしめるように緋色がそれを胸の前で抱きしめ――
――赤ん坊?
嫌な考えが脳裏に浮かぶ。
先ほどの緋色が龍一に言った「お父さんですか」という言葉。ゴミ袋から漂う肉が腐ったような臭い。そして蝿から纏わりつかれながらも意に介さず、大事そうにそれを抱きかかえている緋色。
まさか……緋色が抱きかかえている「それ」は――
「ごめんね。こんなところで暗かったよね。怖かったよね。寂しかったよね……。ごめんね……。せっかく生まれたのに抱きしめられなかったんだね……。寂しかっただけなんだよね……」
緋色が腐り果てた赤ん坊だったものを優しく抱きしめて穏やかに語りかける。赤子だったそれの体色は黒く変色し、恐らく頭だったであろう部分から蛆が湧いている。
纏わりつく蠅や悪臭を意に介さず優しく抱きかかえている緋色の真っ赤な瞳からは大粒の涙が流れ落ちている。
霊感がある俺には見える。緋色が抱きしめている赤ん坊がすでに悪霊になりかけていることを。赤子だったものには、なにやら黒い靄のようなものが覆っていた。この黒い靄は見覚えがある。悪霊などを見かけると必ずと言っていいほど纏っている、恨みや悲しみなどといった悪感情が可視化されたものだ。
緋色が一歩、龍一へと歩み寄る。
「っひぃ!」
あまりの出来事に腰が抜けたのか龍一がその場へ座り込む。
「この子の名前は?」
緋色が問うも龍一は答えることが出来ない。そもそも望まれ祝福された子供だったなら、こんな無造作にゴミ袋に入れて埋められるなんてことはなかっただろう。
「うわああああああああああああ!!」
勢いよく立ち上がり、龍一が一目散に逃げていく。
逃げていく龍一を信じられないものを見る目で緋色が見つめているが、やがて視界から消えた龍一をに対する興味をなくしたのか、抱いている赤子をあやし始める。
「いい子ね。あなたはとてもいい子。……こんなところで寂しかったね。私でいいならあなたが眠るまでずっとそばにいるからね」
優しく語りかけながら緋色が赤子を大事に、とても大事そうに抱きしめる。
――――。
産まれて間もなく、言葉も知らない赤子だからか、言葉を発することはないが、体中を覆っていた黒い靄はなくなり、霊体になった赤子の表情はどこか安らかな寝顔だった。
「……次は優しいおとうさんと、おかあさんのところに産まれてこれたらいいね。眠たかったでしょ?今はゆっくりおやすみ」
緋色が優しく呟く。
だんだんと赤子の霊体が淡い藤色の光に包まれ消えていく。
「……おやすみなさい」
名もない赤子は安らかに成仏できたのだろうか。いや、あの表情を見るに、きっと成仏できたんだろう。尚も赤い瞳を潤ませながら亡骸を抱く緋色。俺には聖母に見えた。
しかし、他の人間からしたらこの時、緋色はどう見えたのだろうか。死体の埋まっている場所を正確に当て、吐きそうになるほどの異臭を放ち、原形も留めなくなりかけている腐りはてた赤ん坊の死体を泣きながら抱きしめる緋色の姿は。
正直、異質だったと思う。
その証拠に、その場に居合わせた川下と岩橋はあまりの恐怖に泣きながら嘔吐し、涼真も青ざめながらその場から逃げてしまうという阿鼻叫喚の地獄だった。
……あの後、警察がやってきて事情を聞かれてそれから――