2話
「――ぁぁぁぁあああああああああ!!!」
叫びながら目を覚ます。
夢から突然覚めたことにより、今まで見ていた夢と現実の違いに脳が混乱する。夢から目が覚めたというのに目の前は真っ暗で息ができない。
なにかが俺の口と鼻を塞いでいることにようやく寝ぼけた頭で理解する。
鼻腔に入ってくるのは干した布団のような太陽の匂いと少し甘い香り。顔には温かく、柔らかい感触がする。
ようやく俺の呼吸を妨げているものの正体を理解する。妹の緋色だった。
寝るときに何かを抱きしめる癖がある緋色。お気に入りの犬のぬいぐるみを手放して近くに寝ていた俺をぬいぐるみの代わりにしたという所だろう。
すごい力で抱きしめられているため身動きができない。近くになにかないか手を伸ばすと、なんとか近くにある顔と体のバランスがおかしい緋色お気に入りの犬のぬいぐるみを掴むことができた。
「こいつでも抱いててくれ」
バランスのおかしい犬のぬいぐるみを俺と緋色の間に無理やりねじ込む。ガッチリとホールドされていた緋色の腕の力が抜け、俺は解放される。
新たな抱き枕を手に入れた緋色は隣に敷いている自分の布団に戻らず、そのまま俺の布団で寝続けている。
最悪な寝覚めで完全に目が覚めてしまった。二度寝する気も起きないため、洗面所まで顔を洗いに行く。
蛇口を捻ると、5月とはいえ早朝の冷たい水が出てきて、顔を洗うのを若干躊躇させる。冷たい水に慣れるため、恐る恐ると顔を洗い、洗面台から顔を上げる。
鏡には中学生の頃より少しだけ成長した自分の姿が映る。染めてもいないのに老人のような白い髪。寝不足により解消されることのない目元のクマ。死んだ魚のような眼はドブのような腐った色をしている。それらコンプレックスの塊である目元を隠すため前髪を下ろし、肩まである長い白髪を後ろでまとめて銀の髪飾りで留めながら盛大な溜息を吐く。
いい加減、毎日同じ夢ばかりでうんざりする。中学生の頃から寝る度に見るのは昔の夢ばかり。もう二年も前のことなのに未だに鮮明に夢に見る。
(まだ早いけど朝食でも作るか)
未だ頭の中に残る悪夢を振り払うように頭を振り、台所に向かう。
朝食を作り終え、焼きあがったウインナーと目玉焼きを皿に盛っていると、廊下から木が軋む音と共に、パジャマ姿の緋色が台所にやってくる。
「……おはよう」
眠たげな眼をこすりながら、テレビの電源を入れながら緋色が朝の挨拶をしてくる。
「おはよう。味噌汁とごはんついでくれ」
レタスを千切り、胡瓜と共に皿に盛り付けながら緋色に指示を出す。
「あい」
大きなあくびをしながら緋色が炊飯器からご飯をもりつけ、リビングのちゃぶ台に運んでいく。
『――最近、巷を騒がせている男性だけを狙った連続殺人事件ですが――』
『――数年前から問題となっている新型麻薬のハーヴェストですが――』
テレビからは暗い話題ばかりが流れてくる。緋色が適当にザッピングして、ニュース番組に落ち着いたところで食事を開始する。
ごはんと味噌汁、ウインナーと目玉焼きという月並みな朝食を並べ、緋色と向かい合う形で食事をとる。
(……やっぱりあんまり美味しくないな)
いつからか、食事を摂るのが苦痛になってきた。味があまりしないばかりか胃は常に痛く、食事を摂取するとどうしようもないほど胃が重たくなる。
そんなこちらの思いも知らずに、正面で食事を摂っている緋色は美味しそうに食べている。
艶のある腰まで伸ばした黒髪。整った目鼻立ち。正座しながら食事を摂っている姿は凛としており、大和撫子という言葉は緋色に当てはまるのだろうと兄ながら思ってしまう。
なんともなしに緋色を見ていると、赤い瞳と目が合う。俺の白髪もそうだが、日本人とは思えないような血のように赤い瞳が緋色の特徴だ。
爺さんから聞いた話では、俺たちのように霊力が強い人間は、なにかしら身体に異常が出た状態で生まれてくることがあるらしい。
「どうしたの?」
小首を傾げながら緋色が尋ねてくる。首を傾げた際、肩にかかっていた黒髪がさらさらと胸元に流れていく。
「……いや。今日はなにをするのかと思って」
「私?うーん……。今日は錫が稽古つけてくれる日だから、里まで遊びに行ってくるよ」
錫さんは昔から俺たちに護身術を教えてくれる鴉天狗という妖怪だ。俺と緋色は霊力が小さい頃から強く、悪霊や妖怪に襲われることが多々あった。
今俺たちが住んでいる鬼火山には、山に住んでいる者に対して悪意あるものは入れないという強力な結界が敷いてあるため、悪意ある者たちは俺たちに手を出すことができないが、山から出たらその効果はなくなり、悪霊などから狙われやすくなる。だから自衛の手段として、小さい頃から錫さんが様々な稽古をつけてくれている。
「……そうか」
今日は月曜日。……平日だ。白岩高校に合格した俺たちは学校に行かなければならない。
俺は入学してから学校に通っているが、緋色は一度もまともに登校していない。
辛い思いをしながら俺は学校に行っているというのに、学校にも行かず遊びに行くと楽しそうに話す緋色を恨めしく思う。
「葵はどうするの?」
わかりきった事を聞いてくる緋色に若干イラつきを覚える。
「……学校に行くよ」
俺たちは学生だ。義務教育は終わったとはいえ、学生の本分は勉学だ。それに真面目に生きないと、捨て子である俺たちを拾ってくれた爺さんに申し訳が立たない。
「……そう。じゃあ山の外に行くのならおまじないしとくね」
そう言いながらおもむろに俺の額に手を伸ばし、人差し指で何やら文字を書いていく。体温が低い緋色の指と爪の感触が額から伝わってくる。
「……なんのまじない?」
学校にも行かず、いろんな妖や霊能力者から妖しげな術を習っている緋色。今まではこんなまじないなんてしたことなかったのに、今日はなんの気まぐれだろうか。
「それは内緒」
人差し指を唇に当てていたずらっぽく笑う。
「……まあ、害がないならいいけど」
(緋色の術なら安心か)
十中八九、悪霊や妖怪などから身を守る魔よけのようなものだろう。どこかの性悪姉さんのような符術の実験台にされることもないだろうし。
お互い食事を終えて流しに食器を運んで行く。食事は俺が作る代わりに、食器類は緋色が洗ってくれるようになっている。
食器を片付けた後寝室へ行き、手早く学生服に着替えて出発する。
「行ってきます」
いつものように玄関を出る際のお決まりの文句を言う。
「行ってらっしゃーい」
台所から緋色の声が返ってくる。
玄関を出て行きたくもない学校に今日も登校しなければならない。