★ 溝は深くなるばかり。 :05(完)
リンスはサシャと共に馬車に揺られギャロワ侯爵家につく。
元気なサシャとは対照的に、リンスは馬車の中ではいかにカナメが可愛いかと言う話を聞かされ続けヘトヘト。噂のギャロワ侯爵夫婦に会える楽しみのお陰で持ち堪えたものの、体力やら精神を半分は削られている。
案内で玄関ホールに入るとサシャは一目散に、出迎えにきていたカナメに抱きついた。
サシャが自慢していた「母上に似た、美しい新雪の様な白銀の髪なんだ」が光を浴びてキラキラと輝き、サシャの腕の中で嬉しそうに笑っている。
(うん、こんな弟なら可愛がりはする)
ひとしきり抱きしめ気が済んだらしいサシャは、カナメの手を引いてリンスの前に立ち
「私の学友のリンス・アントネッリ。アントネッリ伯爵家の三男だよ」
カナメは子供らしい目でリンスを見上げ
「ギャロワ侯爵家次男のカナメ・ルメルシエと申します」
「お兄様にはいつも良くしていただいています。今日と明日、お邪魔します」
「はい!もしお時間があれば学園でのお話を聞かせてください!お兄様……ええと、兄の話も聞きたいです」
ぼくのことはカナメとお呼びください。と言うから「わたしの事はリンスで結構ですよ」とリンスも言う。カナメは少し悩んでから「リンスさん」と言った。
素直なところも可愛らしい。そんな事を素直に考えたのがブラコンに届いたのか、サシャの目つきが怖かった。と後にリンスは告白している。
玄関での挨拶の後はギャロワ侯爵夫婦に挨拶をし、客室に案内され、その後はサシャに誘われ東屋へ。
そこではメイドが茶器と茶菓子を用意しており、カナメが待ちきれないとソワソワして待っている。
二人を見つけるとブンブンと手を振る姿は、およそこの名家の次男とは思えない無邪気さがあった。
「素直で可愛いだろう?あの子は普通の子なんだ。怖がりで、泣き虫で。だから身内だけしかいないこの家では、家族はもちろん使用人たちも、カナメにはカナメらしく過ごしてほしいと願っていてね。外ではあれで十分私の弟らしくあれるよ」
「顔に出ていたか?」
「もう少しポーカーフェイスになった方が、文官をやるにしてもいいと思うくらいには。でもまあ、そんなお前だからカナメが一足飛びで懐いたんだと思う。腹のたつ事に。そこそこイラっとするくらいに」
「心狭くないか?」
そんな話をしていればワクワクしているカナメの待つガゼボに到着する。
サシャは当然の様にカナメの横に陣取り、甲斐甲斐しく世話をやく。
周りの使用人はそれを温かく見守っていて、これがこの家の普通なのだとリンスは理解した。
カナメが『おれ』と言い出し、リンスも『俺』と言うまでに時間はかからず、場が和んで話題が切れた時だ。
リンスも自分で自覚している以上に緊張をしていたのだろう。カナメとの会話でそれが解かれた瞬間、フト、この間サシャから吐露された事を思い出した。
リンスが「そんなに構いまくってて、お兄ちゃんうざーとかならない?」と純粋な疑問として聞いてしまった時。
その時サシャはこの世の終わりの様な顔で「そう思っていたら死んでしまう。そんなこと、あの天使は言わないと思うが……そう言うものなのか?私はごく一般的な兄弟間のやりとりしかしていないが、弟は兄を面倒に思う日が来るものなのか?」と落ち込み、その日からしばらく生きた屍の様な状態だったのだ。
それを今、緊張が解けたリンスは思い出してしまった。そして好奇心が優ってつい、聞いてしまったのだ。
「サシャお兄ちゃん、カナメくんに過保護でブラコンで、なんでもしてあげたいってしょっちゅう言うんだけど、12歳だしそろそろお兄ちゃんのそう言うのちょっと……ってならない?」
それを今聞くのか!と顔に出したサシャに紅茶を淹れてもらっていた──お兄ちゃんは甲斐甲斐しく弟の世話を焼きたいのである──カナメは目をまん丸にして
「お兄様はブラコンなの?ブラコンってなあに?あと、お兄様過保護じゃないよ。ちょっと心配性なだけなんだよ。おれのこと、すごい好きだからだ心配するのは普通って言ってるし、おれもお兄様が好きだから心配とかするし、同じだよ。こんなにおれを大切にしてくれるお兄様を嫌いになったりしないよ!おれも、お兄様大好きだから!」
と言い切った。
サシャは「カナメ、本当に可愛い」と抱きしめているし、リンスが周りを見れば「ですよね。そう言いますとも」という顔の使用人ばかり。
その上、サシャの、学園にもついてきている従者からはこっそり「この話題で、今日は1日、サシャ様に寝かせていただけない可能性もございます。いかにカナメ様が自分を思ってくれているか、カナメ様をどれだけ思っているか、そんな話で朝を迎える事になるかと……」と同情めいた顔で言われた。
「無自覚弩級の過保護ブラコンと、それを心配性で片付ける弟。無敵の組み合わせかよ」
リンスの呟きを拾った使用人たちは無言で頷く。
これはカナメが学園に来たら大変な事になるんだろうな、と言うリンスの予測は現実になり、リンスがいかにフォローしようともサシャの“超弩級のブラコン”が白日の元にさらされるのである。
しかしそんな近い未来を予測したリンスでも、よもやそれよりももう少し先の未来、対外関係主席顧問の補佐官となったサシャと共に対外関係顧問の補佐官として働き、生涯この超弩級のブラコンが暴走しない様にフォローする一人になるのなんて、思いもしなかっただろう。
その流れで「お前も大変な役割で大変そうだな」なんてマチアスに肩を叩かれる日が来る事だって、思いもしていないだろう。
それでも人のいい彼は「友人をやめようと思ったことは一度もないよ。あいつ、超弩級のブラコンだけどいい男なんだよ」と笑って言うのだ。
もちろん最後に「でも、ブラコンとか言っても無駄だぞ。あいつ、自分は『ただの心配性のお兄ちゃん』としか思ってないから。下手に突くなよ。一晩、その話題で寝かしてもらえなくなるからな」と付け加えるのだろうけれど。
とにかく、認識という溝は深まるばかりである。




