面影 紗々羅の話 ―理由―
面影の前に現れた謎の人物。そしてあの少年のようなものの正体とは?
あの逢魔が時の出来事の翌日、面影は千手街のはずれにある古民家の前に立っていた。
正確には古民家を改装して、店のようにしている建物である。
すりガラスでできた引き戸の上には木製の看板でこう書かれていた。
「万事屋 輪廻堂」
面影はあの女性が渡してきたメモを確認し、どうやらあっているらしいといった風に軽くうなづいた。
意を決して引き戸を静かに開ける。
店内は静まり返っており、とても誰かがいるようには思えなかった。
「お、お邪魔します…」
内装は目の前が広めの上り框になっており、正面に文机、座布団が2つ、後ろには大量の物が入りそうな和箪笥がコの字を描くかのように鎮座していた。
しかし相変わらず人の気配はない。
目を凝らして店の奥に続くであろう暖簾の隙から人影がないか見てみるがどうにも店内が薄暗く、奥の様子をうかがい知れることができない。
「ごめんください…」
もう一声かけてみたが相変わらず返事はない。
一度出直そうかと考え始めたとき、面影の後ろの引き戸ががらりと音を立てて開いた。
と、同時にはじけるような明るい声が面影の背よりやや低い位置から聞こえた。
「おや、お客さんが来ていたとは!」
面影が驚いて振り向くとそこには一人の人外が立っていた。
上半身には、深緑の羽織に橙の着物のようなものを身に着け、腕には手甲を。
腰には藍地に炎のような形の上に三つの丸が並んだ模様の前掛けをし、動きやすいように黒の袴の裾をやや絞ったものを履いていた。
この町では珍しくない羽織と同色の髪の両横をそれぞれ軽く縛り、頭には小さな白い角、耳は子ヤギのようであった。
二つ程奇妙だったのは白目が反転し、黒目になっており、足は山羊のもののままであったことである。
この町に住む人外は人と暮らすため、人間の姿を模しているものが多い。
人とは違う耳や尻尾が生えていることや、目が一、二個多かったり少なかったりするものは居れど、足の一部などが丸々人でないというのは大変珍しいものとされていた。
実際、面影が通う高校もそういった生徒はほとんど居らず、彼女にとっては初めて出会った存在であった。
しかし、異様さを醸し出しながらもその山羊の人外は極めて気さくに話しかけてきた。
「ごめんなさい、驚かせてしまって。僕は秒といいます。時計の秒針の秒と書いてのぎ、と読むんです。あなたのお名前は?」
「あ、ごめんなさい、私は面影といいます」
「えと、そんな!謝らないでください!僕が驚かせてしまったのが悪いんです…」
「い、いえ、私も名乗らず失礼なことを…」
やや謝罪合戦になりそうな気配がし始めたとき、店の奥に続くであろう暖簾からやや大柄な影が顔を覗かせた。
「秒、帰ったのか?」
凛と心に沁みるような落ち着いた声とともに影は姿を現した。
全体的に白を基調とした秒によく似たものを身に着けていたその人は、頭に白い狐の耳、白い尾を生やし、秒と同じように獣の足をしていた。
「あ、店長!起きたんですね!」
「うん、起きた。それでその人はお客さんか?」
青く透き通った瞳が面影を捉え、彼女は視線に促されるようにここに来た理由を話し始めようとした。
「うん。とりあえずここに座りなさい。そして秒、お茶を入れてあげなさい」
そう店長と呼ばれた者は片方の座布団を指し示し、面影は促されるように靴を脱いで上り框に足をかけた。
「それで、どうしてここへ?」
店長こと「永遠」に促されてようやく面影は昨日の夕刻にあったことを話した。
適度に相槌を打ちながら永遠は話を聞き終えると、眉間にしわを寄せ、少し考え込むような仕草をして口を開いた。
「面影さんといったね?本当に厄介な存在に目をつけられたね」
「…あの子はどんな存在なんですか?」
永遠は目を軽く伏せ意を決したように話し始めた。
「…彼は、酷く危険な存在だ。いつも夕暮れ時に姿を現し、声を掛けた者を襲う。それだけではない。そうして次の日の夕刻、声を掛けた者が1人になったところを狙い、この世界から存在を消してしまう。そういう存在だ」
「…今日も1人だったのに、どうして…」
「いや?1人ではないぞ?」
「え?」
面影は考え込む、どう考えても自分はいつも通りに1人で下校したはずだった。
「…昨日、助けてもらったと言っていた人物がいたな?渡してきたものを見てもいいか?」
永遠にそう言われた面影は、自身のポケットからあの猫耳と尻尾を生やした人物からもらったメモを取り出し、文机の上に置いた。
永遠は文字が書いてある部分を裏にし、手をメモの上にかざし、横に薙ぐように動かした。
落ち葉が風にさらわれて下にあったものが現れるかのように1つの模様が現れた。
ソレはこの輪廻堂の前掛けにも書かれている模様であった。
現れた模様を見て、永遠は目を見張った。
「そうか、あの方の関係者か…」
「あの方?」
「…面影さん、今日から家の者を貴女に護衛として付ける」
「何故です?」
面影は意味が分からないと言った風に眉間にしわを寄せた。
「…かなり込み入った事情があってね」
気にせず永遠は話題を逸らすと手を叩き、奥に向かって呼びかけた。
「眞白!お前に仕事ができた!来てくれ!」
こうして彼女はこの町の不可思議なものを目にしていくことになるのだが、それはまた別の話。
謎の人物はどうやらとある方の関係者のようです。果たして面影は何に出会い、知ってしまったのでしょうか。それは物語が進むにつれて明らかになっていきます。
次々回以降もお楽しみに。