4話 お願い(前編)
喧嘩の騒動から一夜明け、翌朝。
今日も今日とて、僕は日課の掃き掃除をしていた。
見上げれば、青い空に白い雲。昨日ほどの快晴っぷりでは無いものの、依然それをするには恵まれた天候だった。
本当は昨日にもレイズ様にお願いをして、こんな空の下でそれをするつもりだったけれど、例の騒動があったために話を切り出すことができずにいたのだ。
そんなワケで、日も跨いだ今日ならレイズ様も大丈夫だろうと判断し、これからレイズ様にお願いをしようと考えていた。――の、だが、一つ根本的な問題があった。
というのも。
「レイズ様、毎回お断りになるんですよね……」
僕がレイズ様の弟子になってからずっと頼んでいることなのだが、今まで一度も承諾してくださったことがないのだ。
理由はだいたい決まっていて、「面倒くさいから」。
偶に「研究が忙しいから」と言うくらいで、あとはもう面倒くさいの一点張りなのだ。
一方の僕は、お願いしている立場に加えて弟子という立場である以上、抗議する権利など無く、「分かりました」と返すばかりだった。
そしてまた後日お願いをして、呆気なく断られる。
これがいつもの流れだ。
「……まぁそもそも、今日はまだ眠っていらっしゃいますし」
寝起き直後に頼みごとをされて気分がいい人は、ほぼいないだろう。況してや、普段から怠惰な人はなおさらだ。
――まぁ焦る必要はないですし、昼食の時にでも頼むとしましょう。最悪また後日で。
とりあえず自分にそう言い聞かせ、僕は掃き掃除を終えようとした。――すると、その時。
「おっはよー! 朝からご苦労様だなー、グロアくんっ!」
ガチャリ、と玄関の扉が開いたかと思えば、中からヴィヴァスさんが朗らかな表情で出てきた。
まだ起きてそんなに時間が経っていないのだろう、ヴィヴァスさんは薄黄色のネグリジェに身を包んでおり、髪の毛の一部がぴょこんとはねていた。
「あっ、ヴィヴァスさん。おはようございます」
「どうしちゃったのさー、そんな辛気臭い顔しちゃって。もしかしてレイズと何かあった?」
そう言うと、ヴィヴァスさんは心配そうに顔を覗かせてきた。しなやかな金髪が揺れると同時にふわっと甘い香りが漂ってきて、僕は思わず目線を逸らしてしまう。
「あっ、いえ、その……別に大したことでは――」
「じゃあなんで目を逸らしてんの? 本当はレイズとの事で不安に思ってるんじゃないのか?」
さらにグイグイと顔を近づけてくるヴィヴァスさん。
柔らかそうなその唇から、か細い息づかいが聞こえてくる。
――誰の所為で目を逸らしていると思ってるんですか!
僕は内心でそう叫ぶが、当然声に出せるはずもない。
なにせ、相手は師匠のお姉さん。
本人を目の前にして言ってしまえば、「僕はあなたが師匠の姉であるにも関わらず、あなたに劣情を抱いてしまっています!」と告白するも同然なのだ。
だから。
「……はい」
僕はヴィヴァスさんの言葉に首肯せざるを得なかった。
まぁ、悩んでいたのは悩んでいたし、これを言っても問題はないだろう。
「ほらやっぱりー!……で、何に悩んでるんだ?」
「はい。実は、僕に魔法の稽古をつけていただくようお願いしたいんですが……」
「……ですが?」
「毎回断られてしまっているんですよね……」
僕がそう言うと、ヴィヴァスさんは「あー」と苦笑いを浮かべて頷いた。
流石は実のお姉さん。理由を言わなくても察してくれたようだ。
そもそも本来は自分がきちんと魔法を扱えれば依頼しないで済む話。それ故に、僕は説明していて小っ恥ずかしくなってしまった。
すると、ヴィヴァスさんは少しの間思案げな表情を浮かべていたが、やがて何かを閃いたかのように口角を上げて、その言葉を口にした。
「あっ、じゃあさ、私が稽古してあげようか?」
「……えっ?」
「いやぁ、私、魔法学園に通ってるから、こう見えても魔法を扱うの得意なんだよなっ!」
言われてみれば、確かに手紙にも魔法学園の友だちとの出来事が記されていた。しかも内容は、浮遊魔法での競争でぶっちぎりの一位だったこと。魔法を扱うのが得意という話は、恐らく本当なのかもしれない。
何より伝書鳩を利用せず、自らの豊富な魔力と巧みな技術を用いて手紙を鳥に変身させて、この小屋まで飛ばしてきたのがその証拠だ。
そんな人に教えてもらえるのなら、レイズ様に無理にお願いする必要もない。まさに願ってもない話だ。
「いっ、いいんですか!?」
「もちろん!」
「やったぁ! ありがとうございます!」
僕は嬉しさのあまり手を広げ、箒を手から離してしまう。だが、それを見たヴィヴァスさんが瞬時に反応し――。
「……っと、危ないな。まったく、そんなに嬉しいかよ」
呆れたように笑いながら、箒を差し出してくれた。
「ははっ、すいません。でも、本当に嬉しいんですよ! ずっと願っていたことなので……!」
「そっかそっか! まぁ、いいってことよー。それに、日頃レイズがお世話になってるみたいだし、そのお礼ってことで」
「重ね重ねありがとうございます」
「ははっ、もうお礼はいいって!……よし、そうと決まれば、早速練習に入ろっか!」
そう言うとヴィヴァスさんは、「準備してくるからちょっと待ってて」と言い残し、張り切ったように小屋の中へと戻っていった。
一方、残された僕もまた念願の稽古を目前に、心踊らせつつ掃除の片付けに取り掛かるのであった。
お読みいただきありがとうございました。
後編はグロア君とヴィヴァスさんがそれぞれの思いを語るようです。お楽しみに。
それでは、次回もまたよろしくお願いします(→ω←)