3話 喧嘩(前編)
ヴィヴァスさんが小屋に来た翌日の朝。
今日、僕はレイズ様にあるお願いをしようと考えている。
――今日こそは……今日こそは、教えてもらいますよ!
胸の内で自分の覚悟を再確認しつつ、僕は日課である庭の掃き掃除を黙々とこなす。空を見上げると、そこには雲一つとして無い青空が広がっていて、それをするには絶好のチャンスだった。
「……よし!」
掃除も終わった。後はレイズ様が起きられるのを待つのみ。起きているといいんだけど……まぁ、せっかくヴィヴァスさんが帰ってきた事だし、きっとまだ一緒に眠っていらっしゃるでしょう。
「ただいま終わりましたー」
小屋へ戻ると、やはり、レイズ様はまだヴィヴァスさんと眠っていた。
昨日はあれだけヴィヴァスさんを嫌がっていたレイズ様だったが、今はヴィヴァスさんにギュッと抱きついて眠っている。きっと心の奥底では、お姉さんを完全否定することは出来ていないのだろう。
なるほど、もしかしたらレイズ様にはツンデレ属性が備わっているのかもしれない。うん、やっぱり尊いわ。
僕はレイズ様たちの様子に目を細めながら、ホウキを入り口横の壁に立て掛けた――その時だった。
――ドスン。
「うびゃぁっ!!」
突如として、謎の物音と悲鳴が小屋中に響き渡った。
いきなり大きな音がしたもので、僕の心臓も大きく飛び跳ねてしまった。何事かと思い、音のした方を振り向くと、そこには――。
「んもぉ、なぁに……。いたいよぉ……」
ベッドから転げ落ち、仰向けになってしまっているレイズ様がいた。寝起きモード故、いつもよりふにゃふにゃとした喋り方だ。
僕は慌ててレイズ様に駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか、レイズ様!?」
「……ぐろあぁ、たすけてぇ」
「分かりました、とりあえず僕の手に掴まってください」
「……うん」
小さな右手が僕の右手を掴む。プニプニとした柔らかい感触だ。
「おぉ、赤ちゃんみたい」
思わずそんな感想を漏らしてしまう。
けれど、その言葉が気に食わなかったのか、レイズ様は。
「……子ども扱いしないで」
と、これまたプニプニのほっぺを膨らませながら、立ち上がった。まだ13歳の子どもじゃないですかレイズ様、と言いたくなったのは僕だけではないはず。
そんな内心を知る由もないレイズ様は、眠たげな瞼をこすって、僕を見上げながらじっと見つめた。
「どうかしましたか?」
僕の問いに、レイズ様は。
「……はぁ、お水飲みたい。……グロア、持って来て」
と、いつもの調子で言った。どうやら寝起きモードから通常モードに切り替わったらしい。
「はい、分かりました」
僕は、腰を痛そうに擦るレイズ様を横目に、水を取りにキッチンへと向かった。
因みに、レイズ様が落ちた原因は、ベッドの上で横向きになり、正拳突きをしながら足をバタバタと走らせているあの人だろう。
いや寝相のクセが強くない? どんな夢を見てるんだ?
★―★―★
水瓶からコップに水を注ぎ、キッチンを出ると、リビング兼寝室では騒がしい事になっていた。
というのも。
「レイズー、本当にごめんね! 痛かったでしょう? こんなお姉ちゃんでごめんねぇ!」
「……うざい、ひっつかないで」
「そんなこと言わないでよぉぉぉぉ!」
目が覚めたヴィヴァスさんが、椅子に座っているレイズ様の足元で泣きついていたのだ。
一方のレイズ様は、机の上に両肘を突き両手で頬杖をついている。大方、眠っている間にレイズ様を突き落としてしまったのを、ヴィヴァスさんが謝罪している所なのだろう。
この瞬間だけ見れば、姉妹の立場が逆転しているように見えて仕方がない。
「あのー……お水、お持ちしましたよ」
僕は二人の間に割って入るように、コップをレイズ様の前に置いた。
「……ありがとうね、グロア」
「いえ、お安い御用です」
僕はレイズ様と軽く言葉を交わす。すると。
「ねぇぇグロアくぅん」
「えーっと……どうしましたか、ヴィヴァスさん?」
「レイズが許してくれないよぉぉ」
そう嘆きながら、ヴィヴァスさんは僕の足元に縋りついてきたのだ。この人に姉としてのプライドは無いのだろうか……?
「そんな事を言われましても、僕にはどうも出来ませんよ。寝ていたとはいえ、突き落としたのはヴィヴァスさんなんですし」
「うえぇ……で、でもぉ」
「……はぁ、分かりましたよ。ヴィヴァスさん、とりあえず一回落ち着いてください」
僕はヴィヴァスさんの頭をポンと触れて宥める。ヴィヴァスさんの実年齢は知らないが、まるで妹二人の喧嘩を仲裁する兄のような気分だ。
「……レイズ様、ヴィヴァスさんも反省しているようなので、許してあげてください」
僕はレイズ様の方を振り向く。ヴィヴァスさんも恐る恐るレイズ様の方に振り向いた。
すると、なんという事でしょう。そこには、光の宿っていない瞳で、ジトっとヴィヴァスさんを見下すレイズ様がいるではありませんか。
ベッドから落とされた上に、プライドのない泣きつくような謝り方をされては、そりゃそうなりますか。
しかし、ただただ暗闇が渦巻く瞳は、その矛先が僕ではないにも関わらず一瞬で僕の血の気を冷やした。
僕でさえそうなったのだ。当然、その視線が突き刺さっているヴィヴァスさんは――。
「…………ぁ」
やはりとも言うべきか、身体をガタガタと震わせて、口をぽっかりと開けたまま声にならない声を発していた。さながら、蛇に睨まれた蛙のようである。
一方でレイズ様は、閉ざしていたその口を開く。だが、放たれた言葉は強烈なもので。
「……ヴィヴァ姉、大嫌い」
その一言はヴィヴァスさんの突き刺さったようである。 それ故か。
「…………」
気がつけば僕の手から感触は消えており、ヴィヴァスさんは床に横たわって撃沈していた。それはもう、口から魂が出かかっているんじゃないかというほどに。
シスコンのヴィヴァスさん故に、大好きな妹からの「大嫌い」という言葉は一撃必殺だったのだろう。まぁ、自業自得ではある。
だが、レイズ様のお言葉はそれだけに止まらなかった。
「……グロアも嫌い」
あの闇に包まれた瞳と「嫌い」の一言を僕にも向けてきたのだ。え、どうして? と、内心で困惑する僕を他所に、レイズ様は椅子から立ち上がる。
そして、地下室へと続く階段を、いつもより音を立てながら降りて行ってしまった。
残された僕は呆然としながら、抜け殻となったヴィヴァスさんを見つめた。
「なんで僕まで嫌われたんですか、ヴィヴァスさん……」
彼女に問うたが、返ってきたのは沈黙だけだった。
このままでは流石にまずい。そう感じた僕はとりあえず。
「すいませんヴィヴァスさん、ここで寝られては困りますので、お布団の方に移動させますね」
と、ヴィヴァスさんを持ち上げ、両手で抱えてベッドまで運ぶ。そして運び終えると、レイズ様が座っていた椅子の向かい側の椅子に座り、ほうっとため息を吐いた。
「あぁ、どうしてこうなったんでしょうか……」
レイズ様に頼み事をしようと思えば、ヴィヴァスさんと共に嫌われてしまって、頼むに頼めなくなってしまった。
失礼かもしれないが、ヴィヴァスさんが嫌われた原因は察しが付く。だが、僕は何かしてしまったのだろうか?
考えてみるものの、思い当たる節がない。唯一あるとするなら、昨日、レイズ様がヴィヴァスさんに引っ付かれていた時に、僕は傍観するだけで助けなかった事だが……そんなに引きずっていたのだろうか?
「うーん……」
とりあえず朝食でも作りながら考えよう。
そう心に決めた僕は、朝にも関わらず暗闇に包まれたその部屋を後にしたのだった。
「……塩と砂糖間違えた」
お読みいただきありがとうございました。
まだあまり描写できていないですが、この作品のキャラたちはみんな可愛いなぁと、個人的には思っています。
さて、険悪な雰囲気になってしまった3人は、今後どうするのでしょうか?
それでは次回もまたよろしくお願いします(→ω←)