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読んでくれたらちょっと嬉しい

ポエムでポン

作者: 阿部千代

 プーティーウィッ? 世界の箍が外れつつある。骨組みが錆びつき、土台はぐらついている。いま、かなりの数の人が人類の悲惨な未来を想像しているはずだ。

 おれの住んでいる土地は、虐殺を虐殺と断罪することのできない腰抜けどもが統治している。醜悪な差別を繰り返した人物が、国家政府の一員として、悪びれずに演技じみた笑みを浮かべる姿を動画投稿サイトでばらまいている。杉田さんよ~。あんたって人は本当に……。

 こいつらをクソと言わず、なにをクソと言うのだろう。腹の底からむかついてむかついてたまらない連中、そいつらを指差し嘲笑いを浮かべる連中、どっちもどっちと我関せずの連中、論破ゲームに夢中の連中。クソはクソなんだよ。クソだからクソ。放っておくわけにはいかないだろう。これ以上、調子づかせちゃいけないだろう。おれは嫌なものは、嫌だから、嫌、なん、だっ! プーティーウィッ?


 怒りっぽいやつだ。すぐ怒る。こんちくしょうめ、おれだってこんなことは書きたくないぜ。読んでくれている人が、明らかに引いているのがわかるからな。なぜだかわからんが、わかるんだよ。なんかこう……感じるんだよ。サーッと引いていくのがさ……。

 本意じゃないですよ。不本意ですよ。おれだって人気者になりたくないわけじゃないからな。振り切ってるようで全然振り切ってないからな。めちゃめちゃ迷いながらやってるからな。でもやっぱり捨て置けっぱげねえじゃん!? こっちだって葛藤しながらこういうこと書いてんだよ。ちくしょう、人気者になんてなってたまるか。おれがちやほやされている未来を想像してみろ。……オエッ。だろ?

 正論がどうこうとかクソどうでもいいんだよ。正しいも正しくないも知らねえよ。ただむかつくだけなんだ。単純にむかつくだけなんだけど、もしかして、こんなにむかつくおれがおかしいのか? 別にいいもん、それでも。ぶつぶつ。



 詩の話をしてみよう。

 詩、というおれにとっては謎の文学表現がある。うむ。おれには詩がわからないのだ。詩とはいったいなんだろう。詩を詩たらしめているものはなにか。詩と詩ではないものを分け隔てるものはなにか。よい詩、わるい詩、ふつうの詩。その基準は一体どこにあるのか。長年のそんな疑問がありつつ、時折思い出したように詩というものを書いてみたりしていたのだが、まあ正直なんの手応えもない、よくわからない軟弱な文字の固まりができるのが常であった。


 高校生の頃、中原中也の詩集を妹から奪い取って、読んでみたことがある。感想は、ううんわからん……というものであった。みょーん、みょーん、ゆやゆよーん、しか覚えていない。いやうろ覚えなので、合っているかも怪しいが。こんな感じのオノマトペが使われていたはずだ。あれは一体なんの詩だったのだろうか。

 また大人になって、誰かから宮沢賢治は童話もいいが、詩がとにかく凄いんだ、と聞いたので、どれどれと宮沢賢治の詩集を読んでみたこともある。確かに、綺麗だなとは思った。いちいちの言葉のチョイスがにくらしいほど素敵だ、そう感じたが、そういう感覚は宮沢賢治の童話の方でもふんだんに味わえることなので、やっぱりおれは童話の方がいい、という結論に至ったのであった。


 そんな感じで、詩というものに少なからずコンプレックスを持っていたのである。なぜおれは詩の良さが理解できないのか。仕方のないことではあるのだが、どこか悔しい。なんだか歯がゆい。自分が、もののあはれを感じとれないセンスの足りない人間に思えてくる。

 考えてみれば、おれは俳句などの良さもさっぱり理解できないのであった。圧縮された表現が苦手なのかもしれない。突き放さないでくれ、ちゃんと説明してくれ、という気分になるのかもしれない。でもうまく説明できない感覚を言葉にするのが、詩なんだよな、きっと。だったらおれが理解できないのも無理のない話なのでは、とちょっと自分をかばってみたりもする。でも、実際に詩のよさを理解できている人がいるわけで。なんなんだ詩って。ほんと忌々しい。おれは頭をがりがりと掻きむしる。


 アレルギーですな、と医者なら言うと思う。体質だからどうにもできませんな、そう言う。そんな、先生! あんただけが頼りだったのに。おれはそう言ってむせび泣く。

 詩よ、どこまでおれを苦しめれば気が済むのだ。


 昨夜遅く、ここ小説家になろうで詩についてのエッセイを読んだ。なにぶん寝ようとしていたところだったので、細かいことはよく覚えていないが、書いた方曰く、詩を書いている人は、詩を書きたい人と詩を書ける人の二種類に分かれるそうだ。ううむ。さすが詩人。わかったようなわからないような、だがなんとなくわかった気になれることを書く。

 そして、その方ははっきりとこう書いていた。私は詩を書ける方の人間だ、と。おお! と思った。なんかすげえ、カッコいい! おれは嬉しくなった。こういう人は大好きだ。自信はないより、あった方がいいに決まっている。例え根拠はなくったって、不特定多数の人に自分が書いたものを喰らえと突き出しているのだから、ある程度の自信がないと嘘になる。おれだって、まあまああるからね、自信。ふふん。だって結構よく書けているだろう? んん? ほとんどのやつにシカトされてるけどな。すぐに悪態つくからかな。けっ。


 まあそのあと、その方の詩を読んでみて、うんさっぱりわかんない、とはなったんだけど、それはそれ。その方の詩がどうこうじゃない。おれの問題。

 だけどなんかその方に影響されて火がついちゃってね。詩をね。書こうと。おふざけなしで、恨みパワーもなしで。ピュアな心で。全力全開で。書いてやると。おれは書きたい側なのか、書ける側なのか、はっきりさせようぜ、と。そんな心持ちで詩にとりかかりましたよ。

 ううん。あれですなあ。やはり私には、詩がわかりませんなあ……。私がやっておるのは、あれ、言語パズルなんですな。雰囲気ことばのパズルもじぴったん、なんですなあ……。あれを、詩だ、とはちょっと……主張しづらいな、と。やっぱり詩ってわけわからん! けど、憧れちゃうなあ! という結論が出たところで、今夜はこのへんで。お相手は阿部千代でした。

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