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最後のねこまんま

作者: 遠山枯野

「氏政どのぉおお、大好物の汁かけ飯にござるぞぉおお~ 存分に召し上がれぇええ~」


 真田昌幸はお椀に盛った飯を差し出すと、円を描くようにだし汁を垂らしていった。湯気が立ち上り、椎茸と鰹節の出汁の利いた香りが朝の澄んだ空気の中に広がった。


 昌幸は頭を上げ、あらためて石垣山の山頂に目を向けた。豊臣秀吉が築き上げた一夜城が見える。


 天正18年(1590年)、小田原城は豊臣秀吉の天下の大軍勢に包囲されていた。その最中、小田原城を見下ろす山頂に現れた敵城であった。


 森林に囲まれた山頂で密かに築城を進め、完成したら周囲の木々を伐採する。小田原からは一夜で城が現れたかのように見える。秀吉がやりそうな演出だ。


「さぞ、驚かれたことでございましょう。難攻不落の小田原城といえども、それを見下ろすあの山に一夜にして敵城が現れたのですから、家臣たちの動揺も計り知れぬこと。逃げ出す者も後を絶たなぬと聞きまする。


 秀吉を甘く見ておられましたな。なにゆえ、はよう降伏なさらなかったのです。家康の尽力もあって、息子の氏直殿は助命されましょうが、そなたは腹を切るより他ありませぬでしょう。汁かけ飯もこれが最後となりましょうな。」


 昌幸は手に持つ瓢箪(ひょうたん)を傾けて口の中に酒を流し込んだ。


「それにしても、氏政殿よ、沼田領(群馬県沼田市)の件ではわしらとずいぶんやり合いましたなぁ。わかっておりますぞ。あそこはそなたの所領じゃと言いたいのじゃろう。しかし、本当にそうじゃろうか。


 あそこはそなたら北条と上杉が何度も奪い合ってきた土地じゃったな。天正8年にはわしが上杉の許可を得て攻略し、わしら真田の領土にした。天正10年に御屋形様(武田勝頼)が織田信長に滅ぼされた後は、わしは信長に従属し、沼田領も譲渡することになった。ところが本能寺で信長が打たれると、武田旧領は大混乱。そなたが滝川一益を関東から敗走させて空白地帯になったところをわしが再び奪い返したというわけじゃ。


 そなたら大大名と違い、小勢力だったわしが苦労を重ねて切り開いた土地なのだ。そうやすやすと手放すことなどできようか。


 その後、徳川とそなたら北条で武田旧領を争っておったのじゃが、最終的にわしが徳川に付いたことで形勢が決まり、そなたは徳川との和睦を決断したのじゃったな。その和睦の条件の一つに、わしらの沼田領を北条に譲渡する、というのがあった。なんとまあ、家康め、勝手に決めおったのじゃ。わしは怒りに震えたわ。だから、わしは沼田に居座り、再び上杉に付いた。家康が上田城を、そなたが沼田城を攻めてきおったが、結局、わしがそなたらを追っ払ってやった。あのときの家康の大敗っぷりは無残じゃったのう。千二百の兵で七千の兵を打ち破ったのじゃ。真田の怖さを思い知ったじゃろうな。


 やがて秀吉が天下をほぼ手中に収め、家康もわしも秀吉の配下になり、そなたたちも散々逆らったが、結局は秀吉に従属することを決意した。秀吉は沼田の領有権をめぐる問題も査定してきた。沼田の2/3をそなたたちに譲渡するという折衷案を出してきたのじゃ。


 引き渡しの日のことを覚えとるぞ。わしとそなたとの間で戦が起こらぬようにと、北条氏の軍勢は千人程度に限定するようにと秀吉から命令が出ておった。ところが、そなたは二万の軍勢で布陣してきた。どういうつもりじゃったのかのう。


 それはそうと、引き合わたしも済んで、沼田城と権現山城(ごんげんやまじょう)がそなたらのもの、名胡桃城(なぐるみ)がわしらのものとなった。ところが沼田城を治めていた、そなたの家臣の猪俣邦憲(いのまた くにのり)が名胡桃城に攻めてきおった。秀吉の惣無事令(そうぶじれい)を破り、許可なく戦を起こしたわけじゃ。これには秀吉も激怒、今回の小田原征伐と相成ったわけじゃ。そなたが大阪城になかなか参上せぬ上に、約束も破って戦をしたのじゃから、自業自得じゃの。


 実はのう、あれはそなたらを落としめるための罠じゃった。けっ、けっ、けっ・・・。わしとの秀吉との間でこうなることを最初から見通しておったのじゃよ。これで沼田はすべてわしのものじゃな。」


 昌幸は、残りの飯の上に二回目の汁をかけてやった。


「そなたは二度がけが好きじゃったのう。いやいや、決して嫌味を申しているのではございませぬ。そなたの父上のあれはとんだとばっちりじゃったのう。


 そなたは汁を何度かつぎ足しながら汁かけ飯を食うていた。それをご覧になった父上、氏康殿が、毎日、食う飯にもかかわらず、それにかける汁の分量も満足に測れないのか、とお嘆きになったという。その程度の判断ができぬものに、領国を治めることや家臣を束ねることができようか、と。


 しかし、そなたは暗愚などではない。ただただ、じっくりと攻めるのがそなたのやり方じゃったな。そなたは慎重なのじゃ。武田、上杉、徳川とさんざんやり合ってきたそなたじゃ。暗愚なわけがあるまい。それにそなたは関東の民からも好かれておる。汁かけ飯のような庶民の質素な食事を好むことからもわかるわい。なかなか大阪に参上しなかったのも、優柔不断でもたついていたわけではないわい。これだけの広大な領土を支配してきた誇りがあったのじゃろう。


 しかし、そなたは頑なすぎた。もっとうまく立ち回るべきじゃった。天下人の二十二万の兵を相手にしてはさすがに、無理じゃ。五十以上もあった関東の居城も次々と落とされ、忍城と小田原城を残すのみになってしもうた。


 秀吉に最後まで抗いたかったのじゃろう。そなたにも理想とする国の姿があったのじゃろう。表裏比興(ひょうりひきょう)の者と呼ばれているわしとは真逆じゃな。それはそれであっぱれ。そなたこそ最後の戦国大名じゃ。」


 もう一人、客人が現れたようだ。昌幸はそちらにも汁賭け飯を差し出した。


「おお、家康殿もこられたか。そなたもお召しになるか。そなたは天ぷらだったかのう。あいにく、ここにはそんな高価なものはなくてのう。汁かけ飯で我慢なされ。家康殿も大変じゃったのう。婚姻で同盟を結んだ北条を救いたい一心で、本来なら滅ぼされるはずのところを秀吉殿に駆け寄ってくれた。それなのにこんなことになろうとはなぁ。


 そうそう、そなたともずいぶんとやり合ったのう。上田の合戦、今でも恨んでおるか? はっ、はっ、はっ・・。そもそもそなたが氏政殿と組んでわしを暗殺しようとしたのが悪いのじゃぞ。そなたもわしほどではないが、裏で何を考えているかわからぬのう。まあ、わしがしてきたことを思えば、暗殺したいほどに憎まれるのも仕方なしか、ふ、ふ、ふ」


 昌幸は再び最初の客人の方を向いた。


「氏政殿、そなたの作り上げた国は徳川殿が引き継いでくれよう。そして沼田はわしにまかせよ。結局はわしの望み通りになったのう。いやぁ、乱世を泳ぐは愉快じゃあ。」


 昌行は客人に手を差し伸べた。その時だった。


「うおおお! 痛え! 何をなさる、氏政殿! ち、血が・・・」


 昌行は傷口を押さえてうずくまった。







「ち、父上、こんなところで何をなさっております!」


「うううぅぅぅ、おっ、幸村か、そなたも来ておったのか。氏政殿にやられたわ。」


 次男の幸村も陣を抜け出して、小田原に来ていたようだ。


「氏政? 何のことか存じませぬが、猫が餌を食べているときに、手を出したらそうなりますよ。」


「そうか、そうか、よっぽど汁かけ飯がうまかったのじゃのう。」


「その隣にいる狸は何ですか・・・」


「知らぬ間に来ておったので、餌をやっとったのじゃ。」


 幸村はあきれ顔でにらみつけてきた。


「どこで何をしているかと思えば・・・敵兵に見つかる前に陣に戻りましょう。」



 この汁かけ飯は、猫に与える残飯を連想するような簡便な混ぜ飯であり、「ねこまんま」とも呼ばれた。江戸時代中期~後期には、貧富の差が広がるとともに貧民のみならず身分の低い武士でさえもが飢えに瀕し、安価で調理の簡便なこの()()()()()が流行した。 当時は、鰹の産地として名をはせていた静岡や和歌山、鹿児島産の鰹節が多く使われたという。


 一方、慶長5年(1600年)、関ケ原の合戦で勝利した家康は、豊臣に代わって天下を治めることになる。第一次に続いて、第二次上田合戦でも徳川の大軍を散々苦しめた昌幸は、家康から死罪を言い渡された。徳川方に付いていた長男・信之や本田忠勝の嘆願で助命されたが、九度山(和歌山県)に配流された。そこでの生活は困窮を極め、信之からの仕送りで何とか凌げるほどであった。再起の夢も叶わず、六十五歳の生涯を終えるまでに、()()()()()にもお世話になったことであろう。

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