闇の首魁
教育機関において、切っては切り離せぬ存在なのが年中行事というもので、教師も生徒たちも、あらかじめ定められた予定表に従い、つつがなくこれを進行させることが求められる。
それは、大決闘大会の優勝者が闇の魔術を習得し、学院から脱走するという大事件が起こった後でも同じ……。
何しろ、翌日に開催を控えたこの行事は、ゲオグラーデ魔術学院の威信にかけてでも必ず開催し、成功させねばならぬそれであるのだ。
――光術祭。
歴史深きゲオグラーデにおいては、最も最近に開催されるようになった行事である。
いわば、数多存在する年中行事の中において新参者と呼べる存在であるのだが、しかし、最も力を注がれている催しであった。
その理由は、他でもない……開催される理由にある。
――終戦記念。
かつて、この大陸全体を包み込み、多くの人命が失われた魔法大戦……。
その終結と、闇の魔法使いに勝利した記念の宴として、今日まで続いているのがこの催しなのだ。
ゆえに、生徒の一人が闇の攻撃魔術に手を染めていたと判明した今だからこそ、学院は例年以上の盛大さでこれを開催し、損なわれた信頼を取り戻そうとしているのであった。
そこに、一生徒の感傷が入り込む余地はない。
例え、その生徒が、この国で最も貴き血筋の少年であったとしても……。
「みんな、張り切ってるな。
あんなことがあったのが、嘘みたいだ」
生徒たちの箒に結び付けられた巨大な資材が、空中を運ばれる……。
その生徒――アルフォート・バティーニュは、そんな光景に目をやりながらそうつぶやいた。
「何しろ、一年に一回のお祭りですから……。
わたしも、入学してから初めての光術祭なので、とても楽しみです。
殿下は、その……。
やはり、複雑なお気持ちですか?」
隣でベンチに腰かけた一年生……。
マリアの言葉に、苦笑いを浮かべながらうなずく。
「我ながら、引きずっているとは思うんだけどさ……。
この光術祭は、魔法大戦の集結と、闇の魔法使いに勝利したことを記念した催しだ。
やっぱり、ミヤのことを意識せざるを得ないよ」
「ミヤさん、今頃はどうしているのでしょうか……?」
「さあ、分からないな……」
溜め息を吐き出しながら答えた。
「僕はいずれ、この国を背負う立場だ。
こういうことがあっても……。
いや、あったからこそ、すぐに切り替えられるようにならなきゃいけないんだけどね」
「――その通り」
そんな会話を交わしていると、唐突に割り込んでくる者が現れる。
一体、いつの間にここへ近づいていたのだろうか?
その老人は、ドワーフの血を引いているとも噂されるほど、でっぷりとした体つきをしており……。
真っ白な髪とあごヒゲは、腰の辺りまで伸ばされていた。
彼を知らぬ者など、この学院にいようはずもない。
「校長先生」
「先生、お疲れ様です」
校長先生――ヴィタリー・トラフキンに、マリア共々立ち上がって会釈をした。
「はい、ありがとう。
そう、かしこまらなくてもいいのだよ
若者同士の歓談へ、水を差したかったわけではないのだから……」
ビール樽めいた腹を揺さぶりながら、校長先生が温和な笑みを浮かべる。
最も偉大な魔法使いの言葉は、それそのものに魔力が宿っているようで……。
そうしてほほ笑みかけられると、何やら心が暖かくなるような気がした。
「ただ、人生の先達として、時には助言をかけねばならない場面もある。
アルフォート君。
例の事件があってから、君のことはそれとなく見させてもらっていた。
どうも、君はミヤ君が行ったことを、自分自身の責任として感じているようだね?」
校長先生にそう言われて、嘘をつけるはずもない。
アルフォートは、静かにうなずく。
「……はい。
婚約者だった身として、彼女の変化に気づくべきだったと」
「それを言ってしまえば、わしたち教師とて、監督責任というものがある。
ただ、先ほど君が言っていた通り、何事にも切り替えというものは必要だ」
そう言いながら、校長先生が周囲を見回した。
祭りを明日に控えての、総仕上げといったところか。
中庭から見回してみると、校舎の中では生徒も先生たちも忙しそうに動き回っており、催しや出店の準備を行っていた。
アルフォートがこれに加わっていないのは、気をきかせた学友たちから任せておいてくれと言われているからなのである。
「とにかく、気分を上向かせようとあがいてみれば、案外、心は後からついてくるものだ。
かつての大戦を経験した身として、わし自身、この祭りには思うところがある……。
しかし、今を生きる者が楽しく騒いでやることこそ、失われた命への弔いであると、そう信じているのだよ」
「先生……」
「校長先生……」
――魔法大戦。
アルフォートたち世代にしてみれば、半ば昔話となっている出来事を実際に経験した者の言葉は、黄金のごとく重さを兼ね備えていた。
「だから、君もひとまずは、大いにこのお祭りを楽しみたまえ。
どうやら、それを共にしてくれる子もいるようではないか?」
少しだけ茶目っ気を覗かせた先生にそう言われ、思わず隣のマリアを見る。
視線を向けたのは、アルフォートだけでなく、彼女も同じであり……。
互いの視線が交わると、何とも言えない気持ちになって顔を反らしてしまった。
きっと、今、自分の顔は赤くなっているに違いない。
「ほっほっほ……。
若いというのは、いいのう。
今年は、わし自身もちょっとした余興を行うつもりだ。
二人共、楽しみにしておいておくれ」
大いに照れる男女を残し……。
校長先生はそう言って、中庭から立ち去ったのである。
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ゲオグラーデ魔術学院の校長室というものは、この国にもう一つ存在する玉座とも呼べる場所であり……。
様々な書物や秘宝に囲まれた室内で、ヴィタリーはどかりと椅子に腰かけた。
「やれやれ、若者同士の恋路を後押しするのも大変だわい……」
そう、独り言を漏らした後……。
すぐに、表情を切り替える。
そうした彼の顔は、普段の温厚さが打って変わって冷徹そのものであり……。
もし、生徒が今のヴィタリーを見たならば、別人かと勘違いするかもしれない。
その状態で、ヴィタリーはしばし瞑目し……。
交信状態に入った使い魔を通じ、こう呼びかけたのである。
『ルボスよ。
……首尾はどうか?』
学院の生徒も教師も、決して知らないもう一つの顔……。
闇の魔法使いとしての顔が、そこにはあった。




