間違い
それからの数日は、ミヤにとって全く未体験な出来事ばかりであった。
どうやら、忘れるべき森という名がついているらしいこの森……。
そこで、採集や狩猟を行い糧を得るのである。
ドラコーン公爵家の令嬢として育った身としては、ただ森の中を歩くだけでも難儀するものであり……。
恥ずかしながらも、至るところでイルやピエールの手を借りなければならなかった。
例えば、今、地面を隆起させた木の根に足をつまづかせたこの瞬間も……。
「――うっ!?」
「――と、大丈夫か?」
背中に目でも付けているのだろうか……。
先を歩いていたはずのイルが、俊敏に振り向き、ミヤの体を支えてくれる。
そうすると、自分から抱きつきに行ってしまったような格好になってしまったが、このような場所にあっては、少女らしいときめきを感じることなど不可能であった。
「無理する必要はねえ。
少しずつ、森での歩き方に慣れていけばいいんだ」
そう言ってくれるのはありがたかったが、足を引っ張り続けている身としては、どうしても恐縮してしまう。
果たして、イルの家へ厄介になって以来、どれほどの迷惑をかけてしまっただろうか……。
代表的なところでは、寝室を譲られたことだろう。
「母さんから聞いているぜ。
家族じゃない男女は、寝室を分けるんだろ?
俺は毛布さえあればどこでも寝れるから、こっちはミヤたちが使ってくれ」
彼はそう言うと、唯一存在する寝室をミヤたちに明け渡し、自分は居間で眠ることを選んだのだ。
正直、ミヤとしてかなりほっとさせられたが、突然押しかけた身でありながら寝室を使わせてもらうというのは、何とも言えぬ罪悪感がある。
それだけではない。
初日、森の一角に存在する洞窟へ行った時など、散々であった。
「わっ……。
ミヤ様、大丈夫ですか?」
今のように足を滑らせそうになっては、腕を触手状に伸ばしたピエールに引き寄せられ……。
「おっと、危ねえな。
こいつは毒があるから、噛まれたらやばいぜ?」
いつの間にか足元へ這い寄り、噛みつこうとしていたヘビをイルが掴み取った時には、肝を冷やした。
「このままだと、帰る前に日が落ちちまうな……。
今日は俺一人で先まで行って塩を採ってくるから、二人はここで待っててくれ」
結局、ミヤたちを中途に残し、イルは一人で洞窟の最深部へ向かい、目的の岩塩を採取してきたのである。
狩りの際にも、散々足を引っ張った。
まず、獲物を捌くことができない。
「よし、かかっているな。
こいつはシノビギツネだ。
俺の杖にも芯材として使っていてさ。すこぶる用心深くて、探しても見つけることはできない。
頭もいいから、滅多に罠にはかからないんだが、こいつがかかるなんて、運がいいぜ」
そう言いつつ、罠にかかって足を捕らえられている灰色のキツネへ、彼は歩み寄り……。
「――よっ」
何ということもないかのように、その喉元へ刃を突き立てたのである。
悲鳴など、上げる暇さえなく……。
――ビクリ。
と、身を震わせたキツネがたちまち息絶え、地面に血を……命が存在した証を流してゆく。
「せっかくだ。
記念に、ミヤが捌くか?」
イルは笑顔でそう言いながら、短剣をミヤに差し出してきたが……。
「――うぷっ」
「わわ、ミヤ様! 大丈夫ですか!?」
当のミヤは血を見ただけで吐いてしまい、それどころではなかった。
その他、炊事に洗濯などなど……。
ミヤが役に立てたことなど、皆無といってよい。
はっきりといってしまえば、今も獣に化けて先行しているピエールの方が、遥かに役立っているのだった。
「……ごめんなさい。
私は、足を引っ張ってばかりいる」
その罪悪感が、口をついて出たのだろう。
転倒しかけた状態から立たせてもらいながら、我知らず謝罪の言葉を述べていた。
「さっきも言ったけど、気にする必要はねえ。
最初から、何でも上手くできる人間なんていないんだろ?
俺だって、森へ出るようになった最初の頃は危ない目に何度も遭ったし、その度に母さんが助けてくれた。
なら、今度は俺が助ける番だってだけの話さ」
母親なる人物の教育が良かったのか……。
あるいは、本人の資質によるものか……。
いや、きっと両方なのだろう。
仮面のせいで、一見すれば硬質な印象も受ける少年は、どこまでも鷹揚で暖かな人間であった。
それが、ますますミヤの申し訳なさを加速させるのである。
「確かに、最初から何もかも上手くやれる人間なんていない。
けど、それにしたって、私はあまりに役立てていない。
ただただ、あなたが溜め込んだ食糧を消費してしまっている」
地面を見ながら、ささやくようにそう言った。
「なあに、その内に色んなことができるようになるさ。
ミヤたちが闇の攻撃魔術って呼んでた魔法、たった半年で使えるようになったんだろう?
母さんから筋がいいって褒められた俺でもそうはいかなかったんだから、きっと例の学院って場所じゃ、大活躍だったんだろうな。
その調子で――」
「――大活躍なんかじゃ、ない」
半ば……。
半ば、八つ当たりのような口調で、彼の言葉を遮る。
感情というのは堤のようなもので、一度決壊してしまえば、溢れ出すのは実に容易なものであった。
「私は、誰の理解を得ることもなく、先生たちを傷つけて逃げ出した。
マリアが闇の魔法使いで、何かを企んでいるという予感はある。
でも、確証は掴めてないし、あなたのお母さんだって話を聞いてる限り、悪人じゃない。
私は、間違えた……!」
「ミヤ……」
仮面の少年は、何を告げたものかも分からないようで、立ち尽くしていたが……。
しばらく考えた後、腰袋から水薬入りの小瓶を取り出すと、ミヤに差し出した。
「これは……?」
「活力を与えてくれる薬だ。
まあ、飲みな。
体が疲れてる時ってのは、心も弱っちまうもんだ。
ピエールには悪いけど、少し休憩しよう」
そう言うと、言葉通りにその場で座り込んでしまう。
ミヤは、どうしたものかと迷ったが……。
ひとまず、ハンカチを取り出して地面に敷き、そこへ座り込んだ。
それから、渡された小瓶の中身を一口飲む。
水薬というものは、往々にして味がひどいものであったが……。
「甘い……。
それに、体がぽかぽかとしてくる」
「だろ?
ハチミツで整えてるんだ」
イルが、唯一、仮面に覆われていない口元へ笑みを浮かべた。
「まあ、聞きな。
ミヤは心苦しく思ってるみたいだけど、本当に俺は嬉しいし、楽しいんだ。
一人でいる時ってのは、生きることだけに精一杯で……それ以外の気持ちや考えってのが、何もなかった。
人間っていうのはきっと、誰かがいてくれないと張り合いを持てない生き物なんだ」
「それは、あなたに甘えていい理由にならない」
「別に、甘えてるわけじゃないだろうさ。
甘えてるなら、そんなことは言わねえ」
地面へ直接座り込んだイルが、頭上を見上げる。
「さっき、間違ったって言ってただろ?
それは、本当に間違えたんじゃないかと俺は思う。
ミヤはどうも、自分でどうにかしなきゃって思いが強いみたいだけどさ……そうじゃないだろ?
誰かに頼ったっていいし、相談したっていいんだ。
せっかく、色んな人がいる場所にいたんだから」
「そう……だったんだろうか」
学院のことなど何も知らない少年に言われ、考えた。
確かに、教師陣を始め、現代の魔法使いは闇の攻撃魔術に対する忌避感が強すぎるとは思う。
だが、自分は理解を得ようとせず、ばかりか、先生たちをある種の役立たずと決めつけ、自分だけでどうにかしようとしていたではないか……。
結果、今、自分はこうしてここにいる。
誰にも頼らなかったのだから、当然といえば当然の結末であった。
「母さんが言ってた。
過ちは、次への糧にすればいいって。
頼ってくれよ。
とりあえずは、俺とかピエールをさ」
「……うん」
自分でも、意外なことだが……。
ミヤは素直に、うなずけたのである。




