25、クラウン
「ど、どういう事ですか?」
昼過ぎに女性が一人で訪ねて来たかと思ったらヌーンの街から逃げて来たという衝撃的な話だった。ヌーンの街は未だにあの仕組みに囚われているようだ。
「シャロン…シャロンさんは私に旅人の書類をくれて私は娘と街を出られました。でも彼女はまだあの街に居ます。ヌーンの街は。」
「ええ、街の仕組みは知っています。それよりシャロンは俺の妹はまだ街の中なんですね?」
「そうです。私と娘を助ける為に……本当に…ごめんなさい…荷物は全てお返しします。お金も少しずつ返します。すみません。」
なんだって街の中。だったら彼女はもう街から出る事は叶わないかもしれない。
「妹が命がけで貴方達を助けたなら俺も貴方達を助けます。とにかく今は教会にいた方がいい。もしも未だにクラウンが生きているなら貴方達を地の果てまで追いかけてくる。なるべく村人には会わないように帰りなさい。」
俺がクラウンと言った途端に体を震わせ始めた。やっぱりまだ居るのか。
「クラウン…クラウンは今も…いえ……分かりました。娘を神父さんに預けっぱなしなので早く帰ります。」
「ええ、気を付けて。」
女性を送り出し玄関の鍵を閉める。あの日からデイビッドは見かけないし勿論、ケネスも戻ってこない。
「お嬢様、俺はどうすれば?10日待った方がいいんですか?それとも……。」
こんな事になるならやっぱり一緒に行けば良かった。
「一旦、目の前の事だけに焦点を当てましょう。結局はデイビッドさんが来るまでヌーンの街には居なくてはならない。それならここは最適、何とか情報を集めながら待とう。」
よしじゃあそれまでここで生き延びないとね。他の事は深く考えるのはやめましょう。不安は削ぎ落とさないと。
「とにかくフィンにはどんな作戦を使っても勝てない。という事は分かったから無駄な抵抗はやめて大人しく言う事を聞く。」
そうと決まれば寝よう。今はすること無いし。
「ただいま、いい子にしてたみたいやね。」
ソファで眠っていたところをキスで起こされる。殴りたい。
「おわっ、びっくりした。」
「これ。」
手渡されたのは肌触りの良い長めのカーディガン。
「あ、ありがとう。」
急にどうして?私の言う事を聞く気になったんだろう?
「自分が寒いって言うから買うてきてん。」
私は戸惑いながら受け取る。フィンはソファに座って私が着るのを笑顔で待っている。
「ありがとう。大事にする。」
腕を通してボタンを閉める。正直、ズボンくれやって感じだけどないよりはまし。
「それと明後日来るって。」
「ああ、写真の。」
あえて名前は言わない。デイビッドさんが本名で活動してるか微妙だし。活動て。
「うん、人を連れてくるって。」
「分かった。」
「その時は同じ様なドレスに着替えて仮面を着けて俺の隣に居てもらう。」
「ええ。」
「そんな緊張せんで大丈夫よ。あいつもどうせ仮面かローブを深く被ってるかであんまり顔は合わせへんし。俺はまたちょっと出なあかんからご飯とか大丈夫?」
「お腹は空いてない。」
「じゃあ寝室に移動しよか。」
案内された寝室はシンプルなキングサイズのベッドとランプのみ、窓は布がはりつけてあって外は見えない。
「あの布は外さんといてな。」
「分かった、言う通りにする。」
「うん、じゃあ行ってくるわ。おやすみ。」
自然に頬にキスされる。この人は本当に……。
「行ってらっしゃい。」
「さあ朝ご飯でも食べに行こか!」
うるせっそしてさむっ!布団を勢いよく捲られて起こされる。世界で一番不愉快な起こされ方。
「不愉快だな君は!」
「なんでやねん。朝飯奢るって言うてんのに。」
ニッコリと私の手を引く。
「じゃあ着替えをちょうだいよ。こんな服で外出たら風邪ひくわ。」
「しゃーないなー。男もんしかないけどええな?」
「ええ。」
私の言葉を予知していたのか既に後ろ手に服を持っていて渡してくれた。
「はい、じゃあ外で待ってるから。」
「ありがとう。」
服をさっと着替えて髪を手で抑えつけて外に出る。フィンがすぐに手を握って歩き始める。早いし有無を言わさない。
「さあここやで。」
まあ普通の喫茶店。中に入っても普通の喫茶店プラスバーっぽい雰囲気もある。
「いらっしゃ……いませ。どうぞこちらへ。」
カウンターの中に居たおじいさんウェイターさんがフィンの顔を見て表情を凍らせた後、震えながらテーブルに案内される。
「ありがとー。じゃあ俺はアイスコーヒー、シャロンは何にする?」
「じゃあ私も同じアイスコーヒーで。」
「畏まりました。」
「朝ご飯食べたいからメニューくれる?」
「あっはい!こちらです!お決まり次第お呼びください、失礼致します。」
さっとメニューをひろげて颯爽と消えてしまった。フィンへのおじいさんの対応に私も震えそうになる。
「さあ何食べる?」
「えっああ。うん。」
「ふふふ、ここの息子に借りがあるからな。ここはクロワッサンとフレンチトーストがオススメやで美味しいしめっちゃ大きい。お腹いっぱい食べや。」
「じゃあフレンチトーストとコーンポタージュ。」
「ええやん。俺はクロワッサンとミモザサラダとミネストローネにしよ。おーいベイカー爺さん。」
「はい!すぐに!」
また颯爽と現れてオーダーをとってくれた。鉛筆を持つ手が震えていてぎこちなく笑っている。おじいさんがキッチンに戻るとお客さんが2人入ってきた。
「おーーフィンじゃねーか、朝飯か?」
赤髪、オールバックの若い男がフィンに気が付いて話しかけてきた。こちらをチラチラと見てくる。
「ここのクロワッサンは美味いからな。そっちは夜勤明け?」
「ああ、朝から飲める店はここぐらいだからな。」
「そうやね。」
ニッコリと答える。私はあの笑顔が怖くなってきた。震えはしないけど。よく見ると1人は昨日の守衛さんだ。えーっとゲイル?って呼ばれてたな。
「ゲイルもおはよー。」
あってた。
「ああ、お嬢ちゃん昨日の。」
「うん、あの後意気投合して俺ん家に泊めてん。」
「ほおそうか。お前は本当に手が早いな。」
「なんもしてへんって。」
「家に泊めてそれはないだろ。良いなー顔がいい奴は。」
若い男がフィンを小突きニヤニヤしながら笑う。
「お待たせいたしました。アイスコーヒーです。お食事もすぐにお持ちします。」
アイスコーヒーと小皿に入ったチョコレートが机に置かれる。
「ありがとうございます。」
私はおじいさんにお礼を言ってコーヒーにミルクを入れて飲む。美味しい!味わい深い。
「礼儀正しいお嬢さんじゃん。フィンはやめて俺と遊ばない?」
急に手を握られてびっくりして男の顔を見る。口を開く前にフィンが優しく手を剝がしてくれた。
「彼女はもう俺の女やからやめてな。」
フィンがニッコリしながら低い声で言う。男は少し怯えてフィンをもう一度小突く。
「なっなんだよ冗談だって。」
「ほら飲むんだろカウンターに座ろう。フィン邪魔したな。」
ゲイルという人が男を連れて離れて行った。
「ごめんな。怖かったよな、悪い奴ちゃうんやけどいっつも俺のおこぼれを貰おうとするねん。」
「へ、へえー。」
チラッとさっきの赤髪の男を見るとゲイルとビールをあおっている。私が見ている事に気が付いて赤髪の男がチョコレートを食べながら私にウィンクしている。
「シャロンは偉いね。」
「何が?」
私は視線を戻しコーヒーを飲みながら答える。
「だって言えばよかったやん。こいつに監禁されてるって。助けてって。」
私ははっとして周りを見たがもう遅い。二人はもう私達を見ていないしおじいさんはキッチンに居るのか姿が見えない。
「自分、ほんまに顔に出るなぁ。」
腹立つけど、私はここで逃げても仕方ないデイビッドさんに会わないと。
「まあ写真の人に会わないといけないからね。」
「そうね。」
そういえば頑なにフィンもデイビッドさんの名前を出さないな。
「お待たせいたしました。お食事お持ちしました。」
「あー俺ら二人共チョコレート苦手やから片付けてくれへん?」
「あっはい。畏まりました。ではごゆっくりどうぞ。」
「ありがとう。」
フィンはいつものニッコリでお礼を言った。
このおじいさん、心の中ではよ帰れって思っているんだろうな。食事を乗せていたお盆にチョコレートの小皿を乗せキッチンに戻っていった。
「さあ食べよか。」
「ええいただきます。」
鉄板に乗ったアツアツのフレンチトーストを切ってホイップクリームをナイフで少し乗せて大きく一口。
「美味しい!ジュワってなる!ホイップクリームも甘いのがいい!美味しい!」
卵液がシンプルで絶妙に美味しい。
「良かったわぁ。」
「本当に美味しい、あんたも一口食べる?」
「うん。」
フレンチトーストを切ってホイップクリームをつけてフォークに乗せて渡すと手を掴まれてあーんさせられる。
「美味いなぁ。最初からかかってるメープルシロップも美味い。」
「確かにシロップも美味い。」
一度フォークを置いてコーンポタージュを飲む。美味しい…けど家で作った方が美味しかったなぁ。
「ふっ確かにスープは普通やな。ほんまに笑うわ顔に出るの。」
「……。」
「不機嫌な顔も可愛いわ。」
無視して食べ終えた。どれもこれもとても美味しかった。
「ええ御身分やな。」
フィンが会計を終えて喫茶店を出た所で後ろから声をかけられた。先に出たさっきの二人かと思ったけど違った。また違う男達が5人。
「おおどうしたん。金か?また借りにきたんか?それとも仕事か?」
フィンはニッコリのまま一歩踏み出す。どう見てもフィンに怯えながら5人はそれぞれ返事をする。
「違うわ!今日はお前自身に用があんねん。」
「そ、そうや。お前最近、調子乗ってるよな。」
「そう、そうだぞ。お前若いくせに。」
「ああ、偉そうだ。」
「せや!お前!調子のんな!でかい顔すんな!」
「えーねえ俺顔大きい?」
私にしょんぼり顔で問いかける。その瞬間、5人が跳びかかってきた。
「いきなりなんて卑怯なやっちゃな。」
フィンは軽く避けコケかけた男に肘で首にとどめを刺す。その後掴みかかる男に膝蹴りしそのまま地面に叩きつけその反動で回し蹴りを顎にいれ、いれられた男が吹っ飛び後ろの男に当たり店の看板に当たり動かなくなった間に私は一人の男に捕まった。
「最悪。」
「あら捕まっちゃったの?」
4人の男をひとしきりボコボコにした後ゆらりとこちらに向き直りニッコリしている。ところどころに返り血を浴びている筈なのに真っ黒なスーツと真っ黒なシャツを着ているのでよくわからない。まだ日中だというのにここだけ光がささないのかと思うほど急にどんよりとしフィンを闇が覆っている。太陽が雲に隠れただけだと分かっているが闇を生み出しているのかと錯覚する程フィンが恐ろしい。セットした髪が崩れて目に前髪がかかり笑っている口元だけが見えているのが輪をかけて恐ろしい。男も怖いのだろう私を掴む手が氷の様に冷たく震えている。
「お、おい!この女がどうなってもいいのか?ああん!」
首を男の右腕で羽交い締めにされて左手を掴まれている。フィンは私の状態を気にする様子もなく少し近付いてくる。
「えー離してくれへん?結構大事やねんその子。」
「だったら止まれ!」
「えー離せや。」
威圧的な低い声で怒鳴ったかと思うとパンという破裂音が路地に響いた。音と同時に後ろの男が崩れ落ちた。
「撃った?警告もせずに。」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ。」
私の腕を掴んでいた男が血まみれで地面をのたうち回っている。
こいつ、私が前にいるのに撃ちやがった。少し冷静になった男はのたうち回るのをやめて撃たれた肩を抑えて苦しそうに呻いている。
「お、お前、この女に…ぐっ、当たると思わなかったのか?」
「当たらんかったやん。終わりよければ全てよし。」
「なっ。」
「なっ。」
私は撃たれた男と同じ様に絶句した。フィンだけがニッコリと右手で銃を構えている。左手で手招きされているが怖過ぎて行きたくない。
「ほらこっちおいで。怖かったなぁ。」
私はフィンと男を見てもう一度男を見て手を差し伸べようとするとフィンの鋭い声が刺さる。
「触ったらあかんで。分かるやろ。」
こえーまじこえー。こいつこえーよ。
「でもこの人このままじゃ。」
「大丈夫、死なんよ。」
「でも……。」
「おい、そこ何をしてる!」
「おーやっと来たか。ネイトこっち。」
制服を着ていないので分からないけど騎士なのか警察官なのかそれっぽい人達が来た。
「あっフィン……えっと何があったんだ?」
フィンと分かると警棒の様な武器を腰のベルトに戻しフィンの顔色をうかがいながら話を聞いている。そっと私から離れフィンと二人で話し始めた。
「お嬢さん、どうしてこんな男と一緒に居るんだ?」
男が肩を押さえながら私に話しかけてくる。
「うーんそれは…。」
「あいつはとても危ない奴だよ。君にとっては俺達も怖い存在だろうけど俺達なんて足元にも及ばないくらいにあいつは怖くて危ない奴だ。」
「危ない奴……。」
確かに。危ない奴だ。
「さっき俺を躊躇なく撃ったのも君に当たっても構わないと思っていた筈だ。あいつは弱みを作らない様にしているから君が一瞬でも弱みになる位なら殺してしまっても構わないと思っているんだ。」
「でもそれを分かってて私を人質にしたんですね。」
「それは……。」
「結局、人は皆怖いんですよ。人は目的を達成する為なら手段を選ばない。そうでしょう?」
「君はいつもあいつが連れている女達とは違うみたいだな、自分の意志でそばに居るようだ。いつも連れている女達は可哀想に…まあいい君の言葉は正しい、だがこれだけは覚えていてほしい。あいつはクラウンだって噂だ。君もあいつの事は探り過ぎないように。」
「クラウンって?」
フィンが戻ってきたので男はすんと黙ってしまった。
「ああ、分かってる。じゃあもう帰れ。」
ネイトという男がチョコレートを食べながらフィンに向かって言う。えっこの状況で帰らす?
「ありがとう。じゃあよろしく。」
そして私の手を引いて本当に帰って来てしまった。
「帰って良かったの?」
「良いの。帰れって言われたやろ。」
「で、でも……。」
「良いの。それに帰れって言われる理由を言ったらシャロンはほんまに俺から一生離れられないようになるよ。」
「さあお昼寝でもしますか。フィンおやすみ。」
「ふふふ、おやすみ。」
私は苦笑するフィンを無視して眠りについた。