1、転移の儀式
「ご機嫌いかがですか、お嬢さん。」
「ご機嫌も何も…。」
車に轢かれた衝撃で気絶したのか目が覚めると目の前に薄い紫の綺麗なドレスを着たいかにもお姫様のような見た目の女性が立っている。鼻が高くパチッとした二重の青い瞳に透き通るような白い肌、胸まである緩くウェーブしたブロンドの髪、その上には控えめだが宝石がいくつも付いた王冠が鎮座している。
彼女から自分に視線を戻す。そういえば血は出ていない。あんな衝撃があったのに血がない事ある?グレーのパーカーにも紺のジーンズにも傷さえない。
「あれ?私、車に轢かれたのに。」
「ええ、そうです。貴方はあの事故で命を落としてしまいました。心よりお悔やみ申し上げます。」
「えっ。命を…落とし…。私、死んだの?えっ。なん…。まじ?」
「ええ、本当に残念です。」
「まあ、その、では今は一体どういう状況ですか?」
「申し訳ございません。まず私の話をさせていただきます。私は…端的に申しますと自分の人生を生きる事に疲れてしまいました。母が亡くなり父に見放され兄には疎まれ兄の婚約者には騙され…祈りました。誰か私を助けてくださいと深く心から祈りました。祈りを捧げた後、眠りにつき目が覚めるとここに居ました。この何も無い白い部屋に。そしてこの手紙を見ました。貴方宛の手紙もあります。どうぞ。」
私宛の手紙、寺崎沙奈様と書かれた封筒。封はされたままだ。
沙奈様、びっくりされているでしょう。この状況やご自身の事。ですが残念ながら貴方が亡くなったという事実は変わらず貴方が生まれた時から決まっていた運命でした。ですが30歳という若さで人生が突然終わるのは大変悔いが残る事でしょう。そこで提案があります。貴方の目の前の女性と入れ替わりその女性として生きるというのは如何でしょうか?
勿論、複雑なご心境だと存じますが、生き直すというのは貴方も望んでいた事ではありませんか?
彼女は現在の世界とは異なる世界で生まれ変わりたいと望んでいます。それには貴方が今まで入っていた魂の器が必要になります。その器を一部、彼女に差し上げる事になります。ですが貴方が生まれ変われなくなるという事ではないのでその点は怖がる必要はありません。
目の前の彼女の事は一度無視して構いません。貴方の事だけを考えてみてください。貴方は死んでいてもう終わりです。でも彼女になってもう一度違う人生を生きる。好奇心旺盛で優しい貴方なら楽しめるのではないでしょうか?
少し考えてみてください。もし彼女と入れ替わる決心ができたら彼女と握手を、このまま死を選ぶならこの手紙をビリビリに破ってください。
有り得ない…有り得ないけども、どうしよう。このまま死ぬか彼女として生きて死ぬか。彼女の生きている環境は少し過酷そうだが。
「貴方はどうしたいですか?」
恐る恐る彼女に聞くと困ったように笑いながら答える。
「もし貴方さえ良ければ私はお受けしたいです。」
「そうですか…。」
じゃあ…受けるか、私も。死んだら終わりだしもう一度チャンスがあるなら挑戦してみるか。それになんか楽しそうだし。
「じゃあ、お願いします。」
私は右手を出す。
「本当によろしいのですか!ありがとうございます。」
彼女も嬉しそうに手を差し出した。その瞬間、光に包まれてまた意識が遠のいた。
フッと目が覚めた。日光がちょうど目の辺りに射し込み眠りを妨げたようだった。身体を起こし手や腕を見た。
「本当に変わってる。」
当然ながら声も変わっている。ふわーっと大きく欠伸をしながらのびをする。夢じゃなかったんだ。刺繍が施された布団から起きあがり足を出す。そっと床に置くと柔らかい絨毯。彼女、貴族だったのかな。まああのドレスと王冠という見た目でそうなのかと考えてはいたが。重苦しい礼儀作法は嫌だなぁ。
コンコン、というノックと共に扉の外から声がする。
「お嬢様、そろそろご支度致しましょう。お手伝いさせていただきます。」
「あっ、あのドレスは確かに1人で着られないね。お願いします。」
と声をかけると女性が1人入ってきた。いかにもメイドさんの白と黒のドレスを着ている。
「シャーロット様、今日のドレスは執事からの言いつけで王から頂いたお妃様のドレスと決まっておりますのでそのように準備致しますね。」
「はい、お願いします。」
私はそのメイドさんに頭を下げた。その瞬間、メイドさんが泣き出し座り込んでしまう。
「どうして…こんなに…心優しい…お嬢様が…。」
「あの大丈夫ですか?」
「すみません、お嬢様が1番泣きたい状況なのに…。」
「大丈夫ですよ。泣き止んでください。ねっ?」
メイドさんの背中をさすり泣き止むまで待つ。
「う…うぅ…お嬢様。なんにも出来ずに申し訳ございません。」
涙を拭いて立ち上がり、ぱぱっと着替えを手伝ってくれてドレスに着替え終わった。とにかく重いし暑い。どうなっているんだこの服は。そしてまた泣きながら部屋を出ていってしまった。
「なんなんだ。」
数分後、次はコック姿の人が同じように入ってきた。まあ服装の通りコックさんで美味しいフレンチトーストとフルーツを朝食に出してくれて、お礼を言うとまた泣かれてしまった。そして1時間くらい経った後、西洋風の甲冑に身を包んだ男性が2人現れてノックもせずに冷たい声で言う。
「シャーロット様、1時間後となりましたので移動していただきます。」
「はい。」
「では参りましょう。付き添い人の執事は先に馬車に乗っています。」
「はい。」
素直に後ろを着いていく。何処に行くのだろう?周りに味方が居ない感じの話をしていたけどメイドさんやコックさんとは仲が良く、愛されているようだ。
馬車に着乗る時に介助してくれたので甲冑の男性に礼を言う。甲冑の男性はその時、初めて悲しそうに私を見てすぐに逸らした。表情は見えないけど。馬車の中にはこれまたいかにも執事さんだなという格好の眼鏡をかけた若い男性が座っていた。
「お嬢様、仕える身分でありながら同じ馬車に乗り合わせる事を深くお詫びします。」
「いえ、そんな事お気になさらず。」
と手を振って否定する。執事さんは眼鏡をあげて悲しそうに私から視線をそらす。
なんなんだ。何故、みんな泣いていたり悲しそうだったり?
「とにかくお嬢様、今日の処刑の…。」
私はびっくりして声をあげる。
「処刑?処刑ってあの…し…死ぬあれですよね?」
「そうですよ、今更何を言ってるんですか?2週間前から決まっていたでしょう。とにかく今日の流れを…。」
「えっ!私、死んでしまうのですか?!」
「ちょっお嬢様。落ち着いて!」
「せっかく生き返ったのに、もう死ぬ?なめてんのか?」
「おっお嬢様?お気を確かに!お嬢様!今日の流れを。」
「流れも何も処刑って!!」
「だから、ちょっとお嬢…。」
「2回も怖い思いをするくらいならいっそあの時、死んだままでよかったのに。」
「おい!着いたぞ!2人共出ろ!」
さっき介助してくれた人じゃない方の人が叫んでいる。仕方なく執事さんが外に出る後を追いかける。私はショックで声も出せなくなっていた。
あの手紙の差出人、それに彼女も。酷い、酷い2人だ。心から憎む、いや憎いというより悔しい。信じていたのに裏切られた事が悔しくて悲しい。
「こっちです。シャーロット様はこちらに。貴方の様な優しい方が処刑されるなんてとても残念です。王が自分の娘を処刑するなんて愚かな事です。」
歩きながら悲しそうに甲冑を着た青年が言う。だから優しくしてくれたのか。執事さんはここまでですと言われ、私だけもう少し歩き暗い部屋に通されてそして椅子に固定される。ガラス張りになっているのかもしれないが向こうは暗く私だけがライトアップされている状況なのでよく見えない。
「関係者が揃いましたので、シャーロット姫の処刑を行います。第一王子の婚約者リーサ様を毒殺しようとした殺人未遂の罪により刑が施行されます。」
「書状と相違ありません。」
「分かりました。シャーロット様、今から毒を打ちます。苦しまない毒なので眠るように終える事ができると思います。」
信じられない、こんな事ならあの事故で死んで終わりにすればよかった。死を待つ時間、というのはとても恐ろしいものだ。いつの間にか静かに涙を流していた。泣き叫ぶ気力もなくただ頬を涙がつたう。腕に一瞬チクリと痛みそのまま意識を失った。