猫と戦争
少年をローザに任せ、ルシアは町の領主の屋敷に向かった。
屋敷はルシアが盗みに入ったこの町で一番大きな建物だった。
ローザはルシアに領主の屋敷を教えるのを渋ったが、暖炉に積んであった薪を浮かせ粉々に砕き力を見せると、怯えと諦めがないまぜになった表情で場所を教えてくれた。
彼女はルシアに怯えながらも、それでもルシアを心配してくれた。
当たり前だが、国の方針が人間至上主義でもそこで暮らす人全てがそうでは無い事を、改めてルシアは思い出した。
ローザの様な人間もいる。
彼女の様な人が増えれば、この国も変わらざるを得ない筈だ。
まぁ、人の気持ちが変わるのを待つほど、自分は我慢強い方では無いのだが……。
そんな事を考えつつ、先ほど訪れた屋敷の中に姿を消して入り込む。
屋敷では至る所に人の気配を感じた。
その殆どは動いていない。
多分、眠っているのだろう。
ルシアは感じられる気配の中から、大勢で並んで寝ている者を除外した。
恐らく領主は使用人の様に大勢で規則正しく寝るなんて事は無い筈だ。
残ったのはそれ程多くない。
屋敷をウロウロしている者も除外していいだろう。
こんな時間に動いているのは、警備兵かそれこそ侵入者だけだろう。
ルシアは二階の奥、揺らめく魂の輝きに向かって屋敷の中を進み始めた。
廊下を滑る様に進んでいく、途中何度か兵士の姿を見かけたが彼らはルシアに気付く事無く巡回を続けた。
兵士を無視して進んでいくと、やがて二枚扉の部屋に辿り着いた。
部屋の中には何人かの気配が感じられた。
扉を通り抜け中を覗く。
その部屋は寝室の様だった。
中央には大きなベッドが置かれ、太った男が眠っている。
その部屋の隅で猫に似た何かが寒さに耐える様に丸まってに寝ていた。
ルシアが部屋に入ると、その猫の頭をした女性が耳を動かし、姿を消している筈のルシアを顔を上げて真っすぐに見た。
ランプの灯りが揺れる室内で、その光を受けて女性の目が金色に光る。
「……どろぼう?」
女性は猫の様に首を傾げるとルシアに問い掛けた。
傾げた拍子に、首輪につながれた鎖がジャラと鳴る。
ルシアはそっと女性に近づき囁いた。
「私はルシア。アナタお名前は?」
「アタシ、メル……お姉さんもご領主様の新しい奴隷?」
頷きを返したメルは、頭以外も猫の特徴を備えていた。
白と黒の毛が体を覆い、お腹は白い柔らかそうな毛が生えている。
その背後では長い尻尾がゆらゆらと揺れていた。
種類で言うとアメリカンショートヘアに似ている。
「私は違うわ。あなたは領主の奴隷なの?」
「……うん」
「ここで一体何を?」
「……ご領主様は力の強い子が欲しいんだって、だからね夜のお相手させられてるの……」
「……そう」
「……でもね。子供の見た目は人間が良いみたい……だから、だからね。もしアタシに似た子だったら殺されちゃうの……」
そういえば、コリンは獣人の血には強い力があると言っていた。
もしかしてベッドで寝ている男は、その力を一族に取り込もうとしているのだろうか。
「……あのね……アタシ、赤ちゃん出来たかもしれないんだ。……でもね……アタシじゃ多分人間に似た子は産めない……どうしよう、赤ちゃん殺されちゃうよ……」
見ず知らずの不審者であるルシアに話したのは、よっぽど不安だったのだろう。
言動からしてまだ若いであろう獣人の娘は、ルシアに話した事で余計に不安になったのか、目に涙を溜めていた。
ルシアはメルを抱きしめると、落ち着かせる為に頭を撫でた。
「あっ……ルシアは冷たいね……」
「嫌だった?」
「ううん、もっと撫でてほしい」
ルシアは優しくメルを撫でた。
ずっと撫でていたくなる様な、艶やかで柔らかい感触だった。
「落ち着いた?」
「うん……ありがとう」
メルはルシアに小さく笑みを見せた。
笑うと口元に小さな牙が覗く。
「大丈夫。私が助けてあげるから」
「……アナタが?」
「ええ、貴女はさっき、泥棒って尋ねたわよね?」
「うん……」
「その通り、私は泥棒。あなたを頂きに参上したのよ」
「……アタシを?」
娘は驚いたのか、目を丸くして尻尾をピンと立てた。
だがその尻尾はすぐにヘニャリとしな垂れる。
「……駄目だよ。この鎖は切れないの。何度も切ろうとしたけど駄目だった。それに首輪を付けられてからは全然力が出ないんだ……」
メルは鎖を持ち上げると諦めた様に俯いた。
メルが言う様に、彼女の首には黒い革の首輪が嵌っていた。
鍵穴の付いた金属部分には小さな水晶の様な物が埋め込まれている。
この首輪がルシアが放たれた氷の刃と同じように、力を吸っているのかも知れない。
そう考え、首輪の金属部分に向けて手を翳す。
「なあに?」
メルはルシアの行動の意味が分からず首を傾げた。
その仕草に微笑みながら、拳を握りしめる。
金属で出来たそれは、紙で出来ているかの様にクシャリと潰れ床に落ちた。
「嘘……アタシじゃ傷一つ付かなかったのに……」
「メル、聞かせて……他にも奴隷はいるの?」
「うん、みんな地下にある牢屋に入れられてるよ」
「そう……」
メル一人であれば連れて逃げる事も出来るだろう。
だが複数人となれば、気付かれず連れ出す事は難しい。
どうする……。
ルシアは暫く考えこんでいたが、やがて顔を上げ口を開いた。
「決めた。私はこの町を乗っ取って拠点にする」
「え!?無理だよう、兵隊さんも沢山いるんだよ?」
「メル、これは戦争よ。であるなら、大将を倒せば私の勝ち。さてその大将は何処にいるでしょう?」
メルはベッドでいびきをかいている太った男に目をやった。
「ここに……いるね」
「でしょう。じゃあ話は簡単」
ルシアは左手をベッドに向けると、領主の体を持ち上げた。
「なっ、何事だ!?」
「わッ!?ルシアがやってるの!?」
「ええ」
「凄いね……こんなの初めて見た……」
男は突然の事に驚き、手足をばたつかせた。
「見苦しいから、じっとしててもらえないかしら」
「何だ貴様!?儂はこの町の領主だぞ!!分かっているのか!?」
「分かってるわよ。うるさいわね」
ルシアは領主を持ち上げていた力を少し強めた。
体が圧迫され、領主の顔が赤く染まる。
「クッ、苦しい……」
「私はルシア、この町を私の物にする為、お前に宣戦布告する」
「何を…言っている…こんな…闇討ちの様な…事をしても……誰も…認めるものか?」
「ダルガ様?何事ですか?」
騒ぎを聞きつけ駆け付けた兵士がドアをノックし問いかけた。
「クッ…賊だ!!兵を集めろ!!」
「賊!?了解です!!おい寝てる奴らを叩き起こせ!!」
「はッ、はい!」
兵士は他の誰かに命じて人を呼んだ後、ドアを開けて部屋に飛び込んできた。
「なッ!?貴様、ダルガ様に何を!?」
「私、町に戦争を仕掛けたの。領主の命が惜しければ降伏なさいな」
「何を馬鹿な事を!?さっさと離さんか!!」
剣を抜いてルシアに襲い掛かってきた男は、彼女が腕を振ると見えない力に吹き飛ばされ壁に激突した。
「はぁ、このおじさんじゃ駄目なのかしら……」
「領主様の言う様に、闇討ちじゃ多分駄目だよう」
「うーん、上手く行くと思ったんだけど……派手じゃ無いのがいけないのかしら」
そう言いながら、ダルガを引き連れ廊下に出る。
「術者の様だが……この町にいる兵は…百名以上だ…逃げ切れると…思うなよ」
「逃げる?何言ってるの?……百人……この分じゃ全員倒した方が早いかもしれないわね」
「お前一体何を……」
「メル、危ないから貴女はここにいなさい」
「えッ……ルシア行っちゃうの?」
「大丈夫、すぐに戻ってくるわ」
メルは不安げにルシアを見た。
ルシアはそんな彼女に優しく微笑みを返した。
「……分かった。待ってる。怪我とかしちゃ駄目だよ」
「ええ」
二人が話していると、ドタドタと兵士がこちらに駆けてきた。
彼らは宙に浮かんだダルガを見ると立ち止まり剣を抜いた。
「おのれ術者か!?何が目的だ!?」
「目的はこの町。私は戦争を仕掛けて、大将の身柄を抑えた。どう私の勝ちでしょう?」
「ふざけるな!?何が戦争だこの賊め!!おとなしくダルガ様を離せ!!」
「いかに…強力な……術者でも……永遠には……続かん……数で……押せ」
「ハッ!!」
やはり、戦争という形を取らないと、犯罪者扱いしかしてくれないようだ。
当然と言えば当然か……。
まあいい、兵士を全員ぶちのめせば、町の支配者がルシアだと認めざるを得ないだろう。
考えを纏めたルシアは、先頭の兵に向けて右手を掲げた。
深夜の町を慌ただしく兵士が走っていく。
それは寝静まっていた町を目覚めさせるには十分だった。
起き出した住民は兵士たちが向かった先、領主の屋敷を不安げに眺めていた。
屋敷は町を見下ろす高台に建てられており、見上げれば誰でも様子が窺えた。
その屋敷の二階の左半分が突然吹き飛んだ。
月明かりで照らされて、その吹き飛んだ屋敷の残骸と共に兵士らしき人の姿も見えた。
「お屋敷で一体何が……」
「……俺ちょっと見てくるよ」
「おい危ないぞ!?」
「大丈夫だって、ヤバそうだったらすぐに逃げるから!」
田舎という事もあり、娯楽に飢えていた住民の中にはそんな風に見物に出かける者もちらほらいた。
見世物状態になっているとは知らないルシアは、屋敷の庭に出て現れる兵士を力を使って薙ぎ払っていた。
彼女が腕を振る度、兵士は吹き飛び段々と数を減らしていく。
「さっさと諦めてくれないかしら」
「クソッ!化け物め!テリー何をしている!?お前も戦わんか!?」
「えっ……俺もですか?」
「当たり前だ!!お前も兵士だろうが!?敵前逃亡は縛り首だぞ!!」
テリーは同僚を連れて詰め所に帰って、上官に報告をしていた所を呼び出された。
ルシアや獣人の子供の事を伏せてどう報告すべきか頭を捻っていたので、その点は助かったのだが出向いた先ではルシアが暴れていた。
ルシアの力は知っていたので出来れば戦いたくは無かったのだが、このままグズグズしていると上官に殺されそうだ。
「全く、今日は厄日だぜ……うおおお!!」
テリーは剣を抜くと、自分を鼓舞する為雄たけびを上げながらルシアに斬りかかった。
ルシアは滑る様にそれを躱すと、斬りかかった兵士に目をやった。
「あら、テリーじゃない?」
「何だテリー!?貴様、賊と知り合いか!?……まさか貴様が招き入れたのではなかろうな?」
「……終わりだ……俺はもう終わりなんだ!!」
破れかぶれになったテリーは、涙ぐみながらルシアに斬りかかった。
「もう、しょうがない子ね」
ルシアは右手の中指を勢いよく弾いた。
「ゴフッ!!」
見えない力がテリーの額を激しく打つ。
彼は縦に回転しながら後方へ弾け飛ぶとそのまま動かなくなった。
「テリー!?仲間では無かったのか……」
「ええ、少しお話した事があるだけよ。それよりもう貴方達しか残っていないみたいだけど……まだやる?」
テリーの上官は横目で周囲を確認した。
ルシアの言う様に立っているのは彼の周りにいる数人だけだった。
「クッ」
上官は剣を投げ捨てるとルシアを睨んだ。
彼が剣を捨てた事で、周囲の兵もヘナヘナと座り込む。
「何が望みだ?」
「ふぅ、ようやく本題ね。望みはこの町」
「町だと?賊風情が何を言っている?」
「分かってないわね。これは戦争よ。私が仕掛けてあなた達は負けた。町の所有権を頂くのは征服者として当然の権利、でしょ?」
「……お前、本気か?町一つ奪った所で、国が出てくれば潰されるだけだぞ?」
「望む所よ。私の目的はその国を消す事だもの」
上官はそう言って冷たく笑ったルシアを茫然と見た。
「馬鹿げてる。いかに強力な術が使えても、一国を相手取る等出来る訳が無い……」
「そうかもね。でも私は約束してしまったから……さて、あなた達は降伏したという事で良いのかしら?」
「……町にいた兵はほぼ全員お前に叩きのめされた。こちらはもう戦う事は出来ん。好きにするがいい」
「フフッ、じゃあまずは怪我人を集めて連れて来なさい」
「……殺すつもりか?」
「違うわよ。治療してあげるから連れて来て欲しいだけよ」
上官は暫くルシアを睨んでいたが、やがて諦めた様に肩を落とした。
「逆らっても無駄な様だな。……分かった、言う通りにしよう。だがその前に領主様を下ろせ」
「……そう言えば忘れてたわ」
ダルガに目をやると、彼は涎を垂らして気を失っていた。
暴れている間、ずっと振り回していたのがマズかったようだ。
「……結局、役に立たなかったわね。このおじさん」
気を失ったダルガは何故か穏やかな微笑みを浮かべていた。