悪霊と兵士
銀髪の少年を抱き、ルシアは宙に浮かび上がり周囲を見回した。
どうやら今は夜で、ここは人里離れた山中に造られた場所だったようだ。
吹き飛ばした残骸の中に人の姿は見えず、ローブ姿の男達は誰かを呼び込む時だけここを利用していたのだろう。
ルシアは抱き上げた少年を観察した。
顔立ちの整った美しい子だったが、垢で薄汚れており着ている物も酷く汚い。
それに岩肌が見える周辺は雪で覆われていたが、少年の着ている木綿の上下も薄く冬用とは思えない。
そうして少年を見ていると、眠っていた彼が体を縮め震え始めた。
人では無いルシアは余り感じないが、ここは随分と寒いらしい。
「そりゃそうよね、雪が積もってるんだもの……」
この子はタカシが命を燃やして助けた子だ。
絶対に死なせる訳にはいかない。
とにかく、暖かい場所に運ばないと……。
昔はこの子と同様人だったのに、長い間霊として存在している内そんな当たり前の事も忘れていた。
ルシアは少年を抱きしめた。
しかし、ルシアが抱きしめると少年の震えは逆に大きくなった。
ルシアは自分の体が熱を奪っているのだと今更気付いた。
冷たく冷えたルシアでは彼を温める事は出来ないのだ。
「暖を取れる場所に行かないと……」
少年を抱き更に高く上がる。
儀式で使うだけといっても、あまり遠いと不便な筈だ。
近くに人里がある筈。
ルシアの読みは当たり、それ程遠くない場所に町と思われる明りを見つけた。
「よし、思ったとおり……頑張りなさい。すぐに町に運んであげるから……」
小さく囁くとルシアは町を目指して空を駆けた。
辿り着いた町は人通りも無く閑散としていた。
見えた明りも町の入り口や柵の周囲に立てられた警備の為の松明の灯りだったようだ。
とにかく暖かい場所を見つけて潜り込まねば……。
ルシアは人の気配のない廃屋を見つけると、窓を塞いでいた板を割ってその中に入り込んだ。
廃屋は荒れ果てており、家具などは残されていない。
だが居間らしき部屋でレンガ造りの小さな暖炉を見つけた。
何も無い部屋だったが、流石に床板と壁は残されている。
ルシアは少年を暖炉の前に横たえると、力を使って床板を剥がした。
バラバラに砕き暖炉に据える。
指先に意識を集め火を生み出し、それを暖炉の中にを飛び込ませた。
「燃えろ」
暖炉の中で種火が踊る。
砕かれた床板は湿気の為か暫く燃える事は無かったが、やがて観念した様に炎を上げ始めた。
小さな暖炉が周囲に熱気を送り、周りの空気を緩ませる。
何時しか少年の震えも治まっていた。
「良かった」
ルシアは少年の頭を撫で、ホッとため息を吐いた。
少年の頭を膝に乗せ、炎を見つめながら今日の出来事を思い出す。
しかし、これからの事を考えようとしても、出て来るのはタカシとの思い出ばかりだった。
「タカシ君……」
胸に手をやりルシアが小さく呟いた時、少年のお腹がグゥと鳴った。
そうだった。人は食事をしないと生きていけないのだ。
とにかく食べ物を手に入れないと……。
くべた薪は暫く持ちそうだ。
そっと少年の頭を床において、ルシアは廃屋の壁をすり抜け外に出た。
入る時は少年がいたので窓からだったが、一人であれば壁など意味を成さない。
自らの気配も消し、ルシアは夜の町の空に身を躍らせた。
町は昔、図書室で見た中世の町並みの様だった。
学校で得た知識がこの世界で通用するかは分からないが、知識通りなら庶民は貧しい筈だ。
盗むならお金持ちからだ。
そう決めると、ルシアはこの町で一番大きな建物を目指し、暗い空を飛んだ。
ルシアが食料調達に向かって暫くした頃、皮鎧を着た男二人が廃屋を見上げていた。
「ここは誰も住んでいない筈だよな?」
「ああ、五年前に住んでた家族が夜逃げしてそれきりだ」
「浮浪者か……」
「どうする、ほっとくか?」
二人は今一度廃屋を見上げた。
二人が来ることになった原因、煙突の煙はまだ上がっている。
「ほっとくと後で何言われるか分かんねぇし。踏み込むしかないだろう?」
「しょうがねぇなぁ、やるか」
二人は腰から剣を抜きドアの前に立つ。
「多分、浮浪者だと思うけど油断すんなよ。流れの傭兵や人もどき共は存外手強いからな」
「分かってるよ」
彼らはこの町の警備兵たちだ。
人のいない廃屋から煙が上がっているのを見て駆け付けたのだろう。
「それじゃあ、行くぞ」
「おう」
一人がドアを蹴破ると警備兵の二人は廃屋に駆け込んだ。
ルシアは裕福そうな屋敷で手に入れた食べ物を抱え、廃屋に向かっていた。
取り敢えず食べられそうな果物を中心にバレない程度に盗んできたが、果たしてこれは食べられるのだろうか。
というのも、一応見た目はリンゴに似ていたが、多分ここは地球では無い。
全く別の用途に使う物かも知れないのだ。
「駄目だったら、調理された物を手に入れるしかないか」
思えば日本は食べ物に溢れていた。
ルシアが生きていた頃でも、スーパーにいけば食料品は簡単に手に入れる事ができた。
学校から出られなかったルシアは見た事がないが、最近ではコンビニという二十四時間食品や日用品を売る店が溢れているという。
生徒たちが食べていた生クリームの乗ったプリン。
あんな物が手軽にどこでも買えるとは……。
そんな事を考えながら廃屋に着いたルシアは、中に少年以外の人間が侵入している事を感じ取った。
窓はガラスでは無く雨戸の様な木の板だ。光が漏れる事は無い筈なのだが……。
そう思い廃屋を見ていたルシアは、煙突から立ち昇る煙に気付いた。
日本で育った事がマイナスに働いた。
薪を燃やせば当然煙は上がる。
暖房器具といえば電気か灯油だったルシアはその事をすっかり失念していた。
どうにかしなければ。
ルシアは果物を抱えたまま窓から中に滑り込んだ。
気配を殺し居間へ向かう。
居間のドアの前に立ったルシアに侵入者の話し声が聞こえてくる。
「これは獣人のガキか」
「どうする?詰め所に連れて行くか?」
「いや、連行したら報告やらなにやら面倒だ。殺して川にでも投げ込もう」
「そりゃいくら何でもマズいって?」
「何言ってんだよ。人もどきだぜ、誰も気にしねぇよ」
コリンは少年を下賤の者と言っていた。
この世界の全てがどうかは分からないが、少なくともこの国では獣人というのは人扱いされていないようだ。
それは彼女の過去を思い出させた。
目の色が違うだけで、仲間外れにされた幼少時代。
見た目がほんの少し違うだけで心のあり様は一緒だというのに、それでも人は異質なモノを受け入れない。
ルシアの心に憎悪が満ちていく。
抱えて果物が床に落ちて転がった。
膨れ上がった悪意を、ルシアはそのままドアにぶつけた。
ドアは粉々に砕け吹き飛ぶ。
「何だ!?」
青髪の男が眠っていた少年の首にナイフを押し当てていた。
驚いた為か刃が浅く首を気付つけ、そこから血が流れている。
「何だお前!?このガキの仲間か!?」
「その子を解放して今すぐここから立ち去れば、殺さないでいてあげるわ」
「犯罪者が偉そうに。……そのおかしな恰好、さては見世物小屋からでも逃げて来たんだな?」
少年の横に立っていた金髪の男が、ルシアの黒いセーラー服を見て推測を語った。
「もう一度だけ言うわ。命が惜しければその子を解放してここから立ち去りなさい」
「……そういう訳にはいかないねぇ。こっちも仕事だからよぉ、まぁ話によっちゃ言う通りにしてもいいぜ」
「おい!?何言ってんだ!?」
金髪の男が青髪の男を見る。
「へへッ、よく見りゃ中々の別嬪だ。俺達二人の相手をしてくれるんなら見逃してもいいぜ」
「お前……」
金髪の男は青髪の男の言葉に絶句していた。
「……黙って立ち去る気は無いのね?」
「話し聞いてたか?姉ちゃんが俺達を満足させてくれるんなら忘れてやろうって言ってんだ!」
ルシアは歪んだ笑みを浮かべる青髪の男の言葉を無視して、すっと右手を上げた。
そのまま開いた手を握りしめる。
「おい!?聞いてんのか!?……何……だ?……胸が……苦……」
胸を掻きむしっていた青髪の男はやがて崩れ落ち動く事を止めた。
「お前何をした!?……まさか術者か!?」
金髪の男はルシアに向けて腰の剣を抜いた。
「アナタも死にたいの?」
「……殺したのか?」
「さぁ?もしかしたら生きてるかもね?」
ルシアは力を使って人を殺した事は無い。
精々、心臓を止めて失神させたぐらいだ。
男の気配は残っていたが、それが生きているのか死んでいるのかまでは判別が出来なかった。
「クソッ!?」
金髪の男は少年を抱え上げ、喉元に剣を翳した。
男に抱き上げられても血が足りない為か、少年が目覚める事は無かった。
「俺達はこの町の警備兵だ。流石に仲間が殺されたとあっちゃ見逃す訳にはいかない。一緒に詰め所に来てもらおうか?」
ルシアは男を冷たく見つめた。
強張った顔をして男はルシアを見返している。
「ねぇ、仕事だったら小さな子に剣を突き付けてもいいの?」
「はぁ?こいつはガキだが獣人だぜ?人間以外の人もどきは人に奉仕する為に生み出されたんだ。どう使おうが人間である俺の勝手、それが神の教え、この国の常識だ」
「神の教え……じゃあ、その神の信徒では無い私は、アナタ達の神様の教えに従う必要は無い訳ね?」
「抵抗する気か!?」
ルシアは再度右手を上げた。
男は焦りながら少年を盾にして喚く。
「変な事はするな!!こいつが大事なんだろ!?」
「乱暴に扱わないでくれるかしら?その子は私の親友が命を賭けて救った子なの」
ルシアはそう言いながら男の体を締め上げた。
肋骨が軋みをあげ何本か折れる。
「ガッ!?……何……だ……これ?」
痛みで剣を取り落とし、男は少年から手を放した。
そのまま床に打ち付けられるかと思った少年は、何かに支えられるようにゆっくりと床に横たえらえれた。
ルシアが視線を床に落ちた剣にやると、それは宙を舞い膝を突きヒューヒューと息をしていた男の喉元でピタリと静止した。
「刃を首に当てられるってどんな気分?」
「……止めろ……これ以上……罪を……」
「罪って、この子を川に投げ込もうとした事は罪じゃないの?」
「……この国じゃ……獣人は……人間以外は……家畜と同じだ」
「家畜……」
笑みを消したルシアに男はこの女は自分を殺す気だと感じた。
「……俺を殺すのか?」
男の問い掛けにルシアは倒れた青髪の男をチラリとみた。
「……言う事を聞くなら助けてあげてもいいわ?」
「……何だ?」
「食べ物とこの子の服を持ってきてくれるかしら?」
「食べ物と……服……分かった……持って来よう」
ルシアの言葉に男はゆっくりと頷きを返した。
「……所でアナタ、お名前は?」
「何で……名前を……?」
「いいから」
「……テリーだ」
「テリーだけ?姓はないの?」
「姓を名乗れるのは……貴族だけだ」
「そう。分かったわテリーね」
ルシアは浮かんでいた剣を手に取ると、テリーの首に当てすっと引いた。
「クッ」
ルシアは玉の様に浮かんだ血を指で取り、テリーの額に文字を書く。
「なッ、何を?」
「これは契約の印、裏切った瞬間、あなたの頭は弾けるわ」
「嘘だ!?ッ!!…………そんなの…クッ…聞いた事が…ない」
叫んだ拍子で折れた肋骨が痛んだのか、顔を歪めながらテリーは言った。
「嘘だと思うのなら試してみれば?まぁ試した時にはアナタは死んでるけど」
「……俺は……一生……このまま……なのか?」
「ちゃんと食べ物と服を持ってくれば解放してあげる」
「本当…だな?」
「……面倒な人ね。やっぱり殺そうかしら」
ルシアが再び右手を上げるとテリーは慌てて両手を上げた。
「分かったよ!……ふぅ……言う通りに…するから…殺さないで…くれ」
「そう?じゃあ止めてあげる。……辛そうね。それじゃあ走る事も出来ないでしょう?」
ルシアは滑る様にテリーに近づき、しゃがんで彼の胸に手を当てた。
「なッ、何をする気だ!?……これは?……痛みが引いて行く?……アンタ本当に何者だ?」
「私はルシア。……それより早く食べ物を持ってきてくれない?」
ルシアは青い瞳を不気味揺らしながらテリーの頬に触れた。
生きているとは思えない冷たい手の感触が頬をなぞる。
テリーはビクッと体を震わせると怯えた目でルシアを見た。
美しい氷の微笑みと薄いブルーの瞳に吸い込まれそうになる。
「ねぇ、早くしてくれない?」
「おッ、おう!」
テリーはルシアに促され夜の町に駆け出していった。
それを見送ったルシアは小さくため息を吐いた。
彼女は契約の印などというモノは知らない。
小説で読んだ物を適当にアレンジしただけで、完全なハッタリだ。
しかし、テリーは信じた様だ。
まぁ、自分の命が掛かっていると言われて試す度胸は、大半の人間は持ち合わせていないだろう。
「ふぅ……上手くいってよかったわ」
必死の形相で夜の町を駆けるテリー。彼の額には血文字で米と書かれていた。