馬鹿みたいに……
気が付けばそこは学校では無かった。
周囲を先ほど球体の中に見た、ローブを着た男達が取り囲んでいる。
何を言ってるのかさっぱりわからなかったが、髯の生えた老人が若い男に偉そうに指示しているのだとは見当が付いた。
「ルシアちゃん、大丈夫?」
「私は大丈夫。タカシ君は?」
「部品がいくつか足りないけど、それ以外は問題ないよ」
「部品が?……そこらへんに落ちてないかしら?」
ルシアが周辺を改めて見回すと、どうやら石造りの建物の中のようだ。
床には奇妙な文様が刻まれ、銀の髪の少年が血を流し倒れていた。
ルシアが駆け寄り様子を伺うと、かなり血を流しているがまだ息はあるようだ。
腕をみると手首に鋭利な刃物で切られた傷がある。
躊躇い傷が無い事から、自分で切ったのではなさそうだ。
そっと手首にふれ傷を癒すと、老人に集まっていた目がルシアに向いていた。
老人は周囲にいた一人に何やら指示を出した。
しかし、さっきから見ていたが、言葉は分からないながらも老人が偉そうなのがルシアは気に入らなかった。
勘でしかないが、こういう人物は大体がいけ好かない奴だと相場は決まっている。
ルシアがそんな事を思っていると、指示を受けた若者が何か不思議な力を放った。
「ルシアちゃん!!」
タカシが彼女を庇う為に飛び出し手を広げる。
その姿を見て、周囲の者達は一様に顔を顰めた。
恐らく異様な姿のタカシを忌避したのだろう。
その事に気付き、ルシアは怒りが込み上げて来るのを感じていた。
「……呼び込むのは一人だったのでは無いのか?この気味の悪い人形は何だ?」
「分かりません。私は強い力を持つ者を探す事しか出来ませんので……」
「……まぁ良い。そこな娘、私は大司教コリン。この国の宰相を兼任する者だ」
突然、言葉を理解出来る様になった事にルシアは驚いた。
先程の若者の力だろうか……。
「貴様はどうやら我々と同じ人間の様だな。であるならば我が国の偉大な事業に参加する栄誉を与えようではないか」
「……アナタが何処の誰だろうと、小さな子供を傷付ける奴に協力する訳ないでしょう?」
「大司教様に何という事を……」
周囲の人間達はなにやらルシアを貶していたが、コリンは歪んだ笑みを浮かべそれを止めた。
「お前に拒否する権利はない、やれと言われた事をやればいいのだ」
「……一つ聞かせてくれない?なんでこの子は死にかけてたの?」
「そんな下賤の者の事が気になるのか?……まあいい、教えてやる。その者はお前達を呼び寄せる為の贄だ。忌々しい事に獣人の血には強い力が宿っておるのでな。……恐らくこのような用途の為に神が作られたのだろう」
獣人という言葉で、改めて少年を見ると確かに耳の形や爪の鋭さが人間のそれとは違った。
だが、目を閉じて小さく震えている様は弱々しい子供にしか思えない。
「贄……そう……」
ルシアは少年の頭を撫でると視線を上げた。
コリンを冷たく見つめ、右手を突き出しゆっくりと握りしめ始める。
途端にコリンは胸を押さえ、苦しそうに喘ぎ始めた。
「貴…様……何を……?」
「ルシアちゃん何やってるの!?」
「何って、子供を虐げるクソジジイを殺してるのよ?」
「大司教様!?おのれ面妖な術を!?」
コリンに駆け寄った男は、ルシアに向けて手を翳した。
すると男の手から氷の刃が放たれる。
氷はタカシの脇をすり抜けルシアに迫った。
「ルシアちゃん!?」
だがルシアは冷たい笑みを浮かべ、その氷を胸に受けた。
「あれ……痛い?」
今までナイフなどの攻撃で自分が傷つく事は無かった。
不思議な氷だろうが、氷は氷だ。
そう思ったのだが、今回は勝手が違ったようだ。
「ルシアちゃん!?」
「これ……普通の氷じゃない……みたい……」
「いきなり攻撃なんてするからだよ……」
タカシは小言を言いながらルシアの胸から氷を抜こうとした。
しかし、氷に触れたタカシの指先から力が奪われていく。
「何だこの氷!?」
「大司教様、ご無事ですか?」
「うむ……突然胸が苦しくなった……この娘の術だとしたら掘り出し物だ……」
「そうかもしれませんが、諦めましょう。お命を狙うような者は必要ありません」
「……そうだな……少し惜しいが廃棄せよ」
「畏まりました」
コリン達はルシア達を無視して、先行きを決めている。
「ねぇ!!この氷なんとかしてよ!?」
声を上げたタカシを見て、コリンの頬が引きつった。
「なんと醜い……この人形は燃やして灰にしてから捨てろ」
「はい」
「なんの話をしてるのさ!?それよりさっきの事は謝るからルシアちゃんを助けてよ!!」
別の男が手を掲げる。
その手には炎が舞っていた。
「ねぇ……話をきいてよ……」
「タカシ君……この子を……連れて……にげて……」
「そんな事出来ないよ……」
男の炎は振り返ってそう言ったタカシを容赦なく焼いた。
「タカシ……君……」
手を伸ばしたルシアの前で燃え上がったタカシは、ルシアの手では無くそっと胸の氷に触れた。
それにより、固く冷たい氷に気付かない程小さな亀裂が走った。
しかしそこまでだった。
タカシは燃え尽き、ルシアは氷に吸い込まれる様に消えた。
「全く、もう少し効率よく戦力を集められないのか?」
「事前にどのような者か分かれば良いのですが……」
「探りの力を持つ者は探しているのだろう?」
「はい、それは勿論。ですが探る力を持つ者は本当に稀ですので……」
「……しかたない、人にこだわるのは止めだ。耳長や土小人、なんでもいい。魔力を持つ者の中からも探せ」
「良いのですか?」
「構わん。仕事が終われば始末すればいい。……王が急げとうるさいのでな」
「畏まりました。……おい、その獣人も捨てておけよ」
「はい」
コリンと氷を放った男は部下の二人にそう命じ、灰になったタカシと、ルシアが吸い込まれた氷を忌々し気に睨むと部屋を後にした。
残った男達は、気味悪そうに床に残った灰をズタ袋に詰め、氷と獣人の少年を抱えると部屋の隅のハンドルを回した。
ハンドルを回す度、床の一部が開いてゆきポッカリと暗い穴を開けた。
「なぁ、この穴の下はどうなっているんだ?」
「知らん、知りたくも無い。……お前もそういう風に言っとけ。妙な好奇心を出すと自分自身で知る事になるぞ」
同僚にそう言われた若い男は、気味悪そうに暗い穴に目をやった。
心なしか悲鳴や呻きが聞こえてくるような気がする。
「……分かった。俺も知りたくない」
「よし、じゃあサッサと捨てろ。……今日は酒でも飲まないと眠れそうにない。早く街に帰って飲みに行こうぜ」
「そうだな、確かに俺も眠れそうにないよ」
二人はそこの見えない穴の中にズタ袋と氷、そして獣人の子供を投げ入れハンドルを回した。
穴はハンドルを回す度に閉じてゆき、中は光の全くない暗闇に閉ざされた。
真っ暗なとても冷たい空間にルシアは囚われていた。
その空間の外で、黒い靄の様な物がルシアを呼んでいる。
「……ちゃん!ルシアちゃん!?」
「んん……タカシ君?……ッ!!無事だったの!?」
「まあね。それより早くここから出ないとマズイよ。僕等は多分大丈夫だけど、男の子が……」
「出るって言っても一体どうやって……」
「僕には少ししか分からないけど、周りには君と同じように閉じ込められた人たちが大勢いるみたい。その人達の力を借りれないかな?」
「閉じ込められた……?」
ルシアはタカシの言葉を受けて周囲を探った。
……これは気付けない筈だ。
確かに周囲には怨嗟と呪詛の声で満ちていた。
ただ、余りに充満しすぎて、出所を探る事も出来なかったのだ。
「どう?出来そう?」
「……ねぇ、タカシ君、私が本当の悪霊になっても友達でいてくれる?」
「……ギトギトの体で抱きついたりしない限りは友達でいるよ」
「フフッ、妙にこだわるね?」
「油がしみこむとなかなか取れないんだよ。……それよりルシアちゃん無理しないでね」
「それは無理、無理しないとここの人達を説得出来そうにないわ」
黒い靄は困った様に揺らいだ。
「……男の子が辛そうだ。出来るだけ早くしてね」
「分かった」
ルシアは意識を集中して周囲に語り掛けた。
『ねぇ、皆、力をかして!!』
だが周囲の人々の気配は、己の怒りと憎しみに固執し誰もルシアの声に反応しない。
『憎い憎い…王が国が神が……私が一体何をした……』
『聞いて!!私に力を貸してくれるなら復讐を手伝ってあげるから!!』
『憎い憎い…憎い……ふく…しゅう……ほんとう?』
復讐という言葉が引き金となり、中の一人がこちらに意識を向けた。
『ええ、本当よ……だからお願い力を……』
『……いいよ』
『本当!?……でもなんでそんなすぐに……』
『……あなたには私と同じ怒りと憎しみの臭いを感じるから……力が欲しいならあげる……でも約束して……絶対、王をこの国を滅ぼすって……』
『分かった。必ずこの国を世界から消してあげる』
『約束だからね……』
女性の意識がルシアの中に流れ込む。
見た事の無い景色がルシアの脳裏に浮かび消えた。
同時に悲しみと怒りが心の内に吹き荒れる。
だがルシアは動じなかった。
この感情は四十年も前に経験済みだ。
御し方は知っている。
『約束は守るわ。だから貴女は私の中で眠ればいい……』
『復讐……眠り……』
『俺もゆっくり眠りたい……』
『奴らに鉄槌を……』
その言葉が呼び水となったのか周囲の人々は、ルシアの中に次々と飛び込んだ。
怒り、憎しみ、悲しみ、憤り、そんな感情がルシアを揺さぶったが、彼女の心は折れる事無く全ての想いを受け入れた。
『皆、疲れたでしょう?後は私に任せて眠るといいわ。安心して。目覚めた時には皆の望みは叶っているから……』
激情はやがて収まり、周囲に溢れていた呪詛は消えていた。
「ルシアちゃん……もう駄目かも知れない。……僕が頑張ってみるから、なるべく早くそこから出て来てね」
黒い靄はそう言うと、暗闇の中にその身を横たえた。
光が溢れ、闇に慣れた瞳を焼く。
「タカシ君!?何やってるのよ!?」
ルシアは冷たい壁に拳を打ち付け叫んだ。
「……言って無かったけど、もうすぐ消えそうなんだ、僕……だから消える前にこの子に命をあげる事にするよ」
「命をあげる……?待ちなさいよ!?私を一人ぼっちにしないでよ!?」
「……僕は子供達に自分達の体がどうなっているのか教える為に生まれたんだよ」
「知ってるわよ!?」
「だからね……目の前で子供が死んじゃうのは、堪らなく嫌なんだ……」
黒い靄は眩い光を放ちながら段々と薄れていく。
「タカシ君!?ねぇお願いよ!!一人にしないで!!」
「……君はもう一人じゃないよ。君がこの子を守るんだ。……最後にお願い…僕の代わりにこの子に体の事、教えてあげて……」
「タカシ君!!タカシ君!!」
靄は一際強く光を放つと、ルシアの目の前で消えた。
「……高校生なんて、誰も君の事なんて見て無かったじゃない……ホント馬鹿……馬鹿みたいに子供好きで……馬鹿みたいに優しいんだから……」
ルシアは涙を拭うと顔を上げた。
すっと手を持ち上げ、ゆっくりと握っていく。
するとそれまでビクともしなかった冷たい壁が、小さな亀裂を起点に砕け散った。
氷から抜け出たルシアは指先に光を灯し周囲を見た。
其処には数えきれない程の亡骸と氷の刃、そしてスヤスヤと穏やかな寝息を立てる銀髪の少年がいた。
その傍らに散らばった灰と見覚えのある心臓の部品が落ちている。
「タカシ君……」
ルシアは部品を抱きしめると、そのまま胸の中に取り込んだ。
「……いくらギトギトだって嫌がっても、もう二度と放してあげないんだからね……」
そう言うと、ルシアは少年を抱き上げた。
「爆ぜろ!!」
声の響きは周囲に広がり、上部の建物ごと周りの全てを吹き飛ばした。
かつては学校という檻に縛られていた悪霊は、その檻から無理矢理引き剥がされ解き放たれた。