メモリーズ・サマナー
真野紀由です。
メモリーズサマナー楽しんでもらえたら嬉しいです。
挿絵が2枚ほど挟まっています。自作イラストですm(__)m
※2020年1月12日に大幅に改稿しました。
イラストも新規に新しくなっているのでよろしくお願いします。
ザァァ――。雨の音が聞こえる。
僕は会社を辞めた。
身体が鉛のように重く、足に力が入らない。それでも雨にうたれながら歩を進める。
当たり前の日常は突然終わり、絶望に心が支配されていく。
――死にたい。
将来を誓い合った大切な人を失い、未来が闇に閉ざされてしまった。
――僕はもう。
まるで涸れ果てた涙の代わりをするかのように雨が強くなっていく。
僕は糸の切れた人形のようにその場にへたり込むと――天を仰いだ。
容赦のなく勢いを増した雨が顔を叩き続ける。
目の前の視界に入る全てが――どす黒く濁っていた。
―1ヶ月前―
「遅いぞ、徹」
言葉とは裏腹に彼女は笑顔をこちらに向けていた。
仕事の疲れもこの笑顔で吹き飛ぶってもんだ。で、そんな彼女とつき合えていることを運命に感謝したいくらいだ。
「悪い悪い、上司に捕まっちゃってさ。奢るから勘弁してくれ」
僕は足早に彼女に近づきながら、バツの悪い顔をして謝った。
「あはは。相変わらず忙しいんだ?」
「まぁね」
彼女は笑いながら、僕の腕に絡みつく。
少し歩きづらいが、そのまま一緒に歩きながら会話をはじめる。
「徹って25歳だっけ?」
「そうだよ。千尋の一つ上のしがないサラリーマンさ」
「私も専業作家って言ってもパッとしないからね~」
「そんなことないだろ? 立派な仕事だよ」
「兼業でもしないときっびし~……」
「あ~ほら、この前の妖精の話のやつはそこそこ売れたんだろ?」
「そこそこ……ね。次こそドカンと当てて……」
夏井千尋は本名そのままのペンネームで作家をしている。
そこそこに本は出版しているのだが、そこそこではダメなんだといつも愚痴ってくる。とはいえ、彼女の愚痴はいつも前向きで嫌いじゃない。
お互いに仕事も忙しく、普段は休みを合わせたりするのも大変だ。だから今日のように仕事の後にタイミングを合わせて会うことが多い。
話している間にすぐに目的地に着いた。
今日は少し洒落たレストランでランチをすることにして僕らは席に着いた。注文を終えると千尋は僕をじっと見つめてくる。
「なんだよ?」
「来週。パリに行ってくるね」
「パリ? 旅行か何か?」
「馬鹿ね。取材よ取材」
「あー、本の? そんなことまでするんだ」
「興味ないクセに」
彼女は頬を膨らませながら、不服そうにしている。
「興味がないんじゃなくて、時間がないの」
言い訳しながらも千尋の膨らませた可愛い顔を眺めた。
僕は本を読む習慣がないし、彼女の本も忙しいのを理由に読んだことがない。千尋はそんな僕を気にも留めていないようだったが、内心は読んでほしいのかもしれない。
―次の週―
「徹!」
「よぉ」
珍しく僕は休日に彼女に呼び出されていた。
パリに行くって話だったが、出発前の儀式のようなものだろうか。
その時はあまり深くは考えていなかった。
「パリに出発する日はいつ? 今週だよね?」
千尋は僕の言葉に一瞬だけ表情に影を落としたが、すぐにいつもの笑顔に戻る。
「あぁ、それね。中止になったの」
「そうなんだ? 何か問題でもおきたのかい?」
「ううん。ちょっとやりたいことが出来たからさ」
「へー……やりたいことって?」
彼女はいつものように僕の腕に絡みついてから「こっち」と言って歩きだす。
「まったく。千尋はいつも強引で突然だよな」
僕は苦笑しながらも千尋の腕越しのぬくもりが嬉しかった。
「ここだよ」
「ここ?」
千尋に連れていかれた場所にはいかにも怪しげなお店があり、看板には〝占いの館〟と書いてある。
「占い? おい、よせよ占いなんて。柄じゃない」
「いいからいいから」
彼女は僕の腕を強引に引っ張ると、占いの館へと入っていく。
「いらっしゃい。おや、お嬢ちゃん……その人かい?」
古びた店内に入ると、歳がいくつかもわからない老婆が声をかけてきた。
他には客はいないようだが、どうやら千尋とは面識があるらしい。
「えぇ。お婆ちゃん。そうよ」
「ふむぅ……そうかい」
妙な空気を感じた。
深刻、というか。違う空気が張り詰めた、というか。
「じゃ、帰ろう」
来たばかりなのに占いもせずに、千尋はいきなり帰ろうと言い出した。
「え? 何か占ってもらうんじゃないのかい?」
「んーん。もう用事は済んだからいいの」
「意味がわからないよ」
「じゃーね、お婆ちゃん」
「あい……またのお越しをお待ちしておるよ……」
短い会話がなされると、千尋は僕の腕を引っ張って外へでた。
「なんだったんだい?」
「顔合わせ……かな?」
「親戚か誰かなのかい?」
「ううん。違うよ」
うーむ。益々、意味がわからないな。
「ねぇ、徹」
「ん?」
「もし、お互いに何かあったら……この占いの館に来てくれる?」
「何かってなんだい?」
「何か……は何かだよ」
僕は〝何か〟について思考を巡らせてみたが、いまいちピンとこないな。
そんな僕の顔を優しげに見つめていた千尋と目が合うと、彼女は念をおしてくる。
「約束、だよ」
「え? 何が?」
「何かあったらここに来る。OK?」
「あー……良くわからないけどわかった」
「ありがとう」
千尋は満足げに言うと突然、背伸びをして僕に顔を近づけてくる。
そのまま目を瞑って僕の唇に自身の唇を重ね合わせ、ギュッと背中に手をまわして抱きついてきた。
「んん!?」
僕は突然の事にびっくりして固まったが、千尋はお構いなしだ。
少し長く唇を重ね合った後、千尋は顔を伏せ、一瞬の間……
「へへ。隙あり」と言って俺に笑顔を向けてきた。
いつもの千尋の笑顔だったが、何故だか寂しげに見えたのは気のせいだろうか。
その日は夕食を作ると千尋が言い出したので、材料を一緒に買い出した後に、僕の家に向
かった。
彼女は料理が得意な方ではないから、こんなことを言い出すのは珍しい。
「今日はどうしたんだい? その……色々と変だよ」
「そう……? そうかもね。たまにはいいじゃない」
「うん……まぁーいいんだけどさ」
千尋は悪戦苦闘しながらも、その様子とは裏腹に豪華な料理がテーブルに並んだ。
僕は素直に驚く。
「本当にどうしたんだい? 心配になるよ」
「どうしてー?」
「これじゃー最後の晩餐みたいじゃないか」
「あはは。言えてるー」
千尋は大袈裟に手で僕の肩を叩きながら盛大に笑っている。
ひとしきり笑った後に「これが女子力というものだよ、徹君」と胸を叩きながら彼女はドヤ顔をした。
「女子力……そ、そーっすね」
「なによーその反応はーこいつめー」
「はは。冗談だよ、ごめんごめん」
いつもの日常。
千尋が居て、僕が居て。
何でもないことで笑い合って、幸せな気分になる。
僕にとってはもう当たり前な日々だった。
「さ、食べて食べて」
「お、おう」
僕は千尋にすすめられるままに、料理を口に運んだ。
優しい味がする。心が温かくなるような……そんな味だった。
「どぉどぉ?」
千尋はそんな僕を、目を輝かせて見つめている。
「あぁ……すごく美味しいよ。でも――これ焦げてるよ」
「え、うそ」
「ほら、これ」
「それは……」
「それは?」
「私の愛の炎が強すぎただけだし」
「あ、愛の炎ってなんすか」
そこで会話が止まった。
「千尋?」
僕は空気に耐えられず、千尋に声をかけた。
彼女は顔を伏せて肩を震わせている。
「千尋。少し焦げてるだけだし、味は美味しいよ、うん」
僕のその言葉に、千尋はパッと顔を上げるとにこやかな笑みを浮かべる。
「あはは。焦った? ねぇ焦った?」
いつものことだが、千尋はそう言って笑い転げた。
「いや。もう慣れたよそれ」
「えー冷めてるー」
「冷めてるとかじゃないって」
「じゃー愛してる?」
「え?」
「だから、私のこと。愛してる?」
うぐ。本当に今日の千尋はどうしたんだ。
いつになく攻めてくる。
「ちゃんと言葉にして」
さらに千尋はじりじりと僕ににじり寄ってきた。
「あ……愛してるよ」
僕が勇気を振り絞って何とか言葉にしたが、千尋は反応しなかった。
じーっと僕の顔を眺めたままだ。
「あの……千尋さん?」
「あ、ごめんごめん」
「どうしたの? 大丈夫かい?」
「ふふ。好きな人の顔を焼きつけてただけだよ」
「本当に今日はどうしたんだい?」
やっぱり今日の千尋は変だ。
いつも一緒に居て楽しいし不満はないが、愛を語ると恥ずかしがるタイプだったはず。
だから、ストレートな表現っていつもしないのにな。
僕がそんな事を考えていると、千尋が寂しげに口を開いた。
「伝えられる時に、伝えたい想いを、言葉にしておきたいって思っただけだよ」
「ふーん……次の小説のネタか何かかい?」
千尋は僕の言葉に肩をぴくっとさせ「バレたー? あはは」と舌をちろっと出しながら、いたずらな笑みを僕に向ける。
僕らはそんな会話を繰り返して、その日、千尋は僕の部屋に泊まっていった。
数週間後。
夏井千尋が亡くなったと連絡を受けた。
当たり前に隣にいた大切な人が、突然この世界から居なくなったのだ。
事故だったらしい。
千尋との想い出が頭を駆け巡る。
現実を受け入れられない。
彼女の葬儀にもでた。
両親にも挨拶をした。
全ては朧げな意識の中で行われ、淡々と時間は過ぎて行った。
僕は会社を辞めた。
生きる意味を失った。
このまま死んでしまいたい。
降りしきる雨の中、僕はふらふらとあてもなく歩いた。
僕の涙は涸れ果て、雨がその代わりに頬を伝い流れ落ちていく。
足の力が抜け、その場にへたり込む。
天を見上げると、容赦のない雨が僕の顔を叩く。
もう僕の瞳には光は無かった。
ザーザー……
雨の音だけが聞こえる。
ふと、千尋の声が聞こえた気がした。
〝もし、お互いに何かあったら……この占いの館に来てくれる?〟
〝約束、だよ〟
約束……。
僕は視線を横に向けると、そこには占いの館があった。
無意識に足を運んでいたのだろうか。
僕は力なくゆっくり立ち上がると、占いの館に足を向けた。
びしょ濡れのまま店内に入ると、老婆が僕を見つめている。
「いらっしゃい。よく来たねぇ」
僕は怒りが込み上げてきた。
瞳に光が戻る。
「アンタ。千尋と何を話した?」
僕は感情のままに老婆に言葉を叩きつけた。
「約束、じゃよ」
僕の怒りのこもった言葉にも怯まず、老婆は口を開く。
「夏井千尋。自分に何かあったら彼を頼むように言われておってな」
「アンタに何が出来る……」
僕は老婆の言葉の意味もわからず吐き捨てるように言った。
「アンタに何が出来るっていうんだ! 千尋はもういないんだ!」
老婆は僕の様子にも動じる気配もなく、静かに椅子に座っている。
「お主、もう生きる希望を失っておるじゃろ」
「だったらなんだ」
「まずは、わしの話を聞きなされ。なーに時間はあるじゃろうて」
ふん。
僕はどさっとその場に座り込んだ。
礼儀も何もあったものじゃないが、今の僕には知ったことではなかった。
「わしの一族は召喚士をしていてな」
はっ。何を言い出すかと思えば〝召喚士〟?
バカバカしい。
僕は胡散臭そうに婆さんを睨みつけた。
「信じられぬのも無理はない。おとぎ話にしか聞こえまいて」
「で? その召喚士様は僕に何をしてくれるだい?」
「話が早くてええのう。ならば聞こう。夏井千尋に会いたくはないか?」
この婆さん何を言っているんだ。
千尋に会いたいか? だと。
会いたいに決まっている。
馬鹿らしい。この婆さんの質問に怒りが込み上げてくる。
それでも僕は――
「あぁ、会いたいね。会えるものならね」
僕の言葉に婆さんは満足げに微笑んだ。
「ならばこの老いぼれも約束を果たそう」
「約束?」
「これを受け取りなされ」
老婆はそう言って、僕に深紅の指輪を手渡した。
「なんだ婆さん。指輪でも売りつけようってか?」
僕は指輪の意味もわからず悪態をついた。
「ひょひょひょ。その指輪を左手の薬指にはめなされ」
「は、婚約指輪かよ」
僕は悪態をつきながらも、指輪を左手の薬指にはめた。
不思議とサイズはぴったりだ。
僕が指輪をはめて婆さんに何かを言おうとした時、先に婆さんが力のこもった言葉を口にした。
「会いたい者を思い浮かべ
わしの言葉に続け
サモン〝夏井千尋〟」
老婆の迫力に押されながらも、僕はその言葉に続いた。
「サモン……夏井千尋」
何も起きない。
そう思った瞬間だった。
突然、指にはめた指輪が光を放ち始めた。
その光は店内を明るく照らし上げ、優しく広がっていく。
「な、なんだこれ」
光は徐々に収束していき、人の形を成していく。
まさか、まさか、まさか――
そんなばかな……
涸れ果てたと思っていた僕の瞳には、涙が溢れてきた。
光が収まると――
そこには笑顔で微笑む千尋が立っていた。
僕の目に溢れた涙が、一気に頬を伝って流れ落ちる。
「ち、千尋……?」
彼女は満足げに微笑む。
「千尋……?」
僕は彼女に手を伸ばした。
「やぁ。久しぶり……? 涙で顔がぐしゃぐしゃだね」
しゃべった……千尋だ。
僕の知っている彼女そのものだ……。
「まさか、こんなことが……」
「ふふ。私もびっくりした。また会えるなんて夢みたい」
「あ……ああぁぁ――」
僕はもう我慢できずに彼女を抱きしめた。
暖かい、生きてる、ここに千尋がいる――。
僕達はしばらくお互いの温もりを確かめ合った。
「お婆ちゃん、約束を守ってくれてありがとう」
彼女は僕から離れると老婆にペコリと頭を下げる。
「約束ってなんだい?」
僕は千尋に疑問を投げかけた。
どうしても腑に落ちなかったからだ。
「私ね。死ぬのが決まってたの」
「は? なんだよそれ」
「だから、死ぬのがわかってたのよ」
「そんなことを信じろっていうのか?」
千尋は悲しそうな表情になった。
「だから、私が死んだらもう一度会えるようにお婆ちゃんにお願いしてたの」
「そっか……非科学的だけど今は信じるよ」
もう何でもいい。
君が僕の隣に居てくれるのなら、他には何もいらないんだ。
「さぁ、お家に帰ろう徹」
彼女は生前のように、僕の腕に絡みつくと強引に引っ張った。
それがすごく懐かしく、遠くにあったものに感じて心が温かくなっていく。
「いやー、生きてるっていいねー」
千尋は僕の部屋に帰ると、大きく大の字になって寝転がった。
「なぁ、千尋。あの婆さんは何者なんだ?」
「あーね。召喚士の一族らしいよ」
「へー……」
「ね。晩御飯まだでしょ? ぱぱっと作っちゃうね」
「あ、あぁ……」
当たり前にあった日常が……今、僕の目の前にある。
でも、何故だか現実味が感じられない。
夢の中にいるような、不思議な気持ちだった。
「徹。ぼーっとしてないでお風呂入っておいでよ。ずぶ濡れだよ」
「あ……そうだった。わかった」
シャワーを浴びている間も信じられない気持ちでいっぱいだ。
部屋に戻ったら、じつは居ないんじゃないかって怖い。
僕は落ち着かず、すぐにシャワーを切り上げて部屋に戻る。
そこには彼女が鼻歌を歌いながら料理をしている姿が――
僕はエプロン姿の千尋を後ろから抱きしめた。
「わ、何よ徹。今、包丁持ってるから危ないってば」
「いいじゃないか」
「よくないー。てか、あがるの早すぎだよーまだ作ってるとこだから」
「このままで居させてくれ」
「あはは。甘えん坊さんだなー。でもダメ。そこに座って待ってて」
千尋は笑いながら僕の腕をすり抜けると、僕に座るように促してきた。
僕は仕方なく座って待つことにしたが、その視線は彼女を見続ける。
「見すぎだって」
「それくらいいいだろ」
「はいはい。お好きにどうぞっ」
千尋は上機嫌で料理をしている。
また愛の炎が強すぎて焦げた料理が出来るのだろうか。
僕はふふっと声に出して笑ってしまった。
――いつぶりだろう。笑ったのは……。
しかし。
疑問は残っている。
召喚術ってよりは、これでは蘇生術じゃないだろうか?
死んだ人間を生き返らせているのだから……。
僕が難しそうな顔をしていると千尋が声をかけてきた。
「ね? 仕事辞めたでしょ?」
「あ……あぁ、そういえばそうだったね」
「まったく私が居ないとだらしないんだからっ」
「ごめん。また頑張るよ」
「是非そうして下さいっ」
千尋は手際よく料理をテーブルに並べると、僕にニコっと笑いかけた。
「さ、食べよ食べよ」
「あれ、今日は焦げてないね」
「焦がしません」
「愛の炎が足りてないんじゃないの?」
「今日は抑えてますからね。本気出したらこの程度の料理は消し炭だよっ」
「ぷっ、なんだよそれ」
「あはは。いいから食べよ食べよ」
「おうっ」
夕ご飯を食べ終わった後にも幸せな時間が過ぎていく。
一度失ったことによって、余計にその有難みを身に染みている。
布団に入ってもなかなか寝付けない。
横には寝息を立てて静かに寝ている千尋がいた。
生きてる……生き返ったんだ。
でもなんだろう。この不安感は――。
翌日。
僕は目を覚ました。
何気なく横を見ると千尋はいなかった。
急速に意識がハッキリとしていく。
夢だったのか……
「おはよー徹」
「千尋……! 夢じゃなかったのか」
「もう、寝ぼけてないで顔洗ってきたら? 朝ご飯できてるよ」
「あ、あぁ……」
僕は顔を洗いながら思考を巡らせる。
死んだ人間が生き返ったら、どうすればいいのだろう。
親族に何て言えばいい?
こんな話は信じられないよなぁ……。
千尋と朝ご飯を食べながら、それとなく聞いてみることにした。
「なぁ、生き返った後ってどうすればいいのかな? 親御さんとかさ」
「ん? あぁ、それね」
「かなり重要なことじゃないか?」
「大丈夫。生き返ったんじゃないから……」
千尋の言葉に僕の心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
〝生き返ったんじゃないから〟
どういう意味だ……?
「それってどーいうことだい?」
考えても仕方がない。
直接、千尋に聞いてみるしかないだろう。
「召喚術だよ」
「それって何が違うんだい?」
「ふー……召喚される時間が決まっているの」
「え……」
時間が決まっている……時間が来たら消えちゃうのか?
嘘だろ……そんなの耐えられない。
「時間が来たらどうなるんだ?」
僕は震える声を絞り出した。
喉がカラカラする。
「一回の召喚で召喚できるのは二十四時間なの」
「二十四時間経つとどうなる?」
「消えちゃう……」
千尋の言葉に僕の心臓が不安と共にドクンと脈打った。
「なんだよ……それ――」
「大丈夫だよ。もう一回召喚してくれたら大丈夫だから。心配しないで?」
「え、何回でも召喚できるのか?」
「う、うん」
彼女はぎこちなく笑って頷いたが、僕から視線を逸らした。
嘘だ。これは千尋が嘘をつくときの作り笑いだ。
一体何を隠してるんだ。
千尋は自分を守るための嘘はつかない。
つまりこれは僕の為についている嘘だ。
そんな僕の様子で感づいたかのように彼女が慌てて懇願してきた。
「徹。お願い。私を信じて。私が消えたらすぐに召喚して。約束してよ」
「どういうことなんだい?」
「徹に会いたいからだよ。わかるでしょ?」
これは嘘じゃない。
でも、何かを隠してるのは間違いない。
もしかして――何か召喚するのに代償があるのか?
考えろ。
もう一度、彼女を失えば今度こそ僕はもうダメだ。
それは千尋もよく分かっているはず。
だから再び居なくなるような嘘はつかない。
だが、この様子では彼女は本当のことは話さないだろう。
となると、あの婆さんに聞くしかない。
「わかったよ千尋」
僕は取り合えず千尋に納得した意思を伝えた。
「ありがとう……徹」
時間は足早に過ぎ去り、夜になった。
もうそろそろ彼女を召喚してから二十四時間が経とうとしている。
「じゃあ、お願いね徹」
「あぁ、わかってるよ」
「すぐ、すぐだよ?」
「あぁ……わかってるって」
「じゃあ……」
千尋の身体が光に包まれていく。
召喚した時とは逆に、周囲に光が散っていった。
しばらくして、千尋の姿が完全に消える。
つっ――
なんだ――
千尋の姿が消えた瞬間、僕の中の何かが消えた。
彼女との想い出が霞む。
いや、消えていく――
なんだよこれ……まさか――
僕は駆け出した。あの占いの館へ。
バタン。
勢いよく占いの館のドアを開け、息切れしながらも婆さんを視線で探す。
「そろそろ来る頃だと思っておったよ」
婆さんは静かにそう――声をかけてきた。
「どういうことだよ婆さん……」
「ふむ……」
「千尋との記憶が消えていく。これはなんなんだ?」
「サモン・メモリーじゃよ」
「さもんめもりー……?」
「うむ。己の中の記憶を具現化して二十四時間召喚する術じゃよ」
「記憶を具現化……?」
「さよう。故に二十四時間で消滅する瞬間に、その記憶も消えるんじゃよ」
「な、なんだって……」
「もう隠していても仕方がないじゃろうから教えようかの。召喚できる回数は三回じゃ」
「さ、三回……?」
「三回の召喚で召喚する者の記憶が全て消える。そーいう術なんじゃよ」
クソッ……
すべて理解した。
千尋は僕の中から、自分の記憶を全て消すつもりだったんだ。
もう悲しまないように――やりかねない。いや、それしか考えられない。
「三回目の召喚が終わる時に、召喚術の記憶も失う。指輪も砕け散るじゃろう」
僕は崩れ落ちるように座り込んだ。
胸が張り裂けそうだった。
何も考えられなくなっていく。
また、絶望に心が染まっていくのを感じる。
長い沈黙が続く。
まるで周囲の時間が止まったかのように。
僕は――
「婆さん……指輪は返すよ」
カラカラになった喉からそれだけを言葉にして絞り出す。
もう会えなくなるのは耐えられない。
でも――千尋との想い出は失いたくない。
想い出の中の千尋と死のう――。
「ならぬ」
僕の言葉で心まで読んだかのように老婆は静かに言い放った。
「っ……何なんだ、アンタ?」
「わしはあの子との約束を果たしたい」
「約束?」
「うむ。もう一度〝澤木徹と会いたい〟あの子の願いじゃよ」
「は…、会いたい? 具現化した召喚術ってなんなんだ? 記憶を具現化しているだけでまがいものなんじゃないのか? 会う意味がない。そうだろ?」
「それは違うんじゃよ」
「何が違うんだ?」
「魂は存在する。サモンメモリーは記憶を形に肉体を作っておるだけじゃよ」
「肉体を作る……?」
「うむ。その肉体に夏井千尋の魂が宿る。つまり、召喚された夏井千尋は生前の夏井千尋そ
のものなんじゃよ」
あの千尋は――本物……。
抑えきれない気持ちが込み上げる。
話したい。触れたい。抱きしめたい。ずっと、ずっとずっと――
でも……あと二回。
記憶がぼやけて消えていく時、張り裂けそうな気持ちになった。
どうすればいい――。
彼女の願いは僕に会うこと、ではないのだろう。
もちろんそれも嘘ではないのだろうが、僕の中から自分の記憶を消す。
そうすることによって、僕の未来を作ろうとしているのだ。
ずるいじゃないかそんなの。
千尋の笑顔が頭に浮かび上がる。
まだ覚えてる。
だが、消えた記憶のことがまったくわからない。
最初はぼやけていたのに、今は完全に消えている。
何が消えたかもわからない。
「婆さん」
僕は無駄だとわかりながらも、藁をもすがる想いを口にした。
「忘れない方法はないのか?」
「ふむ……」
ローブで顔は見えないが、老婆は何かを考え込んでいる。
まさか、あるのか。忘れない方法が。
老婆はしばらくの間のあと、静かな声で話し始めた。
「召喚術には二つの方法がある」
「二つ……?」
「さよう。一つはサモンメモリー、記憶を具現化する召喚術」
「もう一つは?」
「話しておいてなんじゃが、お主には使えぬ」
「代償がない召喚術があるのか?」
僕は希望にすがるように老婆に詰め寄る。
「代償のない召喚術などない」
「でも、記憶を失わなくてもすむ召喚術はあるんだろ? ハッキリいってくれ」
「その質問はイエスじゃが、先も言った通り主には使えぬ」
「なっんだよそれ」
「理由は話せぬ。お主が選べる選択肢は三つじゃ」
「三つ……?」
「想い出を残したまま生きるか、死ぬか、あの子の願いを叶えるか、じゃよ」
このどの選択肢にも千尋はいない。
僕は愕然とした。
「婆さん。他に話してないことはないか?」
「そうじゃな……できれば――あの子の願いを叶えてやってはくれまいか」
「どうして婆さんがそこまで千尋のことを考えるんだ?」
またしばらく沈黙が続いた。
この婆さんはいったい何者で、千尋とどんな関係なんだ。
そもそも〝死ぬのがわかってた〟っておかしくないか?
何かを隠している。何を隠しているんだ。
僕が思考を巡らせていると老婆がため息を吐いた。
「お主には納得できぬじゃろうが、あの子の想いに答えたいからじゃよ」
「千尋の想い……」
「行きなされ、あとはお主が考えることじゃ。わしはちと疲れたでな」
「わか……った」
僕は納得ができないまま、占いの館をでた。
〝魂は存在する〟
老婆の言葉がちくりと胸に刺さる。
ふらふらとした足取りで家路につくとベッドに座った。
それと同時に不条理を吐きだすかのように深いため息をつく。
左手の薬指に視線を向けると深紅の指輪がキラリと光った。
あと二回。
彼女は僕の幸せを望んでいる。
自分のことは忘れられても、僕を生かそうとしているんだ。
僕も会いたいよ。千尋。
ふと机を見ると本が並んでいる。
いつか読んでねって彼女が書いた小説を並べていたのだ。
一冊も読むことなく、増えていった本たち。
千尋が残したもの。
その本を一冊抜き取ると読み始めた。
本は苦手だ。
文章を読むより、映画などを見ていた方が有意義だと思っていた。
千尋に言うと怒られるけど。
でも――
そこには千尋の世界が広がっていた。
映像のように繰り広げられていく。
あいつ――すごい作家だったんだな……。
僕は千尋の全ての本を夢中で読み漁る。
感想……言いたかったな。
すごいじゃないかって伝えたかった。
〝その肉体に夏井千尋の魂が宿る。つまり召喚された夏井千尋は生前の夏井千尋そのもの
なんじゃよ〟
婆さんの言葉が頭をかすめた。
僕はもう一度、指輪に視線を向ける。
あと二回は召喚できるんだ。
だから、あと一回なら――
「サモン……」
くっ……僕は言いかけて言葉を濁した。
なんで大切な人に会うのに、大切な人のことを忘れなきゃいけないんだ。
こんなのひどすぎる。
忘れてたまるか。
絶対に忘れない。
その上で、召喚する――
「サモン! 夏井千尋!」
覚悟を決めて二度目の召喚術を発動した。
部屋がまばゆい光に包まれていく。
光が収束して、僕の目の前に千尋が現れる。
千尋は周囲を見渡してからため息を吐く。
「すぐに召喚しなかったでしょ?」
「あ、あぁ……」
僕はゆっくりと彼女を抱きしめた。
「でも……ありがとう。召喚してくれて」
千尋のぬくもりだ。
手放したくない。
「徹?」
「なぁ、教えてくれないか?」
「何を?」
「隠してること……あるんだろ?」
千尋は僕の胸に顔を埋めながら、抱きしめる腕に力を入れてきた。
「徹には幸せになって欲しい。それだけだよ」
「千尋のことを忘れてか?」
「うん。覚えてたら辛いでしょ?」
「忘れないよ」
「徹……?」
忘れない。
覚えたまま、召喚し続ければいい。
僕の想いに回数制限なんてつけさせてたまるか。
「あ、小説読んだの?」
千尋は机の上に散乱した自分の小説に気がついたようだ。
読んだのバレバレだな。
「あぁ、だいたい読んだよ。面白かった」
「ホント? やった」
千尋は嬉しそうに僕に笑顔を向けた。
「もう深夜だね。寝よっか?」
「もう少しこのまま」
「徹は甘えん坊だね」
僕達はお互いのぬくもりを確かめながら抱きしめ合った。
話したいこと、聞きたいこと、沢山あったんだけどな。
本人を目の前にすると言葉にならない。
伝えたい時に気持ちを言葉にするのって難しい。
でもそれはすごく大切なことなんだ。
「千尋。愛してる」
僕は自然とそれだけを言葉に出した。
彼女は何も言わなかったが、きっと喜んでくれてる。
僕達はそのまま眠りにつく。
夜が明けた。
包丁の音が聞こえる。
霞む目を向けると、エプロン姿の千尋が朝食の準備をしていた。
「おはよう千尋」
僕は寝起きの擦れた声で千尋に声をかける。
「おはよう徹。ふふ、寝起きの擦れた声……好きなんだよね」
「ふーん。変わってるね」
僕は時計に視線を向ける。
時刻は八時ちょい過ぎくらいか。
深夜の二時くらいに召喚しているから、すでに六時間の経過か。
あと……十八時間――
幸せな優しい時間は、過ぎ去るのが早すぎる。
でも今は……何も考えたくない。
大丈夫。
忘れなければいいんだ。大丈夫……。
僕は何度も……何度も心に刻み込んだ。
「朝ご飯できたよ! 食べよ食べよっ」
「お、おう」
朝食を食べながら彼女に考えていたことを提案してみることにした。
「なぁ、千尋」
「なーに?」
千尋はコーヒーを一口飲むと、きょとんとした顔で首を傾げる。
「念の為、忘れないようにノートに書いておく、とかはどうかな?」
「ノート?」
「そう、千尋のこと、召喚術のこと、今、なにがおきているのか」
「ダメだよ」
「ダメ?」
千尋は僕の提案に即答した。
「どうしてだい?」
「記憶が消える、とお婆ちゃんは言ってたけど、実際には記憶だけじゃないの」
「記憶だけじゃ……ない?」
「そう、例えばその書いたノートも記憶として消滅する」
「バカなっ」
「この世の理をねじまげて修正されるとか、お婆ちゃんが言ってた」
「うそ……だろ」
じゃあ、千尋の私物とかもこの部屋から消えるってことか。
「ねぇ、徹。忘れてよ」
「え?」
「私のことは忘れて、未来を生きてほしい」
「なんで……そんなこと言うんだよ……」
千尋は僕の隣に這い寄ってきて、その可愛らしい顔を僕の肩に乗せた。
僕はそんな千尋の頭を、そっと抱き寄せる。
「私はもう居ないの。この先には居ないのよ」
「だからって、絶対なんとかなるって」
「徹、お願い。今この時間があるだけでも奇跡なんだよ」
奇跡。
たしかにそうだけど……。
「私は今、幸せだよ。でもね、徹はこれからの人生を幸せに生きて」
「千尋のいない幸せ何て考えられないよ」
「大丈夫。私の好きになった人だもの」
時間が早送りのように進んでいく。
もっとゆっくりと過ぎてくれ。
願わくば止まってくれ。
僕はせっかくだからどこかに出掛けようと彼女を連れ出そうとしたが、千尋は拒否した。
部屋の片づけをすると言い出して、せわしなく掃除をしている。
そんな彼女を僕はただ眺めているだけだった。
大切な人と過ごす時間。
こうなってみると何をしていいのかわからない。
当たり前にあった、いつもの日常なのに。
制限時間があると思うと落ち着かない。
そういえば千尋と出会ったのはいつだったっけ。
――――っ
思い出せない……。
忘れるはずのない大切な記憶が思い出せない。
怖い――。
いったいどれだけのことを忘れているのか……。
僕は頭を抱えた。
そんな様子を見ていたのか、彼女が口を開く。
「ねぇ……徹」
「ん……?」
千尋のほうに顔を向けると、心配そうな瞳で僕を見つめている。
「考えるのやめなよ」
「え?」
「私のわがままかもしれないけど、考えても仕方がないことは考えないで」
「僕は千尋を失いたくないんだ」
「ありがとう徹」
彼女は掃除をやめて、座っている僕の後ろから腕を絡ませてきた。
「考え方をかえてもらえないかなって思うの」
「考え方?」
「そう、嫌な未来に絶望するんじゃなくって、今を見てほしいの」
今を見てほしい……か。
僕は言葉が出てこなかった。
「私の時間は限られてるでしょ。その時間を大事にしてくれないかなって」
「限られた時間……」
「私には今の何気ない時間が宝物だから。ダメかな?」
千尋が千尋でいられる時間はもう限られてる。
たしかにそうだ。
なのに僕は自分のことばかりを考えていた。
「ごめん千尋……」
「ううん。私もいつも執筆ばかりで、それでも徹は何も言わなかったでしょう」
「僕には一生懸命になれるものがなかったからね。見ているだけで幸せだったよ」
「ありがとう。だから今日は掃除とかしていたいの」
「変わってるよな。千尋は」
千尋はふふって笑うと、僕から離れてまた掃除を再開した。
それにね徹。
私の記憶が消えれば〝嫌な未来〟じゃなくなる。
〝希望溢れる未来〟に変わるはずだから――
それから僕達は当たり前の日常を過ごしたあとに一緒に寝た。
彼女が言うには寝ている間に自分が消えれば、記憶が消える時の嫌な感じもないだろうっ
てことらしい。
僕は千尋を抱きしめたままでなかなか寝付けなかったが、いつのまにか深い眠りについた。
翌朝。
千尋は消えていた。
思い浮かべる千尋の顔がぼやけている。
沢山の話をしたはずなのに、何も話してなかったような感覚だった。
ダメだ……。
消えていってる……。
僕は叫びたくなる衝動を抑えた。
大の字に寝転がり、何気なく机の上を見たらすっきりと片付けられていた。
もっと机の上には本とか色々とあった気がするんだけどな。
ハァ……記憶が消えていっても、想いだけはそのまま残ってる。
胸が張り裂けそうになる。
あと一回。
深いため息を何度もつく。
人を好きになるって何なんだろな。
こんなにも簡単に消えてしまうものなんだろうか。
千尋は〝何気ない時間が宝物〟と言っていた。
僕に何ができるのだろう。
絶対に忘れないって思っていたけど、もう自信がない。
あの婆さんにもう一度会うか。
もう一つの召喚術――そこに希望がある気がする。
千尋が居て、僕も居る未来も可能なんじゃないだろうか。
だが――
「ウソ――だろ」
僕は小さく呻く。
そこにあったはずの占いの館が、元から何も無かったかのように消え去っていた……。
こんなことなら強引にでも問いただしておけば……。
僕はふらふらとその場を後にした。
彼女の言葉が頭を駆け巡る。
……自分の部屋につくとベッドに腰を掛けた。
やっぱり、これが運命なんだ。
どうせ死のうと思ってたんだ。
だったら、千尋の願いを叶えよう。
僕にできるのはもうそれしかないから。
「最後の召喚だ……」
僕は拳を痛いほどに握りしめた。
涙が込み上げて来る。
それでも――強く歯を食いしばって我慢した。
千尋にこんな顔を見せたら心配させちゃうからな。
「サモン! 夏井千尋!」
部屋がまばゆい光に包まれる。
光が収束して、笑顔の彼女が現れた。
「ありがとう徹」
「よぉ、わかってたんだろ?」
「徹は私のことだけを考えてくれるってわかってたよ」
僕達は抱きしめ合ってお互いのぬくもりを確かめ合った。
「さ、何がしたい? 千尋」
「なーんにも。お話ししよう」
「二十四時間ずっとかい?」
「耐久会話だねっ」
「無茶言うなよ」
「あはは」
それから僕達はたわいのない話を続けた。
千尋はずっと笑ってた。
僕もなるべく笑顔を作った。
千尋が昼食を作り、僕はそれを眺める。
焦げた匂いがした。
また愛の炎が強すぎたのだろう。
食べて、笑って、当たり前の日常を過ごした。
特別変わった時間じゃない。
ずっと続くと思っていた時間だ。
僕は千尋に出会ってから、ずっと幸せだったんだな。
「ありがとう千尋」
「どうしたの急に?」
「僕は千尋に出会ってからずっと幸せだった」
「私もだよ」
「なのに当たり前になっちゃってたんだ」
「そんなの普通だよ」
「もっと、ずっと一緒に居たかった」
「うん……」
あっという間に時間が過ぎ去り、晩御飯も食べ終わった。
まだ時間はあるが、寝て起きたらほとんど残されていないだろう。
「なぁ、千尋」
「なーに?」
「海を見に行こう」
「え?」
「寝る時間がもったいない」
「そうだね。だからって海って。あはは」
「青春って感じだろ?」
「だね」
僕は車に彼女を乗せて海を目指した。
目的なんてない。
気の利いたことなんて思いつかない。
でも、彼女との想い出の中で覚えていたものがあったんだ。
〝海が見たい〟って千尋は前に言っていた。
なぜかそれは消えていなくて、叶えてやりたくなったんだ。
僕らは車の中でも、たわいのない話をしていたが、ふと切りだしてみた。
「婆さんの占いの館が無くなってたんだけど」
「そうなんだ」
「この世の理をねじまげる、とは違うよな?」
「一ヵ所にはいないって言ってたよ」
「へー……」
「お婆ちゃんからね。召喚士の一族の話を聞いたの」
「面白かったかい?」
「うん。小説にしたよ。そろそろ出版されると思う」
「そうか……でも」
「うん。徹は忘れちゃうよね。でもさ」
「ん?」
「忘れてからのことなら、この世の理には関係ないと思うんだよ。だから偶然に私の本を手
にして読むかもしれないじゃない?」
「なるほど……」
「それってすごく素敵なことじゃない?」
僕は目的地についたので、パーキングエリアに車を停めた。
「さ、ついたよ」
「うん」
潮の香。
波の音。
夜の海ってのもあって、何だか寂しく見えた。
千尋は浜辺をさくさくと海の方へ歩いていく。
そして、くるっと振り返った。
「忘れちゃうけど、私の小説のタイトルは――」
波の音でかき消されそうになりながらでも、彼女の声はハッキリと僕の耳にその小説のタイトルを届けた。
それから浜辺に二人で腰をかけて、海を眺めながら沢山の話をした。
「覚えててくれたんだね」
「なにをだい? もうかなり忘れちゃってるんだけどね」
「海が見たいって言ってたこと」
「あぁ……バレてたのかい」
「当然。嬉しかったよ」
移動にも時間がかかったけど、話をしていてあっという間に時間は過ぎ去っていく。
空が明るくなってきた。
「初日の出が見れるね」
「初じゃないだろう? 元旦じゃないんだから」
「二人で見る〝初〟だよ」
「そっか。そうだな」
僕達は二人で見る〝初〟日の出を見てから帰ることにした。
千尋が最後に消えるときには、僕の部屋がいいと言ったからだ
寝ていないのもあって、帰りの車内では彼女はうとうとしている。
「千尋。眠いなら寝てもいいよ。疲れたでしょ?」
「ううん。もう起きていたいから」
「そっか。わかった」
僕の部屋に着いた。
千尋は眠いのか大人しい。
時間は……
彼女が消えるまで、あと三十分くらいか……。
「徹……」
千尋は蚊の鳴くような声で僕に呼びかけてきた。
その肩は震えている。
「どうしたんだい?」
「もう忘れちゃうだろうから、本心で話すね」
「うん」
「怖い……徹に会えなくなるのが……怖いよ……」
彼女の瞳からは涙が溢れて零れ落ちた。
僕は千尋を優しく抱きしめる。
「ずっと僕の為に我慢してたのかい?」
「だって……」
「ありがとう千尋。大丈夫――きっとまた会えるよ」
「うん……」
きっと僕なんかより不安だったんだろう。
なのに僕のことばかり優先して。
「千尋。愛してる」
僕と千尋は唇を重ね合わせた。
長く長く、いつまでも――。
彼女の身体が眩く光り始めた。 暖かい光が僕達を包んでいく。
そして――
あれ、何してたんだっけ。
すごく……眠い。
暖かいなにかに触れていたような……。
僕は久しぶりに、ゆっくりと眠りにつく。
その眠りはすごく穏やかだった。
―1ヶ月前―
夏井千尋はパリに行く準備に追われていたが、連日の過酷なスケジュールで体調も良くなかったので病院で診察を受けた。
ただの疲労だと思っていた。
だが、残酷な運命が待ち構えていた。
悪性の腫瘍が見つかって余命宣告をされる。
それでも千尋はパリに行く決心をした。そして……徹にはパリ行きの話をした日――
澤木徹を交通事故で失った。
こんな不幸があるだろうか。
自分は余命宣告。
最愛の人を事故で失うなんて。
彼女は絶望していたが、余命宣告を受けているのだ。
どうせ死ぬのだと自分を誤魔化す。
そんなときに、召喚士のお婆さんと出会った。
「召喚術には二種類ある」
「二種類?」
「記憶を失うサモンメモリー」
「記憶を失う……」
「魂を捧げるサモンソウル」
「魂?」
彼女には信じられない話だった。
肉体と魂は別のもので、余命宣告は関係ないらしかった。
自分の魂を媒介にして、召喚するサモンソウル。
もはや蘇生術といってもいい。
しかも、この世の理を捻じ曲げてサモンソウルで召喚すれば、生前の環境で召喚されると
いうのだ。
事故なんてなかったように、彼の時間を巻き戻せる。
でも、徹は千尋を失えば生きる気力を失う。
だから彼女はお婆さんと約束を交わした。
サモンソウルで召喚した徹に、サモンメモリーを使わせることを。
お婆さんの話では、遥か昔の召喚士の一族は病気などで余命わずかな人が不幸で亡くなっ
た最愛の人をサモンソウルし、召喚された者にサモンメモリーで忘れさせるという儀式が行
われていたそうだった。
想いが重なるその召喚術の儀式をする者達は――
メモリーズサマナーと呼ばれていたらしい。
さらにサモンソウルされた者は召喚された記憶もなく、生前の記憶のまま召喚される。
他にもサモンソウルで召喚された者は、サモンソウルは使えない。
彼女はメモリーズサマナーを実行することにしたのだ。
全ての条件は揃っている。
彼女にとっては願ってもない話だ。
でもその前に一冊の小説を書き上げて担当編集に渡す。いきなり原稿がでてきたのでびっくりしていたが、内容は問題がないようで安心した。
サモンソウルで召喚した澤木徹は、生前そのままだった。
千尋は平静を装って、いつも通りに接する。
その数日後。
サモンソウルの効果で、夏井千尋は事故で亡くなったのだ。
―エピローグ―
現在。
仕事を辞めてしまっていた僕は職探しに追われている。
毎日大変だけど心は軽かった。
心に温かいものが残っている、不思議な感覚。
生きてるって感じがする。
ん。
僕は不思議と本屋が気になった。
理由はわからないが、足は勝手に向かっていく。
新刊コーナーに視線を泳がせると
〝奇跡の新刊〟と書かれた本が山積みになっていた。
僕はその一冊を手にとってタイトルを見ると――。
そこには――
メモリーズサマナー
筆 夏井千尋
と書いてあった。
”また会えた”そんな気持ちが溢れでるように、僕の瞳からは涙が零れ落ちて止まらなかった。
メモリーズ・サマナー 完
お読み頂いてありがとうございましたm(__)m
世に出す初の完結作品になっています。
少し悲しい、でも心が温かくなるような、そんなコンセプトで設定を練りました。
何か届くものがあれば嬉しく思います。