メダカからのライン
1章 メダカ
私は中学の理科教師である。
理科離れが世間の話題となり、理科教育を取り巻く環境が厳しくなったのを感じる。
「全然わかんねー。」と、ちっとも課題に取り組もうとしないカズオが、
理科室の中で叫んでいた。
「まったく、血液なんて見えねーし、つまんねー!」
そのセリフが響いていた理科室では、
2年生の動物に関する観察が行われていた。
カズオとまではいかないが、白旗降参している生徒が多くなってきた。
最近の子供は諦めが早く、ちょっとでも
結果が思わしくないとやめてしまう。
これも、インターネットで検索すれば
手先のネズミを10cm四方動かすだけで
情報が手に入る時代の功罪だ。
観察は、メダカの尾びれを顕微鏡で覗き、
血流を見つけるもので、人よりも薄い色素を持つメダカの血球は確かに分かりにくい。
尾びれの骨と骨の間に血管が走っているのだが、注意深く観察しないと見逃してしまう。
「そろそろかな…」
私は観察の終了を告げようと、
大きな声を出す準備を自分の身体に命令した。これくらいの生徒のざわつき具合なら
これくらいの声量でいいかな…。
まさしく、声を発そうとした瞬間、
一人の生徒と目が合い、身体、特に声帯や腹筋への命令を解除することになった。
彼女はルナという生徒だった。
ルナは理科係でもないのに、授業の終了時に
板書を消したり、集めたプリントが乱れていたら揃えてくれたりと、とても気遣いのできる、今時珍しい生徒の一人だった。
彼女の目は、まっすぐ私を見つめ、
私が出そうとしている指示に待ったを
かけている。
「もう少し、観察がしたい。」
その目は、口の動きよりも雄弁に観察の継続を訴えていた。
私は少し考え、彼女にうなづいてから、
「後、5分経ったら片付けするから、もう少し頑張って観察しよう!」と告げた。
彼女を見ると、私の言葉が消える前に、すでに観察を再開していた。
「あと5分のつなぎを考えないと…」
すでに課題に飽きた生徒の雰囲気の中で、
ルナが観察しやすい環境を作らなければ。
私は、すでに顕微鏡から目を離した生徒に
「メダカの血液が少しでもいいから
観察できた人、手を挙げてごらん。」
と、聞いてみた。手を挙げたのは38人中、
僅か7,8人だった。
「こんなもんか…」
いつもぐらいのパーセントかな。
30年以上も理科教師をしているので、
だいたい、実験や観察の成功率は知っている。それにしても、この成功率に見合う
犠牲であるかと思うと、疑問が残ってしまう。
もう、すでに生き絶えたメダカは20匹を
超えているのである。
「ルナ、メダカのためにも、血流を見つけてくれ…。」
2章 アミラーゼ?
カズオは帰りの会が始まる教室で
脛当て、ソックスを左脚にあてがっていた。本当は、帰りの会が終わってからではないと、部活動の準備はできない校則である。案の定、隣に座っているルナは頑なに校則を守り、同じソフトテニス部の女子が部ティー(部活の練習着、Tシャツ)に着替えていても、未だ制服のままである。
右のソックスも履き終え、カズオの心はすでにグランドでサッカーボールを蹴っている。
帰りの会は明日の連絡を終え、担任の佐川先生がいつもの長い話しを…、おや、今日はさすがに短い!「ラッキー!早く部活に行ける。明日は大会、ヒーローになるのは、この俺様だ!」
サヨナラの挨拶もそこそこに、カズオは階段を駆け下りた。
昇降口まで来ると、自分の名前が校内放送で呼ばれているのに気づき、はやる気持ちにブレーキをかけた。
「生徒の呼び出しをします。2年4組の田村一夫君、至急、職員室の田辺の所まで来てください。繰り返します。2年4組の…。」
「なんだよ、せっかく早く部活に行けたのに。」
職員室は昇降口からは近かったので、呼ばれた理由も思いつかないまま、職員室のドアをノックした。
「失礼します。田辺先生に呼ばれて来ました。」
忙しそうにしている先生達の中に田辺先生がいた。表情からは、呼び出しの理由は分からない。でも、怒られるようなことはしてないよな…。とりあえず、話しを聞くか。
「何ですか?」と、椅子に座っている田辺先生に尋ねた。すると、まったく予期しない言葉を聞くことになった。
「君が、アミラーゼを持っているんだって?」
僕は、記憶の霧の中にアミラーゼと言う単語の存在を見つけられずにいた。
3章 ペア
ルナは誰もいなくなった教室で、部活の準備をしていた。どうしても、みんなから出遅れてしまう。かと言って、帰りの会の前に準備をする気にはならない。それは、校則を守らなければならないという強い意思ではなく、守らないことで、担任の先生からの自分に対する見方が変わってしまう気がするからである。
「私だって、みんなみたいに要領良くやりたい…。」
でも、帰りの会の前に着替えることは、彼女にとってはとても高いハードルなのだ。
教室の後ろにある40cm四方のロッカーからスクールバッグを取り上げ、これまた、ロッカーの端にあるラケットスペースから見慣れたカバーを目印に、自分のラケットを取り出した。
「急がなくちゃ。」
教室を出ようとするが、窓が1ヶ所施錠されてないのに気づいた。
早く練習に行きたい。でも、鍵が開いている…。
面倒くさい…、でも…。
少し葛藤したが、施錠していない窓に近づきクレセントをかけた。
もう一度、教室ぐるっと見渡す。
うん、大丈夫…。
小走りで教室を出ていった。
明日からは年に2回ある地区大会が始まる。
ソフトテニスにはシングルス(個人戦)がなく、すべてダブルス(ペア)のゲームだ。
ルナも2組のシオリとペアを組んでいる。2組は帰りの会が長く、だいたいルナの方が先にコートに着くことが多い。
コートについたルナはシオリの姿を探した…。
シオリの姿は見つからなかった。
「私の方が早かったみたい。」
少しホッとした。待つことは慣れっこだが、待たせることには慣れていない。
係の仕事などで、部活に遅れて参加する時は、シオリと合流するまでは気が気ではない。
急いで、いつもの3本目のサクラの木のしたにカバンを置いた。シオリがカバンを置く位置を大きく空けておいた。
すでに集まっている部員たちに合流しようとして
走っていた足が動かなくなった…。
「シオリのバッグ…」
ルナの学校では、校則でキャラクターのついたキーホルダーを付けるのは禁止されている。
代わりに、シオリは観光地で買った名前入りのオレンジ型のキーホルダーを付けている。
そのバッグが隣のサクラの木の下で、何個かのバッグの中にあったのだ。
短い時間の中で、心の中に色々な感情や疑問が通り過ぎていった。
ソフトテニス部では、ペア同士がいつも同じ場所に置いていた。
でも、シオリのバッグは別の場所にある…。
「やっぱり…。トモミが言っていたとおり、シオリはペア解消したいのかな?」
足元がぐらついた。
少し足を踏ん張りながら、懸命に心の傾きに耐えていた。
4章 花壇の前方後円墳
結局、隣町のホームセンターで購入したメダカは2匹だけ生還し、残りの38匹は死んでしまった。それだけ、メダカにとっては過酷な試練なのである。
50分の授業が2クラス分では、全滅さえ覚悟しなければならない。
水槽の中で泳いでいる2匹のメダカは、大きな戦いに勝ち残った。
水槽は50ℓなので、比較的大きな水槽である。2匹程度のメダカでは探さないと見つけられないくらいである。
40匹から2匹だけ…。この運命を分けた理由はいったい何なんだろう。
もし、自分が逆の立場だったら、確実に38匹の方だろう。
そう思うと、実験とは言え、メダカを購入してきた事に罪を感じてしまう。
「実験のためだから…」と言う大義名分は、これだけ多くの犠牲を出してしまうと、感じられなくなる。
この実験をするたび胸が痛んだ。
それでも、毎年生き残ったメダカは大事に理科室の別の水槽で育てていた。
1年前のメダカはふた回りぐらい大きくなって、今日も元気に水槽の中で泳いでいる。
「さて、死んだメダカを埋めてくるか…」
干からびないように湿らせたティッシュの中にある、小さな亡骸を理科室から持ち出した。
校庭では、多くの運動部が活動していた。
左手にティシュペーパー、右手に移植ゴテといういでたちで校舎の前の花壇に来ると、
職員室の中から大きな声が聞こえてきた。
比較的地域の中では落ち着いている学校なので、こういうことは珍しい。
以前勤めていた学校だったら、こんなことは日常茶飯事。一々驚いていられなかった。
耳を澄まし、職員室のクリーム色のカーテンの隙間からのぞくと、さっき校内放送で聞いた声の持ち主である田辺先生と、呼び出しを受けていたカズオが対峙しているのが見えた。
「先生!俺は知らないって。何度も言いますが、俺は関係ないっす!」
どうやら、トラブルがあったらしい。しかし、職員室には他の先生方の姿もあるし、自分が行かなくても大丈夫だろう…。
「アミラーゼ何て知らない!」また、カズオの声が聞こえてきた。聞き間違えじゃないよな。今、アミラーゼっていった。確かにそう聞こえた。アミラーゼって、あのアミラーゼ…?
耳がダンボになり、手元にあるメダカを葬るのはちょっと中断しよう。
外から職員室の後ろの入り口まで移動し、少し引き戸を開けて上半身を滑り込ませた。
相互の主張から、どうやら、アミラーゼが理科室からなくなり、それを田辺先生がカズオに対して疑いをかけているらしい。
「そうか、君じゃないんだな。」
「そうです。何度言わせるんですか。そんなの盗んでもしょうがないし!」
興奮していたカズオも、田辺先生の軟化で少し落ち着きを取り戻したようだ。
しかし、不思議な話だ。アミラーゼなんて盗む奴がいるのか?
カズオだって、そんなのとらないよな…。昨日、アミラーゼは理科室にあったぞ。
一方、田辺先生の表情から、本当に困っているようだ。
田辺先生は自分と同じ本校に勤務している4人の理科教員の一人で、2年生の5クラスを二人で担当している。1組から3組までは田辺先生、4、5組は私である。
少し進度が違うため、遅れている田辺先生は大会後、すぐに唾液の実験をすると言っていた。
唾液の実験は、デンプンのりに唾液を加え、唾液に含まれる酵素の働きを調べる実験である。
先週、4、5組もやり終えたが、唾液を採集することがこの課題の一番のネックとなっている。
年頃の中学生は唾液を扱うことに抵抗感がある。特に異性間、さらに言うなら、女子は男子の唾液を絶対に受け付けない。その理由もわかる気がするが…。
そのため、この実験をするときは、いつもの男女の混合の班ではなく、男女別の班を特別に編成するくらいである。以前は男女混合でやっていたが、汚いものでも扱うような試験管の持ち方を見て、男女を分けた経緯がある。理科の指導書にも、唾液を使うのではなく、試薬のアミラーゼを使う方法が記載されているくらいだから、どこでもそういったことが問題となっているのであろう…。
田辺先生は、最初から試薬のアミラーゼを使う計画なのか…。それを否定する気持ちはない。
なぜかというと、田辺先生が担当しているクラスの1組では必要だと容易に想像できたからである。
自分が受け持っている4、5組は、比較的唾液の実験がしやすい環境がメンバー的に整っている。しかし、1組の女子の雰囲気はそれを許さない。
何度が田辺先生が出張のときなどに1組に行ったが、一部の女子の強さがクラスを牛耳っていることを伺わせていた。
「困ったな。生徒には唾液とらないから安心しろって言っていたんだよな。」
つぶやくようなそのセリフ聞いてもカズオは何もできないだろう…。
そんなことを考えていると、帰ることを許されたカズオは、不貞腐れた顔をして振り返り、一瞬私と目を合わせたが、足早に職員室を出て行った。
「何してるんですか?」急に声をかけられた。
振り返るとソフトテニス部の女子部員3人がこちらを見ていた。
私はパッと表情を和ませ彼女たちに言った。
「これからメダカの墓を作るんだけど、手伝ってくれる?」
「ハーイ!」
彼女たちは二つ返事で手伝ってくれた。その内の二人は、今日メダカの血流を見た生徒である。もう一人は2組のシオリだった。
「先生、私たちに任せてください!終わったら報告します。」
「いいの?助かるよ。」
「大丈夫です!」
「じゃ、その間に理科室から線香持ってくるね。」
線香を取って戻ってくると、花壇にメダカの墓ができていた。その形を見て、さすが中学生だと思った。その形は鍵穴の形。そう、彼女たちが作った墓は「前方後円墳」だった。きっとメダカたちも、古代の天皇と同じ形の墓で葬られたら…、
死んでしまったメダカにとっては関係ないか…。
古墳に立てた線香から煙があがり、その前で手を合わせる彼女たちと一緒に、
「ごめんなさい。」
と心の中で呟いた。
5章 ライン
カズオは今日の職員室でのやり取りを思い出していた。なんで、俺が疑われるんだよ。第一、アミラーゼってあの唾液に入っているやつだろ。そんなのいらねーし。聞かれた瞬間は霧の中にあった「アミラーゼ」という言葉は、今やカズオの頭に、心にしっかり刻み込まれていた。
さて、明日の大会の準備もできたし、そろそろ寝るか。
その時、スマホの着信音が鳴って少しビックリしてしまった。「なんだろ?」
スマホを覗くとラインが入っていた。仲良しのグループ内からだったが、送り主は?「メダカ…、んっ?」
「きょうはありがとうございました。おおくのなかまがしんでしまったけど。やくにたててよかったです。
あしたからのたいかい、がんばってください。」
メダカって、あのメダカ?そういえば、今日理科の実験で見たっけ。全然血流なんて見えなかったけど。それにしても、なんだよ、メダカって。タイムリーすぎる…。偶然?でも、あの実験で先生はほぼ買ってきたメダカが全滅したっていったよな。それでも、「ありがとう」って何だよ。恨まれることはあっても、感謝されるようなことは何一つない。
それよりも、急にメダカをぞんざいに扱ったことが悔やまれてきた。
もう少し、丁寧に扱ってあげれば、うちの班のメダカは助かっていたかもしれない。
自分たちのメダカも、水槽に戻してもすべてのヒレはピクリとも動かず、水槽にあるポンプによって起きている水流に漂っているだけだった。
「メダカ死んじゃった!」
それでも、痛みは感じなかった。
メダカに宿っていた小さな命も、その他の試験管やビーカーと同じように感じていた。
他の班だって死んでるじゃん…。
確かに他の班のメダカも同じように、意思とは別の力で水槽の中を移動していた。
初めて胸がチクリと痛んだ。
あの時感じなかった痛み。今はその痛みがずっと継続している。鼓動のように、一定のリズムを繰り返しながら痛みが増していく…。
「チクリ」、「チクリ」…、「ズキン」、「ズキン」…
それにしても、このラインは何なんだろう?まさか、メダカがラインするということは絶対にない。
あのメダカたちが全部生き返るというのなら超常現象ということで納得することもできるが、メダカがラインを送るということは超常現象でもなく、トリックでさえ不可能である。
「いったい、誰なんだ…。」
メダカのふりをしてラインしているヤツ…。
カズオはラインのことですっかり眠れず、音のなくなった夜の闇の中で朝の訪れをじっと待っていた。
たまに聞こえてくる車の通過する音だけが、時間が動いている証拠としてカズオを少しだけ勇気付けた。
確実に朝は近づいている。
「明日学校で、みんなに聞いてみよう…」
少し外が明るくなってきた。
やっと訪れた睡魔で目を閉じた瞬間、
「あっ!」
すっかり忘れていたことを思い出した。
「そういえば、明日から大会だ…。」
明日から自分たち2年生の代になって初めての公式戦である新人戦が始まる。このひと月以上忘れたことがなかったのに、あのラインを見つけてからはすっかり忘れていたのだ。
夢の中で、妄想の中で、もうゴールは30点以上決めていたのに…。みんなに優勝の報告をするシミュレーションはバッチリ練習済みなのに…。
カズオたちのサッカー部の目標は優勝して県大会に出場することであり、夏休み前に引退した先輩が達成できなかった県大会出場に向け、暑い夏に懸命に練習してきた。
最近の練習試合も勝ち越していて、チームの調子は良い。カズオも自信を持って大会に臨めるはずだった。
こんな寝不足の状態では良いプレーなんかできやしない。
なんで、こんなタイミングなんだよ。
嫌がらせかよ!
心待ちにしていた大会。急に自信がなくなっているのを感じた。
メダカから来たラインの前では、何もかもが現実味を失っていた。
そう思った瞬間、「メダカのたたり」という言葉が頭に浮かんだ。
また、「ズキン」と痛みが走った。
6章 フルセット
ルナはシオリと新人戦のコートに立っていた。
昨日、ペアが解消されるのかと覚悟していたが、それも、自分の思い過ごしだったのか…。
いつものように、ポイントを取るたびにシオリと手と手でタッチし、
「ナイスサーブ、ルナ!」
「ナイスカバー、シオリ!」
と声を掛け合った。いつもと変わらない。でも…。
昨日、大会前最後の練習。隣の木の下で見つけたシオリのバッグ…。
大会に出るペアは5つ。自分たちは3番手だった。
1番手は部長のペア。不動の1番手である。
2番手は長身の前衛カオリと粘り強いラリーが身上のユミのペア。
この1、2番手には自分たちは勝てないし、1セットを獲ることも難しい。
ソフトテニスは番狂わせが少ない競技だ。実力が試合の結果に直結することが多い。
4番手のトモミ、リリのペアとは勝ったり、負けたりと実力が伯仲している。
実際、今までの練習試合では、3番手、4番手を分け合うことが多かった。
ただ、今回に関しては、大会直前の番手決めの部内対抗戦で勝った私たちが3番手になっているのである。
実は、トモミは私のペアであるシオリと組みたがっていたらしい。
それを知ったのは、夏休みに入ってすぐだった。
私たちの部は2年生が16人いたので、8ペアできることになる。男子のソフトテニス部では2年生と1年生のペアもあったが、女子では異学年でペアを組むことは難しい。
女子の部活は男子よりも上下関係が厳しいのである。
夏休みによくトモミがシオリに声をかけていた。私が近づくと、トモミが去っていくことが何度が続き、
心配になったシオリに聞いたことがあった。
「トモミとペアを組みたいの?」
「心配いらないよ。私はルナと組んだ方がやりやすいし。」
その言葉を聞き、とてもホッとしたことを思い出す。
あまり人と話したり、友達を作ることが苦手な私にとって、シオリの言葉は涙が出るほど嬉しかったのである。
そして、5番手は1年生で、次期エース候補のマミとミサキのペア。
この5ペアで新人戦に臨むことになった。
明日の団体戦の相手はルナたちがライバル校として、一番警戒しているチーム。
できれば、トーナメントの上の方で対戦したかったが、新人戦は今までの
シード権がなくなり、フリー抽選の結果、1回戦で当たってしまった。
実力はほぼ互角。どちらが勝ってもおかしくない。
実際に、1回戦の対戦の中では注目度はダントツ。ギャラリーの数は他の試合を圧倒していた。
その視線を感じ、ルナは緊張していた。
太陽は大きな雲に隠れているため、10月初旬ということもあり涼しく感じる。しかし、喉はカラカラで、水筒のスポーツドリンクも試合前に飲み干してしまった。
試合前のミーティングでは、顧問や部長からは、「楽しくやろう!」と声をかけられたが、そんな気持ちでは試合に臨めそうもない。
シオリも同じように緊張している。いつもは、私の緊張を和らげる言葉をかけてくれるが、今はぐっと唇を閉じ、プレッシャーと戦っているようだ。
団体戦は2つのコートを使って行われるので、最初に1、2番手の選手がコートに入り、いよいよ私たちの1回戦が始まった。
1番手の部長ペアはストレートで勝った。「1−0」
2番手は苦戦したが、粘り強さが身上のユリの活躍と、カオリの鋭いサーブで2勝目を挙げた。「2−0」
そして、私たち3番手の試合も佳境に入ってきた。
1、2ゲームは接戦だったが、何とか2ゲーム連取することができた。
あともう1ゲーム取れば団体戦の勝利が決まる。
調子は悪くない、シオリとの連携も良くとれている。相手のペアは簡単なミスが続き、イライラして集中していないことが分かった。これなら、ストレートで勝てるかなと思った。あと1ゲームさえ取れば…。
雲に隠れていた太陽が姿を現し、急にコートが明るくなった。自分たちのサービスゲームなので、少し嫌だなと思った。
第3ゲームもリードし、「あと2ポイントで勝てる」と、ほんの少し心にゆとりが生まれかけた瞬間、ゲームが思いもよらない方向に動き出したのである。
「ハー、ハー…。」
息は乱れ、呼吸も苦しくなってきた。足も疲労がたまり、さっきライン上のボールを追った時、右ふくらはぎが悲鳴をあげ始めているのを感じた。
相手ペアは息を吹き返し、私たちは3、4ゲームを落としてしまいゲームカウントは2対2のタイとなっていた。試合の勝敗はフルセット、第5ゲームへもつれ込んでしまった。
こうなると、追いつかれたチーム、追いついたチームの勢いの違いは明らかだった。
嫌が応にも会場は劣勢だったチームを応援する雰囲気となっている。異様な空気感がコートを漂い、相手チームの応援の声や、保護者の声援がやたら良く聞こえてきた。
ルナは飲み込まれそうになるのを懸命にこらえていた。
シオリは殆どミスをしていない。私ばかりミスを繰り返し、ゲームを壊している。私のせいで負けるかもしれない。シオリに申し訳ない…。
その時、シオリが声をかけてきた。そう言えば、3ゲーム目を落としてから
殆ど言葉を交わすことがなかった。シオリは真剣な顔で言った。
「ルナ、一人でゲームをしてるよ。」
「えっ…。」
「私たちペアなんだよ。ポイントが取れないのは二人の責任なんだよ。」
「…」
「ルナが私をペアとして頼ってくれないなら…」
「?」
私は、シオリの言葉を待った…。
「とにかく、ペアで試合しよう。あと1ゲーム、ガンバロ。」
運命の第5ゲームが始まった。団体戦のカウントでは「2−0」でリードしているので、たとえ負けたとしても
4番、5番手のゲームがあるのだが、自分たちが流れを変えてしまうのが怖かった。勝たなければ…。
シオリのサーブでゲームが始まった。ファーストサービスがフォルトとなり、セカンドサーブ。相手にレシーブで叩かれることが多い。ルナは少しポジションを下げ、どんな位置にリターンがきても返せるよう集中した。
シオリの打ったサーブが右後方から相手コートへ向かっているのが見えた。相手が少し右に動いているので、センター寄りにサーブが打たれたのだ。今まではルナは自分の左右、どちらにリターンが来てもラケットを出す準備をしていた。でも、さっきのシオリの声を思い出した。
「私たちペアなんだよ」
右側のコート中央側はサーバーのシオリに任せることにしよう。自分は左のサイドラインの方向に専念し…。
「ポコッ」
来た!リターンは左サイドラインへ。左にステップし、バックハンドでボールを叩いた。
見事、相手コート内で弾んだボールは相手ペアの間を通り抜けた! 「15−0」
「ナイスリターン、ルナ!」
「ナイスサーブ、シオリ!」
これがシオリが言っていたことなんだと気づいた。
「あと3ポイント…。あと3ポイントで勝てる。」
今度は左サイドからシオリがサーブを打つ。
「私たちペアなんだよ」
そう。さっきと同様、コート中央のリターンはシオリにまかせ、右サイドに絞って守ればいい…。さっきのポイントよりも、さらにポジションを右に移した。
これなら、サイドライン一杯にリターンされてもボレーやレシーブができる。たとえセンターにリターンされても、シオリのフォアハンドは安定している。
鋭いサーブがルナの左後方から相手のコートへ放たれた。レシーバーは殆ど動けない。このしびれる展開でもシオリはファーストサービスを入れてきた。
「ボコ」
ラケットのガットとフレームの境界にボールが当たった鈍い音を残し、リターンされたボールがフラフラと自分たちのコートに飛んでくる。チャンスだ!!
しかし、ボールはネットを超えるか、越えないかの微妙な位置に…。
「もっと、詰めなきゃ…」
ネット際に向かってルナは走った。
「ポイントを取らなくちゃ!」
コードボール!
ボールはネットの先端にわずかに当たり、
自分たちのコートに落ちようとしている。
ポトッ…。
バウンドはわずか…。
「2バンドする前にラケットに当てないと…」
懸命に、ラケットをボールの下に潜り込ませうようとしたルナの左側から
急に別のラケットが出てくるのが見えた。
「エッ…」
1つのボールを拾おうとする2つのラケット。
しかし、ガットとボールが出会う前に、ラケット同士がぶつかってしまった。
衝撃が走り、ルナの持っていたラケットが宙に舞い、同時に右手首に激痛が走っていた。左手で右手首を動かさないようにかばいながら、
「シオリは?」
シオリはネットの前で立ち尽くしていた。その目はネットの下部で動きを止めたボールをジッと見ている。
「15オール!」
審判の生徒からポイントのコールが告げられた。
相手の応援席から悲鳴のような声が響いた。
自分たちのベンチからは
「ドンマイ。1本取り返そう!」
と声がかかった。
「ごめん、大丈夫?」ルナは動かないシオリに声をかけた。
「うん。」
良かった。シオリは大丈夫みたい。
「ズキン」手首の痛みに耐えながら、ルナはホッとしながら飛ばされたラケットを拾った。右手でぐっとグリップを握る。少し痛いが、ラケットを持てることに安心した。
「ルナ、今のは私のボールだよ。」
「…」
ルナは自分が左サイドのライン際にいることに気づいた。
そうだ、私は右のサイドラインを守っていたんだ…。ここは、シオリのプレースタイルであるサーブ&ボレーの守備範囲だ。
シオリはファーストサービスが入ると、サーブを打った勢いでネット際まで詰め、ルナと平衡陣をつくってボレーでポイントをとる。セカンドサーブだと前に詰められないので後衛に残りレシーブから展開を考える。
ずっとそうやってきた。長くペアを組んで、何度もそうやってゲームをしてきたはずなのに…。
冷静に考えれば、さっきのボールに対し、右サイドから横に移動して対応するよりも、サーブを打った勢いで前に詰めたほうが処理しやすいボールである。特に、シオリが打ったサーブは、大事な場面で、緊張する場面で、今日一番いいサーブだった。シオリはきっと自信を持ってネットに詰めたのだろう。あの当たり損ないのボールにだって対応できたのは、私ではなく、シオリだったのある。
「ごめん、シオリに任せれば良かった。ゴメンね。」
「…。」
一つ大きなため息をついて、シオリはボールを拾い、サービスラインへ向かった。明らかにシオリは落胆している。
「取り返さないと!」心の中でもう一度シオリに詫びた。
団体戦が終わった。結果は3−1で、チームは勝つことができた。
チームは勝ち上がったので、明日は2回戦で再びこのコートに来ることになった。ルナも自分の荷物をカバンに入れ、学校へ帰る準備をした。
痛めた右手に湿布をはり、氷で冷やしながらルナはじっと孤独に耐えていた。
3番手のシオリ・ルナのペアは、結局ゲームカウント2−3で負けてしまった。その後の4番手のトモミ、リリのペアが勝ったため、5番手の1年生に勝敗を託すような試練を与えずに済んだ。
もし、4番手も負けていたら…、そう考えただけでルナは、本当に4番手のトモミたちが勝ってくれてホッとしたのである。
学校に戻り、ミーティングの最後に明日のオーダーが発表された。
そこにはルナの名前がなかった。
手首の痛みを顧問に進言し、ルナの大会は終わったのである…。
第7章 本当はメダカ
「ピー。」長い笛が鳴り響くと同時、今まで戦っていた2つのチームは「勝者」と「敗者」に変わる。
勝者は抱き合い、拳を振り上げて勝利に酔い、敗者はその場にへたり込む。それぞれの部長がそれを制止させ、整列して握手を交わす。
カズオたちは「3−1」で勝者側になった。
寝不足だったが、意外にも体は軽く、後半の15分には先制のゴールも決めることができた。あの得点でチームに勢いが生まれた。
試合終了間際にPKで1点取られはしたが、危なげないゲーム運びができた。
「明日も試合ができる。」
その安堵感で満たされた心に、突然冷水がかけられた。
「メダカからのライン見た?…」
そうだ。昨日のラインだ。昨晩、俺の心を占拠していたメダカから来たライン。朝、みんなに会ったら聞こうと思っていた。でも、大事な試合の前だし、何よりも、「お前大丈夫?」なんて言われるのがオチだ…。やっぱり、黙っていたほうがいいよな…。
無理やり心の奥にしまっていたことが、今目の前で話題になっている。カズオはその話の輪の中に飛び込んでいった。
「お、俺も昨日の夜、そのライン読んだ!」
「おー、カズオもか。あのラインは俺たちの学校の2年生のグループ内だけだってさ。」
「じゃ、先輩や1年生には流れてないんだな。」
「そうみたい。」
「…」
「あのライン見たやつ何人くらいいる?」
手を挙げたのは6人。確かに2年生だけだが、クラスはみんなバラバラだ。
「誰がメダカを名乗っているのかな。」
「理科の実験でメダカ使ったじゃん。まだ田辺ッチのクラスは実験やっていないんだろ。だったら、4・5組の誰かじゃん。」
1組のタケシが言った。カズオも、同じことを考えていたので、思わず頷いてしまった。
「でも、それじゃ単純すぎるから、4・5組は引っ掛けで1組とか。」
「タケシじゃないの。」
「バレタ? 実は俺本当はメダカなの。」
ひょうきんなタケシはそう言っておどけてみせたが、タケシはそんな事をするやつではない。
カズオはサッカー部のメンバーの中には「メダカ」はいないと思っている。
根拠はないが、この中には絶対にいない!話の輪に入っていないやつの中にも、「メダカ」の疑いをかけるメンバーは思い浮かばなかった。
でも、少なくとも夜に感じていた得体の知れない恐怖はなかったので、少し気が楽になった。
本当に昨日は寝られずに苦しんだ。今日は寝不足だし、疲れているからぐっすり寝られるぞ!
「それにしても、誰の仕業なんだ…。」
さて、ぐっすり寝るとするか…。カズオは早めに風呂に入り、10時には布団の上に体を横たえていた。「明日は2回戦か…」
明日の相手は前回大会の優勝のチームで強豪だ。近々では、夏休みの練習試合でも負けたし、先輩の代も苦しんだチームである。
相手チームの11人のスタメンを思い浮かべ、
「特にキーパー、でかいんだよな…。」
そうだ、あいつは先輩の代からその身長の高さと身体能力で正ゴールキーパーだったんだ。
そのキーパーがゴールの前で両手を広げて仁王立ちしている姿が浮かんできた。今日の試合でも1点も許さなかったそうだ。
でも、今の俺たちだったら、2、3点は取れる!
カズオは今日の試合のシュートを思い出していた。ゴール前の混戦からこぼれたボールにうまく対応できた。自分でも驚くほど冷静に相手ディフェンダーとキーパーの位置を確認してシュートを打てた。
「俺は今、調子がいいんだ。」
カズオは、以前考えていた優勝時のスピーチを思い出した。
ちょっぴり恥ずかしかったが、それを現実にする自信はある。
「さて、寝るか…。」
体を冷やしてはいけないので、薄い布団を体にかけて寝よう…。
そのかけた布団の右側から着信音が鳴った。
ラインが入った…。
「きょう、みんながんばったね。あしたもきたいしてるよ。 メダカより」
き、来た! また、メダカからだ。
スマホの画面。一番上に「メダカ」の文字。
内容からして、やっぱり内部の可能性が高い。今日の新人戦の結果を知っている。
「いったい、誰なんだ…」
その時、持っていたスマホがさらに音を発し、カズオはあやうくスマホを放り出すところだった。
ラインではなく、電話の着信でタケシからだった。
「おう、カズオか。今、来たろ。そ、そう。メダカから。」
電話の向こうでタケシも興奮しているのが伝わってくる。
カズオもカズオで大いに昂ぶっていたが、冷静なフリをして言った。
「タケシは誰だと思う。」
「全然わかんねえ。でもうちの中学の関係者だという事だけは言えるよな。」「確かに。」
同意した後、カズオはやっぱりタケシ以下、サッカー部の連中じゃないと思った。こんな手の込んだイタズラを思いつくやつはいない…。
「それにしても、また寝不足になりそうだ。」
カズオは正直な気持ちをタケシに話していた。
「そう? 俺は昨日も寝たけどね。」
「…。」
少し恥ずかしかった。面と向かっていたらタケシに顔が赤くなるところを見られたはずだ。
「わかった。じゃーな。俺は別の…、そうだ、ソウタあたりに電話してから寝るわ。」
「おやすみ。」
電話は切ったが、カズオはまた電話やラインの着信が来るかもしれないと
スマホとにらめっこをしていた。
しかし、昨晩のこともあり、大きなあくびと共に訪れた睡魔によって
タケシの電話を切った10分後には夢の世界に旅立っていた。
第8章 メダカの正体
学校の中で、静かに話題になっていたことが、大きなうねりとなっていた。
それは、もちろん「メダカからのライン」のことである。
始めは2年生の中だけだったが、最初のラインから三日目の今日は
1年生や3年生にも拡大を見せていた。
昨日の午後くらいから、ラインの話題は私の耳にも入ってくるようになった。職員室でも若い先生を中心に、
「誰なんだろう?」
「あいつじゃないの。あいつだったらやりそう!」
などと話しているのを聞いていた。
昨晩は「コイからの恋メール」だとか、「ザリガニからのハサミでチョッキンメール」などの模倣犯によるラインもでてきた。
さらに、「私がメダカの正体だ」という他人の名前を語ったラインも現れ、噂が噂を呼び、とうとう今朝は「メダカのライン」が学校一のトレンディな話題となっていた。
私は困惑していた。
早く収まって欲しいと、そのことが耳に入るたびに思っていた。
「フー…。」
私がついた深いため息を聞いて、田辺先生が声をかけてきた。
「どうしたんですか?」
「えっ? あーため息の話? 別になんでもないです。
ちょっと疲れがたまっただけです。」
私は平静を取り戻そうとしたが、自分をうまくコントロールできない。
もしかして、ばれてるのか?
そんなことは絶対にないはず…。
そう、メダカの正体は「私」だった。
あのメダカの実験が終わった日…。
お墓を作ってくれた女子へのお礼、
たくさんおメダカへの慰霊と感謝、
そして、翌日から始まる新人戦への激励の気持ちだった。
あの日、あの一文だけのつもりで、2年生のグループにラインを送ったのだ。
2年生のラインには、以前、生徒からの依頼で加わったのだが、
昨今のライントラブル等が原因で、生徒とのラインやメールのやり取りが禁止となり
ずっと前にグループから離れていたのだった。
「きょうはありがとうございました。おおくのなかまがしんでしまったけど。やくにたててよかったです。
あしたからのたいかい、がんばってください。」
しかし、翌日新人戦1日目の結果を知り、サッカー部やソフトテニス部などが勝ち残っていて嬉しかった。
そんなみんなを応援したい一心で、さらにもう1通送ってしまったのだ。
「きょう、みんながんばったね。あしたもきたいしてるよ。」
今はとても後悔している。
あの2通はもう削除したが、
私の知らないところまで拡散され、私の知らないところで話題となっている。完全に一人歩きをしている「メダカのライン」…。
ほとぼりが冷めるのを待つしかない…。でも、いったい、いつまで?
「メダカは誰だ?」
「こんなイタズラ誰がやっているんだ?…」
もちろん、イタズラをしている気持ちはなかったし、
イタズラをする気持ちも毛頭なかった。
ただ、「私の行為=イタズラ」というレッテルは大方の意見であった。
そして、そのイタズラの犯人が教師である自分であること、
それは絶対に明かせない秘密になってしまったのだ。
「フー…。」
その思考の流れは、もう一度ため息を生んだ。
さっきのため息よりも、もっと深い大きなため息…。
でも、今度は田辺先生には聞かれなかったようだ。
とにかく、息を潜めて待つしかない。
「先生!」
また、田辺先生の声が理科準備室から響いてきた。
姿を現した田辺先生が近づいてくる。
少し身構えている自分に気づき、慌ててリセットした。
「明後日、新人戦が終わった次の日、2年1組で唾液の実験をするんですが、調べたら先生が空き時間だったので、お手伝いしていただけないですか。お願いします!」
そういえば、アミラーゼがなくなってしまったことを思い出した。
あの日、職員室で田辺先生と向かい合っていたカズオ…。
「どうするんですか?アミラーゼはないんですよね。」
「だから、先生に手伝っていただき、先生のように生徒に唾液を取らせて実験をしたいんです。」
断りたい気持ちもあったが、あの1組だし、頼みのアミラーゼがなくなった今、私に対してすがりたいという気持ちもよく理解できた。
「わかりました。いいですよ。」
「ありがとうございます。助かります。」
田辺先生は心からホッとしている。よっぽど、1組の女子に手こずっているのだなと思った。
「それでは、金曜日の3時間目ですが、よろしくお願いします。」
その晩、私はパソコンに向かっていた。
キーボードで文章を打っていた。
「もう、メールはだしません。 さよなら。 メダカより」
「…Y、O、R、I、enter」
次に「送信ボタン」をクリックしようとした…。
しかし、しばらく考えた後、
「delete」キーを押した。
沈黙を守ろう…。
第9章 ツナサンド
テニスコートを囲むフェンスに手をかけ、ルナはシオリの姿を追っていた。
コートの中には団体メンバーと監督以外は入れない。
応援に回ったルナは、コートの外で、1年生を中心とする集団の中で2回戦を迎えていた。
ルナの右手首には包帯が巻かれ、そこからはほのかに貼られたシップの匂いがしてくる。
動かさなければ痛みはほとんどないが、ラケットを握って軽くスイングしただけで、鋭い痛みが右手に走る。
昨晩はその痛みで寝られなかったほどだ。
幸い、今朝起きてみると、幾分腫れも痛みをも引いていた。
ルナの視線の先には3番手のシオリとトモミのペアが試合をしていた。
複雑な感情が浮かぶ。
本当は私があそこにいた…。
私がシオリとペアを組んでいた…。
ポイントをとったトモミに近づき、シオリは笑顔でハイタッチをしている。
悔しい…。
でも、どこかホッとしている自分もいた。
少なくとも、今日の自分には、シオリやチームにマイナスになることはない。
ルナにとっては、試合に出たいという気持ちよりも、シオリやチームの足を引っ張ることの方が怖かったのである。
昨日の試合、私たちのペアは負けてしまった。
シオリにも、チームにも迷惑をかけてしまった。
シオリのついたため息…。
痛めた手首よりも、胸のずっと奥の方で痛みを発していた。
「ゲームセット!」
審判の声で、現実の時間の流れにルナは戻った。
視線だけはネットを挟んで握手しているシオリを見つめていた。
少しコンビネーションがチグハグな場面もあったがシオリのペアは勝った。
1、2番手も順調に勝っていたので、3勝のストレートで2回戦も勝ち上がることができた。
後輩や観戦に来ていた保護者の歓声の中。
じっと追いかけていた視線とぶつかった。
シオリは軽く手を上げた…。
私も笑顔を送った…。
笑顔に見えたかどうかは、シオリに聞かなければ分からないけれど、
懸命に笑顔を送っていた。
シオリはルナに背を向けて整列し、相手チームと挨拶をした。
団体のメンバーが輪となり、チームの勝利を分かち合っていた…。
今日は午後からもう一試合ある。それに勝てば、明日行われるの準決勝、決勝に駒を進められる。
昨日よりも青空の面積が増えたためか、比較的午前中の早い時間でのゲームだったがとても暑かった。
このコンディションでは、午後のゲームはもっときつくなりそうだ。
ルナたちは団体メンバーと合流した。
チームは午後の試合のために早めの昼食をとることになった。
テニスコートは野球場などがある大きな公園の中にあったので、木々が作る日陰が多く、その中に学校から持ってきた大きな青いビニールシートを敷いた。
みんなで車座になり、それぞれが持ってきた弁当を広げた。
部長の「いただきます。」
の号令で一斉に食べ始める。
シオリも今日の弁当箱になったタッパーを開けてみた。
今日はサイドウイッチか…。
タッパーに入っている卵サンドを口の中に入れた。
うん、お母さんの味…。
昨日は私のリクエストでお稲荷さんだった。
今日は「なんでもいい」という返事しかしなかったので、
開けて見るまでは中身を知らずにいたのだ。
美味しい…。
こんなに美味しかったんだ…。
自分の試合の後や、これから試合があるという時の弁当は、どんな弁当を食べても味を感じることがなかった。
だけど、今日の弁当はとても美味しかったのである。
ありがとう、おかあさん。
今日はちゃんとごちそうさまを言おう…。
突然、声がした。
「美味しそう、一つ頂戴。」
見上げるとシオリが立っていた。
少し慌ててしまったが、慎重に声を出そう…。
「どうぞ。何サンドがいい?」
「それじゃ、そのツナサンド。」
「はい、自分の手で取った方がいいよ。」
私はタッパーを持ち上げ、シオリに差し出した。
すると、
「そんなこと、気にならないよ。ルナがとって。」
「じゃ、はい。どうぞ。」
「ありがと。」
ツナサンドを受け取ったシオリは、同じ2組のグループに帰っていった。
ツナサンドを頬張り笑顔を見せるシオリ。
ルナは、シオリの気持ちを推し量れなかったが、少し嬉しかった。
第10章 口止め
「実験の準備しますよね。」私は田辺先生に聞いてみた。
今日大会は最終日。
明日から1、2年の授業が再開される。
そして、明日の3校時に1組の唾液の実験が行われる。
「はい、今行きます。」
田辺先生は白衣に袖を通しながら言った。
理科室は校舎の2階の東端にあった。少し暗くなった階段を登り、
田辺先生は理科室の鍵を開けた。
何時間か閉じこもっていた空気感…。
大会期間中は3年生しか使っていないので、理科室内の空気にはフレッシュさは感じられない。
窓を開けて少し空気を入れ替えよう…。
理科室の南側と北側の窓を開ければ、空気が移動するのを感じた。
「何からやりますか?」
私が先週4、5組で使用したので、試験管等の実験器具は大体揃っていた。
田辺先生は、薬品庫の鍵を開けながら、
「私がデンプンのりをつくりますから。先生は試薬瓶にベネジクト液とヨウ素液の補充をお願いします。」
「わかりました。」
実験の班は9班。ベネジクト液とヨウ素液の試薬瓶も、各班の数だけ必要である。班ごとのカゴに入れた実験器具から試薬瓶だけを実験台上に並べる。
点検してみると、私が先週補充したので、試薬の量が少ない試薬瓶もそれぞれ4つほどで、すでに出してあったベネジクト液とヨウ素液のガラス瓶から補充した。
それが終わると、カゴの中に入っている実験器具の数を確認した。
大体揃っている。
無いのは、田辺先生が使おうと思った「アミラーゼ」だけ…。
先週は、確かにアミラーゼはあった。50g入りの小さい茶色いガラス瓶に入っていた。
だって、自分が4、5組の生徒に瓶を見せて紹介したのだから…。
あの時生徒に、
「唾液がとれなかったら、試薬のアミラーゼを使います。
これがそのアミラーゼです。」
と提示したことは、今でもはっきりと覚えている。
あの時、カズオが、
「そのアミラーゼ、誰の唾液から作ったんですか?」
とぼけた質問をして、みんなを笑わせていた。
あの時はあった。でも、紹介した後、すぐ実験に入ってしまったので、
その以降のことは憶えていない…。
もしかすると、あの時生徒の誰かが盗んでいたんだ。
そうなると、アミラーゼがなくなったのは自分のせい…。
急にカズオのことを思い出した。
自分のせいでカズオに疑いがかけられ、田辺先生に呼び出された…。
新たな疑問が浮かんだ。
デンプンのりが完成し、ガスバーナーを消している田辺先生に
思わず声をかけていた。
「そういえば田辺先生。なぜ、アミラーゼの件、カズオを呼び出したんですか?」
「あー、あの時のことですね。」
その後、田辺先生は何か迷っているようで、問いに対しての返答がしばらくなかった…。
「それは言えないんです。」
「どうしてですか?」
「…。」
すっかり暗くなった窓の外。
生徒はとっくに下校しているため、静かな校舎。
1階の職員室からも遠い理科室で流れている沈黙…。
すると、田辺先生は重い口を開いた。
「口止めされているんです。」
「何を口止めされているんですか?」
「…。先生にはお話しします。でも、生徒の名前だけは勘弁してください。」
また、沈黙が流れた。
私は、じっと田辺先生が話はじめるのを待った。
「…。ある生徒からアミラーゼをカズオが持っているという情報を得たのです。その生徒の名前は聞かないでください。」
「それで、あの日カズオを読んだんです。」
「なるほど。でも、カズオは持っていないと。」
「ええ。」
「私もカズオが嘘をついているようには見えませんでした。だから、情報をくれた生徒に聞いたんです。その情報は本当か?と。」
「そしたら、その生徒は何と言ったんですか?」
「ある友達が言っていたと言っていました。その友達の名前は言えないとも…。」
「何だ、怪しい話ですね。」
「はい。カズオには悪いことをしたと思っています。」
「それをカズオに言ってあげてください。」
「わかりました。」
「それから、私も田辺先生に謝らないといけないことがあります。」
「アミラーゼがなくなった責任は私にあります。私が実験の時、生徒に提示しなければ薬品庫の中にあったはずです。おそらく、私の実験中に盗まれたんだと思います。本当にすいませんでした。」
「いえ、先生の責任ではありません。気にしないでください。」
「先生、それよりも、明日実験のお手伝いよろしくお願いします。」
「はい。」
実験の準備を整え、職員室に戻った。帰りは階段や廊下の電気を点けないと歩けなくなっていた。
比較的他の学校よりも傾斜のきつい階段…。
そのために天井が高い廊下…。
無言で歩きながら、田辺先生が口止めされている生徒のことを考えていた。
わからない…。
それよりも、まずは明日の1組の唾液の実験を、何としても成功させなければと思った。
田辺先生のために頑張らないと…。
職員室に戻ると、今日終了した新人戦の結果が書かれた黒板の前で、先生たちが話をしている。
覗き込むと、女子ソフトテニス部が優勝して県大会出場を決めていた。
サッカー部は惜しくも準優勝だが、野球やバレーボールも3位で賞状をもらってきている。
他にも、2年生や1年生が頑張ったニュースでもちきりだった。
「今年の新人戦は、どの部も本当に頑張ってくれた。」
校長が興奮気味に話している。
「良かったね!」
「祝杯をあげないと。」
あちこちで、部活動の顧問が試合の詳細を報告し合っている。
自分もその話の輪に加わった。先生方もみんな嬉しそうだった。
その後、職員室で田辺先生と明日の作戦を立てたので、学校を出る時刻が午後9時を過ぎていた。
家に戻ってノートパソコンを起動した。
第11章 ありがとう
真っ暗な校舎の前でマイクロバスを降りた。
理科室の電気だけは点いている。理科の先生が準備でもしているのだろう。
カズオは疲れた足をひきずりながら、顧問を中心に円陣を組んだ。
「…お前たちはよく頑張った。最終日、そして、決勝まで残れたんだから胸を張れ。明日の朝練はなし。もう暗いから自転車で帰るヤツは特に気をつけて帰れよ。大会3日間、本当にお疲れ。」
「ありがとうございました!」
部長のヒロシが顧問と校長先生に報告に行った。
カズオはヒロシを待ち、駐輪場で座っていた。
あと一歩届かなかった優勝。
手に入れることができなかった県大会への切符。
去年の先輩の新人戦と同じ準優勝。
1位と2位の差の大きさって、数字の違い以上に違う。
悔しい…。でも、確かに優勝したチームは強かった。完敗だった。
カズオのチームは調子が良かった。二日目の大一番も乗り越えた。あのキーパーから2点とった。準決勝も5−1で圧勝した。
でも、午後の決勝では0−2と1点も取ることができずに負けてしまった。
それが何よりも悔しかった。
カズオたち攻撃陣はシュートの数は相手チームを上回ったが、ゴールの枠をとらえたシュートは2本だけ。
どちらもキーパーの正面へ飛んだシュートだった。相手ディフェンダーの粘りによって、ことごとくシュートコースをふさがれていたのだ。
相手チームは少ないチャンスをものにして、前半に1点、後半終了間際に1点と着実に、確実に、勝利に近づいていった…。
後半になって、カズオは敗戦に近づいていることを感じていた。
しかし、自分に言い聞かせる。
キーパーやディフェンダーは必死に守ってくれている。
俺たち攻撃陣が諦めたらゲームは終わる。
今までも練習試合で負けたことがあった。でも、何点差がついても、最後までゴールを、1点を取ることを諦めたりすることはなかった。
しかし、今日の決勝戦。
何度も、浮かんでは消し去った言葉…、
「点がとれそうもない…」
それでも、振り払い、最後まで走った。最後まで…。
疲れた。本当に疲れた。クタクタだ…。
こんなにヘトヘトになったのは初めてだ。
家まで自転車で帰ることさえかったるい。
その時、ヒロシが戻ってきた。
「お疲れ。校長何て言ってた?」
「来年、3年の大会でリベンジしろとさ。」
「ふーん。」
別に何にも感じなかった。
ポジティブな思いが生まれてくることは、今はなさそうだ…。
「さっ、帰ろうぜ。」
「おう。」
いつもの自転車をこぐスピードの、1/3くらいのスピードで家に帰った。
家が遠かった。はじめて家までが遠いと感じた…。
家に帰っても、疲れた体を動かす気にはなれなかった。
テレビも観たくない。
スマホもいじる気がしない。
とにかく早く寝たい。
思考を停止したい。
こんなネガティブな自分とつきあうのはゴメンだ。
もう寝よ…。
その時、スマホの着信音が鳴った。
誰だ? メダカか? もう何でもいいや。今日はもう絶対にシカトを決め込もう…。
それから何度か着信音が鳴ったが、カズオはスマホを手にすることはなかった。1日2試合のフル出場。カズオは泥のように寝ていた。
朝、いつもの時間に目覚ましが鳴った。
直前に見ていた夢…。
思い出そうとしたがだめだった。
何だっけな…? まあ、いいか…。
そういえば、枕元にスマホがない。
昨日はだんまりを決め込み、机の上に置きっぱなしだった。
昨夜着信音が鳴っていたんだっけ。
フラフラと立ち上がり、筋肉痛の足で変な歩き方を強いられをしながらスマホを手に取った。
着信が何件か入っている。
あっ、メダカだ! カズオはスマホに顔を近づけた。
「ゆうしょうしたぶはおめでとう。どりょくがむくわれてよかったね。
まけたぶはおめでとうはないえないけど、がんばったことはかわらない。
だから、がんばったひとたちへ、ありがとう。 メダカ 」
「がんばったひとたちへ、ありがとう…」
なぜか分からなかったが、
カズオの心に何かがしみこんでいった。
「がんばったひと」
自分は昨日懸命に頑張った。
これは、自分に送られたメッセージなのかもしれない…。
急に涙がこみ上げてきた。
「グッ…。」
嗚咽がでそうになった。
家族に聞かれないように、懸命にこらえる。
「ありがとう…。」
そうだ、「惜しかったな」とか、「がんばったな」とかではなかった。
そんな言葉は敗戦した瞬間から何度も聞いていた。
待っていた言葉ではなかった。
自分でも分からなかった。
どんな言葉で声を掛けて欲しかったのか…。
俺は…、
「ありがとう」いう言葉を待っていたのかもしれない。
みんなでボールを追いかけ、
自分たちの勝利を信じて、
俺たちは一生懸命戦った。
俺はそれを否定してしまうところだった。
俺たちは胸を張ればいいんだ。
勝てなかったこと、それをみんなで受け止めることができること、
それが、大切だったんだ。
「ありがとう」
カズオはその文字をずっと見続けていた…。
メダカって、いったい誰なんだろう。
初めにメダカのラインを読んだ時、
そして、今日のラインを読んで、
振り返ってみれば、3つのラインの内容は、すべて俺たちを応援してくれている。
そして、負けてしまった自分を、温かい言葉で包んでくれたメダカ…。
早く学校に行きたい!
「カズオ! 起きなさい! 学校遅刻するわよ!」
母が下から呼ぶ声が聞こえてきた。
それには答えず、カズオは洗面所に走った。
第12章 鏡の中の笑顔
ルナは通学路を急いでいた。いつもより、家を出る時間が遅くなったからだ。
昨日大会が終わったので、部活動の朝練習は午後も含め完全休養だったが、このままだと出席確認の時間にさえギリギリである。
右手首にはまだ包帯が巻かれている。
右利きのルナには、左手で右手首に包帯を巻くことは難しくて、何度もまき直しをしたので家を出る時間が遅くなってしまったのだ。
歩いているときは感じなかったが、少し小走りになると手首が痛み出した。
「つっ…」
やはり無理せずに歩いていこう。
体育館の屋根が見えてきた。ルナの家からは学校には東側から登校することになる。正門も東側にあるので、学校の周囲を余計に歩く必要はない。
通学時間は10分ほどだった。
ふと前を見ると、トモミが歩いていた。
隣にはシオリがいた…。
昨日終わった新人戦。結局ルナは初日の1回戦だけ出場しただけであった。
あの試合で怪我をしたルナは、昨日の2回戦から決勝戦までは
コートの外から観戦していた。
シオリは決勝まで戦い続けた。
同じペアだった二人…。
バラバラになった二人…。
また、二人で同じペアを組むことはあるのだろうか。
私が望んでも、シオリは望まないかもしれない…。
だって、チームは優勝した。私がいなくても、私たちがペアじゃなくても
勝てた…。
自分の存在感ってどこにあるのだろう?…。
シオリにとって、自分はどんな存在なのだろう?…。
昨日の夜、ずっと考えていたことが体に満ちてきた。
2回戦以降…。
1、2番手は決勝まで危なげなく勝ち進んでいった。
それ以降の3番手、4番手、5番手は勝ったり、負けたりと厳しい試合が続いていった。
今度こそ負ける!そういった瞬間を何度も乗り越えた。
勝ち残って欲しい。でも…。
ルナは心の奥から聞こえてくる
「負けちゃえ…。」
という声。
打ち消しては、また、生まれる声…。
シオリとトモミの試合が始まるたびに、その声はささやきから大きくなっていた。
シオリのペアもゲームを重ねるたびに連携がとれるようになった。
ポイントを取り、駆け寄って手を合わせる二人は、他の学校の選手から見れば、ずっと前から組んでいるペアだと思うだろう。
違う!
私がシオリとペアを組んでいたの!
心の中で、何度もそう叫んでいた。
負けちゃえばいいんだ!
また声が聞こえてきた。
自分はなんてひどい人間なんだ。
自分を否定する。
シオリはトモミとペアを組んだ方がいいんだ。
自分の居場所をなくすセリフが浮かぶ…。
ルナにとって、シオリの試合の時間は本当に苦しかった。
三日目の準決勝、決勝は2戦ともにファイナルの5ゲームまでもつれ込み、
1年生ペア同士の戦いの結果、3−2の僅差でルナたちは優勝した…。
新人戦優勝…。
それはチームの目標であり、それが達成できた瞬間はルナも飛び上がって喜んだ。でもその感情は長くは持たなかった。
シオリのゲームを見ていた感情が、それを消し去ってしまったのだ。
今、そのペアが自分の前を歩いている…。
急いでいた気持ちはなくなっていた。
追い越さないように、二人と一定の距離を保ちながら校門に入った。
その時、振り返ったシオリがルナに気づいた。
軽く手を上げた。
気づいて振り返ったトモミが声をかけてきた。
「手、大丈夫?」
「うん。」
それからは言葉を交わさずに
昇降口から校舎に入った。
3人とも別のクラス。
私の5組は3階で、2組のシオリ、1組のトモミは4階だった。
3階で二人に手を振り、ルナは教室に入った。
椅子に座り、心配になって丸い小さな鏡を見た。
私の顔。
気づかれなかったかな…。
私の心の奥から聞こえてくる声が表情に表れていなかったかな…。
やっぱり、少し引きつってる…。
無理に鏡の中で笑顔をつくってみた。
ぎこちない笑顔…。
これから始まる長い1日。
ルナはもう一度鏡の中で笑顔をつくった。
第13章 脱脂綿
「おねがいします。」
1組の実験が始まった。
教室の1組の授業はのぞいたことがあったが理科室は初めてだ。
座席は男女別になっていた。
2年は各クラス女子の数の方が多く、理科室の9つの実験台は
5つには女子が、残りの4つの実験台には男子が座っていた。
そして、あそこか…。2列目、ベランダ側の6班。
そこには、元気の多い女子が固まっている。きっと仲の良い者同士で班をつくったのだろう。
バスケ部のチナツ。学年で何か揉め事があると必ず関わっている、女子のトラブルメーカー。
バレー部のハナコ。座っていても背が高いと分かるくらい、頭二つ飛び出ている。聞けば179cmあるということで、ヤンチャな男子でさえもタジタジになる…。
吹奏楽部部長のモエ。学級委員で学年のリーダーでもあるが、表裏が激しく、影で教師批判や学校批判を繰り返している。
そして、ソフトテニス部のトモミ。この中では目立つ存在ではないが、誰かが学年で一番意地悪だと言っていた。
本当によくこれだけのメンバーが集まったものだ。
田辺先生が実験の流れを説明している。
しかし、6班のメンバーはまったく聞いていない…。
近づいて声をかけた。
「しっかり話を聞いて実験しないと、やり方がわからないよ。今日はガスバーナーも使うし。」
お互いに顔を見合わせている。
チナツは眉間にシワを寄せている…。
まったく、分かりやすい。
話が中断されたこと、
担当以外の教師がいること、
そのどれもが、気に入らないみたい。
「先生は、なんでいるんですか?」
とモエが聞いてきた。
「田辺先生から手伝って欲しいと頼まれたんだ。それだけ、今日の実験は危険だということだから、ちゃんと話を聞こう。」
そう促しても、前で説明をしている田辺先生には見向きもしない。
常にこんな感じなんだろう。田辺先生も大変だ。
「まずは静かにしよう。」
ようやく諦めたみたいで口だけは閉じた。
しかし、アイコンタクトは続けている。
全く器用なものだ!
普段からSNSでのやりとりで鍛えているだけあって、会話以外のコミュニケーションは得意なようだ。
変なところに、ちょっと感心した。
説明が終わり、道具を準備する段階になった。
チナツ達を促し、道具を揃えさせる。
何かする度に、「メンドくさい」「かったるい」を繰り返している。
そして、いよいよ唾液をとる段階に。
保健室からもらってきた
消毒で使う球状になった脱脂綿の登場。
その脱脂綿を口の中に入れ唾液を吸わせて採取する方法を田辺先生に提案していた。
以前は直接唾液を試験管に入れさせていたが、この方法を思いついてからは生徒の負担が少し減らせたと思う。デンプンのりの入った試験管に直接脱脂綿を入れるだけで実験ができるので重宝している。
でも、班で誰かが唾液をとることになることは変わらない。
だいたい生徒はジャンケンで決めているが、力関係で決めている班も中にはある。まれに、班のために自己犠牲をはらう生徒もいて、人間性が観察できる場面でもある。
いろいろな方法や過程によって決められた唾液の採取者が脱脂綿を田辺先生からもらっていた。
そして、6班は…。
「どうする?」
「えー、誰かやってよ。」
「私、こういうの無理!」
「じゃー、ジャンケンで決める?」
「…。」
案の定もめている。
「まじぃー!」
脱脂綿を口に含んだ男子生徒の声。
その声にひるみ、何人かの女子が口に入れるのをためらっている。
私は、
「大丈夫だよ。先生もやるから、いっしょにやろう。」
と言って、自分の口に入れてみせ、
「ガムだと思って、よく噛んでごらん。」
と呼びかけた。
まあ、確かに口に入れたことがない味だ。
何度か噛んでいると唾液が脱脂綿に吸われていくのが分かる。
それと同時に、口の中の唾液がなくなってくる。
さらに、噛み続けると脱脂綿に唾液が浸み出すくらいになる。
それを指で取り出しながら、
「脱脂綿に満遍なく唾液が染み込んでいれば大丈夫。1分くらい口の中に入れておけば出してもいいよ。」
おそるおそる口の中に入れている生徒。入れた瞬間、顔を歪ませるが、少し経てばその状況に慣れてくる。1分で口から出せるのだから、そんなに負担にはならないはずである。
説明を終えて6班を見ると、まだ4人のにらめっこは続いている。
「先生のあげようか。」と声をかけてみると、
「いらない!」
「いいです。」
と予想どうりの答えが返ってきた。
「でも、誰かが唾液をとらないと、実験ができないよ。」
「…。」
唾液の採取が終わって、次の過程に進んでいる周囲の班に気づき、チナツが3人に声を掛けた。
「ねえ、ユミに頼もうよ。」
「えっ、ユミに?」
モエが私の反応を探るように声を返す。
私はすかさず、
「それはダメだよ。自分の班の分は自分たちで準備する約束。」
モエというのは、クラスで一番おとなしい子で、何を頼まれても絶対断らないような生徒である。そのモエに押し付けようとしているのである。
「えー、マジ無理…。」
私よりも上から声が聞こえてきた。ハナコである。
終始黙っていたトモミが、
「先生、この実験絶対にやらなくちゃダメなんですか。」
と言いだした。
その言葉に勇気づけられたか、口々に無理、やりたくないと口をそろえている。
やっぱり、この流れになった。
こうなることは想定内だった。あの日、職員室で田辺先生と作戦会議をした時にも、田辺先生からそういう状況になる可能性が高いと聞いていた。
今までの実験でも、何度かそういうことがあったらしい。
さて、作戦を実行するか…。
「それじゃ、君たちはここでギブアップするということでいいかな。」
「えっ、ギブアップって?」
「駄々をこねて、この状況から逃げ出すということだよ。」
「…。」
「別にそれでもいいし…。」
「でも、これは授業だから、ここにいる1組全員が今日の実験を通して学習しなければいけないんだ。だから、君たちは実験しなくてもいいけど、先生が実験するのを見ている。見て勉強する。それで、いい?」
「…。」
「それとも、この4人でジャンケンして唾液を取る人を決めるか、どちらかの選択肢しかないから、選んで。」
「…。」
「どうするの?ギブアップする、唾液をとる?」
周囲の班も操作に一段落して6班に注目し始めている。
それに気づいたモエが声を掛けた。
「唾液は無理だから、それで、いいよね。」うなづくメンバー。
「どっちにするの?」
「ギブアップします。」
唾液を入れたデンプンのりが入った試験管が体温程度のお湯に浸かっている。そろそろ10分以上経ったかな。
田辺先生に近づき声をかえた。
「先生、そろそろガスバーナーやりますか。」
「そうですね。それでは、みんな聞いてください。」
「これからマッチを配ります。ガスバーナーで試験管を加熱してもらいます。最初に説明したように、加熱は慎重にやってください。試験管の口は人がいない方に向けてください。」
6班にもどり4人に声をかけた。
「ガスバーナーを使うから立ってくれる。」
「椅子を中に入れて。」
一つ一つ声をかけながら実験を進める。
「まずは、2本の試験管にベネジクト液を入れる。」
青い液体を試験管に注いだ。
「きれい。」
チナツが声を出した。
そう、確かにベネジクト液は青く透明な試薬で、かき氷のブルーハワイのシロップみたいである。
こいう綺麗な色に反応できることはとても良いことである。
「ガスバーナーをつけるよ。」
できるだけ手早くガスバーナーに点火し、火の調節を済ます。
4人とも、じぶんの操作に注目している。
「試験管を加熱するよ。」
試験管ばさみで試験管を挟み、中に沸騰石を3粒程度入れて炎の中で炙り始めた。
試験管の底からあがる気泡。
グラグラグラ…。試験管に伝わる沸騰している振動。
「色が変わってきた。」と、モエが声を出す。
そして、やがて青色だった液が変色し始め…、最後はオレンジ色へ。
周囲でも、「変わった」とか、「きれい」とかの声が聞こえて来る。
中には、
「やべえ、飛び出した。」
試験管内の液体を外に飛ばしてしまっている班もあった。
でも、どの声も楽しそうだ。笑顔で実験している。
歓声が上がるたび、6班の4人は周囲を見渡していた。
表情を垣間見ると、ギブアップした頃と明らかに変わってきている。
「私たちもやりたい」という気持ちが少しずつ現れてきているようだ。同時に少し後悔している様子も感じられるようになった。
私は準備室に行き、あらかじめ準備しておいた試験管を6班に運んだ。
「どうだい、ガスバーナーで加熱してみない。」
「…。」
「先生の唾液でよければ。もう加熱するだけになっているから、やってごらん。」
「えー、どうする?」
と、一通りの抵抗はしたが、4人とも試験管をガスバーナーで炙り始めた。
私は田辺先生とアイコンタクトをとった。
作戦成功。
「色が変わってきた!」チナツの声が聞こえてきた。
第14章 円陣
「集合!」
「オウ〜」
カズオも他の部員と一緒に顧問の前にできた円陣に加わった。
サッカー部が制服で集合するのは珍しいことだし、ここは多目的ホール。
グランド以外で円陣を組むのも稀である。
「今日は昨日終わった大会の疲れをとるために完全休養だったが、
ちょっと気になることが耳に入ったので集まってもらった。」
顧問が話し始める。
「少し長くなるから、みんな座ってくれ。」
「失礼します!」
座って顧問を見上げた。顧問の表情はどこか険しかった。
カズオはあまりいい話ではないと感じていた。
その「感じ」は当たっていた。
「昨日、大会が終わり、我々は準優勝という結果だった。この結果に関しては、それぞれ感想や感覚が違っていると思う。完全燃焼できたやつと不完全燃焼だったやつ、準優勝で満足しているやつ、満足していないやつなど、いろいろな思いを持ってここに君らは座っているのだと思う。」
「俺としては満足している面もあれば、もう少しできたのではないかと思っている部分もある。勝てなかったのは、自分の指導力が足りなかったせいだと思っている。」
「でも、俺たちのサッカーはできたよな。結果は決勝で負けてしまったけれど、やりたかったサッカーを、君たちはピッチで表現していた。俺はそう思っている。だから、君たちを誇らしいと思ったし、俺は本当に嬉しかった…。」
そういって、顧問は言葉を一旦切った。
少し沈黙が続いた…。
「この中に、優勝した学校関係のサイトに書き込みをしたやつがいるらしい…。」
えっ…。何それ。
みんなの頭が少し動いた気がした。顔を見合わせている部員もいる。
「今日の昼に、優勝した学校の校長から、うちの学校の校長に電話があったそうだ。」
「昨日の夜、何かのサイトかSNSなのか分からないが、うちのサッカー部の部員を語り、相手チームに対してひどい内容の書き込みがあったそうだ。」
「審判を味方にしたとか、ディフェンスがわざと当たりに行っているとか、汚い言葉で挑発したりしたとか…、いろいろな難癖をつけて、相手チームを誹謗中傷する内容だそうだ。」
まじかよ。そんなことするやつがいるのか…。
カズオは、思わず周りの部員の顔を見渡してしまった。
しかし、誰もそんなことをするようには思えなかった。
「怒った相手の生徒が学校に報告して発覚したようだ。」
「現状では、相手の学校の生徒からも同じような内容の書き込みがあり、
さらに、ひどい内容で双方がお互いを挑発するようなことになっている
そうだ。」
「この中にも、それに関係している部員もいるんだろ?」
「…。」
しばらく続いた沈黙をタケルが破った。
「先生、自分は書き込みをしました。すいませんでした。」
その言葉で勇気を得た部員が、堰が切れたように次々に口を開いた。
「僕も書き込んでしまいました。すいませんでした。」
「僕も書いてしまいました。すいませんでした。」
「すいませんでした。」
「すいませんでした。」…
結局、2年生の中で書き込まなかったのはカズオとヒロシだけだった。
1年生も何人か絡んでいた。
「分かった。2年生は殆ど全員だな。
書き込まなかったのは二人か…。」
先生は腕を組んでしばらく動かなかったが、重い口を開いた。
「ヒロシ、何故お前は書き込まなかった。」
「先生、自分もそのやりとりは知っていました。サッカー部の何人かから電話も来ました。でも、自分は書き込まないほうがいいと思ったからです。」
「部長としての立場か?」
「たぶん、それもあったと思います。」
「でも、自分も…。」
少し間を空けてヒロシは続けた。
「でも、みんなが書いているのを見て、自分の気持ちと変わらなかったこともあったと思います。だから、書きませんでした。」
「カズオは?」
「自分は、昨晩は疲れて寝てしまったので、そんなことになっているとは今まで知りませんでした。」
「もし、知っていたら、どうした?」
「やっぱり、書かなかったと思います。」
「どうして?」
「昨日は完敗でした。だから、負けたことは悔しいですが、それは相手をけなしていいという理由にはならないからです。」
「そうだな。その通りだ。さっきも言ったが、昨日決勝戦。ゲーム内容も、そして君たちイレブンも、サポートのメンバーも、すべてが素晴らしかった。誇らしかった。俺は胸を張れる。」
「だからこそ、情けない!」
「…。」
「試合の勝敗よりも大切なことはないのか。」
「勝つことがすべてなのか。」
「負けたことからは何も学べないのか。」
「敗者としての美学みたいなものは必要ないのか。」
「そして、何よりも、自分たちの試合に泥を塗っていることに、どうしてお前たちは気づけなかったんだ。」
「すいませんでした。」
「すいませんでした。」…。
「この中に最初の書き込みをした奴がいたら、正直に名乗れ。」
…。
「もう一度言う、最初の書き込みをした奴がいたら、手をあげろ。」
…。
「一人ずつ確認する。タケル、お前は?」
「違います。自分は違います。」
「お前は、ユウキ?」
「絶対に違います。」
「じゃ、ショウは?」
「違います。」
数人の1年生を含め、書き込みをした全員に確認をした。
しかし、一番最初に書き込みをした犯人を特定することができなかった。
「誰なんだろう?」
カズオも検討がつかなかった。
正直、自分が書き込まなかったことに安堵していた。
確かに自分はバタンキューだったし、メダカ騒動もあったから爆睡してしまった。
でも、例え起きていたとしても書かないと思う。
朝読んだメダカからのラインを思い出した。
「ありがとう。」その言葉を思いだしただけで、胸が熱くなった。
メダカに対して、正確にはメダカを名乗る人に対して、感謝の気持ちがどんどん大きくなっていくのを感じた。
「よし、分かった。校長へ報告しておく。」
「書き込みした奴は、家に帰ったら反省しろ。
いいか、何が悪かったかよく考えろ。絶対に忘れるな。」
「はい!」
「俺たちは大会から学ぶことができなかった。だから、この失敗から俺たちは、絶対に学ばなければならない。」
「いいな。」
「はい!」
「よし、ヒロシ、号令!」
「気をつけ、ありがとうございました。」
「ありがとうございました。」
「解散!」
「おう!」
顧問が職員室に戻っていった。
いつの間にかあたりは暗くなり、体育館の明かりが2階のギャラリーから漏れていた。
ヒロシに「帰ろう」と言いかけたが、
タケルが声をかけてきた。タケルの周りには書き込んだしまった2年生が集まっていた。そこには部長のヒロシもいる。
「何?」
えっ、書き込まなかったことを責められるの?
確かに、俺だけは抜け駆けみたいになっているけど…。
「みんな集まって。ヒロシとカズオは前に来てくれるか。」
言われるまま、カズオはヒロシと一緒に集団の前に出た。
向き合う形となり、立場の違いを肌で感じながら、次の言葉を待った。
「あー、えっと…。 部長、カズオ、すまなかった。本当にごめん!」
みんな口々に「ごめん」と声をかけてきた。
そうか、俺たち二人にけじめとして詫びを入れたかったんだ。
なんだ、やっぱり、サッカー部はいい仲間たちだ。
先生が言ったように、今回のことを失敗としてしっかり捉え、反省し、行動しようとしている。
良かった…。ほんの一瞬だが彼らを疑った自分が情けなかった。
「もういいよ。みんなで反省しよう。俺も部長として、このことからしっかり学ぶから。」
ヒロシはそう言って俺を見た。目がお前も何か言えよと訴えている。
「すごいよ。こうやって、すぐ行動できるところがサッカー部のいいところだと思うよ。俺も、ちょっと格好つけちゃって悪かったよ。」
「いいや、カズオらしいと思ったよ。俺もお前を見習わなければならないと思った。よし、みんな、最後にもう一度けじめをつけるぞ。」
「おう。」
「部長、カズオ!すいませんでした!」
「すいませんでいた!」
みんな頭をずっと下げ続けている。
たまらず、ヒロシに合図を送った。「早く!」
「いいよ、もうわかった。これでおしまい!」
ヒロシがタケルの体を起こし、その体に抱きついていた。
「わー」とみんなが中央に集まってきた。
自分もその輪の中に入っていった。
誰かが、後ろから抱きついてきた…。
「俺、サッカー部で良かった!」
第15章 ヒロシとトモミ
暗くなった通学路。
今日は塾の日だ。いつもはそんなことはないが、今日は気が重い。
「塾でトモミに会うんだ…。」
トモミは同じ塾。
学校では別のクラスなので、部活動以外ではあまり顔をあわせる機会がない。しかし、塾は違う。あの狭い空間で、少ない人数の中で一緒に勉強しなければならない…。
授業なので、そんなに話をする機会もないのだが…。
「ただいま。」
「おかえり。今日塾だよね。夕食先に食べちゃいなさい。」
台所から母の声が聞こえてきた。
「はーい。」
返事をして、2階の自分の部屋に向かった。
部屋に入り、急いで着替えをした。
そして、塾用の鞄を持って1階に降りた。
今日は英語の日。【いただきます。】って英語で何て言うのかな?
浮かんできた疑問も、テーブル上の夕食のおかずを見たら忘れてしまった。
「やったー!麻婆豆腐だ。」
大好物の麻婆豆腐がテーブルの中央で光り輝いているように見えた。
大急ぎで着座し、「いただきます」を言うのも忘れ、レンゲですくった麻婆豆腐を白飯の上にのせて口の中に頬張った。
「んー、美味しい。」
茶碗のご飯はあっという間になくなってしまった。お代わりをしたい気持ちもあったが、そこはぐっとこらえた。
手首の痛みで部活動を休んでいる身。食べ過ぎは要注意!
「ごちそうさま。じゃ、塾に行ってくるね。」
「気をつけてね。いってらっしゃい。」
「行ってきます。」
暗くなった道路に自転車を漕ぎ出した。
ハンドルを握る手が冷たい。
「そろそろ手袋しないとダメだな…。」
塾までは1本道で、途中に信号が2つ。
2つの信号両方につかまっても10分くらいで着いてしまうような距離だった。
今日は運良く2つの信号とも待たずに渡れたので、7分ほどで塾に到着した。
かじかんで、少しこわばった手で自転車に鍵をかけた。
トモミの赤い自転車もすでに駐輪場にあった。
学校帰りに考えていたことを思い出し、少し憂鬱になった。
扉を開けると、知人を見つけたので挨拶をした。
その中にトモミもいた。トモミは吹奏楽部の部長のモエと話をしていた。
ルナに気づいたトモミが手を振っている。ルナも手を振り返したが、トモミはすでに視線を外し、モエと顔を近づけて話をしている。
何やらいつもと違い、ちょっと真剣な、いや、それ以上にもっと深刻な感じがしていた。
「どうしたんだろ。」
少し気になったが、英語の授業が間も無く始まるので教室の席に着いた。
その後、トモミとモエは英語講師と一緒に教室に入って来た。
英語の授業は途中の10分間の休憩に入った。
ルナはテキストを使って、前半の授業の確認テストをやっていた。
すると、男子と女子が言い争う大きな声が聞こえてきた。
場所が塾だけに珍しいと思って見てみると、そこにはトモミとサッカー部のヒロシがいた。特にヒロシが怒っているようだ。
「なんでそんなことするんだ。」
「別にいいじゃん。」
「ちっとも良くない。」
「ヒロシのためにやったんだよ。」
「くそ!」
ヒロシがその場から離れていく。
その後ろ姿を追っていた視線がルナとぶつかった。
トモミはプイと視線を外し、近くで心配している様子のモエの所に駆け寄っていった。
ヒロシ君は何を怒っていたんだろう?
ルナは不思議に思った。
ルナの知っているヒロシは、サッカー部の部長としてリーダーシップを発揮している姿や普段はすごくおとなしい姿。そして、学年の女子から人気がある姿など…。
最近は、よくトモミと塾で仲良く話をしているのを見かけていた。
たぶん、あの二人はつきあっているんだろうと思っていた。
でも、さっきのように大きな声を出している彼の姿をルナは見たことがなかったので驚いた。
そんなことを考えていたら休憩時間が終わり、後半の授業がスタートした。
授業が終わり、帰宅するために駐輪場に向かった。
まだ、トモミの赤い自転車が残っていた。
さっきのこともあるし、トモミが来る前に帰ったほうがいいな。
少し急いで鍵を開け、自転車にまたがり地面を蹴った。
その時、後ろでヒロシ君の声が聞こえてきた。
「もう、絶対に話をすることはないから。」
振り返りたかったが、ルナは振り返らなかった。
振り返れば、きっとトモミと目があうかもしれない…。
何か理由があって二人は喧嘩したんだろう。
一つ目の信号で赤信号でつかまり、さっきのことを思い出していた。
トモミは今日のことをシオリに報告するのかな。
そういえば、これからペアはどうなるのかな…。
ハンドルを持つ右手首の痛みは殆どなくなっていた。
たぶん、まだラケットでボールを打つと痛むだろう。
でも、どんどん回復しているのは自分の体なので分かっていた。
そうなると、部活に復帰することになる。そしたら私のペアはだれになるのか…。
それがシオリであった欲しい。
でも、トモミがいる。きっと大会をきっかけにトモミはシオリと組むことを考えているだろう。
ルナは、一緒に登校していた今朝の二人を思い出していた。
青信号になり、自転車を走らせた瞬間、別の自転車が同時に横断歩道にさしかかった。
少し驚き、右に進路を避けると、ヒロシの自転車だった。
「ごめん。びっくりした?」
「うん、大丈夫。ヒロシ君、家こっちなんだ。」
「そう。次の信号を右に行くんだ。ルナさんちは信号まっすぐだったよね。」「うん。」
トモミと喧嘩していたときの様子と違い、ルナの知っている穏やかなヒロシがそこにいた。
次の信号までは50mくらい。2台の自転車は並走した。
その間は言葉を交わさなかった。
ルナは少しドキドキしていた。男子の自転車の横を走るのに慣れていないからだ。
次の信号は青だったので、ヒロシは信号待ちで停車したが、ルナはそのまま横断歩道を直進した。
「さよなら。」
「さよなら。」
「フー。」少し、ホッとしている自分がいた。まだドキドキしている。
家が見えてきた。
いつもの塾から家までの時間とは違う、何か特別な時間だったように感じた。
自転車を停め、家に入る。
「ただいま。」
「おかえり。」
このやりとりで、ルナはようやく日常に帰れた気がした。
第16章 校長室
校長室に入ったサッカー部の吉川先生は30分経っても戻ってこなかった。
もうすでに午後7時をまわっている。多くの先生方は退勤し、残っている先生はわずかだった。
自分はというと、明日の実験の準備をした後、サッカー部の件を田辺先生と話していた。
「さっきの吉川先生の話だと、あの書き込みを最初にしたのはサッカー部の生徒じゃないということでしたよね。」
「そうでしたね。じゃ、誰がやったんですかね。」
「そういえば、例のメダカのこともありましたよね。」
「…、そうでしたね。」
【やばい…】少し焦ってしまった。
そうだ、まだメダカのことはほとぼりが冷めていなかったんだ。気をつけないと…。
「まあ、メダカはそんなに迷惑をかけていないからいいですけど、今回の書き込みはやはり内容がひどいですよね。」
「確かに…。」
【迷惑をかけていない】という言葉で勇気付けられ、話を今回のサッカー部にもどした。
「私もサッカー部以外の生徒だと思っているんですけど、しかし、うちの学校の生徒であることは間違いなさそうですよね。」
「もしかすると、サッカー部の生徒が好きな女子という可能性もありますね。うちのサッカー部の生徒は負けた腹いせで相手を中傷するような部員はいないと思いますし…。」
「その可能性はありますね。」
すると、吉川先生が校長室から出てきた。その表情は疲れ切っていた。
「お疲れ様です。」田辺先生が吉川先生に言葉をかけた。
「いやー、まいった。校長にサッカー部で話を聞いた内容を伝え、相手の学校に電話をしてもらったんだけど…。」
次の言葉を待った。
「やはり、もっとしっかり調べて欲しいということみたい。できれば、最初に書き込んだ生徒を特定して欲しいらしい。でも、おれはサッカー部の生徒ではないと信じているんだよ…。」
吉川先生が普段から熱心にサッカー部の指導をしていることは知っていた。
「やっぱり、サッカー部の中にいるのかな…。」
もう一度、自分に言い聞かせるように吉川先生が言った。
「吉川先生、自分たちも最初に書き込んだやつが誰かを考えていたんですが、先生と同じように、サッカー部ではないと思っているんです。」
「ありがとう。うれしいよ。でもな、それを証明することができない以上、やはりサッカー部が疑われちゃうんだよな…。」
職員室に沈黙が訪れた。我々を含め、4人しかいない職員室には重苦しい空気感が支配していた。
その時、急に電話が鳴った。
「もしもし、はいそうです。吉川です。いつもお世話になっています。昨日は観戦ありがとうございました。…」
サッカー部の保護者からなのだろう。例の件の問い合わせでも来たのかなと思ったが、そんな電話ではないらしい。
「えっ、帰っていないんですか。はい、解散したのは5時30分ですから、もう1時間半以上前です。ええ、はい。」
誰か家に帰っていないのか。誰だろう?サッカー部の生徒だよな。
「えっ、分かりました。校長に報告して、私も探してみます。それでは、また、連絡します。失礼します。」と言って、吉川先生は電話を置いた。
「サッカー部の2年殆どが家に帰っていないらいしい…。」
吉川先生はそういうと、また校長室に消えていった。
サッカー部の生徒が帰宅していない。どうしたんだろ?みんないったいどこに行ってしまったのか。これも例の書き込みに関わることなのか…。
田辺先生は「自分のクラスのサッカー部員に電話をしたほうがいいか…」と言いながらクラスの名簿を取り出していた。
すると、また職員室の電話が鳴ったので、電話のそばにいた田辺先生が驚いていた。
「はい、そうです。ちょっとお待ちください。代わります。」
田辺先生は小走りに校長室の前まで行き、ドアをノックした。
「校長先生、例の書き込み事件の相手中学校の校長先生から電話です。」
中から吉川先生が出てきた。
校長先生も校長室の電話機ではなく、職員室の電話を使って話し始めた。
「はい代わりました。校長です。お世話になります。はい、えっ、うちのサッカー部の生徒が来ているんですか。」
「エッ…」
職員室にいた先生4人が校長先生の周りを囲んでいた。吉川先生は校長の電話の側まで近づき、漏れ聞こえる会話に耳を傾けていた。
「はい。重ね重ねご迷惑をおかけしています。はい、いいえ、こちらこそ、申し訳ございません。これから、私とサッカー部の顧問がそちらに向かいますので、申し訳ありませんが、生徒を止め置いていただけないでしょうか。はい、宜しくお願いします。」
校長は電話を切った。
「うちのサッカー部の2年生が、今、相手の中学校に行っているようです。吉川先生も一緒に行ってください。」
「それと、中学校に行ったメンバーには、部長とカズオ君の二人はいないということです。」
「そうですか。その二人は行かなかったんですね。」
何か思い当たることがあるのだろうか、吉川先生はほんの少しの間だが何か考えているようだった。
「分かりました。私が車を出します。」
「よろしくお願いします。今残っている先生方には、私たちが戻ってくる間、サッカー部の生徒の家庭に電話連絡をしていただけますか。」
「分かりました。それで、どんな内容で連絡したらいいですか。」
「それでは、決勝戦の相手との試合後のトラブルについて、本校のサッカー部2年生が相手の中学校に謝罪に行っているので帰宅が遅れています。校長とサッカー部の顧問が対応しています。心配しないで、お子様が戻るまでお待ちください。この3点を伝えてください。」
「分かりました。」
「それでは、吉川先生、行きましょう。」
「はい。」
「気をつけて。」
いったい、サッカー部の連中は相手の中学校に何しに行ったんだろう。
まさか、喧嘩を売りに行ったわけではないよな…。
「さあ、田辺先生、電話しましょうか。」
「はい、それにしても、サッカー部心配ですね。」
「ええ、とりあえず、校長の指示通り電話しましょう。」
「それでは、手分けをしましょう。私が1、2組に電話します。」
「じゃ、僕が3、4組ですね。先生は前の電話を使ってください。僕は後ろの電話を使います。」
「分かりました。」
昨日大会が終わり、準優勝という素晴らしい結果を出したサッカー部が、次の日にこんなことになっているとは思わなかった。
それは誰しもが思っていなかったろう。
一人目の生徒の家に電話をかけながら、校長が言っていた保護者に知らせる内容3点を思い出していた。
きっと、どの家庭も子供が帰宅せずに心配していることだろう。
先につながった田辺先生の声が聞こえてきた。
「もしもし、中学校の田辺です。お世話になっています。はい、そうです。そのことでお電話をしました…」
受話器を耳に当て、呼び出しコールに神経を集中させた。
通話先の相手が出た。
「もしもし、サッカー部の加藤くんのお宅ですか、私は…」
職員室の時計が8時半を回っていた。
突然、職員玄関の方向から下駄箱が開閉する音が複数聞こえ、続けて廊下に移動し、職員室の前までやってきた。
「ガラ、ガラ…」と、勢い良く扉が開いた。
「お待たせしました。戻りました。」
「すいません。遅くなりました。」
校長と吉川先生が戻ってきた。二人の表情を伺おうとしたが、よくわからなかった。
「お疲れさまでした。」
「どうでした?」
私が飲み込もうとしたセリフを田辺先生が代弁してくれた。
「ふー…。報告するので校長室へ。」
「はい。」
真っ暗な校長室に入った。
今日は帰宅時間が遅くなりそうだ…。
第17章 片思い
「カズオ、何しているの。早くお風呂に入りなさい。」
1階から母の声が聞こえてきた。もう、2度同じ言葉をかけられていた。
そろそろ動かないと、雷がなりそう…。
「分かった。」
そう返事したが、すぐに風呂に入れそうもなかった。
時計は10時30分を少し回っていた。
「先に誰か入っていいよ。」
「もう遅いんだから、あんたが先に入りなさい。」
「今入る。」
仕方ない、今は風呂に入るしかないか。
1階の脱衣場まで移動したが、やはり気になって手に持ったスマホを覗いてみた。
さっきまで、ヒロシとラインをしていた。
そのやりとりに続きが来ているかもしれない…。
ヒロシの話だと、俺たち以外の2年生と連絡がとれないらしい。
夕方タケルに電話して気付いたそうだ。
何度電話しても出なかったので、ヒロシはラインで「どうした?」とタケルに送ってみたという…。
それに対しても返事が返ってこないことが気になり、他のサッカー部の生徒にも連絡したが、誰とも連絡がつかず、とりあえず時間になったので塾に行ったそうだ。
そして、家に帰って俺にラインを入れたということらしい。
「みんなどうしたんだろう…。」
「入った?」
少しきつめの母の声が響いてきた。
「今脱いでる!」
脱衣場にスマホを置いて風呂に入った。
20分くらいで上がったが、その間は耳をすましていても着信音は聞こえなかった。急いで着替えて自分の部屋に戻った。
すると、着信音が鳴った。
ヒロシからだった。
『今、タケルと連絡取れた。みんなで向こうの中学校に行ったらしい』
『向こうの学校って?』
『例の! 決勝戦の相手!』
『エッ? 何しに?』
『謝りにだって』
…あいつら謝りに行ったんだ…
驚いたが、さっきの様子だったし、きっとみんなで考えて行動したのだろう。
『すげえ。じゃ、部活の後、みんなで行ったんだ。』
『そうだって。!(◎_◎;)だよ』
『明日みんなに話を聞くのが楽しみになってきた』
『じゃ、おやすみ』
『安心した ありがと (( _ _ ))..zzzZZ』
ベッドに横たわり、スマホを枕元に置いた。
自分とヒロシ以外の部員が、
相手の中学校に出かけ、詫びてきた。
少しみんなが羨ましかった。
その場に居たかった。
でも、その場にいるためにしていた行動は
自分だったらやらない。そこは揺るがなかった。
でも、明日、皆んなに会って、どんな話が聞けるか楽しみだった。
また、今日の学校でのミーティングのことを思い出した。
あの時と同じ感情が浮かんできた。
「サッカー部で良かった!」
それにしても、例の書き込み…。
いったい誰が最初にやったんだ。
俺たちは大会で全力を尽くした。
俺たちの準優勝は誇れる結果だ。悔しいけど相手は強かった。
でも、今自分たちができる精一杯の力は出せた。
それなのに、今、その試合に泥を塗るようなことが起きている。
心の底から怒りがこみ上げてきた。
体が熱くなるのを感じる。
すると、着信音が鳴った。
誰かな? サッカー部の連中かな?
『さっかーぶがんばれ メダカ』
メダカ…。えっ、メダカ? メダカ!?
メダカも俺たちの状況知っているんだ。やっぱり、うちの学校の関係者なんだろうな…。
でも、メダカに応援されている。
それは、やけに嬉しく感じたし、きっと、他にも自分たちのことを分かってくれている人たちがいるに違いない。
また、着信音が鳴った。メダカから? 違う、ヒロシからだ。
また、なにか情報が入ったのかな…。
『ちょっと、はなしたいことができた。あと5分経ったら電話する。』
直接電話で話すことって、Lineじゃダメなことって何だろう?
全く想像できなかったが、考えても仕方がない。電話が来るのを待つことにしよう。
まだ来ない。
…
まだだ。
こうして待っていると5分は長く感じる。
それに、Lineが来てから丁度5分経っても電話がかかってこなかった。
10分…。
15分…。
「(着信音)」
ようやく着信音が鳴った。全く待たせすぎだよ!
「もしもし、俺、うん、待ってたよ。どうしたの?」
「うん。これはカズオにしか話せないことなんだ。」
「へー、そうなんだ。何の件?」
「例の書き込みの話。」
やっぱり、その件か。でも、俺にしか話せないことって、一体なんだろう…?
「それで、何か新しい情報でもあるの?」
「…。うん。実はあの書き込みを最初にしたやつが分かったんだ。」
「えっ、マジ!?」
「ああ。」
「それで、誰なの、そいつ?」
「…。
実は、トモミなんだ。」
「えっ!トモミ?」
「そう。トモミだったんだ!ごめん!」
「別に、お前のせいじゃないじゃん。」
「でも、トモミは俺のために書き込んだって。」
「お前が頼んだの?」
「頼むわけないじゃん!そんなこと。」
「だったら、ヒロシは謝ることはないよ。」
「でも、やっぱり俺にも責任があるはずだよ。」
「トモミはヒロシの彼女だし、試合に負けたことで、何かお前のためにできることはないかということで、書き込んじゃったんだろ?」
「俺どうすればいいかな。先生の話だと、向こうの学校は最初に書き込んだ生徒を見つけて欲しいと言っているらしいし…。」
「あー、そうだったな。」
「どうすりゃいいんだ。先生に正直にトモミのことを話したほうがいいよな。カズオはどう思う?」
「うーん…。」
確かに、向こうの学校からは犯人探しをしてもらいたい要望があるのは聞いた。ここで、犯人であるトモミを顧問や校長先生に報告すれば、その要望に応えることができる。
でも…。
「カズオ、どうしたらいいと思う?」
「ヒロシ、そのことは俺とお前、そして、これからトモミに連絡をしてくれ。ヒロシ、俺、トモミの3人だけの秘密にする。」
「じゃ、先生に話さないの?」
「ああ。」
「それで、いいのか?」
「うん。そうしよう。」
「…。」
「トモミをかばうわけでもないし、ヒロシとトモミの仲のことに気を使っているわけでもないよ。」
「…。」
「お前には悪いけど、トモミのやったことは悪いことだし、俺も許せない。でも、トモミの気持ちはほんの少しだけど理解できる。」
「…。」
「あくまでも、ほんの少し。俺はトモミを許さない。悪いが、今度あったら文句の一つも言ってやるし、もうあいつとは口をきかないと思う。」
「カズオ…。」
「でも、あいつを名乗らせることはできないよ。」
「うん。」
「一応、女子だしな!」
「一応な。ありがとうカズオ。」
「ああ。これからトモミに連絡しとけよ。」
「分かった。」
「それじゃ、明日な。」
「うん、おやすみ。」
「おやすみ。」
…。
ふー、少し力が抜けてしまった。
そうか、トモミか。やっぱりサッカー部の連中じゃなかった。
そうだよな。女子がやりそうなことだよな。
トモミって、やっぱりあんまり好きになれないな…。
ルックスは結構いいし、男子からの人気も高いけど、
学校での印象はあまりよく無かった。
それに引き換え、俺の好きな女の子は…。
その子のことを思い浮かべた。
片思いだった。話したことも殆どないし、
その子のことをヒロシや他の誰にも言ったことが無かった。
まあ、このまま卒業まで行っちゃうんだろうな。
その子はテニス部の子だった。
トモミと違ってどちらかというと目立たない子だった。
部活が校庭同士だったので、たまに視界に入ることがあった。
体が少し熱くなった。
もう寝よう…。
明日、明日…。
続く