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条例都市 The usual  作者: 三衣 千月
条例 第六条『白黒つけたい。そんなお年頃』
7/9

第一話

 目が覚めた瞬間、遅刻を確信した。

 なぜならば、昨夜から点けっぱなしになっていたであろうテレビに昼の情報番組が映っていたから。画面の隅にある時刻表示が、それを裏付けるように昼前を示している。


 いつの間にか寝てしまっていたらしい。テーブルの上に散乱したメモやら何やらを片付け、寝癖のついた髪を掻きながら、出掛ける支度をしようとする。遅刻だとは言え、行かないという選択肢は私にはない。


 私はそこら辺に脱ぎ散らかされている服を横目に、シャワーを浴びようとクローゼットを開けた。


「替えの下着……ないじゃない」


 仕方がない。ノーブラで行こう。厚手のシャツで誤魔化せるだろう。

 そう思ってシャワーを浴び、そこらにあった服を着て、寝癖を無理やりゴムで留めて私は家を出た。




   ○   ○   ○




 空はどんよりと曇っている。そういえば、今日は雨が降るというような事を天気予報でやっていたような気もする。雨が降ろうが槍が降ろうが、私はどちらでも構わないけれど。

 念のために携帯電話で天気を確認しておく。うん、夕方から振るらしい。傘は、いらないか。邪魔なだけだ。

 ズボンに携帯を押し込むときに、つけている黒牛のストラップが引っかかった。ええい、面倒だ。ストラップだけズボンから出た形のままになったが、私はそれをそのままにしておいた。


 電車に乗り込み、私は目を瞑る。これはもう癖のようなもので、こうしておけば余計な面倒ごとに巻き込まれることもない。特に、人が多いところではなおさら。


「もしもし」


 不意に肩を叩かれる。なんだよもう。寝てることにしておいてくれないかな。


「お願いします」


 ちらりと片目だけ開けるとそれなりにイイ男だった。彼はキーケースにぶら下がっている自分のストラップを私に見せてきた。

 牛の形をした、白いストラップ。

 彼の視線は私と、私のズボンのポケットからはみ出ている黒牛のストラップとに交互に注がれている。


 イイ男でも今は面倒だなあ。

 ストラップ、ちゃんと中に入れとけばよかった。仕方ないか。


 私は観念して再度目を閉じた。

 目的地まで二駅。およそ五分。さっさと終わらせればいいや。


「f5」


 ぶっきらぼうに言い捨てる。


「f6」


 即座に返ってくる。まあ、そうでしょうね。


「e6」


「f4」


「g7」


 交互に言葉を並べていたが、私がg7を宣言した瞬間、車内が静かにざわついた。何よ。私はいたって真面目なんだけど。


「……ふざけているのですか?」


「別に。どうぞ、続けて」


 男性は少し機嫌を悪くしたらしい。いいから早くして欲しい。私は次の駅で降りるんだから。


「……f7」


「e3」


 うんうん。流石に"h8"は宣言してこないか。でも、想定範囲内。


「c5で」


「c4」


「……冗談で言ったわけではないみたいですね。

 d3でお願いします」


「c3。冗談を言う理由がない。

 私は真面目よ」


 淡々と続ける私と、時折考えながら宣言を続ける男性。しばらくやりとりを続け、最終的に勝者は私だった。うん、きっちり一駅で終わった。間に合ったみたい。

 男性が何か言いたそうにしていたけど、私はここで降りてしまう。


「ごめんなさい。私はここで降りるの。

 感想戦をしている時間はないわ」


「じゃあ、せめてIDを……」


「面倒だから覚えてないの。

 "ねぐせバッファロー"で調べて。

 そっちの方が早いと思うから」


 そう言い残して、私はさっさと車両を降りた。車内で「あれが……」「初めて見た」「ほんとに寝ぐせつけたままなんだな」などと騒然としていた。それが嫌で普段はストラップをしまっておくのに。野良試合なんかするのは、よほどの自信家か向こう見ずだけ。

 私はどちらかと言えば長考派なんだから。ああ、嫌な目に遭った。


 嫌な気分に拍車をかけるかのように、駅から出ると既にぽつぽつと雨が降っていた。


「夕方からじゃなかったの。もう」


 少し息を吸い込んで「まあ、いいか」と呟く。

 こんな天気の中で、というのもたまにはいいかも知れない。私は駅からすぐ近くの広場に向かうことにした。


 この街には他の街にはない一つの条例がある。

 それ以外は何の変哲もない平凡な街。


 この条例を目当てにこの街に越してくる人間もいる。

 かく言う自身も、例にもれずその中の一人。


 休日は、何か予定でもない限り最寄りの"場"へと出向くことにしている。




   ○   ○   ○




 ここへは、もう何度通いつめたか分からないくらい。

 見慣れたポスター。自販機。少し傷のあるベンチ。目を閉じても何がどこにあるかすぐに思い出せる。


 雨を受けながら、なんでもないと言ったように広場を見渡すとちらほらと人がいる。傘をさしている人もいれば、私のように濡れるに任せたままの人もいるようだ。


「お、同類がいる」


 私は広場に並べられた数多くの机の一つに向かった。そこには顔なじみの姿があったから。彼のニックネームは"寄せの蛇"だ。本名は知らない。


「今日はもう来んかと思うとったよ」


「まさか。休日に私がこなかったことなんかないでしょう」


「そうじゃの。

 どれ、さっそく……」


 そこまで言って、相手の壮年の男性は私のほうを振り向き、そしてしばらく停止した。なんだろう。ついに電池でも切れたかしら。もう年だもんね、この人も。


「もしもーし」


 こちらから声を掛けてみると少ししてから彼は動き出した。


「お前さん、柄にも無く色仕掛けか?」


「なんのこと?

 ……あっ」


 あ。しまった。今日の私はノーブラだ。しかも雨だ。へばりついたシャツがしっかりとブラをつけていないことを証明してしまっていた。


「年相応の気遣いをすりゃあ、もちっと可愛げもあろうに。

 ま、気にせんことにしようかの」


「ちょっとくらい気にしてくれてもいいのよ?」


「ほっ。そういうのは若い衆に言ってやれ。

 "スーツ兎"なんかお前さんに気があるじゃろ」


「私より強い人がいい。

 で、毎晩相手をしてくれる人」


「"ねぐせバッファロー"に勝てるのはワシくらいのもんじゃろ」


 二人の間の机の上には、六十四マスの世界が広がっている。向かい合って座り、私は傍らにおいてあった白黒の石を手にとってそれを撫でる。

 やっぱり、実際に触れて行うのがいい。


「でも"寄せの蛇"は毎晩相手してくれないし」


「わしゃもう年じゃてな。

 さ、無駄話はここまで。今日もお手並み拝見といこう」


 一礼して対局をはじめる。

 盤面にはしとしと雨があたっている。これはこれで、なかなか風情があると思う。


 雨の音がノイズのように聞こえ、他の音一切を遮断する。私の思考もまた研ぎ澄まされてゆく。体にあたっているはずの雨粒も、まったく気にならないくらいに。


 お互いに、言葉はいらなかった。




   ○   ○   ○




 結果は、二石差で私の負けだった。うう、悔しい。


 この街には、他の街にはない一つの条例がある。

 それ以外は何の変哲もない平凡な街。


 オセロの街。そう、この街は呼ばれている。

 オセロを気軽に誰とでも楽しめる設備がこの街の何ヵ所かに整わっている。ここの広場はその設備の一つだ。

 成績のレートや対局情報はしっかり管理されていて、街のいたるところで対人戦を楽しめる。誰かの情報を見たいときにはその人のIDかニックネームで詳細が見られる。

 ちなみに、私のニックネームは"ねぐせバッファロー"で、大体の人は自分の得意とする戦法や気に入っている形をニックネームに入れている。


 オセロ好きが集まるもんだから、当然顔見知りも知り合いもできる。

 やっぱり、こういうモノは顔を突き合わせて対戦したい。盤の感触、対戦の雰囲気。それらは疑似体験では決して得られるものではない。


 しかし、条例の一部として、同じ戦法のストラップを持っているもの同士は目隠し対局を開始しなければならない。

 これだけはいただけない。私はやっぱり直接打ちたい。


「遊戯馬鹿ってなぁ、俺たちみたいなのを言うんだろうなぁ」


「いいんじゃないかしら。だからこの街にいるんだし」


「違えねえや」


「ま、名前も知らないんだけど」


「打ち筋や癖はよく知ってるんだがなあ」


 例えば、あそこのテーブルの人は兎定石から入ることが多い。ニックネームも"スーツ兎"だしね。その相手をしている人は勝負をかけるときに足を組みかえる癖がある人だ。

 私は追いつめられるとよく人差指でこめかみをトントン叩くらしい。


 そんな奇妙な繋がりだけど、これがこの街での日常。


 次回はどんな対局になるのだろうか。

 これだからこの街を離れる気にはならない。




   ○   ○   ○




 帰りの駅で、先ほどの目隠し対局をしたイイ男にまた会った。ご丁寧に、私の事を待っていたと言う。私に負けたのが悔しかったのか、再戦を申し込んできた。うん、嫌いじゃないよその姿勢。


 この後、毎日のように対局を申し込んでくる男が数年後に私より強くなっただとか、それを面白く思わない"スーツ兎"がオセロでの決闘を申し込んだとかはまた別の話。




.end

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