第一話
十二月四日。
街にはイルミネーションの光が溢れ出していた。駅前の広場には大きなクリスマスツリー。年末が近いということもあってか、行き交う人々は皆どこか忙しそうだ。ツリーをぼんやり眺めながら彼らを見ていた。
どこからか、毎年この時期に耳にする曲が聞こえてくる。
ここは、さほど大きな街ではないにしろ暮らしやすいと思える平凡な街。ここに越して来て数年になるが、不便だと思ったのは最初の数ヶ月だけだった。
「いいのかね。こんなにのんびりしてて」
ブラウンのコートに手を突っ込んだまま呟く。この場所からはツリーがよく見える。リボンやらオーナメントで装飾された煌びやかなツリーだ。夜にはライトアップもされる。
駅前広場の時計の下で、柱にもたれかかりながら来ない友人を待っていた。
世間が慌しいと、こっちまで忙しい気分にさせられる。ついつい乗せられて仕事のあれこれを考えてしまいそうになるが休日は休日らしく羽を伸ばすのが正解だろう。
道行く人々には申し訳ないが存分にのんびりさせてもらうことにする。
「それにしても遅いな、アイツ」
首を上に向けて時計を見る。針はすでに約束の時間を三十分程越えていることを示していた。待ち合わせは確か一時だったはずだ。
大方の予想はつく。寝坊か何かだろう。
そのとき、駅前のロータリー友人の車が入ってきた。あのボロい車体を見間違えようはずもない。時計の下を後にして乗り場へと向かう。友人も気づいたようで窓を開けてこちらに手を振った。
遅れたことを気にしている素振りはまったくなさそうだ。
招かれるままにドアを開けて古めかしい車に乗り込む。ドアの開閉、およびシート着席時にずいぶんと年季の入った音がした。朽ちた洋館の大扉を開けるような、そんな音だ。
「いい加減、変えないのか?」
毎度の台詞だが、言わずにはいられない。返事もいつも通りだった。
「何を言うか!まだまだ現役。快適に走るぞ」
「快適に走る割には、大遅刻だけどな」
少し憮然とした表情をわざとらしく作り、遅刻を問い詰めてみる事にした。友人はこれくらいで堪えるタマではないので完全にポーズではあるが。
「やぁ、すまん!車の調子はいいんだが道が混雑しててな!!
こればっかりはどうしようもナイ!」
「まったく……、調子のいいやつめ」
「おう、車も俺もな!!」
「うまくねえよ」
ため息をつく。もちろん、友人の時代遅れの車の暖房設備が整っているはずがない。漏らした息は白く広がった。
「なんだよお。怒るなって。冷たいヤツだなぁ」
「この寒空に三十分以上待たされたんだ。
心身ともに冷たくもなるのは当然だろう」
「悪い悪い。と、思ってさ。ほれ」
運転席から缶コーヒーが飛んできた。いつも好んで飲んでいる銘柄だ。こういう所は気が利くやつだと思う。いや、普段から謝罪慣れしていると捉えるべきだろうか。
「仕方ないな。どうせ道が混むことを忘れてたんだろう」
友人が車を発射させるのと同時に缶コーヒーのタブを起こし、冬の街を眺める。ゆっくり動き出す景色とラジオから聞こえてくるクリスマスソング。
「ご名答!ご明察!大正解!
俺はこの街に住んでる訳じゃないから全然慣れないんだコレが」
「仕方ないさ。俺も最初は驚いた」
この街には、他の街にはない一つの条例がある。
それ以外は、本当に何の変哲も無い平凡な街なのだ。
条例を誰が作ったとか、どういった経緯で作られたとかは知らない。
あまり気にするものでもないし、気にした所で変わらない。
「まぁ、最近は慣れてきたしな!
さ、明日の条例に備えて買い出しと行きますか!!」
「慣れてきたって?どの口がそれを言うんだよ。
半年前のこと、忘れてないからな」
「ま、まだ根にもってんのかッ!?暗い!暗いなー。
あんまりヨクナイよ?そういうのってさあ」
友人は無駄に元気だ。こう寒いのによくそんなテンションでいられると常に思う。いや、車の暖房が効かないからその代わりなのだろうか。
「アイス買い込むのは禁止な」
「この寒いのにアイスなんか買わねえよ。
でも、ありゃ悪かった。大惨事だったもんな」
「ああ、食えたもんじゃなかったからな」
「あの溶けたアイスって結局どうしたんだっけか?」
「甘ったるい飲み物として飲んだぞ」
「あー。で、胸やけになってたな」
「あと数年は覚えてるからな」
「うわあ、暗いわー。ほんと暗いわー」
何気ない会話が、冬の快晴の空に消えていく。この分だと、今夜もきっと快晴だ。離れていくツリーをバックミラー越しに覗きながらそんなことを考えた。
○ ○ ○
食材や燃料を買い込み、友人と共に自宅へと戻る。閑静な住宅街にある、普通の一軒家。少し高台にあるので、屋上に上れば周りの景色がよく見える。
もう五時を過ぎている。少しのんびりしすぎたかも知れない。急いで準備をしなければ。
「相変わらず広いよなぁ。一人でこの家は寂しくないか?」
「毎回同じ事を聞くなって。
不自由しないし、何より気楽だ」
確かに男の一人暮らしが一軒家というのは稀だろう。稀であることは認めるが、特に特殊な事情という訳ではない。相続した家にそのまま住んでいるだけだ。
「……変なヤツ」
「何を今更。その変なヤツのおかげでそれが役に立つんだろう」
友人が抱えている箱を指差す。
「まぁな。あと、条例のおかげでな」
「もっともだ。屋上へのドアは鍵開けてあるから。
俺は食事の準備を済ませる」
「了解」
がちゃがちゃと物音を立てて、抱えた荷物を運んでいった。あんなに乱暴に運んで大丈夫だろうか。けっこう繊細な部品も多いと思うのだが。まあ大丈夫なのだろう。友人が物持ち良い性格なのは車で証明済みだ。
こっちは台所で今晩と明日の食事を作らないとな。月に一度の条例のせいとは言え、まとめて作るのはなかなか大変でもあり楽しくもある。
そして七時。
出来上がった夕飯を共に食べる。
「なあ、ちょっと量が多くねえ?
こんなには食べられないぞ?」
「今日と明日の分だ。全部は食うなよ」
「ああ、そうか。悪い」
誰かと他愛無い会話をしながら食べるのもたまには良い。
夕食を済ませ、後片付けをしながら友人に訊ねる。
「屋上の方、準備は?」
炬燵で寝ころがりながらの返事が帰ってきた。
「準備万端万事万全!
キレイに晴れてるし言うことナシ。
今日はよく見えるぞ!!天文部の血が騒ぐ!!」
親指をびっと立てて、楽しくて仕方が無いといったように友人は笑った。毎月のことながらテンション高いなコイツ。
「元・天文部だろう。
プラネタリウム並みの解説を期待してるさ。
寝転がってないで風呂に入れ、元部長」
「まかせろぃ。って母親かお前は。この元幽霊部員め」
「今日は早くしないと入れなくなるからな」
そうだったと言わんばかりに頷いて、友人は炬燵から這い出してきた。着替えを用意してバスルームへ向かうと思いきや、おもむろにこちらを振り向いて、
「覗くなよ?」
と言って笑った。
「お前のバスシーンに興味はない。一切、皆目だ。
毎回言ってて飽きないか?そのネタ」
「ちぇっ。つれないヤツ」
なら釣れてほしいのかといつも疑問に思う。
俺にそっちの趣味はないぞ。
○ ○ ○
十一時。
家事を済ませ、二人で屋上へと上がる。街のイルミネーションは遠目に見てもきらきらとキレイで駅前のツリーはその中でも特に煌びやかに輝いている。街灯や家の明かりもこぞって夜を照らす。移り変わる信号機や、ビルの航空灯も参加して。
屋上のフェンス越しに見る街はまるで星空だ。天上の星が霞んで見える。
地上の星に照らされて夜のベールにはかろうじてシリウスが瞬くだけ。
「やー!冬のダイヤモンドも北極星もまったく見えねぇなぁ」
「もうしばらく待てば見えるさ。
その天体望遠鏡も無駄にはならないと思うぞ。
それまではまぁ、コーヒーでも飲もう」
「そうだなー」
屋上に置いたアウトドア用のバーナーにケトルを置き湯を沸かす。出来上がったインスタントのコーヒーにブランデーを数滴。厚着で出てきているとはいえやはり冬の夜は寒い。気つけに多少のアルコールは効果的だ。
コーヒーを飲みながら、天体望遠鏡の調整をしたり話をしたり。
そうしている内に、地上の星が一つ姿を消した。駅前の大きなツリーの灯りだ。黒闇の中にふっと消えた。
「お、時間か」
ツリーを中心に、街の星々が見る間に消えていく。
街灯や家の明かりも。
移り変わる信号機や、ビルの航空灯も。
さっきまで天上を覆っていた黒の大きな布がそのまま降りてきて街を覆っていくようだ。騒がしい灯りが消え、黒い静寂に街が飲み込まれた。
隠し布をはずされた絵画のお披露目だとばかりに、緊張にも似た心持ちで上を見上げた。
ベールの無くなった天には、ところ狭しと星が瞬いている。賑やかな静寂とどこかの詩集に書いてあったことを思い出した。
シリウスはもちろん、うっすらと流れる天の川も見える。冬にも天の川が見えることをかつて聞いたときは驚いたものだ。夏のものだとばかり思っていた。
こんなに星があったのかと、毎回の事ながら思う。
言葉が出てこない。
「お!!見える、見えるぜー!!
カストルにポルックス!アルデバラン!!
源氏星も平家星もばっちり見えるな」
隣にいる天文ヲタクは言葉が出るようだ。
「……おい。元部長。
もうちょっとこう、感動に浸る時間とか、ないか?」
「感動してるぞ!俺は!見てみろ!あのベテルギウスを!
我らが平家星を!!変光星の中でも特にはっきりとした変
―――中略―――
ので、あと3年もすればまた明るくなってくる訳だ。
って……聞いてないな!?解説をご希望だろう!」
「聞いた時だけでいい」
「つまんねーなー。ま、いいや。
望遠鏡覗いてるから、何かあったら言ってくれ」
返事の変わりに手を挙げてそれに応える。とはいってもこの暗さだ。見えているかどうか分からないが、友人はそのまま望遠鏡を覗きにいったようだった。
街の灯りは全て眠りの中。
満天の星空にざわざわと心がくすぐられる感覚は何ともいえず心地いいものだ。
満天の星空を眺めながら、灯りの消えた街にも目をやる。
明日のこの時間まで、街はこのままだ。街に灯りは一切灯らない。駅も、信号も。
月に一度、街への一切の電力の供給が一日だけストップする。故に、電車も走らないし店も開かない。信号も止まるので車両は運転禁止。
―――それが、この街の条例。
「完全停電条例……ねえ」
「俺は好きだぞ?こうして存分に星が見れるしなっ」
独り言に対して返事が返ってくる。おそらく望遠鏡を覗き込んだままの姿勢なのだろう。想像に難くない。
俺も星空は嫌いではない。
この街には、他の街にはない一つの条例がある。
それ以外は、本当に何の変哲も無い平凡な街なのだ。
条例を誰が作ったとか、どういった経緯で作られたとかは知らない。
あまり気にするものでもないし、気にした所で変わらない。
この街に住んでいる限り、これが日常であり普通なのだ。
他の街に住む人間からは非日常的に写っても、日常は変わらない。
ここは、月に一度必ず停電する街。
観光パンフレットはこう言う。
"星の降る町"と。
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