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条例都市 The usual  作者: 三衣 千月
条例 第三条『ミッションコード:K』
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第一話

 受付では、業務めいた声で淡々と案内をされた。


「では、手続きが出来ましたらお呼びいたします。

 それまでロビーでお待ちください」


 そう言われて、番号札を受け取る。

 待合室のベンチに腰を降ろし、正面に据えてあるテレビを何の気は無しに眺めていた。待合室というものはどこの施設でも同じようなものだ。特にすることがない。目的を果たす為にただ待つだけの空間だ。


 テレビが流す情報を、ただ目に映す。真剣に見ているわけでは決してない。それは、待合室に居る数少ない他の人達も同じだろう。社会人として情報を手に入れることは大切だろうが、四六時中アンテナを伸ばしておくのも疲れるものだ。


 番号札を触ったり、腕を組んで瞼を閉じてみたり。端からは落ち着きが無いように見えるかも知れないが、何せこちらは急いでいるのだ。


 この後にも今日の予定はいくつかある。夕方までという制限時間もある以上、どうしたって焦りは見え隠れするものだ。仕事は有給を取ったが、仕事の時よりも気を張っている自分がいることに気づく。


 落ち着くためにも、少し今日の予定をおさらいしておこうと目を閉じた。


 まずはここでの予定を終わらせる。下調べもしたし、必要な書類は全て用意したはずだ。不備があるとは思えない。ちゃんと受理されるだろう。

 その後、百貨店へと向かう。買うものは既に取り置き済みだ。受け取りに行くだけでいい。ついでにその辺りで昼食を済ませてしまおう。そこらの定食屋で充分だろう。

 そしてケーキショップ。確か受け取りは二時だったはずだ。それから花屋へ向かおう。

 全ての場所を回り、定められた予定をこなす。一旦帰宅して明日の準備。この後が最も肝心だ。妻が帰ってこないうちに、スーツに着替えて家を出て、いつもの帰宅時間に何食わぬ顔で帰宅。


 よし、"作戦(ミッション)コード:K"に不備はない。


「どのコースで動くのが一番効率的か」


 とぶつぶつ呟きながら考えているうちに番号を呼ばれ、再度受付へと足を運んだ。

 説明によると、上の階に上がって問診をするんだそうだ。無機質に響く静かな階段を昇り、仕切られた部屋でスーツ姿の男性から問診を受ける。


「持病は?」


「ありません」


「体が重かったり、やけに気だるくなることは?」


「ありません」


 まるで会社で行われる健康診断のような問診だ。この程度の問診ならば紙に書いて答える形でもいいんじゃないかと思う。


「では最後に。この街に越して来られたのはいつですか?」


「三年前です」


「では、一日程度であれば問題ないでしょう。これをどうぞ」


 男性から、錠剤と水を渡される。促されるままに錠剤を口に含み、水で喉に押し込んだ。別に、何も変化は感じられない。本当にこれでいいのだろうか。


「これで、明日は起きて活動することが出来ます。

 しかし、激しい運動などはお勧めしません」


「……どうも」


「では、こちらの手続書にサインと印鑑を」


 何も変わった実感はないので、少し腑に落ちない所はあるが、そんな事はお構いなしと署名捺印した書類を持って男性は去っていった。

 お役所仕事にも程がある。実際、ここは役所なので何の文句も無いが。




   ○   ○   ○




 よし、これで一つ用事は消化した。

 ちょっとした手続きにも盛大に手間がかかるのは、仕方のないことだと納得しておこう。


 明日を普通の一日として過ごせるようになったはずなのだから、その前提で今日の予定をどんどんこなしていく事にしよう。


 この街には、他の街には無い一つの条例がある。

 それ以外は何の変哲の無い普通の街なのだ。


 どんな経緯で出来上がったのかは知らないが、街から補助金も出るのでさほど不便だとは思わない。ただ、違う街にいる人と比べると、少し損はしている気はする。

 他の街に住む友人から言わせれば羨ましいらしいが。


 休眠条例。


 それが、この街の条例の名だ。

 個人差はあるが、三週に一回や二週に一回の頻度で"目が覚めない日"が存在する。

 他人から見れば、ただ眠っているだけに見えるのだが、本人からしてみれば起きたら翌々日。という、何とも損をした気にさせられる条例だ。


 ちなみに、自分の場合は三週間に一回が休眠日だが、今年はその休眠日に大切な日が被ってしまった。去年、一昨年は被らなかったが、今年はついにといった感じだ。


 職場の同僚の話によると、役所に申請をすれば、休眠日の取り消しや振り替え、及び変更が可能だと言うので、こうして休眠日の前に有休をとって役所まで赴いたのだ。


 なんにせよ、無事に手続きが済んでよかった。


 さて、と。こうしては居られない。"作戦コード:K"の達成の為。そう、明日の為にまだやるべきことはたくさん残っているのだから。

 仕事の時よりも断然張り切って、先ほど復習した予定をこなしていくことにした。




   ○   ○   ○





 百貨店での用事は、あっけない程あっさりと済んだ。代金も支払い済みの物を受け取るだけだったので当然だ。

 そのまま横の定食屋に入り、てんぷら定食を食べた。


 時間が来たので商店街のケーキショップに行ったが、ここで予想外に時間をとられた。パティシエの一人が急遽、休眠日を今日に変えたせいで忙しいらしい。注文したケーキはまだ出来上がっていなかった。

 仕方が無い。そういうこともあるだろう。仕事でも、取引先が急に休眠日を変えることは良くあることだ。商店街の書店で時間を潰した。


 結局、予約時間を一時間遅れてケーキは完成し、遅れた侘びにとシュークリームを二つ、おまけにつけてくれた。

 急いではいるが、事情が事情だ。気にするものでもない。気遣いは素直に受け取っておこう。


 予定を再確認する。

 確か次は花屋に、と考えた時に既に時刻が三時を過ぎていることに気がついた。しまった。こんな事なら先に花屋へ行っておくべきだった。

 後悔したが、何よりも時間が惜しい。花を買うことは諦めて帰宅した。

 妻はこの時間パートに出ている。彼女が帰ってきていないことを確かめると、ケーキは冷蔵庫に入れて、百貨店で受け取ったものはタンスの中の自分の服を入れている段にしまい込んだ。


 時計を見ると、すでに四時を過ぎている。妻は五時過ぎには帰ってくるのでのんびりしている時間は無い。 急いでスーツに着替えて家を脱出せねば。 妻には明日のことも、有休をとっていることも内緒なのだから。


 任務をすべてこなした事を確認して、逃げ出すように家を出た。




   ○   ○   ○




 現在の時刻は九時。いつもならばそろそろ帰る時間だ。急いでいた昼間とは打って変わってのんびりとしていた。時間を潰していた喫茶店を後にして自宅へと戻る。

 喫茶店で紅茶を飲みながら考えていたのだが、花屋には行かなくて正解だったかも知れない。花束など買っていたら、匂いでばれてしまうかも知れないから。


 そう考えると結果オーライだと、気楽に家路につくことが出来た。


 ドアを開けると、


「あら、お帰りなさい」


 と妻の声が明るく響く。


「ああ、ただいま」


「今日は少し早いのね」


 そう笑顔で言われて、内心「しまった、まだ早かったか!?」と肝を冷やしたが、これくらいならばまだ誤差の範囲内のはずだ。焦りを隠すように平静を装う自分に妻からの容赦ない追い討ちが飛んできた。


「ところでアナタ?

 冷蔵庫のケーキ、どうしたの?」


 しまったぁ!!そうだ、冷蔵庫は料理のときに必ず開けるじゃないかぁ!無駄に保存をしようとしたコトが裏目に出たかっ!?

 か、考えろ!まだ怪しまれてはいないはずだ。


「い、いや、昨日の夜に同僚にもらったんだ。

 昨日、君は休眠日だったろ?だ、だから知らないんだよ」


 ……無理があるかっ!?通るか?通ってくれ!


「あら、なんだ、そうなの。びっくりしちゃた」


 イエス!!通った!

 神は我を見捨てなかった!!

 よし、よしよし。いまだ作戦継続中だ。


「アナタ、お風呂先に入っちゃう?」


「あ、あぁ。そうするよ。ありがとう」


 色々と作戦に穴があったかも知れない。風呂に入って、穴が無いか再確認しよう。作戦および演出の練り直しだ。"作戦コード:K"再考の余地あり、だな。


「下着、持っていってあげるわね」


 まだ追撃の手を緩めないだと!!


「いやぁ!!自分で持っていくよ!」


「そう?変なの」


 くすりと笑って、彼女は台所へ戻ってくれた。タンスには百貨店で受け取った品物が入っているんだぞ。流石にアレを見つけられては言い訳のしようがない。と言うか思いつかない。


 ふぅ、とため息をつきながら浴槽に浸かる。間違いなく仕事の日よりも疲れている。


 明日は、結婚記念日だ。

 今年は休眠日が被っていると知っているから、明日は起きてこないと思っているだろう。休眠日の変更に関しても話題には出していない。


 結婚して五年。この街に来て三年。いつも妻には感謝している。だからたまにはしっかりと感謝の気持ちを示したい。せっかくなのでついでに驚かせてみようと思い、今回の作戦に踏み切ったのだ。

 それが、"作戦コード:K"。ちなみにKは結婚記念日のKだ。ネーミングセンスが悪いような気がしないでもないが、誰に告げるわけでもない作戦名だ。構うことでもない。


 風呂から上がったら、夕食が並んでいることだろう。

 タンスの中の品物―――記念にと買ってきた指輪は、明日の朝一番でこっそりバレないように取り出すことを固く誓う。


 作戦の仕上げは、明日早起きすることだ。朝食を準備しておいて驚かせてやろう。


「寝過ごすかも知れないな」


 風呂の中で、ぽつりと呟く。

 まぁ、それはそれでよしだ。


 タオルを首からかけて風呂から上がり、パジャマに着替えてリビングへ。

 すると、味噌汁のいい香りが漂ってきた。幸せとは、こういうことを言うのだろう。


 ああ、明日が楽しみだ。




.end

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