第一話
枕木の音がゆったりと響く。がたん、ごとんと一定の感覚で揺れる車体は心地よく、穏やかな春の日差しも相まって、気を抜けばすぐにでも寝てしまいそうだ。
しかし、もうすぐ目的地だ。寝過ごしてしまうといけない。とは言え、徹夜明けの体にこの心地よさは危険過ぎる。ひとたび眠りにつけば、あっさりと夢の国および終点に辿り着けるだろう。
普段なら、深夜バイトのあとは昼過ぎまでぐっすり寝るのだが、今日は彼女の引っ越しを手伝う為に眠たい目をこすって彼女が新しく越した街へと向かっている。
もう荷物は解いたらしいので、おそらく自分の役目はタンス位置の微調整などの力仕事がメインになるだろう。嫌だなあ、面倒だなあと思いつつも、引越しの男手と言えばそういった力仕事が主であることも分かっている。
そう面倒だと思う気持ちはあれど、やはりそれよりも彼女に頼りにされるというのは気分がよく、単純に彼女に会えるのもまた嬉しい。
「人遣いの荒いヤツめ」
軽く笑みがこぼれているのが自分でも分かる。照れ隠しに呟いた台詞は誰に聞かれることもなかった。平日の日中ということもあって、車内に人はまばらだったからだ。
ほんとうに、昔から彼女は変わっていない。自由と言うか、気ままと言うか。
悪く言えば"常識を知らない"
良く言えば"常識に捉われない"
今回の引っ越しにしたってそうだ。三日ほど前に『引っ越したから手伝いに来て♪』の一文とともに、彼女の新居であろうアパートの住所が送られてきた。
それにしても普通は事前に一言くらいあってもよさそうなものだ。仮にも彼氏だと言うのに。そんなところが彼女の魅力でもあるのだが、自分の見識を少し越えたところに彼女の、彼女なりの常識というものが存在するような気がしてならない。
それを分かろうと努力はしているつもりなのだが、どうにも予想斜め上をいかれてしまう。
自分の認識力不足かはたまた彼女の行動力過多か。どちらとは判断がつけにくいが、後者だということにしておきたい事実はある。
そんなものだから、たまに本当に付き合っているのかどうか分からなくなってくる時がある。こんな自分は、器の小さい男だろうか。
もう少し、おおらかに生きなよと彼女は言う。
「そっちが大らか過ぎるんだよ」
と呟いてしまうくらいには考えてしまう。
今回にしても、引っ越しの理由を聞いてみると街の条例が気に入ったと言っていた。そんなことで引っ越すものなのだろうか。近所付き合いや身内、友人への連絡、それに役所などへの届出など、ざっと考えてみても煩わしいと思うことが目白押しだ。
もちろん、彼氏への連絡も不備なくお願いしたいところだ。
その街には、他の街にはない一つの条例があると言っていた。
詳しい内容は聞いていないが、引っ越すに値する内容だそうだ。彼女のことを信頼していない訳ではないが、本当にそれだけで引越しを決めてしまえる程のものなのかとやはり不思議に思う。
彼女にはどうもそういった動物的な感覚が備わっているような気がしてならない。
本能というか、気持ちに正直というか。あぁ、あれこれ愚痴っても仕方が無い。仕方が無いが、遣る瀬も無い。
メールで送られてきた住所を見ながら、少しため息をついた。
もうすぐ、最寄の駅のようだ。
○ ○ ○
駅に着き、列車を降りるとタイミングを計ったように彼女から電話が入る。
今ちょうど駅に着いたところだと伝えると、『家具達と一緒に待ってるね♪』と言われた。やはり、力仕事確定らしい。夜勤で疲れた体を情け容赦なく酷使しようというのか。
クレームを入れても平然と却下されることは経験則で以ってよく分かっているので何も言わないことにした。
「タクシーで行くよ。料金、いくらくらいかかる?」
「タクシーによるかなあ。できるだけ早いので来てね♪」
どういうことだろうか。どれに乗っても時間など大体一緒だと思うのだが。不思議に思いながらも、了承して電話を切った。
改札を出てタクシー乗り場と書かれた看板を探す。
乗り場に行くとそこには。
牛がいた。
「茶色いな……肉牛かぁ……」
っていやいやいや。
そうじゃなくて。そうではなくて。
牛?
徹夜明けの疲れがでているに違いない。
頭を左右に強く振って、"タクシー乗り場"と書かれた看板を見る。幻覚だ。幻覚に違いない。次に軽く目をこすって、しっかりと乗り場を見る。
牛だ。
どこからどう見ても牛だ。茶色い肉牛だ。うむ、力強い。
悠然とタクシー乗り場にその存在を主張している牛だ。
ひらひらと振られる尻尾。鼻輪につながれた綱の先を辿っていくとしっかりとそれの先端を握っている男性と目が合った。
「乗りますか?」
きっちりと黒ベストを着たその壮年の男性が笑顔で声をかけてきた。
いや、乗りますかってコレ……え?
言葉が出ない。ただ口をパクパクとしている自分に男性はタクシー帽をかぶりなおして、くすりと笑った。
「お客さん、この街初めてだね。どこまで?」
「え、いや、その、ここの住所まで……」
携帯の画面を見せて、彼女の家の住所を見せる。
壮年の男性は携帯を手に取り住所を確認すると、うんうんと頷いてこちらを向いて言った。
「この距離だと牛は向かないね。随分時間がかかっちゃうから。
馬あたりがオススメだよ。乗り心地は悪いが駝鳥も早いよ」
そう言って携帯を返してくれた。一体何のことを言ってるんだ?この人は。あまりの不可解さに、目もすっかり覚めてしまった。
「あのっ。タクシー、ですよね?」
「そうだよ。見ての通りね。おや、お客さん運がいいね。
馬が帰ってきたよ。あれに乗っていくといい」
馬がきた。
蹄の音を鳴らしながら悠々と。
へぇ、実物って結構でかいんだな。二度目の衝撃をよそに、「遠いから馬で頼むわ」などと会話しているのが聞こえてくる。
っていやいやいやいや。
見ての通りタクシーだなんて言われても分かるかよ。全然見てもわからん。俺の知ってるタクシーはこんなものじゃない!
タクシーってのはまず第一に車で、そう、車で!そしてふかふかのシートと料金メーターがあるもんじゃなかったのか!?
整理して考えようとしたが、無駄だった。目の前には、牛と馬がいる。間違いなく。
案内されるままに馬にまたがり、手綱をにぎる。もう、なすがままだ。馬の背には鞍が二つ取り付けられており、その後ろに座るように促された。
ああ、ふかふかの鞍だ。少し、馬がタクシーに近づいた。
「はい、しっかりつかまってて下さいね」
目の前には、スーツに茶色いベスト姿の男性。先ほど案内をしてくれた男性は、変わらず牛の手綱を握り、こちらに向かって軽く手を振ってくれていた。
一頭の馬に二人で跨り、合図とともに颯爽と駆け出す馬。
小気味良く蹄の音を鳴らして走り、信号ではきっちり止まり、道交法に従う馬。クラクションの代わりに啼く馬。
目的地のアパートに着いた時には、もう放心状態だった。時間にして約十分。料金1580円。価格はしっかりタクシー並みだ。領収書もちゃんとくれた。連絡先も書いてあって、「帰りも是非ご利用を」と紳士的な態度で言われた。また一つ、自分の中で馬がタクシーに近づいた。
礼を言って馬から降り、悠々と去っていく馬を見送る。
茫然と立ち尽くす自分に対して、頭上から声がかけられた。
「おーい。こっちこっち♪」
はたと我に帰り、声のする方を見上げると、アパートの一室からこちらを見下ろす彼女の姿があった。
そうだ。引っ越しの手伝いをしに来たんだった。
自分を見下ろす彼女が手をふる。
そんな彼女に自分は首をふる。
「……なに?あれ。」
「タクシー」
あぁ、そうですか。そう来ましたか。そう来ると思ってましたよ。分かった、あれはもうタクシーでいい。
そんな錯乱気味の思考回路のまま、あれこれ指示されて家具を動かした。タクシーとやらのことで頭が一杯で、何をどこへ動かしたかあまり覚えていない。
「ありがと。ね、お茶にしよ♪」
作業も一段落したのだろう。やっと自己を取り戻しつつある自分を傍目に、彼女がコーヒーをいれてくれた。彼女の淹れてくれるコーヒーはなかなか美味しいと個人的には思っている。
昔は嫌いだったらしいが、調べていくうちに好きになったそうだ。彼女の好奇心の高さには本当におそれいる。
「さんきゅ。ところでさ―――」
コーヒーを受け取りながら、気になっていた質問をぶつけてみた。冷静になった頭脳で考えてみてもやはりアレはタクシーではないのではないか。馬と牛だったのではないか。
そう思い、先程のタクシー(と呼ばれていたもの)について質問してみた。
結果、不本意ながらあれはやはりタクシーらしい。この街特有の。
この街のタクシーはすべて動物らしい。牛に馬に駱駝に駝鳥やらがいて、他にも色々いるそうだ。例えばクリスマスにはトナカイ。雪の降る日はシベリアンハスキーのソリ。
なんともまぁ、楽しげなラインナップだと思う。彼女がずいぶん興奮してしゃべっていた。前にこの街に来たときに一目で魅かれたとのことだ。
完全に街に馴染んでいる彼女を見ると、なんだか自分の悩みが小さなことのように思えた。こうして彼女が楽しそうに笑っているだけでいいんじゃないか?あまり細かいことを気にしすぎるのも良くないと言う彼女の気持ちがなんとなく分かるような気がした。
そう思えるくらい、のびのびと生活をする彼女は実に楽しそうで。なにより魅力的なのである。
○ ○ ○
この街には、他の街にはない一つの条例があった。
それ以外は、いたって普通の街だと思う。
ここは動物が走る街。
これからも、ちょくちょく来ることになるだろう。
次は、駱駝にでも乗って悠々としてみたいものだ。
楽しそうな彼女の顔を見ていると、自然と、笑みがこぼれた。ああ、そういえば帰りも"タクシー"か。思ったより早く駱駝に乗れそうだな。
さきほど渡されたタクシー会社の領収書の存在を思い出し、動物の指定はできるのかと考えながら彼女とゆっくり過ごす休日を味わうことにした。
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