港町レトロの唄
好きなように生きて楽しく死のうと、生来の夢に動き切ろうとする横道浮之介。その酒歴、女性歴を通し、七転び八起きの人生を描く。第一章 門司港のシュンから第七章 小樽港のユウまで、浮之介と女性との出会いをご覧あれ。
第一章 門司港のシュン
シュンは門司港レトロ駅近くに住んでいた。港から徒歩十分ほど場所で、土産
物と焼きカレーを商う店舗だ。
焼きカレーというのは、ご飯の上にカレーソースと半熟卵やチーズなどをのせ、
オーブンで焼いたカレーライスの一種である。
門司港は、明治から戦前にかけて国際貿易港として繁栄した港町で、洋食文化
がいち早く発達したことから、「焼きカレー」というようなハイカラメニューが
誕生し、手軽に作ることができたため近辺に広まり、名物料理として定着した。
現在でも三十以上のお店で焼きカレーが提供され、門司港のご当地グルメとし
て親しまれ、「焼きカレーMap」も作成されるほどだ(ウキペディア参照)。
横道浮之介は、港で海上コンテナを扱う会社に出入りするうちに、この町で食
事をとる機会も多く、あるとき、シュンの店に立ち寄った。シュンとは、ヤマト
がつけた愛称である。
二十一歳になったシュンこと川島俊子は近隣でも有名な、華やかな美人である。
この日、シュンが店で働いていた。小さな店舗だ。
浮之介はシュンを見てすぐに好感を抱いた。
彼女が美しく、かわいいうえに、立ち居振る舞いに自然な華やかさがあったの
だ。シュンが存在すると彼女の周りの空気が明るくなっている。
店の焼きカレーは香ばしくおいしかった。
「おいしいカレーだね」
浮之介が近くに来たシュンに言うと、
「あら、そうですか。ありがとう」
シュンは軽く笑って言った。
「お仕事ですか」
シュンが浮之介のカバンを見て、そう言った。
「港のコンテナ事務ですよ」
浮之介は門司港に入ってくるコンテナ船の荷物を受渡しする仕事をしていた
が、時には自分自身が国内外各地の荷を仕入れ、コンテナで運んでくる仕事も行
う。
浮之介は港町の昼食は必ずシュンの店でとるようになった。
半年後、親しくなった二人は時々デートしていた。
彼らが近くの門司港駅に行ったことがある。
この駅舎はドイツ人技師の監修の下に建築された木造建築で、駅舎としては全
国で初めて国の重要文化財に指定された由緒ある建物だ。
構内には戦前から使用されている「一・二等客待合室」や「貴賓室」・「関門
連絡船通路跡」等さまざまな歴史的資産が存在する。関門連絡船通路跡もその一
つだ。
「ここには旧日本軍の命令で設置された渡航者用監視窓が遺されているけれど、
これは非常に珍しいそうよ。駅が外来航路の寄港地だったため、戦時下の不審者
を発見する格好の場所だったためだというわ」(web「ウキペディア」参照)
シュンの祖父がそう言っているという。
監視窓は暗く不気味な印象で残っていた。地上から縦に穴を掘り、横に穴を続
けている。竪穴には要注意だと、ヤマト、本名横道浮之介は思った。
駅の開業後百年近くが経過し、駅舎は老朽化でゆがみや亀裂が生じているため
改修するそうだ。
二人は駅を出て港公園を歩いた。
「私の家は厳しかったわ。茶髪や外泊、友人宅での夕飯は禁止。ゲームセンター
もダメ、門限は七時でケータイは八時までよ。信じられないでしょ」
シュンは身の上話をした。
浮之介即ちヤマトは言った。
「そういう家ってあるんだね」
公園のベンチでヤマトは聞いてみた。
「魅力を感じる男性は、どんな男性ですか?」
間の抜けた質問だ
「失敗しても怒られても、仕事に一生懸命な人が好きだわ」
シュンは大まじめな顔付きで、真っ直ぐにヤマトを見て応えた。それから続け
た。
「家の話だけれど、今まで洋服を多く買ってくれることもなく、中学でも高校で
も地味な服を着て地味な髪の毛で過ごしたわ。流行の洋服を見るために福岡へ何
度か行ったかな」
シュンは問わず語りにしゃべっていた。横顔が美しい。目が大きく鼻筋が通っ
ていて大きめな唇に厚みがあった。唇の左下に小さな黒子がある。
体に比べて顔が小さい。いわゆる小顔だ。
「話している顔がきれいだ」
「え?」
「君の顔だよ。かわいい!」
「え?!簡単にそういうことを言っていいの?」
「いいも悪いもホントーのことだよ」
「・・・・・」
「瞳が輝いているよ」
「・・・・・」
シュンは沈黙の後、私は今、楽しく暮らすことを目安に生きていると語った。
「ドキドキ、ラブラブが私のモットーで、もっと自由に楽しく生きたいわ」
シュンは、ヤマトが自分の楽しい生き方を応援し、サポートしてくれる人だと
思っているようだった。
シュンはヤマトを案内して港近くのレトロなカフェに入った。
古き良き時代と現代が融合した街、門司港のレトロエリアには大正、昭和のモ
ダンな建物が今でも残っており、古い掛け時計や小物が飾られた店には当時の雰
囲気が今でも感じられた。
古くもあり、新しくもある。そんな不思議な魅力を持ち合わせている喫茶店だ。
ヤマトはシュンと相談してワインを注文した。
「このワインはツウが飲むワインです。以前は飲めませんでした。戦時中、生活
物資の統制で贅沢は敵だと言われ、多くの品物が規制を受けて、違反すると警察
に引っ張られたり罰金を科せられたりしました。当時はワインも規制の対象だっ
たんですよ」
話好きな店主が、ワインを持ってきて注ぎながら言った。
「だから店内に当時の雰囲気を敢えて残しているんですよ」
店主は付け加えた。
二人は木のぬくもりを感じる店内で、旬の地魚・旬の野菜を使った和風料理を
楽しんだ。
店主によると、この店のシェフが開発に一年半かけた『関門うにまん』は、味
・香り・見た目の全てが「うに」味のまんじゆう饅頭だそうだ。
竹炭が練り込まれた皮は真っ黒で、中には濃厚なね練りうにを使用した黄色の
あん餡が詰めてあって、酒の肴に最適だった。
ヤマトこと横道浮之介はお酒が好きであった。いや、好きになったと言った方
が正確だ。
成人するまではほとんど飲酒の習慣はなかったが、初めに就職した会社で先輩
に仕込まれたのである。
仕事帰りに先輩に誘われて、たまに町の焼鳥屋や居酒屋に立ち寄り一杯やって
帰った。やがて好んで酒を飲む癖がついた。
ヤマトもシュンの瞳につられて身の上話をした。シュンはそういう目つきをし
ている女だった。
浮之介は門司近くの小さな町で生まれ育った
「門司生まれの母は根っからの商売人で、父は読書好きな商人だったかな」
ヤマトは語り始めた。
「父は退役軍人なんだ。呉の海軍基地から故郷に戻ってきたときに母と知り合っ
たようだよ」
母は元軍人の父を憎んでいた。父にけしかけられて(と母は思って)、勇んで
戦地に行った我が子が三人も戦病死をしたからだっだ。
戦争中だから男子が出征するのはありうることだし、子供らが戦地に赴くのも
止むを得ないことだと母は思ったのだが、彼らが人一倍勇んで戦い、勇んで特攻
隊に志願したのは、軍人出身の父の影響を受け、父親の気持ちを汲んだせいだと
思ったのだ。
「繊細な性格の母は剛毅な父と相容れないことを元から感じていたようなんだ」
父母の仲は悪く、年に数回掴み合いの喧嘩をしていた。
母は、死んでしまった兄たちに代わって家業の衣料品店に力を尽くした。
浮之介はそういう話をした。彼が家族の話をするのはめったにない。父母の話
はしたくない程、仲が険悪だった。
ヤマトとシュンは、その後、急接近した。
浮之介とシュンが初キスをしたのは跳ね橋の影だった。シュンは積極的に応じ
た。シュンの口は濃いジャスミンの匂いがした。濃厚な官能を感じさせる唇だっ
た。
親しさが深まったある日、二人はレトロな喫茶店に入った。
この喫茶店は避暑地の別荘をイメージしたという内外装で、焦げ茶色が基調の
デザインだ。
落ち着いた店内は間仕切り席を多くしてあり、生け花が飾り付けられたコーナ
ーが多い。タイミングをみて客に日本茶を出すなど、くつろげる工夫がしてある。
ヤマトとシュンは店の奥、薄暗い照明の下にいた。周囲にお客はいなかった。
二人は接吻を交わし、その後、ヤマトはシュンの胸をまさぐった。
「まだよ」
シュンは、かわいいが、凛とした声で言った。
ヤマトはシュンの魅力にとりつかれていた。シュンは美しく甘い存在だった。
一方、シュンは結婚を迫る気配を見せ、その度合いが徐々に強くなっていた。
ヤマトはシュンを大いに好きだったが、今すぐに結婚することにはそれとなく
気後れがした。なんとなく、自分たちが若過ぎるのではないかという感じがした
のだ。
ヤマトは後一年は独身でいたいような気持ちが何処かにあった。
ヤマトの気後れという言わば心の隙間がシュンにはまどろこしかった。
シュンはこの調子ならヤマトから離れなければならないのかなと感じたことが
あった。
ある日、シュンはヤマトに改めて結婚の意思を確かめた。ヤマトは相変わらず
ヌラリクラリとしているように見えた。
シュンはヤマトの逡巡を嫌だな、と思いつつ、曖昧な別れ方をした。彼女は帰
り道で「さようならのようかな・・・」と感じた。
それから、シュンはヤマトが店にやってきても素気なく振る舞った。デートの
誘いも断わった。結婚を承知しない男と付き合う気が失せていた。
以来、シュンはヤマトに会わない。
ところで、横道浮之介はレトロな港町を歩いているうちに、あっちこっちの店
主や従業員、遊び好きなの呑み助と知り合って、ときには一緒に過ごすようになっ
ていた。
相手は寿司屋の若大将や船の機関手、観光案内所の職員、小料理屋のおかみ女将等
々だ。
特に港町の銀天街を中心とした界隈には、個性あふれるお店、懐かしい風情の
食事処や洋食屋さんなどが点在し、その趣は港町人情通りといった味わいがあっ
て、ヤマトは度々出入りするうちに知り合いが多く出来た。
寿司屋の若大将シマとは以前から知り合いで、気も合ってよく飲んだ。
店の終わったカウンターで、ヤマトとシマは飲み、食い、語らった。
「シュンはいい娘だ。はやく嫁にしなよ」
シマはよくそのように口にした。
「ああ。そうだな」
「はやくしないと他からさらわれるぜ」
「一緒になるつもりだよ。ただ、準備が整わないのだよ」
「準備?何の準備だ」
「あれこれとね、することがあるんだよ」
「もたもたしてると逃げられるぞ」
「うん、そうだな」
シュンもこの寿司屋とは馴染みであり、ヤマトはシュンと寿司をつまみに来た
ことが度々だったが、今やシュンはシマの忠告どおり、ヤマトを避けるようにな
り、一緒に寿司屋に来ることもかなわぬようになっていた。
ヤマトの身の上を心配してくれた人は他にもいて、シュンと一緒によく行った
小料理屋の女将もアドバイスしてくれたことがあった。
「シュンがね、先日店に来てね、ヤマトが結婚する気があるのかどうか、よく分
からないって言っていたわよ。女性にそういうことを言わせちゃいけないわ」
「そうですか。そんなことを言っていましたか」
「なんだか切ない表情だったわよ」
このとき、シュンの気持ちは浮之介から離れかけていたのかもしれない。
ヤマトは改めてシュンに近づこうとしたが、彼女のガードは閉まりかかってい
た。
ヤマトの仕事が少しずつ門司から横浜に移り、横浜に行くことが多くなった。
ヤマトはシュンに事情を話したかった。シュン次第では一緒に横浜に連れて行
きたいと思った。
だが、シュンはもうヤマトに会おうとしなかった。
やがてヤマトが住いを横浜に移さなければならなくなったとき、二人は特にお
別れもせず別々に動くようになっていた。
「自分としては横浜で新しく生き直すしかあるまい」
と浮之助は思った。
浮之助はシュンを失ったことによって新たに生き直すことを学ばされたと言え
る。
大切な思い出世界は胸の奥にしまって、「今と未来へ歩み出す旅」を歩み出そ
うとした。
第二章 横浜港の美沙
あるとき、浮之介は、自分にとって昔日の思い出は脆くも崩れ去っていること
を自覚した。
きっかけは同窓会で久しぶりに帰った故郷の荒れ様に驚きとショックを受けた
ことである。
同窓生の集まり具合は不調で、七人が集まっただけだった。会は食事をしただ
けで散会し、皆がバラバラに帰宅していった。嘗ての絆は消え去っていたと言え
る。
浮之介は父母の墓参りに行った。
海の見える丘にある墳墓は、生い茂る雑草の中に埋まっていた。
風に揺れる雑草の隙間から海の荒波が白い腹を見せて寄せているのが見える。
障子窓のある実家で過ごした日々は激しく風になびいている雑草のように、頼
りなく切ない彼方にあった。
ただ、浮之介は母から愛の何であるのかを学んだ。
母は自分の命と同じように大切なものがこの世にあるとして子育てをしたよう
だった。
浮之介は母の命そのものだった。
浮之介は、母は大切なものを守るために何でもやったのだと感じていた。
浮之介は懐かしく切ない母の思い出を胸に、墓参りを済ませた。
駅方向に向かった浮之介は故郷の街を歩いてみた。
活気の失せた気配が街を覆っていた。
町の本通りを歩いたのだが、土曜日だというのにシャッターの閉まっている店
がほとんどで、Aの家もTの家もなく、Hの家は入口すら分からない。
M自転車店やS食堂は開いており、歳とってやつれた主人公が働いていた。
元住んでいた家の三角屋根や脇の小道は古びたまま存在していた。家屋の壁も
変わっていなかった。
しかし何処も嘗ての面影はなく、閉まっている店舗ばかりで人通りもなく街は
消滅したような色褪せて寂しい状態だった。故郷の街は消滅寸前だと感じた。
浮之介は“故郷さようなら”かな、という感慨で沈み込んでいた。
さまざまな思い出は既に茫々たる世界の中だったし、故郷の親、兄弟とも死別
して十年近く経っていた。
親しかった故郷は生き生きとした姿では存在しなくなっていたのだった。
浮之介は人生で幾多の別れをしたが、それにしても今回のシュンとの別れは殊
に悔しく感ぜられ寂しい思に沈んだ。
胸の奥にシュンがいたが、シュンは既にリアルな存在ではなく、今は心機一転
して新たに出発し直すしかあるまいという思いに至った。
浮之助は新たに「今と未来へ歩み出す旅」とはどういうことかと考えた。
「新たな場所と人とのリアルな絆を持つ。仕事に新境地を開く」
こういうところかな、と思った。
横浜の生活は忙しかったが、ふと我に返ると自分の孤独に気づいた。体の奥に
ポッカリと空いた空虚な闇があった。
そんな折、浮之介はあずま東美沙と出逢った。彼女は元町に住む都会派の女性だ
った。ヤマトの会社は、西欧で仕入れた衣料品を日本へ運んで、港々で下ろして
注文に応じて商店に分配していた。
仕入れと運搬、販売は分担して行っていたが、今回横浜では販売をヤマトが一
人で担当した。
洋服店に入って用事を済ませ、階上に上がって決済事務をしていたとき、三階
にある自室で、美沙が仲間たちとコンパで出入りしているところに行き合わせた。
目礼を交わしているうち、店主に招き入れられて紹介されたのが美沙であった。
部屋のテーブル上には桜草の大鉢が今を盛りに咲いており、それを囲んで六,
七人の女性たちがお茶を飲んでいた。部屋の空間に華やかな空気が満ちていた。
窓外は賑やかな繁華街だ。部屋の下一、二階は衣料品を扱う店舗で美沙の両親
が経営していた。
元町は元々外国人向けの商店街として栄えた所で、横浜港際の山下町に外国人
居留地が、山手に山手居留地がそれぞれ設けられ、両地区を結ぶ場所にあった元
町通りは、外国人らが日常的に多く行き交う場所となった。
外国人が増えてインターナショナルスクールの開校や、当時は日本には珍しい
喫茶店やベーカリー、洋服店、洋風家具店などが軒を連ねた。これが今の元町商
店街の原型となっている(ウキペディア)。
この日は、美沙たちは新年会でトランプをしたりしていた。
「賑やかですね。ご友人ですか?」
ヤマトが声をかけると、
「地域の友人や学校の仲間ですよ」
美沙が応じた。
「そうですか。たくさん、いらっしゃいますね」
「ご一緒に如何ですか」
「よろしいのですか」
「かまわないわよ」
「では、下の仕事を済ませてまいります」
「はい、お待ちしてます」
二十分後、ヤマトは美沙の隣りに座ってトランプをしていた。
美沙には清楚な若さがこぼれ、しぐさにも声にも真っ直ぐなところがあって浮
之介の注目を引いた。
元々美沙には、ややニヒルな傾向がある。今の世の中どうにもならないと感じ、
物事に批判的だった。年令の割に老成していたと言える。
美沙は幼いときから祖母の戦後体験をよく聞いていた。
終戦直後、祖母は糸のように細い体で、長い間にわたって、門司港駅のプラッ
トホームに息子を迎えに出ていた。
その息子が美沙の父だったのだ。
美沙は帰還した軍人の子供であった。
だから、戦中戦後という時期に人一倍関心があった。美沙は元々勉学への興味
が深い。
美沙は太平洋戦争の講義を聞き、この時代への関心を更に深めた。
戦争の開戦について、講師から聞き、美沙は驚いた。高校の授業では習ってい
ない内容だった。
『日英同盟の破棄が取り沙汰されている一九二一年(大正十年)、このときにもう
最悪のシナリオとして、対日戦争を予期し、日本から最初の一撃を撃ってくるで
あろう、と英情報局は結論していた。
日本は野心的で冷酷な軍人が支配する、危険な潜在敵国である。宥和政策で日
本の軍国主義者が変質するとは思ないと考えて、おそらく首相チャーチルはもう
昭和天皇や穏健派など眼中においてなかったのであろう。』 (『英国機密ファイ
ルの昭和天皇』徳本栄一郎 新潮文庫)
美沙は、日本の「野心的冷酷でな軍人」とは、具体的にどういう人物なのか、
興味を持ち、図書館に通い、教授に質問して研究した。
美沙「野心的冷酷な軍人って具体的には誰でしょうか」
教授「そうだね、東条英機なんかが当てはまるだろうね」
美沙「そうですか。東条英機というと、当時はかなりの大物ですよね」
教授「これ以上はないというくらいの大物だね」
美沙「はい。盛んに国のことを説いた人ですが、野心家でもありますね」
教授「国を思うと言いながら、実は国民の側に立っていない野心家です。冷酷
ですよ」
教授は、東条が、敗戦は国民に責任があると述べた貴重な資料が残っていると
語った。
「手記は東京・千代田区の国立公文書館に所蔵されているんだがね、東条英機
は、日本がポツダム宣言の受託を決めた背景として、〝国政指導者及び国民の無
気魂〟を挙げているんだ。これは歴史資料としての価値が非常に高く、興味深い。
敗戦は自分自身の責任ではなく、国政指導者と国民の無気力だというのだよ」
また、教授は付け加えた。
「当時の政治家もひどいね。ひがしくに東久邇首相は、国民に向かって敗戦という事実を
〝一億総懺悔〟で悔い改めよと呼びかけ、敗戦責任は一人ひとりが負うべきだと
いう主張を流していたよ」
「総懺悔ですか。縦に穴を掘って逃げる思考かな」
「そう。〝ことここに至ったのはもちろん政府の政策もよくなかったからでもあ
ったが、また国民の道義の廃れたのも原因だ〟というのさ。だから、この際、軍
官民、国民全体が徹底的に反省し、懺悔しなければならない、だってさ」
「この論法は今でもよく使われますね。今は、お偉方が狡猾になっていて国民側
にいるような振りをしているから、いっそう注意が必要ですね」
「今後起こる死活問題でも、責任が誰にあるのか分からない事態はきっと続くだ
ろう。けじめのつかない国なのだよ」
教授は、美沙の期待以上に熱弁だった。
さて、彼女は、今日のように、友人たちと会うのが何より楽しかった。
英語を習っている美沙は、大学の英文科を出て、船で西欧と日本を往復し英語
を日々使っているヤマトに興味があるようだった。
ヤマトは、ヨーロッパから届いた衣料品のにおろ荷卸しのことで店にやってきてい
た。
「お店のご注文と荷が一致しているかどうか、確認していただいています」
ヤマトにも店にも、暮れと新年の売り出しに備えた仕事である。
美沙は歳末年始には、家業の手伝いに駆り出された。
新年会に集まった女性たちの中で、化粧っ気がなく、頭が良くて話題が面白い
美沙は目立っていた。
「美沙はソフト面が充実しているわねー」
「内側からの輝きがすごいわね」
「美沙ってナチュラルな見た目で、ホワーンと見えるけれど、大きめで肉厚の唇
も色っぽいわね」
美沙が席をはずした時の友人たちの会話だ。
平和に好きなように生きて楽しく死ぬという、年来の夢に生きる横道浮之介愛
称ヤマトはそんな美沙に惹かれた。
ヤマトは、美沙が何かを目指して生きていく姿勢を持っていると思った。
美沙には国内外各地へ出かけてビジネスをこなしているヤマトが魅力的に映っ
た。
ヤマトは美沙をミーと呼ぶことにした。
ヤマトがミーと初デートしたのは「港の見える丘公園」だった。
二人は、異国情緒あふれる「山手十番館」で待ち合わせた。山手十番館は山手
の中心にあるカフェ、フレンチレストランで、緑色と白色の色彩のコントラスト
がおしゃれな洋館として建造された。
ここは、日本のビール発祥の地としても知られている。一階は、喫茶室とスイ
ーツショップがあり、二階がレストランとなっていた。
洋館の横の広い庭園がガーデンレストランとしてオープンしていたので、二人
はここへ入った。
庭からの見晴らし良く、ロマンチックな雰囲気が漂う人気のスペースだ。
爽やかな風が吹き抜ける木陰で二人は休憩した。
「美沙さんの家も見えますね」
「ええ」
海とは反対側に元町通りが見渡せる。
「ヤマトは用事で度々ヨーロッパに行くそうね」
美沙の興味は英語圏の話だった。
「ええ、頻繁に行き来しています。年の半分はあちらにいるかな」
「ヨーロッパは仕事の初めからですか」
「いえ、初めはツアーで行っていましたよ」
「そう、ツアーで行って慣れたのね」
「ええ」
二人はカフェを出て、公園の展望台からマリンタワーや氷川丸、ベイブリッジ、
本牧コンテナ埠頭などの景色を眺めた。
「下へ降りて赤レンガ倉庫まで歩きましょうか」
美沙が提案し、ヤマトが賛成した。
「私は山下公園を歩くのは久しぶりです。仕事で横浜に来て海の上から眺めてい
ましたが」
二人はすき焼き専門店に入った。
「関東のすき焼きは根深葱を焼き、その上に肉をのせ、割下で煮るんですね」
ヤマトの発言だ。
焼いた葱の香りが肉に移り、葱の甘さが増してきたところで、肉と葱を味わう。
続いて鍋に野菜や豆腐を入れ、割下で煮込む。
霜降り肉は艶のある赤身と散りばめたサシが入っている。
「赤身肉の良さもあるわね。肉の旨味や歯ごたえを感じとれるところかしら」
美沙がそう言った。
赤身肉はサシが少ない分、噛んだときの肉の歯ごたえが強く、噛むほどに肉の
持つ旨味、香りが感じられるという。
「赤身は霜降り肉よりも量を食べられる。人気が定着した理由ではないかな」
ヤマトが賛成した。(以上、「近江牛.com」参照)
大桟橋に豪華な客船が入っていた。
「横浜港にも最近は外国の大型客船が来ていますね」
「ええ。横浜から西欧に直接行く客船は少ないのですが、アジアをまわ周る客船が
来ますね」
「ヨーロッパに行ってみたいわ」
「私の場合は、初めてのヨーロッパ旅行に一人で行ったのですが、毎日が不自由、
不安で旅行も十分には楽しめませんでした。添乗員付きで行くべきでしたよ」
「不自由で不安?」
「ツアー客はイタリア人、ドイツ人とアメリカ人で、日本人は私だけ。英語のガ
イドにも慣れなくて、自由時間には置いてきぼりの恐怖から、集合場所と時間を
紙に書いてガイドに確認しました。“Time 2:30?”“Place hear?”という具
合でしたよ」
「なるほどねー」
「バザールでの見物時間に、WCと書いてある看板をたどっていくと、蜂の巣のよ
うな迷路通りに入り込んでしまいました。小屋掛けの有料WCに入りましたが、目
つきの鋭い青年たちがたむろしており、不気味でしたね」
「それは困るわね」
「ええ。空港での乗り換えや現地のバスツアーでも英語等外国語によるガイド内
容が理解できませんでした」
「現地でですか?」
「そうです。例えば、世界遺産のアルベルロベッロへ行った時は、ガイドが繰り
返すアルベロベッロという地名と、バスの窓外に見えるチェリーやぶどう畑とい
うような単語以外にほとんど意味不明でした。キノコのような形の三角屋根の家
々がどういう家のことなのか理解できないのです」
「三角屋根の家ですか?」
「ええ。後で調べたら、白壁に円錐形の石積み屋根を載せたこの家屋は、16世紀
から17世紀にかけて、開拓のために集められた農民によって造られたものである
とのこと。単純な構造の、美しい家々です」
「ガイドが理解できないなんて、ヤマトのことと思わないわ」
「日本に帰ってから、英語のリスニングを中心に勉強し直しましたよ」
二人は、話しながら山下公園を歩き「赤い靴はいてた女の子像」前で一休みし
た。
「ヤマトの話、面白いわ」
「そうですか」
「体験したことだからリアルなのね。フランスなんかは如何でしたか」
「バスで巡るフランス各地で、ゆかり所縁の音楽を聞きながら、菜の花と麦畑、大牧
場で埋まる田園風景、都市周辺、そこの花々や商店街、大聖堂や教会、マロニエ
やプラタナスの若葉に出合いましたよ」
「音楽付きですね!」
「そうです。フランスのリヨン周辺で添乗員がエディット・ピアフのシャンソン
を聞かせてくれました。彼女はフランスで最も愛されている歌手の一人で、国民
的象徴とのことでした」
「エディット・ピアフですか?」
「ええ。彼女の音楽は哀切な声で歌う痛切なバラードで、彼女の悲劇的な生涯を
反映しているのが特徴だそうです。“ばら色の人生”“愛の讃歌”などを聞きま
したよ」
「まあ、すてきね」
「ジャン・コクトーは“彼女の前にシャンソンはなく、彼女の後にシャンソンは
なし”と絶賛したそうです。確かに心に染み入る唄でした」
大桟橋を右手に見て、像の鼻パーク周辺は海上の散策路だった。
「モナコも印象的でしたよ」
「モナコですか」
「金儲けのうまい国なんです」
「へえ。意外な感じですね」
「そうなんです。ニースからモナコへは二十キロ余りで、面積は日本の皇居の二
倍程度、世界で二番目のミニ国家とのことです」
「小さな国ね」
「ええ。ニースはビーチの美しい街でしたが、モナコは商売のうま味、観光や税
制でかせぐたくましい国だと知りました。こういうことはガイドブックには載っ
ていませんね」
「そうでよね」
「この国では消費税がかかるだけで、所得税や相続税がかかりませんから、富豪
が住所を移すのだそうです。カジノ賭博で繁栄してきた港町は、別荘やヨットハ
ーバーで美しい景観でした。但し、グレイスケリー王妃が崖から転落死をした悲
劇も経験した街ですね」
「そうだったわね」
「その王妃の子ら一男二女が、幾つもの豪勢な王宮、邸宅に住んでいました。モ
ナコは、美しく、たくましく、金儲けのうまい国だと日本人の現地ガイドが言っ
ていました」
「なるほど、そういう側面のある国なんですね。モナコは優雅なだけの国ではな
いということが理解できるわ」
二人は海上路を通って、赤レンガ倉庫へ着いた。一時間かけてゆっくりと散策
したわけだった。
この年、あるとき、美沙はヤマトを「ロイヤルウイング」号で横浜港の案内を
した。
「ロイヤルウイング」は大桟橋を拠点に運航している定員六百名余りのクルー
ズ船だ。
本格的な広東料理に舌鼓をうち、船内クルーのマジックやジャズ演奏を楽しみ、
横浜港周辺の景色を大パノラマで堪能できるという観光船である。
この日は港の周辺を二時間ほどで巡る夕食付きのコースだった。
二人は、ジャズバンドが生演奏されているサンデッキから港の夜景を眺めた。
「赤レンガ倉庫やランドマークタワーの光がきれいね」
「灯の映る水面が輝いていますね」
夕食の案内放送があって、二人はサンデッキから部屋の中へ入った。
外の景色が見えるように大きく開いた窓に向かっている席に座ったが、同じデ
ッキの乗客は遠くにいる数人だけだった。
「横浜にはこういう観光スポットがあるのですね」
ヤマトは中華料理を食べながら言った。
「そうね。横浜らしい観光コースね」
美沙は横浜で毎年開かれているジャズ演奏のフェスティバルがあるので、この
秋にでも如何ですかとヤマトを誘った。
「外国からも一流のジャズマンが来るのよ」
ヤマトには港のクルーズ観光は無論、ジャズフェスティバルも初めてのことで
あった。
これらは、美沙がヤマトにくれた新しい世界への招待状だったのかもしれない。
ヤマトは世界が広がったと思った。
ジャズフェスティバルは横浜の街全体がステージとなる日本最大級の演奏イベ
ントだ。
開港記念会館、関内ホール、ランドマークホール、横浜赤レンガ倉庫、みなと
みらい大ホール、ほか市内ジャズクラブ・街角など 計約五十か所が会場だとい
う。
ヤマトはすぐに承諾した。
出向いた関内ホールは超満員だった。
「尾田悟クインテット &ペギー葉山」は、ガイドによれば、音楽生活七十周年
の尾田悟が率いる日・米・蘭連合楽団だ。
尾田悟は日本を代表するテナーサックスの巨匠だと美沙がヤマトに教えた。
歌手生活六十周年のペギー葉山や実力派ヴォーカル歌手の五重唱等もあって賑
やかなステージだった。
ヤマトは美沙の案内で横浜ジャズの入口をのぞいた気がした。
ヤマトと美沙はだんだん親しみの度合いを深めていくようだった。
ヤマトはジャズクラブ出口のビル影で美沙と初キスを体験した。
ジャズクラブの階段を手を組んで出てきた彼らは手を離さず、ビルの陰で寄り
添い接吻したのだ。美沙の唇内はミントの香りを持っていて豊満で新鮮な身体の
温みがヤマトを刺激した。
ヤマトには横浜の中華街に知り合いの料理人がいた。
門司港に出入りの多かった当時、門司港駅前で中華料理を出していた吉村彦治
だった。
彼はヤマトと門司港を飲み歩いた港仲間である。
彼が横浜の中華街で出店したという案内が来て、お祝いに出かけた。
店は中華街の外れ通りにあり、紫色の外壁で目立たないドアを開けると中はカ
ウンター席七、八席と丸テーブル二台があった。
客が二十人も入ると満席になる小さな店構えで、吉村の得意なチンジャオロー
スがメインの個性的な店だった。
お酢のさっぱり感で美味しさが増す、野菜多めの料理だった。
ヤマトは休日になると、中華街にチンジャオロースを食べに行った。
ヤマトは、あるとき、美沙とともに中華街を訪れた。
重厚な店構えと和食や洋食にはないメニューが目を引いた。
この日には、吉村が推薦したコース料理を食べた。次のような献立でびっくり
だった。
特製前菜盛り合わせ、つぶ貝とふかひれの蒸しスープ、大海老の二種作り、和
牛モモ肉と蓮根のX.O醤炒め(X.O醤は味噌風の合わせ調味料)、平貝の香り蒸
し、窯焼き北京ダック(これはパリパリにする為に窯で焼いて、皮をおいしくす
る料理)、あわび鮑と和豚・もち豚のちやーはん炒飯、ゴールデン・スイーツ。(web「萬
珍樓」参照)
美沙「今日は奮発メニューだわね」
二人は、このような中華料理に目をむ?いたが、料金はそう高くなかった。
しばらく、楽しい付き合いが続いた。
しかし、突然、思わぬ障害が起きて、二人の関係にヒビが入った。
美沙と三歳違いで、引き籠りになって酒乱の気のある芳樹という弟がいた。
「芳樹の酒量が増え、酒と睡眠薬を同時に飲んで家で暴れたの」
美沙の話だった。
「母親がパトカーを呼び、芳樹は総合病院へ緊急入院したのよ」
数日後、芳樹は精神科へ入ったという。その事情を簡単に述べよう。
芳樹は長年父親に反抗し、母親を馬鹿にしていた。
芳樹は部屋に閉じこもって三年になり、夜起きて、昼眠るという昼夜逆転の生
活習慣となっていた。
家族は病院に行かせて医者に診察させたかったのだが、芳樹はガンとして拒否
していた。
「自分は病気ではない」
と言い張っていた。
朝夕に酒を飲むようになっていて、酒量が増え、朝から飲んで寝床や部屋でバ
タバタと暴れ出した。
母親は市役所や保健所へ相談に行ったが、本人がその気にならない限り病院へ
行かせるのは難しいという状態だった。
芳樹は家で暴れるだけではなく、だんだんと暴力的になり、やがて家族や従業
員を傷つけて、警察沙汰を起こした。
パトカーが来て芳樹を警察へ連れて行き、翌日、病院へ運んで診察。即入院と
なった。
このトラブルで父母と従業員が負傷を負った。
芳樹の病気は長引きそうだった。
美沙は落ち込み、気鬱から自分も部屋に閉じこもった。
ヤマトが連絡をしても、美沙は具合が悪いと言って出てこない。なんと今度は
美沙が引き籠りになってしまった。
このような状態がずっと長引き、二人は少しずつ疎遠になっていった。
ヤマトは、孤独から脱出しかけた横浜で、再び心開く人のいない寂しい生活に
戻った。思もかけない運命の動きだった。
それから三年の間、浮之介は何事もない、仕事だけの生活を送ったが、心の隙
間に吹く風が冷たく感じられ、無味乾燥な生活をどうにかしたい気持ちが強くな
ってくるのだった。
浮之介は極度な孤独が、新しい絆を呼ぶということを知ることになる。
第三章 新潟港のテイム
浮之介は仕事の都合で新潟港に出入りするようになっていた。
ある日、新潟港西港の郊外でテイムと出会った。
新潟港は西港と東港に分かれており、西港は主に国内外の旅客航路に使われ、
東港は貨物を扱っていた。
ヤマトは新潟港の西側にある岬に行き、そこの事務所で用事を済ませた。
岬は陸側にある街の大通りにつながっている。岬の海側も大通り街も美しい景
観で、人気の観光名所であった。
ヤマトが、大通りと直角に接続する、菜の花咲く海岸の小道を歩いていると、
向こうから歩いてきた小柄な若い女性と出会った。
海からの光線を横顔に受けて、清楚でシンプルな衣装が似合う女性だ。
出逢いがしらに笑った彼女の笑顔が実にかわいく、浮之介の心に沁みた。
翌日、ヤマトが出向いた商社の受付に、なんと、彼女が座っていたのである。
浮之介は彼女をテイムと名付けることにした。ヤマトは女性に愛称、あだ名を
つけることが好きだった。
テイムは本名を西門麻衣子といい、商社の会社員だった。ヤマトは、この商社
に出向くのが楽しみになった。
彼女は小さな幸せに関心を寄せる、かわいい女性であった。小柄で色白な新潟
女性でバランスのとれた体形である。
横道浮之介通称ヤマトは親しみやすくかわいいテイムに魅せられ、恋をした。
商社の仕事帰りに、受付にいたテイムに彼女の電話番号を聞いたことがあった。
「今度、電話ででも地元のカフェをお聞きしていいでしょうか。できれば食事を
する所も教えてください。不慣れで分からないのです。ここでお話をするのも差
し支えるでしょうから」
ヤマトは思い切ってそう切り出した。
「そうですか。分かりました。メールアドレスをお教えしましょうか」
テイムはメモ用紙に、電話番号の代わりに、アドレスを書いてヤマトに渡した。
新潟地方が大雪となった日がある。
ヤマトは商用で岬の事務所へ行った。
商談が終わって、商社部長の北山が食事をご馳走すると言い、古町の料亭に招
かれた。
雪見障子越しに雪の降る様子が眺められる座敷で、真ん中にこたつがしつら設えて
ある。
大粒の雪がしんしんと積もっている。
「雪見障子、珍しいですね」
ヤマトがそう言った。
「そうですか。この辺りでは座敷によくありますよ」
北山が言った。
外気が冷えているせいで室内でも息が白くなった。
「大雪ですね」
ヤマトが白い息を吐いて言うと、
「これから雪の季節が始まります」
北山がそう応えた。
二十歳過ぎの、和服姿の女性が座敷の縁側から雪見障子を開けて、ビールや料
理を運んできた。彼女の口から白い息が漏れるのが見える。
雪景色を背景にした美しい女性を見ると、雪の女神が出てきたようだった。
ヤマトは、近づいてきた色白な女性の顔を認め、非常に驚いた。接待に呼び出
されたテイム、本名西門麻衣子だった。
「お世話になっているヤマトさんに、今日は我が社の花形が接待をいたします」
北山が言った。
テイムには和服もよく似合っていた。
ヤマトはその後テイムと親しくなってから、岬にデートで行ったことがあった。
デートスポットは海辺にも街にも、たくさんあった。
岬には灯台や崖に米軍による艦砲射撃の跡が残っていた。
その跡を見ながら、テイムは、母の兄つまりテイムのおじ伯父がフィリピンのレイ
テ島で戦死したという話をした。
「母は、岬にある平和の鐘を大事に思っていて、時々ここへ来るんです」
「日本海側に位置する新潟県では、太平洋側の多くの都市が空襲を受けていたの
に比べると、B29やそのほかの攻撃は少なかったということですよ」
テイムはさまざま調べていた。
「新潟県へのアメリカ軍機の来襲は、一九四五年、昭和二十年六月までは偵察や
宣伝ビラ投下のほかは、新潟港への機雷投下が主なものだったということだわ」
ヤマト「昭和二十年のことですね」
テイム「ええ、そうよ。日本側の反撃としては、七月二十日に新潟に機雷投下
に来たB29を高射砲で一機撃墜しただけだそうよ」
テイムは、ここに来ると、母から聞いた戦争の話を思い出すと言ったことがあ
る。
テイムの母は大きな農家の娘で、父は材木商だという。
本人は少女の面影が残る女性だ。
ロマンチックな夢を持っていて、語る声は甘い、いい声であった。
「いつか一度は東京のマンションに住んで、浅草やお台場に行ってみたい」
「温かな家庭を持って平和に暮らしたい」
彼女は、そういう願いを持っていた。
ヤマトはテイムの願いを一緒にかなえたいと願った。それが、平和に、好きな
ように生きて楽しく死ぬというヤマト年来の夢に合致したのだ。
テイムは、ヤマトが女の小さな夢をも大切にしてくれる男性だと思った。
この港は霧が深い所で、六つのアーチを連ねるばんだいきよう萬代橋にはデートの夜も
霧が降っていた。
ヤマトには新潟港はテイムの面影の深い街だ。
二人、いつか寄り添い、古町通りで、夜遅くまで過ごしたことがある。周辺に
ほのかに甘いテイムの香りが漂っていた。
彼らは街角の小さな公園に入った。明るい通りの照明がなくなり、多かった人
影も消え、ひっそりした闇が二人を包んだ。
公園の片隅で二人は初めてキスをした。ヤマトにとって、テイムの香りは更に
深くなった。その香りは濃厚なラベンダーの香りだった。
ヤマトが手を掛けたテイムの肩辺りから彼女のバランスある身体の感触を感じ
た。
「こんな夜を過ごすと、テイムの存在が忘れられなくなるな」
「私もよ」
テイムは店先で新潟名物の笹団子を教えた。
笹団子は新潟県特産のあん餡の入ったヨモギ団子を数枚のササの葉でくるみイグ
サの紐で両端を結んで蒸した和菓子である。
「私の好物だわ」
テイムが微笑んで言った。
ヤマトには、テイムが教えた新潟の魚介類の新鮮な旨味も忘れ難いものだった。
日本海の荒波が魚介を鍛え身を締まらせるという。
小料理屋で食べた獲れたてヒラメの刺身、鯛のコリコリとした食感、エビの甘
さは、従来ヤマトが食べた海産物にはない味だった。
「これは初めての味だねー!」
ヤマトが驚くと、テイムはうれしそうだった。
「浜焼きって知っています?」
テイムが聞いた。
「浜焼き?いいえ、知りませんよ」
「では、ご案内するわ」
テイムはヤマトを連れて海岸通りに行った。
海を前にした店先で漁師が魚介類を焼いている。
串に刺した魚を砂で作った焼き場で炭火焼きにしていた。
「浜焼きは昔から伝わる食べ物だわ。炭火で焼くから余計な水分や脂が落ちて香
ばしくうま旨味が凝縮されて焼きあがるの」
サバの塩焼き、イカの丸ごと焼き、身の厚い黄金ガレイ、赤魚焼き、細長い魚
メギス焼きなど種類多く並んでいた。
あなごは二、三本を束ねて焼いている。地物鯛の一匹もの、ノドグロ一本売り
など珍しいものも焼いていた。
たら鱈と鱈の子を甘酢に漬けた一品で、出雲崎から柏崎辺りの名物「鱈の親子漬」
も売っており、ヤマトには初めての味だった。
テイムは、新潟の味を褒め楽しく付き合ってくれるヤマトに惹かれた。
ヤマトとテイムは古町の柳寿司を愛した。
柳寿司は繁華街から少し離れた場所にあるが、落ち着いて雰囲気の良い店だ。
「最高の米、魚沼産のコシヒカリを最高の腕で炊き上げたシャリ。それに天然に
こだわった新潟の地魚。新潟トップクラスの寿司屋だわね」
とテイムはいつも言っていた。
職人が、漬けにしたまぐろ鮪の大トロ、青い卵ののった南蛮エビ、寒ブリの大ト
ロ、ホウボウなどの白身魚等を握る。
「美味しいこと!幸せなひとときだわね」
シュンの感想だ。
旬の柳カレイや寒ブリ、脂のよくのった赤鯛や本鮪なども絶品だった。
整えられた仕事場での大将の丁寧な仕事が、目の前で見える。どれも一手間、
二手間加えた質の高い寿司ダネだ。(ネット新潟「寿司安」参照)
「こういう寿司をこの値段で食べられるとはね。また来たくなるお店だよ」
ヤマトがつぶやいた。グツグツ蒸すと、特に新鮮な筍の香りが心地よく漂う。
土瓶の
新潟の酒について述べよう。
新潟の酒は京都伏見の酒などと並んで日本有数の日本酒だ。
久保田 、〆張鶴、八海山、菊水、越乃景虎など数多い。ヤマトは八海山の純米
吟醸や菊水辛口を好んで飲む。
八海山純米吟醸は日本酒度+4で透明感のある味わい。スーッと入ってくるお酒
だ。その後にフルーティーな甘味が口の中に広がる。
菊水の辛口は+8の酒度で辛口派定番の酒だ。きりりと冴える辛さに、飲みごた
えのある旨味が沁みわたる。冬は燗で夏は冷やで季節に合わせて飲むのがいい。
(ネット「日本酒物語」参照)加え、グツグツ蒸すと、特に新鮮な筍の香りが心地
よく漂う。土瓶
しかし、「鱈の親子漬」は、その味わいのように、ヤマトにとって甘酸っぱい
思い出を残す食べ物になってしまった。今でも切ない思が強烈に湧き上がってく
るのだった。
テイムは会社の定期健診で異常が見つかったので、精密検査を受けると言って
胃カメラを飲んだ。
突然、巨大な黒雲と竜巻が襲ってくるという「事件」が起きた。
「禍福は糾える縄の如しと言う。幸福と不幸は、より合わせた縄のように交互に
やってくるのじゃ」
と運命の神が語った。
テイムはどんな具合でしょうかと医者に尋ねた。
医師は胃の部分の写真を見せた。
それは胃カメラで撮影したカラーの写真だった。
「この部分は年令の若さ相応の極めてきれいな映像です」
医師は、連続して撮影した何十枚かの写真で初めの一枚を指して言った。
「この辺り、ずっとピンク色できれいですね」
と写真をめくりながら言った。
「ところが、この辺になりますと・・・ 」
と言って、終わの数枚を示した。
写真の色が、先程とは変化して紫色になっており、一部は赤みが強く増してい
た。
「ほら、ここは出血しています」
医者は一枚の写真を指差した。
テイムは驚き、あわ慌てて聞いた。
「胃潰瘍でしょうか」
「いいえ・・・」
と言って医師は一息ついた。
それから小さな声で
「・・・おそらく進行性の胃癌ですね」
短い話を幾つか交わした。
「進行性の胃癌ですか?進行性ってどういうことでしょうか」
「進行性の胃癌というのは、早期胃癌に対して、更に深く進行している胃癌のこ
とです」
三十台後半と見える若い医者は説明し、
「詳しいことは次回にお話します、患部細胞の検査結果が出ますので」
と付け加えた。
この日以降二人の生活は一変し、以来、「地獄巡り」をすることになった。
一年後、テイムの手帳に記されていたメモのような詩をヤマトは見せてもらっ
た。
何時の間にか秋が深まり
窓の外には紅葉した森が見える。
あの森の向こうの私の家では
今朝はストーブを焚いただろう。
病室の窓の外には朝日を浴びて
小鳥たちだけが生き生きと
飛び交っている
ヤマトはどうしているだろう
何度目の入院だろうか
ベッドに横たわって三百六十日
目に映る景色はいつも同じビルの壁
小鳥のように自由にこの窓を飛び立って
ヤマトの待つあの街に帰りたい
これは、後にも先にも私の知っている、ただ一つのテイムの詩だ。
テイムが亡くなったのはそれから一か月後である。
その日には雪が降っていた。
テイムは穏やかに微笑んでいるように見えた。
以後、ヤマトは新潟港に来る毎にテイムの眠る郊外の墓に詣でる。
そして、帰りに浜焼き通りに立ち寄って、イカの丸焼きを食べ、鱈の親子漬け
を買って帰る。
この行動が通例になった。この街を歩くとき、ヤマトはテイムと話し、祈って
いた。
ヤマトは心が空っぽになって何も考えられず、ただ、会社の仕事をやっと行う
だけの日々を数年送った。
ヤマトこと浮之介は夜中に目が覚め、酒を飲むようになった。
胃の腑に鉄か鉛の球が沈んでいるようだった。
ヤマトの胸に風が吹く。
この風は何ものだろう。よーく見ると、それは取り返しのつかない寂しさ、孤
独だった。
ヤマトは、やがて、めちゃ飲みに陥る。
恋人の死は、ヤマトを未だ見ぬ地獄、地獄の地獄へ突き落としたようであった。
地獄の地獄とは太陽や月の光が届かない暗黒世界だ。
----- 何ということが起きたのだろう。
苦痛がヤマトの心臓中枢を直撃する。
----- もう会えないのだ。
そう思うと胸がつまり苦しくなって、深い溜息が出る。
悲しみ・苦しさ・孤独が全身に降ってきた。
故郷の親、兄弟と死別し、そのうえ恋人たちとの別れは殊に悲しみ深く感ぜら
れたのだが、テイムとの別離は骨身に沁みるものとなった。
ヤマトは朝夕の祈りを行うことにした。
「神仏などいるものか」
と思った時期もあった。
しかし、「気がつけばこの私にも阿弥陀様」
そういうカレンダー標語が街のお店に貼ってあり、気に留まった。
「阿弥陀は自然の光のことです。貴方にも既に阿弥陀が来ているのではないで
しょうか」
そのような脇の解説が目に入った。自然の中にテイムがいると思ったのだ。
自分の首を反対向きにねじ曲げられて、背中に涙を流すという夢を何度もみる。
「首ねじり」については何かで読み知った話だったが、異様な光景だった。夜
中に目が覚め、眠れず。酒を飲む。
ヤマトは、嘗て物の本で、ギリシャ神話の死の神はタナトスという名前で、母
親はニュクス(夜)、兄はヒュプノス(眠り)とされており、一説には女神レテ
(忘却=三途の川)と弟妹であると読んだことがあったが、恋人がこの一家と同
族になってしまったという夢にうなされ、目覚めて、いたたまれずに酒を飲んだ。
ヤマトは恋人が死の神や三途の川と一緒にいるということに耐えられない。酒
を飲むというより、酒に飲まれるようになった。こんな生活が数年間続いた。
「なるべく忘れるようにして、次に進もう。そうしないと生きていけない」
ヤマトはそのよう誓ったものの、忘れられず、苦痛は日を追う毎に強くなった。
一年以上経ってから夜毎の寝汗と夢に襲われるようになり、下着を何度も取り
換える羽目になった。
この冷たい寝汗や夢見はその後二年近く続き、収まったかと思うと、また異様
な事態になるのだった。
第四章 三陸のユミ
ヤマトは会社のコンテナ船を大型化するプロジェクトに参加していた。コンテ
ナを多く積載できる船を作り小規模船と入れ替えるプロジェクトだった。
従来の仕事をこなしながら大型化プロジェクトにも取り組むので、仕事量が増
え非常に多忙だった。会社では仕事の合理化が否応なく推し進められていた。
夜には労働の疲れから強烈な眠気が襲ってきて、ヤマトを眠らせた。
小用に起きるものの、結局はまた眠りにつく。
眠気、睡魔は自然そのもの、即ち「命」の動きだといえるのだろう。
この動きがヤマトを少しずつ自然に回復へと向かわせた。
ヤマトは宮城や岩手の港にも出入りしていた。
三年後、ヤマト、本名横道浮之介は東北の三陸でユミと出会うことになった。
ユミこと有美は、岩手県陸前高田にある取引先会社社長の娘である。
彼女はヤマトが結城社長と商談をしている席に現れた。会社の従業員として働
いているという。
有美はヤマトに会釈をし、結城と二言三言話した。
親しみやすい、ナチュラルな容姿の女性で、化粧っ気がないように見える。結
城社長は「彼女は普段はスッピンと公言しますよ」と言っていた。
その後、ヤマトは結城の会社で何度か有美に出会った。
ヤマトは彼女をユミと言うことにした。あだ名をつけるのはヤマトの習慣だ。
大船渡市に行く用件で結城社長と打ち合わせしているとき、社長が有美に道案
内をさせましょうと申し出た。
二人連れで出かける当日、ユミはうっすらと化粧をしてきた。
陸前高田から大船渡へはリヤス式海岸沿いに車で二十分の距離であった。
運転席のユミは口が渇くのかリップクリームを二、三度塗っていた。
車中、ヤマトは、ユミが頭が良くて、話題が豊富な女性だと知った。
今回の商用の話題のほか、通りかかった戦跡に関係する話もした。
「ここはアメリカ軍の艦砲射撃を受け数百人の民間人、軍人が亡くなったそうで
すよ」
ユミがそう教えた。
「艦砲射撃ですか」
「そうです。昭和二十年に日本中の都市が絶え間ない空襲を受けるようになった
のですね。沿岸に近づいた米艦艇は艦砲射撃で大船渡・釜石・室蘭等を攻撃した
といいます」
ユミが祖父から聞いたという話だった。
「陸前高田には竪穴式の地下壕が四つ、大船渡には一つあったという記録がある
わ」
「竪穴の地下壕は穴を掘って、その底に床をつくり支えを立てたものだが、米軍
の爆撃や艦砲射撃でほぼ壊滅したようだ」
結城社長がそう言った。
「安直な地下壕がもつわけがないわね」
「壕も人も安っぽく扱ったものだ」
「日本軍は一銭五厘の赤紙で人の命を紙のように薄く軽く扱ったのだから、ここ
で死んでしまった数百人程度はものの数でもなかったのでしょう」
「話はまったく変わりますが、岩手出身の宮沢賢治は、盛岡中学校卒業後に岩手
病院で看護婦に恋心を抱いたそうで、その手紙が大船渡に残っているそうですよ」
ユミの話題は変幻自在で豊富だった。
「宮沢賢治の小説って面白いわ」
ユミは、特に『風の又三郎』や『なめとこ山の熊』が好きだと言った。
彼女の出身校・高田女学園は競争率の高い、地元県でも屈指の名門校で、ユミ
は“読書好き”という定評もあるようだった。
大船渡に到着して用事を済ませた後、ヤマトとユミは夕食を一緒に食べた。ユ
ミの案内で名物のかき牡蠣料理店に入った。
地元民が手塩にかけた牡蠣の刺身や焼き牡蠣、牡蠣フライ等々牡蠣尽くしの料
理だった。
ヤマトは、ご馳走を食べていると、嘗て新潟でテイムが教えてくれた魚介類の
コリコリとした食感を思い起こして、テイムの運命の切なさ、悲しさで胸が傷ん
だ。
だが、大船渡や陸前高田で商用を足し、結城社長と会い、ユミと話していると、
胸の傷みや寂しさは癒されていくようだった。
ヤマトは明るいユミに救われ、やがて恋をした。
ヤマトは自分とユミとの絆が自分を支え、そこから生きる力を得られるのでは
ないかと感じた。
ユミは周囲から「サバサバした性格」と言われているようだが、ヤマトには、
ユミの一見ホンワカした側面のほかに、見た目と違う細かな気配りが感じられ、
奥には激しいものも秘めているようにも思った。
ユミは、ヤマトが相手の話を聞く姿が好きだった。相手を受け入れ、反応して
くるヤマトの様子をいいなと思った。
ユミはヤマトを「船上イカダ見学」というイベントに案内した。ユミの知人が
主催した催しだということだった。
気仙沼の漁師の案内で、カキ、ホタテ、ホヤ、ワカメなどの養殖の様子を見学
するというものだ。
気仙沼は東日本大震災で地震そのものの被害に加え、津波・火災・地盤沈下に
よって大きな被害を受けた。
ヤマトたち一行は、震災跡を見学した後、宿で一泊した。ヤマト、ユミの部屋
は無論別々だった。
二日目の始まりは早朝散歩からだ。
漁港で旬のワカメ狩りと試食を行う。
観光名所岩井崎見学に行き、魚市場隣接の「海の市」で食事。
その後、作業小屋でカキの「種仕込み」などを体験した。
船に乗り込み養殖イカダへ移動した。
ヤマトとユミの身体が揺れるイカダの上で接触する。彼らは腕を取り合い、体
を支え合うが、顔が接近するたびにユミから白薔薇の香りがかすかに漂う。
ユミの首に黒子があって、光が当たった黒子と周囲の肌が光っていて、ヤマト
に生々しさを感じさせた。
一同、イカダ上で漁師の話を聞きながら、カキの「垂下」作業を体験し、カキ
を海に吊るした。
ホタテ、ホヤなどの養殖の様子も見学した。
海とともに生活する漁民のことを知り、周辺を歩いて、歴史文化に触れて、旬
の食材を味わう旅だ。
夕食のとき、話が東日本大地震のことに及んだ。
客の一人が、大震災で被災した陸前高田にいる親戚の話をした。
母親と十四歳の長男が津波に流され死亡した、小学校六年生十二歳の少女と、
その祖父の話だった。
二人は今、仮設住宅で、位牌を二つ置いた部屋に肩を寄せ合って暮らしている
という。
父親は仕事の都合で長期間家を留守にすることが多く、災害当日も、今も家に
いない。
少女は夜、寝床で寂しさから泣くことがあり、祖父に手を握ってもらって眠る
という。 少女は仮設住宅のある敷地の小学校に通い、祖父は家事を担当してい
る。
客の一家はこの親戚に時々行き、祖父と少女を見舞っているそうだ。
この話を聞いていたユミの頬に涙が流れた。大粒の涙であった。
ヤマトはハンカチを出してユミに手渡した。
涙をふいたユミは自分の体験談を話した。
『私は東日本大震災復興支援ツアーがあると聞き、友人と二人でボランティア
活動に応募したことがあるわ。
行くときは作業着や合羽、ゴム手袋や軍手等をそろえ、釘の踏み抜きの危険が
あるので、踏み抜き防止の鉄板が入った中敷きが入った長靴を用意しました。
復興支援ツアーの貸し切りバスは夜に入ってから現地に到着しました。
契約のホテルに宿泊後、翌日早朝からボランティア活動が始まったのです。
活動の場所と内容は「災害ボランティアセンター」で割振りされた指示に従い、
漁港のドロかき、がれき瓦礫の撤去を担当しました。
夕刻にはバスで市内の乗り上げたままの大型漁船や沈下した畑地などを見学し
ました。
私は友人とともに、がれき撤去や市内見学等さまざまな行動を共にしました。
自由時間に海岸に出た私たち二人は、漁船が燃えて火の海となって流れた場所
や被災者が海に流れて、迎えたであろう末後の月を見ることになったのです。
辺りには海辺の倒木に海藻がからまり、磯の匂いが強く漂っていました。
「この海で亡くなった方々は、きっとこの月を見たのでしょうね」
「どういう気持ちで海に沈んだのでしょうか」
二人は波音を聞きました。
「流されて命を失いながら、愛する家族を思ったのでしょうね」
私の頬が自然に涙で濡れました。
「多くの方々に、この月や星々はどういう色に映ったことでしょうね」
友人が応じました。
空には無数の星がまたたいています。
周辺は潮騒の音がするだけで、金色の月が、静まりかえった海の上にクッキリ
と浮かび上がったのです。
月の周りだけが澄んだ青色に染まっています。
そこには私たちが息を止めるほどのすごさがありました。
「こんな光景は初めてよ」
「ほんとにすごいわね」
二人は海岸で恐ろしいような、鳥肌の立つ感覚になりました。
星と月だけが輝き、人気のない海辺は、限りなく切なく寂しいのです。
波打ち際に映り込む壊れた汽船の影や海に沈みかけて崩壊した家屋が見えま
す。
潮騒の音がひときわ高鳴り、海の香りが強くただよ漂いました。
亡くなった人たちが眺めた末後の月が、西の空に傾いていきました。
二人とも何かの思を自覚し、何事かを感じ合う気持ちがひときわ強くなってい
ました。
私たちはこういう時間をしばらくの間過ごしました。
二人は翌日も港のドロかき、がれきの整理を行い、夜は被災住民の経験談を聞
きました。
「大津波は 町の全てを 押し流し 我が子の墓も 瓦礫となりぬ」(仙台市
海老塚 忠さん NHKオンライン)
住民から、そういう短歌のあることも教わりました。』
この話は切なかったが、ヤマトはユミが情に厚い女性だと知った。
さて、話変わって、ヤマトは陸前高田で街の寿司屋と懇ろになった。
寿司屋は、初めはユミが連れて行ってくれた店だ。港の河岸隣りにある新鮮ネ
タが売りの店だ。
ここのマグロやウニ、ホタテ、赤貝などは絶品だった。
ヤマトはこの店の常連となり、陸前高田と大船渡の情報を手に入れた。
ヤマトは所の知り合いを増やし、親しい友人や恋人との付き合いを深めたかっ
た。それが、「縦型」や「お国」最優先の親父への別離証明だと思っていた。
一年ほど経ったとき、ヤマトとユミは商用で青森県の八戸市に同道した。車で
三時間余りの行程だ。
用事が早目に済んだ後、市内の酒造を二か所巡るというツアーに参加した。二
人ともお酒は嫌いでなかった。
初めの所は市の中心街にあるレトロな酒造で、酒蔵を見学し、何種類かの試飲
をした。
二軒目は、県の景観重要建造物に指定された蔵で、出来立ての新酒を結構飲ん
だ。
レトロ酒蔵も重要建造酒蔵もいい雰囲気で、二人とも楽しんで過ごした。
ツアーが終わるときには二人とも酔っていて、帰りの車を運転することが危な
い状態だった。
外はとっぷりと暮れていた。
「運転して帰るのは危ないね」
「そうね。帰るのは明日にするのがいいわね」
その夜、二人はどちらからともなく、泊まるホテルを探すという行動をとった
しかも、別々に部屋をとるという提案はどちらからもなかった。
この夜、二人は潮騒の聞こえる部屋で過ごした。
開いたユミの唇は薔薇の匂いでいっぱいだった。
妖艶な唇の感覚と色白な身体がヤマトを虜にした。ヤマトはユミとの愛を心か
ら誓った。
明けて八戸の空は爽やかに晴れていた。
ところが、七か月後、ユミ、本名結城有美は中国へ旅立ったのだ。
結城社長が中国との商売を拡張するにあたり、中国語に堪能な有美を派遣した
のである。
「どのくらいの間、向こうにいるの」
突然のことに驚いたヤマトが尋ねた。
「会社の商売が軌道に乗って、見通しがつくまでということよ」
ユミが応えた。
「数か月なのだろうか」
「数か月か数年になるのか、まだ分からないわ」
ユミも青ざめた顔だった。
このようにして、お互いに未練を残しながら、ユミとヤマトは遠く別れて暮ら
す運命となった。
ヤマトは、またまた、寂しく孤独な生活に戻された。
ヤマトとユミが分かれて生活し始めた初め頃は、お互いに連絡も頻繁に行い、
必ず再会しようと誓い合っていた。
しかし、月日が過ぎるにつれ、交信が少なくなって、やがて、たまに電話が来
るという程度になってしまった。
有美の仕事が忙しいらしく、時には、こちらの連絡にも返事が来ないような状
況になった。連絡の無さは人と人の絆を消滅させる危機をはら孕む。
ヤマトは以前、「首を反対向きにねじ曲げられて、背中に涙を流す」夢を見た
ことがあったが、同様の心理が訪れそうな気配だ。
ヤマトは、自分の苦痛や孤独は何度襲ってくるのだろうかと感じた。
横道浮之介の心に冷たい秋風が激しく吹く頃、仕事の重点が近畿地方に移るよ
うになった。
第五章 京都のアヤ
季節が深まり紅葉が進んだある日、浮之介は京都に商談で出かけた。
先方の社員が案内した「永観堂」の紅葉は圧巻で、境内一帯がモミジの赤で燃
えていた。
寺の宗派は浄土宗北山禅林寺派、宗祖は法然上人だ。
ここの「みかえり阿弥陀」は珍しい。振り向いたお姿が像になっているという
阿弥陀仏像だ。
特殊な姿勢を破綻なくまとめ、静から動への一瞬を見事にとら捉えており、作者
の技量の高さがうかがわれると言われる。
像の前には見返り姿の意味として次のように書かれていた。
自分より遅れるものを待つ姿勢
自分自身の位置を、かえりみる姿勢
愛や情けをかける姿勢 ・・・
真正面から、おびただしい人々の心を濃く受け止めても、
なお、正面にまわれない人々のことを案じて、
横をみかえらずにはいられない、阿弥陀仏のみ心
「なるほどな。縦ではなく横型の仏様、いいね」
浮之介はつぶやいた。
縦穴や縦道の嫌いなヤマトは、横を見返る阿弥陀様がたいそう好きになった様
子だった。
先斗町でとった夕食は京の会席料理だった。
「今夜はどうかごゆっくりお過ごしください」
社員の岡村は夜も付き合った。
スタートに出た肉厚なカラスミが豪華だ。
金沢から取り寄せたという松葉蟹の雌である香箱蟹。内子の濃厚さと外子のプ
チプチ感、蟹身が口の中で混ざり合い至福の味だ。松葉蟹の足と蟹味噌もたっぷ
り絡めて蟹酢でいた だく。
煮物椀は海老真丈。お造りは鯛・鰈・烏賊。締めの炊き合わせご飯は光ってい
た。
翌日は岡村に加えて、衣装担当社員の女性を交えて打ち合わせがあった。
女性は和服姿だった。
衣装担当の綾部美里という社員で、ヤマトは彼女をアヤと名付けた。
「ご担当の仕事は衣装関係でしたね」
ヤマトが言うと、
「ええ。近頃では結婚式や記念パーティの衣装を扱っています」
アヤこと美里の声は、体形と同様に滑らかで美しい声だった。
「記念パーティの衣装ですか」
「ええ。会社創立三十周年記念カクテルパーティとか、ご家族やお仲間のパーテ
ィ衣装も扱うのです」
「結婚式や記念パーティというと、正装ですね」
「ええ。正装は和装でと決めている方もいますが、洋装の方も多いですよ。洋装
で列席する結婚式やパーティのときは、華やかさのあるドレスをお勧めします」
「華やなドレスですか」
「ええ。昼の場合はアフタヌーンドレスやエレガントなスーツ、夜の場合はイブ
ニングドレスやカクテルドレスです。ただ、結婚式では花嫁より華やかにならな
いようにしなければいけません。ヨーロッパではどうなのでしょうか」
アヤはそう言った。
「京友禅の和服、いいですね」
ヤマトの発言で、話題が京都がらみになった。
「製作工程が複雑なようですね」
ヤマトが聞くと
「工程は分業で、専門職人の、およそ二十種の技術によって一枚の着物が完成し
ます」
「京友禅の特徴はどうなのですか?」
「抽象的な大きい図柄でデザインされていることとか、刺繍や金箔などの装飾を
併用している。色使いが華やかで上品であることです」
「そうですか」
「後は、朱色を使うことが多いこと。花の柄などは、中心からぼかすことが多い
ため内側が濃いなどの特徴を持っています。この帯が京友禅ですよ」
アヤは自分の締めている帯を示して見せた。
「なるほどー」
「近頃は洋装が多くなりましたね」
「そのようですね」
「ヨーロッパの流行はどうなのでしょうか」
「ええ、それは・・・」
話が商用がらみになった。
用事が終わり、夕方は岡村とアヤを交えて、小料理屋で飲食になった。ここで
皆が独身と判明した。
この料理屋は柴漬け、千枚漬け、すぐき等京の漬物を中心に据えた料理で有名
だという。
アヤはスポーツの好きな明るい性格だと分かった。彼女は、ヤマトにとって港
以外の街で知り合った唯一の女性だった。
「錦小路を歩きましたか。見るだけで唾の出そうなお酒の肴が有り余るほど置い
てありますよ」
アヤは酒通でもあった。彼女は明日、錦小路を案内してくれるという。
翌日、首筋の長い、和服の似合うアヤの姿が、二人の男性を連れて京の台所と
いわれる小路を歩いていた。男はヤマトと岡村だ。
百数十もの店が四百メートル近くの小路に軒を連ねている。
京都伏見の日本酒をたくさん展示している店があった。店頭で試飲も出来る。
店主「甘い酒も辛いのもあるよ。これはね、お酒好きの兵隊さんが好んだ、相当
に辛口の酒ですよ」
ヤマト「へえ。そんなに辛いんですか」
岡田「嘗て京都の伏見に駐屯していた兵隊が飲んだという酒ですね」
岡田も知っている酒だった。
アヤが試飲して「確かに辛いわね」
ヤマトも飲んで「プラス+十五か。これは辛いね」
店主「十六師団に所属していた家の息子から聞いたのですが、フィリピンのレイ
テ島に派兵された一万八千人の兵隊の内、生還したのは五百人余りだそうですよ。
ひどいもんだね」
息子は店主の長男で、生還者の一人という。
「レイテ島では実に八万人以上の日本人兵士がほぼ全滅し、九十七パーセントが
死んだそうだ」
亭主は、長男から事情を聞いていたようだ。
岡田「平和な時代になって、甘口や辛口の酒を自由に飲めるってのは、実にいい
ですよね」
店主「誠にその通りですねぇ」
岡田と店主が話している脇でアヤは盛んに酒を試飲し、甘辛・喉越し・旨味な
ど、日本酒の味をヤマトに伝えていた。
アヤの頬がほんのりと染まっている。相当酒好きなようだ。
ヤマトは京都出張の折には、アヤ、本名綾部美里に連絡をとり、ちょっと一杯
やる機会を持つようになった。
初めは岡田が一緒だったが、そのうち、アヤだけ来るようになった。アヤは時
間のある限りヤマトの誘いに応じた。
ヤマトは、仕事や友人関係を離れ、「好きなように生きる」という年来の夢を
今回こそは実現したいと思っていた。
アヤがヤマトを案内した嵐山の湯豆腐料理は珍しかった。
豆乳で温めた嵐山豆腐を薬味を入れた鰹出汁で食べた後、ふくよかな引き上げ
湯葉を食す。最後に、豆乳スープを飲む(参照:嵐山「花筏」)
京都を何回か訪れるうち、ヤマトは豆腐料理やてんぷらで一献やるようになっ
た。ヤマトの舌に合っているのだ。
京のてんぷらは豪華けんらん絢爛だ。春は、稚あゆ・本もろこ・あまご・きす・鯛
等々。ふきのとう・竹の子・花菜・たらの芽など、抜群の食材だ。
夏には、あなご・あわび・文蛸・はも・岩がきなどが旬である。
賀茂なす・山科なす・万願寺とうがらしは京の特産で、ヤマトには初めての旨
味だった。
秋は、車海老・はぜ・剣先いか・帆立貝に、松茸・舞茸・しめじ・ぎんなん・
丹波くり ・・・。
冬は、わかさぎ・ひらめ・しらうお・蛤・かき・九条葱・しいたけ・堀川ごぼ
う・うど・・・ 。また、活車海老・きす・めごち・あなご・いか・南瓜・しいた
け・青唐・胡麻豆腐・花びら茸は年中いける。(参照:京都祇園「天ぷら八坂圓
堂」)
アヤは、ヤマトのために、知り合いの店で春らしいおばんざいを作ってもらっ
た。たけのこ筍にはまぐり蛤を合わせる土瓶蒸しだ。
金時にんじん、大根、木の芽などを加え、グツグツ蒸すと、特に新鮮な筍の香
りが心地よく漂う。
秋の松茸と合わせて土瓶蒸しにすると旨いが、その発想から、春版として完成
したのが筍の土瓶蒸しだ。
土瓶蒸しの出し汁は器に入っていて味つけすることができないため、事前に味
つけしたものを冷まし、材料と一緒に蒸す。
土瓶の中いっぱいに組み入れられた京野菜の旨味に蛤から出た塩が絡まって、
贅沢な出し汁ができる。
土瓶の中の食材を食べた後、急須から出し汁を注ぐ。
極上の香りと味わいには、伏見の純米吟醸がよく合う。
ヤマトは伏見の酒では玉乃光酒造の酒を好んだ。アヤが紹介し、推薦した酒で
ある。
この酒造は、有機肥料のみで育てる高級品種の酒米を玄米で仕入れ、自社精米
を行う。その酒米からお米のしっかりした味を伝えたいとの思から純米酒のみを
造っているという。
香り控えめで、お米の味がしっかりした、キレのある後味が特徴だ。
「お酒を飲んだ次に食べる料理が美味しくいただけるような食中酒造りをモット
ーにしています」
酒造のこだわりだという。(ネット「玉乃光」参照)
ヤマトが京都に来て親しく付き合った女性アヤが、日本酒にも和風料理にも詳
しい人で、京都の夜がますます魅力を増してきた、とヤマトは感じた。
アヤ、本名綾部美里のもとに元の彼氏が現れ復縁を迫っていると、岡村から聞
いたのは、ヤマトがアヤと知り合った初夏の頃から八か月後、師走のことだった。
「彼が急にやってきて、付き合いを元に戻したいって言っているの」
アヤがヤマトにそのように告げた。
アヤが結局、ヤマトから去っていったのは年末ギリギリだった。
ヤマトは寂しい歳末年始を迎える羽目になった。
魅力を感じ始めた京都の夜が色褪せ、何事にも集中力、やる気が出ない。
気を紛らして暮らすのがいい、それしかないと感じた。
ヤマトは、とりあえず仕事で気を紛らわせた。
夕方になると、古歌にちな因み、恋心を慰めるツテがあるかと思い、いつも行っ
ていた先斗町や錦小路へ行って、目を凝らし耳をそばだててみた。
しかし、声も聞こえず、道行く人も似ている者はいなかった。
ヤマトは仕方なく、宵闇に向かってアヤの名を呼んで、空しく引き返した。
アヤとの別れはヤマトを何もない荒野へと連れ出した。
ヤマトは例の夢、「首を反対向きにねじ曲げられて、背中に涙を流す」夢を見
る。孤独、苦痛の爆弾は何度襲ってくるのだろう。
この荒野がヤマトを新世界へ目を開かせることになる。
第六章 東京港のケイ
翌年の冬、ヤマトは商用で東京へ出向くようになった。
東京港の大井コンテナ埠頭岸壁は総延長約二千五百メートル、水深は全域で十
五メートルあり、大型コンテナ船も入港できるターミナルである。
浮之介は時々この埠頭に立ち寄って、その折に銀座や浅草を訪れることがある。
浮之介は会社同僚の尾崎一郎とウマが合い、ときどき一緒に飲み食いをしてい
た。
あるとき、銀座の飲食店で尾崎と、その妹恵子と同席した。
尾崎はヨーロッパ回りの仕事が多く、ワインやソーセージに詳しい。
「妹が銀座で働いているよ。呼び出すので、ゆっくり遊んでいこう。妹は接待に
慣れているんだ」
尾崎が言って、呼び出された恵子は、あれこれと接待をした。
恵子は奇抜なファッションをしているキュートな女性だった。奇抜だが、おし
ゃれで、センスが良かった。
化粧は濃い目で付け睫毛が長い。
兄から聞いていたのだろう、恵子は浮之介のヤマトというあだ名をも知ってい
た。
彼女は気配りが際立っていて、ヤマトは何時の間にか彼女に新世界を感じ、何
時の間にか彼女のファンになっていた。
ヤマトは恵子をケイと呼ぶことにした。例によって浮之介がつけた愛称である。
「高校時代まで家庭は厳しく門限八時というキマリでした」
ケイは昔の思い出話をした。
「一度十一時に帰宅し、ひどく殴られました」
いくら親でも殴るのはいけないことですが、私には効き目がありました、と笑
って言っていた。
「休日遊びに行くときも、化粧をしていたら即ボコられるんです」
ボコられるとは、力任せにボコボコやられることですと、彼女は言った。(参照
:『Oh! My God!! 原宿ガール』きゃりーぴゃむぴゃむ)
宴席のケイは、話題豊富で表所豊か、可愛いい存在だった。
「親が厳しくなかったら、最悪の子供に育ってたと思います。厳しいから常識を
わきまえられた。甘かす親だったら何してたか分からない」
親や自分を見る目が複数ある、冷静な性格であった。
ヤマトはケイと親しみ楽しく付き合って関係を密にしたかった。それが好きな
ように生きていくという、年来の夢の実現だった。
さて、尾崎と妹、ヤマトの一同はトンカツ屋に入った。
トンカツを揚げている香ばしい香りが食欲をそそる。
豚肉が軟らかい。脂身の量は控えめでサラッとした食感だ。腹にもたれる感じ
はない。
タレは甘口・辛口の二種類あり、ブランドの岩塩が卓上に置いてある。
尾崎の好きなヒレカツについて、トンカツ屋の亭主が語った。
「豚ヒレブロックを幅二センチに繊維を断ち切る方向に輪切りにして、肉たたき
で叩いておくんです。通常は小麦粉→玉子の順番に付ける行程を、玉子と小麦粉
を混ぜ合せた液に漬けます。パン粉がしっかり付いて、揚げた時には剥がれにくく
なります」
「生パン粉を使うとサクッとした食感、パン粉を使うとカリッとした食感になり
ます」(web「クックパッド」参照)
話好きなトンカツ屋が地下壕の話をした。トンカツ屋のビル下に地下壕があっ
たという。
「縦に穴を掘って地下壕を横に這わせたのですが、縦穴は硬くて大変でした」
縦に掘る穴や道は危険に満ちている。
「戦時中、ここいら一帯は焼け跡が広がり、焼け野原と焼けビルの街だったので、
皆がこれはあの街なのかと目を疑ったもんです」
見渡す限り焼け野原で、質屋の石倉、銭湯のタイルの湯船などが、かろうじて
原形をとどめて焼け焦げていた。溶けて奇妙な形に固まったガラスが散乱し、水
道管が随所で破れて、水溜りができていた。
板やトタンで囲ったバラックが至る所に見え、湯船だけ焼け残った銭湯に板の
目隠しを付け入浴している青空浴場、銀行の大型金庫を仮住まいにしている家族
など、焼け跡の耐乏生活が丸見えだった。
「東京は終戦までに百回以上もの空襲を受けたんでさ。どこもかしこもめちゃく
ちゃさ」
亭主が、そう語った。
「え!百回以上も爆撃されたのですか」
「そうですよ。だから、全部焼けてしまったんですよ。その頃は空気が澄み切っ
ていて、高い建物がないので遠くの富士山がよく見えるし、夜には満天の星が現
れましたよ」
重なる空襲のため住民は疎開し、建物は壊れ、銀座はほとんど死んでいた。
ただ、しっかりした鉄筋コンクリート造りの焼けビルは空襲に耐えて、建物の
内部は燃えてしまっているが、骨組みは残っているものもあったという。
「板囲いや掘っ立て小屋のような商店街の中に、木造平屋建てながら高さ六メー
トルもある、ひさし付きウインドー付きの建物を並べて建て始めている所もあっ
たね」
敗戦宣言の翌月に早くも銀座商店連合会の手で復興計画ができ、十月末に地鎮
祭が行われ本格的に建て始めたのだという。
ある日、尾崎はヤマトをバッカスという名のバーへ誘った。妹ケイも同行した。
「ビールはドイツ、チェコなど西欧がうまいね。料理は日本が一番だろう」
一同は西欧産ビールで、今日の同行同席を乾杯した。
「ワイン選びに迷ったら赤ワインはフランスのボルドー産を選ぶといい。白なら
生産年の新しいものがフレッシュでいいかな」
尾崎のガイドで一同は数種類を試し飲みした。
「フランス産赤ワインのメルローは濃厚だが滑らかな舌触りだ。低価格のシラー
は渋味が穏やかだね」
さすがに、西欧のワインに慣れた尾崎の案内は分かりやすかった。
「豚肉を焼くだけのソテーなら合わせるワインは白、甘辛のタレで焼いてあれば
赤が合う。肉は赤という法則は半々の確率ではずれだよ」
「すき焼きは赤ワイン、焼き鳥の正肉や葱まやは白がいいね」
尾崎はおつまみの色に合わせてワインを選ぶのが正解だと教えた。(『男と女
のワイン術』伊藤博之ほか 日経プレミアシリーズ)
同席のケイは頬を赤くしていたが、ワインにもビールにも強かった。
「私は恋をしたら、その人にとことん染まるつもり。適当な付き合い方はできな
いかな」
ケイは恋について語った。
「私を必要としてくれる人と恋をして結婚したいわ」
「なるほど、なるほど」
ヤマトの相づちはそういうものだ。
ケイは横浜で毎年開かれているジャズ演奏のフスェティバルがあるので、この
秋にでも如何ですかとヤマトを誘った。
「外国からも一流のジャズマンが来るのよ」
ヤマトには港のクルーズ観光は無論、ジャズフェスティバルも初めてのことで
あった。
これらは、ケイがヤマトにくれた新世界への招待状だったのかもしれない。ヤ
マトの世界が広がった。
ジャズフェスティバルは横浜の街全体がステージとなる日本最大級の演奏イベ
ントだ。
開港記念会館、関内ホール、ランドマークホール、横浜赤レンガ倉庫、みなと
みらい大ホール、ほか市内ジャズクラブ・街角など 計約五十か所が会場だとい
う。
ヤマトはすぐに承諾した。
ジャズフェスティバルで出向いた関内ホールは超満員だった。
「尾田悟クインテット &ペギー葉山」は、ガイドによれば、音楽生活七十周年
の尾田悟が率いる日・米・蘭連合楽団だ。
尾田悟は日本を代表するテナーサックスの巨匠だとケイがヤマトに教えた。
歌手生活六十周年のペギー葉山や実力派ヴォーカル歌手の五重唱等もあって賑や
かなステージだった。
ヤマトはケイの案内で横浜ジャズの入口をのぞいた気がした。
ヤマトとケイはだんだん親しみの度合いを深めていった。
十日ほど経ってからヤマトはケイからのメールを受け取った。
“湘南へのドライブ、よろしくお願いします”
ヤマトの誘いにケイはこのように返信してきて、日時や待ち合わせ場所につい
て問い合わせてある。
ヤマトは大きな喜びを感じた。夜が明け、新たな世界が始まりそうな感じだっ
た。
仕事にもいつになく熱が入った。
人は、ある世界にさようならをしても新しい世界を見つけることができれば、
元気に生き直すことができる。
ヤマトは新たな幕開けの舞台に立ったと感じた。
ドライブの当日、レンタカーを借りて、ケイを迎えに行った。
ケイはこの日、花柄のレギンズパンツをはいており、いつものツーピース姿で
はなかったが、クッキリとした体形は相変わらずだった。
ケイの顔や姿の陰影がはっきりしており、人を見る瞳が深いのは、実は心の中
身が濃いところと一体であろうとヤマトは思った。中身の濃さが容姿に現れてい
ると思ったのだ。
中身、心の濃さとは何だろうか。それは自分の気持ち・感情がしっかりとして
いること、ものを見る目・判断力が正確で深いこと、自由で優しい気持ちがあふ
れていることであり、それらが顔や姿に現れて輝きを放つのだろうとヤマトは思
った。
二人は湘南海岸に向かう車窓の景色を楽しみながら、あれこれと話しているう
ちに、車は鎌倉の由比ヶ浜にさしかかった。
ヤマトの横に座っているケイの顔に朝日が差してきた。
運転中のヤマトにはケイの顔が見えないのだが、すぐの所で彼女の手や脚が動
くのが新鮮だった。
彼らは潮の香りが漂う浜に降りたち浜辺を散策した。
この浜は鎌倉市南部の相模湾に面した海岸で、夏には海水浴客で賑わう。しか
し桜が散ったばかりのこの季節、しかも早朝には、サーファー数人の姿が見える
程度で、静かな景色が展開している。
相模湾に日が昇って間もなくで、海は凪いで風もほとんどない。
海の紺色が何層かの横縞模様になっていて、朝日を浴びた細波が光
って静かに寄せている。
彼らは、しばらく歩いた後、近くの喫茶店に入って休憩した。
ここからは、江ノ電の走る風景、七里ガ浜方面から江ノ島、湘南の海一帯を見
ることができる。
二人は、目の前の風景やお互いの仕事のことなど、とりとめない話をした。
「向こうに見える江ノ島には仕事でたまに来ます」
「お仕事で?」
「ええ。得意先があるのです」
「私は江ノ島にはずいぶん長い間行っていないわ」
江ノ電は、路地の軌道を抜け出た瞬間眼前に海が広がり、カラフルなヨットや
ウィンドサーフィンが見渡せる場所に出る。
夏、由比ヶ浜・七里ガ浜・稲村ガ崎周辺は、マリンスポーツを楽しむ若者でに
ぎわう。 古都鎌倉とは趣を異にする一帯は湘南の名がふさわしい。
湘南は神奈川県南部の相模湾沿岸一帯の地名で、葉山・逗子・鎌倉・茅ヶ崎・
大磯・平塚などがある。温暖な気候と風景に恵まれた観光地であり、保養地・住
宅地でもある。
江ノ島にきた二人は島の裏側まで歩き、海の見えるレストランで昼食をとった。
ケイは、以前ここに来たときは島の裏側に回る道は閉ざされていたと話した。
「裏側の岩屋、洞窟が崩れて長い間閉鎖していたようです」
彼らは洞窟続きの岸辺から小型の観光船にのり、のんびりと島入口の駐車場近
くまで戻った。
ケイはヤマトのゆったりした様子に快さを覚える。
午後は逗子、葉山の海岸沿いをドライブした。
海に突き出したカフェで休憩をとった。
潮騒の聞こえるテラスから、先程までいた江ノ島が見える。
夕方、二人は道が混まないうちにと、五時前に横浜まで戻った。
ランドマークタワー近くのレンタカー店舗へ車を返した後、早めの夕食をした。
レストランの席に座ると、太陽が西の海に沈むところだった。
ビールで乾杯。窓辺に夕景が迫ってきた。
ヤマトは、夕光に映えるケイの表情をまぶ眩しく感じた。
そして、楽しい時間を過ごしてきたケイとの絆に喜びを感じた。
ケイも久しぶりに、のんびりとした開放感を覚えた日だった。
二人の初デートは、こうして終わった。
ヤマトは、崩れ去り遠くへ去った故郷や、数々の悲しい思い出が占めていた胸
の空虚さが、横浜の新しい環境と出会いとによって埋められ、新たな喜びがひた
ひたと胸を潤してきたような気がした。
湘南から戻って一か月後、
「実は、恵子の婚約がまとまってね」
尾崎がヤマトに話した。
「ほほー」
ヤマトは、突然の話に面食らった。
「前からの交際だったけれど、この春にも結婚することになったんだ」
「・・・そうかい、そうかい・・・」
ヤマトは、ケイが彼女を必要とする人と出会い、その人と結婚するのかと感じ
た。
ヤマトのトーンが落ちて、その夜はヤマトには侘しさが募るものとなった。
「好きなように生きて楽しく死ぬ」という、ヤマト年来の夢は、ケイの婚約によ
って、またもつい潰えた。
孤独と苦痛の荒野が、やがてヤマトを新世界へ目を開かせることになる。
ただ、仕事の何もない夜、彼女と過ごした思い出をたどるときがあった。
思い出とは彼女との関係を姿や映像、その体温や息づかいで感ずることなので
ある。
それは過去のものでありながら、今も生きている感覚だから、生々しかった。
第七章 小樽港のユウ
ヤマトこと横道浮之介は夕食をとろうとして、小樽港の西端にこじんまりした
レストランを見つけた。「小樽ハウス」という名で、新鮮な海産物を調理して出
す店だ。
ヤマトは、えび・かに・ムール貝・あさり等魚介が入ったパエリヤを注文し、
地ビールで喉を潤した。
ヤマトは訪問地初日には少し贅沢な食事をすることにしている。
古い石壁の残る店内は小樽の歴史を感じさせ、海に面したカウンター席が珍し
い。夕食には少し早い時間のせいか、客足まばらの店内だった。
三十代前半の女性がワインの見本を持ってきて、
「当店で新しく入れた小樽ワインですが、味見をなさいますか」
キャンペーン中だと言い、小さなグラスに白ワインを注いだ。
女性は店の従業員のようだった。爽やかな笑顔だ。
「北国特有の爽やかな酸味とフルーティーな味わいが特徴なのです。優しい味わ
いは少し塩分のある料理にも合いますわ」
ヤマトは、彼女自身から爽やかな果物か香草の香りが漂ってくるように感じた。
ヤマトは、説明する女の横顔を見ているうち、昔、門司のレトロなカフェで恋
人のシュンとワインを飲んだことを思い出していた。シュンの唇は濃いジャスミ
ンの匂いのする唇だった。
ヤマトはシュンを思い出して、胸がつぶれるような愛しさ、懐かしさを覚えた。
ヤマトは二人の女の唇が似ていると感じ、妄想にとらわれた。厚めの唇だ。
小樽ワインは適度な酸味と甘さで、独特な旨味のあるワインだった。
以後、ヤマトはこの店に来ると十勝ワインを飲むことにしている。
「冷やし過ぎると香りが立たず、味わいが閉じこもりがちになるので、大きめの
白グラスで召し上がるのがお勧めです」
女性は大きく膨らみのあるワイングラスを用意してきた。
近くから見ると、彼女の目元がロゼワインの色をしていると、ヤマトは感じた。
女の名はあずさがわ梓川裕子と言った。ヤマトはユウと名付けることにした。
「赤ワインはありますか」
ある日、ヤマトが尋ねると、
「ミディアムボディでアルコール度数十二パーセント、熟したプラムやブルーベ
リーの香りと味のする赤ワインがございます」
ユウはワインに詳しい対応だった。
ヤマトは小樽での仕事が進むにつれて、港近くのショートステイマンションを
利用することが多くなり、小樽ハウスに行く機会が増えてきた。
ユウの、厚みのある魅力に惹かれたためである。
女性はヤマトより数歳年上で現在独身と判明し、優しさの際立つ人柄がヤマト
を惹きつけた。
何度か通っているうち、ユウは北海道を出た経験がないとヤマトに話した。
そして、彼女はヤマトの経験の多さに目を見張って、彼の話に興味を持った。
門司、横浜、新潟、三陸、京都、東京、それにヨーロッパ各国を訪問してきた
ヤマトはユウには経験豊かで夢のような人物だった。
「お寿司を食べたいのですが、何処かお勧めの店がありますか」
ヤマトの質問に応対をした彼女は、ある寿司屋に予約を入れてくれた。予約も
取りにくい、評判の店だという。
「このお寿司屋さんは間違いないお店ですよ。食材が小樽産です。中には東京の
築地からネタを仕入れて数倍の値で売っている寿司屋さんもありますから、注意
しないといけませんね」
ヤマトは予約した寿司屋に行きコースで寿司を頼んだ。新しい取引が成立した
お祝いのつもりだ。
最初はヒラメからだった。北海道の寿司はヒラメから出してくる店が多い。こ
このヒラメは身が締まっていて旨味が濃い。これを塩で食す。ひらめの甘味が感
じられる。
シャリの温度も適温で酢の加減も強くなく、ヤマトには好みの味だった。
続いて「めぢか」。めじかとは北海道近海で取れる鮭で希少価値があるらしい。
あまりにも旨味が濃いので板前に聞いたら、これは生のままで、干したり、塩を
しておいたりはしておらず、これが、めぢか本来の味とのこと。
そして、「にしんの握り」。いわしに似ているが、クセがなくて旨味が濃い。
とろけるような美味しさだ。
以下、北海道らしいネタで、ぼたんえび、ほたて、ほっき、ずわいがにと出て
きた。いずれも旨味が濃く食感が良い。臭みはない。
「コース」の最後は、うに、いくら、たらこと北海道名産三連荘で、抜群の味だ
った。
前に立った板前は、若いが腕もセンスも良く、会話も悪くない。あっという間
の一時間半だった(参照: 伊勢鮨 [食べログ])。
数か月後、ヤマトはユウから地ビールの名店をも聞き出し、おまけに、そこで
ユウと会うことにした。名店の店主がユウと同郷の知人だという。
その店は小樽運河の沿道にあった。
「姉が二人、札幌に住んでいるわ。私たち家族は美唄から出て、札幌、小樽、東
京と三か所に分かれて暮らしているの」
ユウが身の上話をした。話す横顔に切れ味がある。
「美唄出身ということですか」
「そうよ。父が美唄炭鉱にいたのよ。炭鉱事務所で働いていたわ。美唄は以前、
石炭産業で栄えていたのが、炭鉱の閉鎖で仕事も人も激減したわ」
ヤマトも、自分の出身が門司であること、両親は商人だったことを話した。
その後、ヤマトはユウとデートを重ねた。
ユウの膨らんだ優しさがヤマトを潤した。
デートで歩いた平和な公園の一角に高射砲の台座が残っている。昭和二十年に
小樽市内一帯に空襲があり、高射砲の隊員にも戦死者が出たという。縦に土を掘
って台座の基礎を作り、国を思って働いた兵士たちが一番先に戦死した。
「平和になり、公園で汗を流したり遊んだりする人たちの姿が、まぶしいわね」
ユウは戦争で伯父が二人戦死したと語った。
翌年初夏、二人は、他の観光客と一緒に小樽港発の「積丹半島半日観光」バス
に乗った。ユウもまだ行ったことがないという岬を見ようということだ
った。
港では霧が晴れていたのだが、積丹半島は徐々にガスに覆われ、海岸沿いの光
景は霧の中だった。
バスは一時間半走行し、神威岬に着く。
岬は濃霧の中だった。駐車場から岬の先まで、凹凸のある道を片道二十分の徒
歩コースを歩いたが、景色は霧に隠れて見えなかった。
ところどころの足下に橙色のエゾキスゲやピンクのハマナスが咲いているだけ
で、岬の景色は無論、先を歩く人影さえ見えない。
二人は花の咲く木陰で、濃霧に包まれたままキスをした。ユウの奥深い唇はラ
ベンダーの香りがした。甘美な匂いだった。
濃い霧で体が冷え、急いで駐車場まで引き返してきた乗客たちは、番屋風の店
で「頑固親父のつみれ汁」という椀物を賞味し体を暖めた。
バスは来た道を戻って小樽港へ夕方帰着した。この日は二人にとって思い出の
深い、心温まる日となった。
さて、「好きなように生きて楽しく死ぬ」という、ヤマト年来の夢は、東京で、
ケイの婚約によってつい潰えた経緯があった。
いや、東京で、というより、その前、京都のアヤのときも、三陸のユミでも夢
は消え去り、新潟のテイムでも、横浜の美沙のときも、門司港のシュンの場合も、
夢は潰えた。
年来の夢と失意が何度も重なっていたのだが、今度こそ、念願を果たしたいと
ヤマトは思った。
その翌年、ヤマトは札幌にいるユウの姉たちに会った。一人は市内の主婦であ
り、一人は郊外勤めのオフィスレディーだった。
二人ともヤマトに「妹をよろしくね」と言った。だんだんと親密度を増してい
く二人だった。
ヤマトは休暇を利用して、ユウこと梓川早苗と、その友人大原京子の三人で、
函館から釧路、知床半島を巡って小樽に戻る、五日間のクルーズ旅行をした。
六月中旬、三人は小樽港ターミナルで落ち合い、「サンプリンセス号」に乗船
した。
船内新聞によれば、この船は二〇一三年から日本発着クルーズを行っている客
船で、乗客定員二千二十二人、乗組員数九百人、全長二百六十一メートル 、全幅
三十二メートル、総トン数七万七千トンの船であった。
船籍はイギリスの海外領土バミューダであり船長はイギリス人とのこと。
彼らは自分のキャビンに行った。八階の七二五号室と七二六号室で、海側の窓
付きの部屋だった。
貴重品入れや浴室等を確かめたり身の回り品を整理したりした。
しばらくして三人は出港風景を見るため船の最上階に上った。
小樽港はクルーズ客船寄港回数の増加と、客船の大型化に対応するため、大型
船の接岸が可能な岸壁を整備中だった。 翌朝、ヤマトはジョギングのため七階
のプロムナードデッキへ立った。船の外側を一周するコースが用意されている。
朝のジョギングはヤマトの習慣だ。
ユウも着替えてデッキへ出てきた。彼女は相変わらず、凹凸のある美しい容姿
だ。友人はまだ寝ているようだ。
二人は日の出に立ち会う機会を得て笑顔で歩いた。海風が少々強いが爽やかな
天候だった。海は凪いでいて青空が見えている。
「夕べはよく眠れましたか」
「ええ。ぐっすり眠ったわ」
三十分ほど歩いた後、二人は部屋へ戻ってシャワーを浴びた。
朝食は十一階のビュッフェへ行った。窓外は眺望が大きく広く展開している。
午前中、ヤマトはインターネットルームへ行き、会社と取引先へ連絡を取った。
三人は午後、大原の提案でワインテイスティングの会に参加した。二十五ドル
の料金で、ワインの色や香り、味を鑑賞する。
その方法を学び、銘柄、産地、価格などを学習する。ワインの基礎を学んだ三
人は六種類のワインを飲んで顔が少々赤くなって部屋へ帰ってきた。
六月十六日、船は釧路港に着いた。
ツアーの一行はバスで釧路湿原の展望台へ行く。
「バスガイドが声もいいし、良い対応でいいね」
ヤマトの感想だ。
湿原の駅で貸し切りの臨時列車へ乗車して湿原を渡るという行程もあった。
一行は車では行くことのできない湿原の中を列車で走って、パノラマのように
広がる風景を楽しむ。
列車が大きな川にさしかかると、ユウと大原が歓声を上げた。
着いた駅から、またバスで移動し、温根内木道を現地ガイドの案内で約一時間
四十分かけて一周する。
「歩きやすい道ね」
ユウは健脚で元気だった。脚の肉付きが締まってパツパツに張っていて美しい。
服装もハイキング用の防寒服を用意していて、さすがは気配りのいいユウと思
わせた。
ヨシ・スゲ湿原やミズゴケ湿原、ハンノキ林などさまざまな表情を持つ湿原に、
ミツガシワ、ワタスゲ、ヒメシャクナゲ、トキソウなど多くの花々が咲いていて、
ガイドが特徴を案内した。
ユウは湿原の花々を調べていて、幾つか知っていた。
翌日は、バスで釧路港から阿寒湖へ向かうコースをたどった。
阿寒湖周辺を散策し、温泉へ入り、昼食をとって帰路にアイヌ村を観光すると
いうコースだった。
ユウも大原も料理やワイン、お酒に造詣が深く、職業柄のプロぶりをうかがせ
た。特に、大原は北海道のワインやお酒に、ユウは地元産料理に詳しかった。
翌十七日。船は知床半島を回遊してから、小樽方面に戻るという行程で釧路港
を出た。
知床半島クルーズは根室海峡からオホーツク海へ、知床岬をゆったりと回るコ
ースだ。
人が立ち入れない絶壁や奇岩、滝を海側から観察できる。
半島は先端に知床岬が位置する。半島中央部は知床火山層からなり、北から順
に知床岳、 知床硫黄山、羅臼岳等と連なっている。乗客はデッキから船内放送で
案内を受けた。
半島東側の羅臼町側には羅臼湖があるが、今回は見られない。
半島西側の斜里町側のカムイワッカの滝は鮮やかに視野に入った。
火山地帯となっていることから羅臼温泉など自噴する温泉も多くある。
特に、滝自体が天然の温泉になっているカムイワッカの滝は、野趣あふれる秘
湯として有名であるという。
晴れた空の下、雄大な半島の姿がクッキリと浮かんでいる。
洋上は海風があり、陸上より気温が低くなっている。特にデッキでは風にさら
されるので、長袖、ウィンドブレイカーがあるといいのだが、ユウはここでもき
ちんと対応していて、ウィンドブレイカーはヤマトの分も持参していた。
「男性用の大きなサイズが用意できなかったので、ごめんなさいね」
ユウの気配りがうかがわれた。
六月十九日、六日目は最終寄港地函館だ。この日は晴天に恵まれた。
港近くの朝市は数十の店が生鮮品、干物、珍味加工品、青果物、衣料品や生け
花、土産等を売っていて観光客でごった返している。
ユウたちは食品をあれこれ試食したり、お土産を買って宅配便で送る手配をし
たりしている。
ツアー客一行は函館山のふもとに何本ものびる坂道を歩き、海を望む街並みを
散策した。
開港とともに栄えた函館の西部地区建物には特徴がある。一階が和風、二階が
洋風に設計された木造二階建ての店舗や住宅で、「上下和洋折衷」様式と言われ
る。
伝統的な和風建築や、旧函館区公会堂、ハリストス正教会などの洋風建築とも
溶けこみ、特色ある街並みを形成している。
一行は湯の川温泉で入浴と昼食を済ませ、午後は五稜郭公園へ行った。
温泉でのエピソードがある。入口は男女に分かれているが、中には混浴スペー
スもあり、境目の覆いがない所があった。
ヤマトが何の気なしに見ていると、ユウらしい人影が入口から入って境のない
男女共用スペースに歩を進めた。
立ち込める湯煙の中、ユウの身体が一瞬浮かび上がった。メリハリのある豊か
な身体だった。
ヤマトは、誰かユウの裸身を見ていないかと、辺りをキョロキョロ見回した。
ヤマトは大原京子がユウについて語ったことを思い出した。
「ユウはビューティフルなんです。アメリカでは女性はパワフル、ストロング、
セクシー、この三つが合わさってビューティフルになるんです。ユウはこれにあ
たるわね」
「英語のキュートはかわいいですが、人によっては見下されているように感じま
す。でも、日本語のかわいいには英語のキュートにとどまらない、いろんな意味
が含まれているんですね」(毎日新聞 シャーロト・ケイト・フォックス
2015.2.16)
ヤマトは、ユウをビューティフルだという大原の言葉に同感し、魅力の籠って
いる女性だと思った。
一行は温泉を出て五稜郭に向かった。
五稜郭は砲撃による被害を最小限にするためにこのように特殊な形をしている
という。 ここは徳川幕府の箱館奉行所跡で、明治維新の最後の戦いである箱館
戦争の舞台としても有名だ。
ヤマトらは、夕方の自由時間に、ツアーの一行から離れ三人だけで街を散策し、
カフェに立ち寄った。その折、住民と話す機会があり現地の話が新鮮だった。
「こういう機会って珍しいわね」
ユウがそう話した。
ヤマトはユウと、プロムナードデッキから太平洋の大海原に消えていく大きな
夕日を眺める機会があった。大原はお土産を買うためショッピングに行っていた。
太陽は燃えながら沈み、手前は星のまたた瞬く藍色になりかけている。空は緋色紺色のグラデーションだ。
他の乗客は遠くに一人が歩いているだけだった。
「船には、こういうすてきな所、すてきな時間があるのね」
「そうですね。僕もこういう経験は初めてですよ」
薄暗くなって二人は改めて瞳を見合わせた。
ヤマトには、これは究極、ラストの恋ではないのかという感覚が湧いていた。
日が沈み切った後、二人は近くのカフェに入った。
カフェの店員が花束を座席に持ってきて、ユウに手渡した。
ユウは目を見張った。
手書きのメッセージカードが付いていた。
〝これからも二人で仲良くやっていきましょう、よろしくね〟
ヤマトがあらかじめ用意していたカードだ。
ユウは驚き、感激した。
「こちらこそよろしくお願いします」
ユウはヤマトをじっと見つめて、そう返事をした。
二人はカフェの高い背もたれの陰で、そっと接吻した。ヤマトから熱さが、ユ
ウからラベンダーの匂いが香り立った。
クルーズ最終日の朝早く、船は小樽港へ帰港した。
三人はキャビンを出て、下船場所集合の順番を待つ間、最上階のビュッフェレ
ストランでお別れのお茶会をした。
やがて彼らは九時過ぎに船を下り、預けておいたスーツケースを受け取った。
三人はここで解散した。
ヤマトもユウも笑顔であった。
平和に楽しく生きるという念願の、ヤマトこと横道浮之介だ。彼の七転び八起
き人生はどうなることだろうか。( 終り)
白洲一歩プロフィール
一九三九年〈昭和一四年〉山梨県甲州市生れ
一九五八年〈昭和三三年〉山梨県立日川高等学校卒業
一九六五年〈昭和四〇年〉早稲田大大学院文学研究科修士課程修了
一九六五年〈昭和四〇年以後〉角川書店編集、世界文化社編集、都立高
校教諭等歴任
二〇〇〇年〈平成一二年〉以後、小説等を執筆現在に至る
筆歴
『いのち』(絵本) 二〇〇四年発行郁朋社日本図書館協会選定図書
『勝沼ぶどう郷の少女』(小説)二〇一三年発行(株)ブクログ他多数
フェイスブックhttps://www.facebook.com/ippoo.shirasu
本作品は「ブクログのパブー」でも発表しています。
転勤するごとに、悲しみから立ち上がって、新たに生きようという横道浮之介の人生、どうなることだろうか。