森での暮らしを始める
真っ暗な中ゆっくり目を覚ます。楽しげで興奮した思いがすっと消えていく。
「ああ、夢だったのか」
記憶を手繰り寄せようとするが、思い出せそうで、それでいて直ぐに形が消えていく。もう一度寝よう。目をつぶり夢の世界に意識を向ける。しばらくじっとしていたが、一向に眠れなかった。
仕方なく起きることにする。ベッドから身を起こし、明かりをつけようと手を伸ばす。床にコロリと何か転がった。いつもの所に電気の紐が見当たらない。改めて周囲を見回し、思い出した。
「夢じゃなかったのか」
そうつぶやき覚醒していく。外を見ると空が白み始めていた。
下に落ちていた指輪に微妙な違和感を感じたがそれを無視するように無造作に拾い上げポケットにしまう。寝床から外に出て新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込むと、崖の方に何気なく足を進める。
赤い光の筋が木々の間から零れだす。崖上にでてみると、足元に雲が広がり森を覆い隠していた。雲海の中に聳える山々の間から太陽が僅かに顔をだしいる。朝焼けに染まった真っ赤な世界が、目の前に広がった。
「ああ、きれいだ」
しばらく余韻に浸ったあと、寝床に戻って槍を握りしめ水筒を肩にかけた。崖に引き返し、下へ降りるルートを探索する。
昨日、目星をつけていた場所に移動した。近づいてみると、足場は下の方に向かって徐々に狭くなっていき、所々切り立った場所もある。ロープもなく、ここから降りるのは難しそうだった。崖沿いを南に移動し数か所確認してみたが、どこも安全に降りるのは厳しそうなルートだ。滝の北側に見えた階段状になった場所を思い出す。
崖沿いを北に戻って滝にでる。この辺りの川幅は相当広くなっていて30メートルほどある。それに、水が吸い込まれるように下に落ちているので流れも速い。
渡れそうな場所を探しながら、上流に進んでいく。一時間以上、歩いただろうか。ようやく渡れそうな場所を見つけた。膝上まで水に浸かり、流されないよう踏ん張りながら何とか川を渡りきった。
今度は川沿いを下流に向かって歩き出す。南側より動物が多いようだ。索敵範囲の端々にリスの様な小動物がひっかかる。久しぶりに鹿の姿も観えた。親子で歩いているようだった。
南側と随分ちがうなあと、驚きながら進んでいく。また1時間以上歩いたあと、今度は崖に沿って北に進んで行く。しばらくして、ようやく目当ての場所に到着した。
様子を見る。足場はしっかりしているようだった。だいたい5メートル感覚に足場になりそうな平らな場所が、階段状に下まで続いている。
お誂え向きだ。試しに降りてみる事にした。慎重に足元を決め、ゆっくりと降りていく。
およそ5メートルのロッククライミングだ。槍を持つ手がプルプルと震える場所もあったが、なんとか一段下に降りることができた。少し休憩してから、二段目まで降りて行った所で、下調べを終えることにした。
上に戻ってから考える。結構な時間がかかった。これでは、1日で下まで降りるのは無理だろう。準備の為に戻ろうと崖沿いを南の方向に歩きだす。もう、そろそろ川に着くという頃、不意に顔に水があたった。手のひらを上に向け周囲を見る。木の葉にあたる、ポツポツという雨の音が聞こえだした。
川に着いて上流方向に目を向ける。川の上空、真っすぐに見通した先にある西の空は真っ黒な雲に覆われ、雷が光っている。分厚い雲は徐々に、こちらにも勢力を伸ばしてきているようだ。
駆け足で上流方向に進んでいくが、次第に雨の勢いは増していく。川は水嵩を増し気付けば茶色い濁流と化していた。もう、川を渡ることは出来そうに無い。ずぶ濡れになりながら、昨日の寝床に戻るのを諦める。
それどころかこのままだと、川沿いは危なくなるかもしれない。川から少し離れた場所に、新しい寝床を見つけた方がいい。少し森の中に入って探し出す。所々開けた場所があるのを横目に、崖の方に進む。
雨に濡れた体の気持ち悪さに、行ったり来たりしているという遣る瀬無さが加わる。ひどく惨めな気持ちを抱きながら進むと、前方にひと際大きな木がそそり立っているのが見えた。
近づくと直径5メートルはありそうな巨大な木だ。裏に回り込むと、地面から50センチぐらいの高さにしゃがめば入れそうな洞が口を開けているのを見つけた。覗き込むと少し明るい、入ってみる。
中は思のほか広く、三畳ほどの空間が広がっていた。天井は高く、木の上の方にも穴が空いていて明り取りの代わりをしている。昨日以上の寝床にテンションが上がる。
「トムとハックの冒険……いや、エルフの家か!?」
ここを新たな拠点に決め荷物をおろし、雨の中、燃えそうな枝や草を探して洞の中に運び込む。ある程度の量を溜めてから、槍を握り川に向かった。
水は濁り中の様子を見る事は出来ないが、居る場所は解るのだ。水の中の大きな岩の裏で必死に流れに耐えている獲物に狙いをつける。力まず、すっと槍を突き出す。その瞬間、流れに煽られたのか魚が少し動いた。急所に刺さらず、槍先で魚があばれる。逃がすまいと踏ん張ると、足元が崩れた。
「やばいっ!!」
何とか耐えることは出来たが、バランスを崩し川に落ちそうになった……。暴れる魚を慎重に取り込み、川の下流を眺める。その先の滝の高さに身震いしながら、拠点に戻る。
真っ暗になる前に洞の中央に少し土を敷き、その上に何時ものように手ごろな石を置いた。湿った草や枝はなかなか火が付かなかったが、やがて白い煙を濛々(もうもう)と吐き出し、しばらくするとパッと火が燃え上がり安定した。
ちろちろと燃える赤い火をのんびりと見つめる。濡れた体を温めながら、少しずつ新しい枝を入れていく。外で捌いた魚を焼きながら少し乾燥してきた枝で、入口を塞ぐ。そこに濡れた服を掛け、久々に裸になって寛いだ。
焼けた魚を食べながら、自分の体を改めて見てみる。食事もろくに取れずに、この世界に来てから一週間以上が経っている。ぽっこりと出ていた腹は随分と引き締まっていて、気持ち良いと言われたことのある二の腕のたるみも消えていた。
全体的に細くなった中に筋肉がうかがえる。この体ならもっとモテただろうかと、どうでも言い事を考えていたら時間が流れていった。もう、外は真っ暗になっている。枕元に水筒や槍を並べてから、火を消した。温かくなった木の洞に包まれながら眠りについた。
翌朝、気分よく夢から覚める。また、楽し気な夢を見たようだ。素早く服を着込み外の様子を探ると、もう雨は上がっていたようだが、地面はぬかるみ歩き難くなっているようだった。
槍だけ持って川まで移動する。昨日よりも一層、激しく水が流れていた。西の方をみると、まだ分厚い雲が拡がり上流では雨が降り続いているようだ。崖の下に降りるルートを見に行くが、岩壁は水に濡れていて降りれそうにない。ちらっと見て拠点に戻ることにした。
新しい拠点の中は思った以上に快適だ。寛ぎながら、今後の行動に考える。崖は一日では降りれない。食料の準備もしておいた方がいいだろう。しかし今は川が水嵩を増し流れが激しくなっている、状態が悪い。昨日のように川岸がくずれたら危険だ。いろいろと思いを巡らして見る。
とりあえず、今日の分の薪を拾いに行こうかと思うのだが、中に籠っているうちに出る気がなくなってしまった。
急ぐ訳でなし、のんびりと周りの気配を探ってみるとリスや鹿などの動物が観える。鹿に注目すると、所々に実る小さな赤い実をつぎつぎと食べていた。魚ばかり食べてきたのだ。どんな味だろうと興味が出て、ようやく外に出る気になった。
鹿がいた場所に行き、赤い小さな実を一粒手に入れ口に入れてみる。ほのかな酸味と口いっぱいに広がるに甘みに、顔が綻ぶのが自分で分かる。つまみ食いをしながら両手で抱えるだけ集め、拠点に運んだ。気分を良くし薪や入口を塞ぐ材料、寝床に敷けそうな草、焚き火炉に使う石などを集め拠点にどんどん放り込んでいく。
何度か往復していると動かず藪に潜んでいるの鹿の親子の気配を感じ取った。興味をひかれその姿を観ながら作業する。向こうは気づいていないようだ。色んな事をしばらく考える。枕元に置いていた槍を握りしめる。
鹿の親子が潜む藪の後ろに、時間をかけて慎重に回り込む。まだ気づかれていないようだ。15メートルぐらいの距離まで近づき、槍を大きく振りかぶる。子鹿の位置を確認し、全力で槍を投げた。
槍は藪を突き抜けて、子鹿の首元に突き刺さった。親鹿は驚いたように跳ね上がり、あっという間に森の中に消えて行く。子鹿はビクンビクンと大きく痙攣した後、すぐに動かくなった。
川縁まで持って行き、槍で小さな鹿の首をなんとか切り落とし、血抜きをしてみる。が、その後は槍で上手く捌けない。途中で内臓を切り裂いてしまい、殆どの肉を駄目にしてしまった。結局は後ろ脚だけを力任せにもぎ取って、残りは川の中に投げ入れた。
後ろ脚を2本抱えて拠点に戻る頃には、この日も終わろうとしていた。