再び二人で宿屋へ
深淵の第九都市は、もうひと月もすれば一年で最も夜が長くなる日を迎える。
そんなある日の夕方、すでに長く伸びはじめた家々の影で暗くなった大通りを、アールとチョコ・ティが並び北にある冒険者ギルドに向かって歩いている。
その日の午後一番の狩りで起きたアクシデント、チョコ・ティの警戒中にオークの集団の接近を許しジェイクがケガを負った事件。
アールはそれを良い機会と捉え、予てより試したいと考えていたボーションを実地で使用しその性能を確かめ、少し入れ込み過ぎのきらいがあったジェイクに、己の口から直接状況を伝えることにより、焦る必要はない事を理解させた。
あとは、今まで一人で頑張ってきたチョコ・ティの気持ちを汲み取り、簡単なフォローしつつも、改めて気を引き締め直すよう促すつもりだったのだが……。
フェイ・ユンの店で一瞬垣間見せたあの表情とその後の気まずい雰囲気を考えると、今回のチョコ・ティのミスは単なるケアレスミスなんかでは無く、根っこの部分はもっと深い所にあるかもしれないと、考えを改めていた。
そこでアールは、ジェイクとノーグが居ては話し辛いこともあるかも知れないと考え、二人を武器屋に残しチョコ・ティと二人きりになる。
状況としては、防具屋、武器屋と二つの店を巡り、事務的な会話を続けたことですでにチョコ・ティの表情からはフェイ・ユンの店で見せたような気まずい雰囲気はなくなっていた。
だからこの時点でミスをおかした原因を探っても良かったのだろう。だが、その前にまずは本日分の依頼達成報告と明日の依頼を受けるために冒険者ギルドに向かう事にしたようだ。
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「あら、アールさん。今日は早いのね」
私が冒険者ギルドの中に入ると、ギルドの受付嬢ジャッジアの声が聞こえてきた。
既に陽は傾いてきているとは言え、多くの冒険者が戻ってくる時間帯までには今しばらくの猶予があるようだ。
以前にチョコ・ティが「この時期は陽が短くなる分、稼ぎも少なくなってしまうん」なんて事を教えたくれたが、当たり前の話で、暗くなると危険度は跳ね上がる。
それでもだ、ギリギリまで粘って少しでも稼ぎを多くしたい、なんて考えてる奴らの方が多いのだろう、いつもは列ができているジャッジアのカウンターの前には、珍しく誰も並んでいなかった。
「ええ、今日はちょっと早めに切り上げたんですよ」
そう答えながら依頼が張られた掲示板の方に向かい、まずはいつものようにゴブリンの討伐依頼を手に取る。
次に、ゴブリンの常注依頼と同じく期限と討伐頭数に余裕のあるオークの常注討伐依頼を剥がしてカウンターに向かった。
「何か問題でもあったの?」
するとカウンターに近づく私に、ジャッジアがさらに言葉を投げかけてきた。
「いや、ちょっとジェイクがケガをしたので念の為、ですね……あっ、チョコ。討伐証明をお願い」
裏手でゴブリンの魔石を納品してきたチョコ・ティがちょうどギルドに入ってきたので、ギルドカード を取り出して討伐証明書といっしょに提出する。
「はい、確かに受け取りました。完了手続きをするわね。…で、アールんさん、次の依頼はどうするの。さっき別の依頼書も手に取っていたみたいだけど?」
「次からは、オークの討伐依頼も一緒に受けようと思ってます」
ゴブリンとオーク、二つの常注依頼をジャッジアに手渡す。
「アールさん、オークの討伐にも乗り出して貰えるのね。これも私がアールさんにパーティーメンバーを紹介したおかげかしらね」
ジャッジアはフフフと笑みを浮かべながら、依頼完了手続きと受注手続きを進めてながら言葉を繋ぐ。
「でもこうなると、ゴブリンの討伐ペースはすこし鈍っちゃうかもしれないわね。最近ゴブリンが少なくなったからって、ちょっと奥の方まで行っていた角ウサギが目的の冒険者には注意が必要かしらね」
ゴブリンの討伐ペースを変えるつもりは無いので、特に問題はないと思うが、それでも今日のジェイクのように油断してケガをする可能性もあるか。
何とも言えない曖昧な笑みだけを浮かべて、手続きが終わるのを待つ。
「アールさん、お待たせ。ギルドカードの方にはゴブリンの討伐依頼の完了と、あらたに二つの討伐依頼の受注を入れておいたわ。一応、確認しておいてね。それと、これが報酬ね」
ジャッジアからギルドカードと報酬を受け取り確認する。
「アールさんの事だから大丈夫だとは思うけど、絶対に無理はしないでね」
「無理をするつもりは無いんで大丈夫ですよ」
私がそう答えるとジャッジアは次に横に並ぶチョコ・ティに視線を向けた。
「チョコ・ティちゃんは大丈夫? 何度か見たことはあると思うけど、オークとゴブリンとは何もかも別物だから。力も断然に強いし、身に着けている装備なんかも違うわ」
「うん…けどジャッジアさん、うちらも問題ないと思うの」
「そうなの? でも今日はジェイクがケガをしたんでしょ。アールさんが強いからって自分たちの力を見誤っちゃだめよ。
決して一人で無理はしない。アールさんの指示には必ず従う。いつも以上に周りに注意を払って……」
ジャッジアもチョコたちが心配なんだろう、ひとつひとつ言い含めるように助言を口にする。だが、その内容はいまのチョコ・ティにはちょっと不味い。
せっかく気まずい雰囲気も無くなり、ようやく何が問題なのかをスムーズに聞き出せそうな状態になってたのに、頷くようにして聞いていたチョコ・ティが顔を伏せる。
「あっ! ジャッジア。チョコたちの事もそんなに心配する必要はないよ。もともとオークは一人の時にも狩ってたからまったく問題ないし、最近はチョコたちも強くなってて、一匹ぐらいなら余裕をもってさばけてるしね。本当にめちゃくちゃ助かってる」
そう言いながら、感謝の想いを込めてチョコ・ティの頭に手をやる。
「えっ、そうなの!? チョコ・ティちゃん、本当? 大丈夫?」
チョコが私に話してもいいのか確認するような視線を向けてきたので、肯いて返事を促す。
「あれ。うちは弓やから無理やけど、ノーグ君とかジェイクはアールさんがオークを何頭か仕留めるぐらいの間なら他のオークが近づかんように抑え込めるようになってるし、うちもアールさんが戦い易いように援護射撃ぐらいはできてると思うん」
「そうなのね……でも、ジェイク君がケガをしたって言うし、やっぱり注意してね」
「うん……ジャッジアさん。そうよね。集中せんとあかんよね」
ジャッジアの言葉にまた落ち込んでしまうかとも思ったが、とりあえず今は大丈夫そうだ。
だが一応フォローはしておこう。
「ジェイクのケガは、最初のオークの群れと戦ってる所に別のオークの群れが乱入してきたんで、間が悪かった。
それでまあ、思わぬ混戦になって……ケガ自体は運よく大した事無くて、すぐにポーションを使ってもう治ってるか問題は無いんですけどね。
パーティーを組んでから、討伐頭数も大幅に増えて、自分自身もちょっと調子に乗って無茶をしてたのかもしれないですし…それで、今日は早上がりって感じです」
今日の状況を端的にジャッジアに説明する。
「えっ、それってオークの群れ二つと同時に戦って、ジェイク君の軽いケガだけで済んでるって事?」
「そうなりますね。ジャッジアには良いメンバーを紹介してもらったんで、本当、改めてお礼をしないと。あっ、でも安心してください。これからはこんな無茶はそうそう無い様にしますんで」
「その辺りは私もアールさんを信用してますし、ジェイク君、ノーグ君の懐き方を見てても、心配はしてないんですが……」
「信頼して頂いて、ありがとうございます。これからも、その信頼に背かないようにがんばりますんで」
そう答えてジャッジアとの会話を打ち切る。あとは食事でもしながらチョコ・ティと話をしなければならない。
「と言うかチョコ・ティちゃんの懐き方は違う意味で……それより、アールさんはやっぱり凄い……オークを一人の時から狩って…さすがにそこまでとは……ああ、それで最初から二割だったのね……オークの依頼…一緒に回収依頼は…あっ、こっちも店に直接持ち込んで……」
ジャッジアが何か呟きながら考え事をしているようだったが、とりあえず気にせずお暇の挨拶をする。
「では、ジャッジア。またお願いしますね」
「あっ、ああ。アールさん、またよろしくお願いします」
南北の大通りから右に曲がり、西に伸びる街道に入ってすぐの場所にある酒場の扉を開ける。店内を見渡すと、まだ日は暮れてないが既に数組のお客がいて酒を飲んでいた。
そしてその間を忙しそうに宿屋の女将であるケイトが動き回っている。
「アールさん、お帰り。今日は早いのね」
ジョッキを両手に持ったケイトが私に気付き声を掛けてくれる。
「今日はちょっと早めに切り上げたんですよ。それでパーティーメンバーのこの娘と、ご飯でも食べながら打ち合わせをしようかと」
と、チョコ・ティを紹介する。
「あら、そうだったの。でも、ごめんなさいね。今日はお昼の分は売り切れちゃって、お酒なら出せるんだけど……夜の分の準備はまだなのよ」
そう言って向けられたケイトの視線の方を覗くと、厨房の奥で宿屋の主人が額に汗を浮かべながら、大きな鉄なべを振るっている。
うーん、まだ時間かかりそうだ。いつもなら先にお風呂に入って時間をつぶすんだが今日はチョコがいるからな。
これなら外で風呂に入ってから帰ってきたらよかったか。でも、公衆浴場は施設自体が男女別々だからそのあと話をするには適してないし、出会った日に入ったあっち系の宿屋は我慢するのが大変だし……。
そんな私の表情を読み取ったのか女将が
「あれならアールさん、いつものように先にお風呂を済ませてもらえます?
普段は泊まり客にしかお風呂は貸さないんだけだけど、アールさん、今日は彼女と一緒に食事を取ってくれるんでしょ。それなら彼女も一緒に入ってもらって構わないから…」
せっかく”我慢するのが大変”というワードに封じ込めた風呂上がりのチョコ・ティの肌の感触を、ケイトの言葉が連想させる。
「えっ⁉ 一緒に入るって……いや、まだそう言う仲じゃないんで」
そんな私の言葉に横にいるチョコ・ティも顔を真っ赤にする。
「……別に二人で一緒にお風呂に入る必要はないんですけどね。まあ、満更でもなさそうですし、それならそれで構わないんですけどね」
からかうようなそんなケイトの言葉に失敗を悟り、咳払いをしてチョコに声を掛ける。
「あっ、うん…あれ。宿の女将さんも、ああ言ってくれてるしチョコもお風呂を借りる? 一応タオルは用意できるし」
私が気を取り直してそう言うと、チョコも自分の汚れた装備を確認しながら先ほどの事は気にしてない素振り言葉を返してくれた。
「うん、アールさん。せっかくやし、お風呂いただかるなら、いただくね」
チョコの腰に軽く手を廻し、お風呂場の場所を教えようとにエスコートしながら振り返ると、おどけたような表情を浮かべたケイトが追撃してきた。
「お風呂代はサービスしておきますけど、泊める場合はちゃんと追加料金は頂きますからね」
なんて事を言っていたので、こちらもおどけたよう表情で睨み付けておく。
女将にも困ったものだと思いながらも、もしかしたら微妙な空気を感じ取って、わざとあんな感じで接してくれたのかもしれないとも思う。
まあ、何にしても興奮した感情が鎮まっていく、やれやれだ。
だが、横を歩くチョコ・ティがぼそっと呟く。
「けど、あれやね。うち、アールさんに『お風呂に入る?』なんて言われたら、あの時のことをちょっと思い出したんよ」
せっかくケイトを睨み付け興奮した感情を鎮めたのに、チョコの口からそんな事を言われると、再度あの時の感情が甦ってくる。
今はエロい事を考えるよりも先に、片付けて置くべき問題があるのだが……。
それとも、さっきの場面は『二人で一緒にお風呂に入ろう』と誘った方が良かったのか?
そんな思いが頭をもたげてくる。
「うちな、もしあの日アールさんに会わなかったらって考えるねん。もしかしたら、うちもジェイクも無理して死んでたかも知れない。
うちな、アールさんにはな、スッゴいスッゴい感謝してるねん……そやのにうちな……」
チョコは小声でそう言うと、腰に回した私の腕をぎゅっと抱きしめたのだった。




