気付けなかった事
異世界の街に来て10日目の朝は肌寒くブルッと震えて目を覚ました。
昨日の夜、もう数週間もすると雪が降り出すと宿屋の主が教えてくれたのだが、その通りになりそうな朝の寒さだ。
朝焼けの空の下、窓を開けると冷え込んだ空気が流れ込んでくる。毛布にもう一度包まりたいという誘惑を断ち切り、出かける準備を整えて朝食を食べるために下に降りる。
すでに用意されていた朝食を食べるが、寒いからか黒パンがモシャモシャして食べ難い。何とかスープで流し込んだが「明日からは柔らかい白パンに変えてもらおうか」そんな事を考えていたら主のマイルズがカウンターから顔をだした。
「アール、今日はどうするんだ?」
いつもとまったく同じ台詞だ。だが私の返答は前とは違う。
「早めに切り上げて、店を回ろうと思ってます。そろそろ防具でも買おうかと」
「そうか。なら、晩飯はちょっと早めの方がいいのか?」
「いや、もしかしたら時間が掛かるかも知れないんで、いつも通りでいいですよ。あと追加のおかずは、お勧めの温かい物でお願いします」
「解った。旨いもんを用意しておくからちゃんと帰って来いよ」
「行ってきます、マイルズさん」
そんなやり取りをすると宿屋の主は片手をあげながら、カウンターの奥の厨房に消えて行った。
宿泊代金を十日分まとめて前払いしたからか、それとも未納だった保証金を払ったからか。それとも晩飯のおかずを1品追加するようになったからか、はたまた名前で呼ぶようになったからか、どれが原因かは分からないがマイルズとは、軽く会話を楽しむような間柄になっていた。
まあ、信用してもらったって事だろう。
本格的に討伐依頼を受けるようになって、もう四日が過ぎている。その間は基本的にはゴブリン狙いで条件が揃えばオークも狩る。そんな感じで過ごして来たが薬草採取とは単価が違うし、ひとりで狩るにしては数も多いのだろう、低ランクの討伐依頼を熟していただけだが金にも余裕ができてきた。
そこで払えるものはすべて払ってしまおうと、宿泊代金なんかもまとめて払ったのだがそれでも手元には、まだ金貨1枚と銀貨1枚、銅貨3枚が残っている。
少し前に顔馴染みになった服屋で買った、革の外套が結構良いもので重宝していたが、そろそろ後回しになっていた防具でも買おうかと思っているところだ。マイルズに言ったように今日の狩りが終わったら、気になっている店? 場所? に立ち寄ったあと、防具を売ってる店にも寄るつもりだ。
食器を下げに来た宿の女将のケイトに「明日の朝は白パンでお願い」と頼んで冒険者ギルドに向かう。
冒険者ギルドの朝はいつものように喧騒に包まれていた。
私は迷うことなく窓口に向かい、受付嬢のジャッジアにギルドカードを渡しながら受ける依頼を伝える。
「ジャッジアさんおはよう。今日もゴブリンの常注討伐依頼をお願いします」
「アールさんいらっしゃい、今日も早いのね。そろそろ慣れてきたかしら? というか毎日あれほど討伐してくるアールさんに慣れた? なんて聞いたら失礼ね」
冒険者ギルドの受付嬢はいつものように、にっこりと微笑みを浮かべながら挨拶を返してくれる。分かってはいるが、あれだ心が浮きたつ。宿屋の主のマイルズとの会話もいいが、やはり女性との会話の方が良いものだ。
そんな事を考えながら私が頬を緩めている間も、ジャッジアは素早く処理を進めながら言葉をつづける。
「アールさん、そろそろほかの討伐依頼はどうかしら? アールさんの実力なら問題は無さそうだと思うんだけど……」
「このペースは崩したくないかな。命あっての物種。難しい依頼を無理して受けてまで高額の獲物を狙う必要性は感じないんですよ。あれ、本当に助かってますんで」
そう言って、軽く目礼して感謝の気持ちを伝える。ギルドがこっそりと素材を買い取ってくれる店を教えてくれたからこそ今の状態なのだ。薬草採取にはもう戻れない。
「役に立ってる? 良かったわ。でもそうよね。無理は駄目よね。それで、前に話していたパーティーメンバーの件なんだけど、そろそろ紹介できそうなのよ。今日の夕方にでも、と思ってるんだけどアールさんどう、時間空いてる?」
「…………」
今日の夕方は防具を買いに行くのもそうなのだが、その他にも行ってみたい所があるのだ。フェイ・ユンの店でよく見かける冒険者たちが話していたのだが、南西の貧民街には街娼がいるらしいのだ。所謂たちんぼと言うやつか、娼館に所属するのではなくフリーに客を取る娼婦の事だ。その街娼が貧民街の裏通りに立って客を待っているそうなので、それを見に行ってみるつもりなのだ。個人が相手なので値段交渉も出来るかもしれないし、なにより敷居が低そうな感じがする。
「別に無理にって訳じゃないんだけど……こういうのってタイミングも重要なのよね。アールさんには一度、パーティーを組んで貰いたいから都合のいい日を教えて欲しいの」
私はどうやら押し黙ったまま難しい顔をしていたようで、それを見たジャッジアが気を利かせて、さらに切り出して来た。
いや、ここ数日は討伐依頼を熟していたのだが、切実に仲間がいればと思っているのだ。紹介してもらえるのは、むしろありがたい。ただ夕方の気分が裏通りに向かっているのも事実で…………。
「紹介して頂けるなら、喜んで会いたいんですが今日の夕方は予定があって……この街にきて働き詰めだったし、そろそろ休憩しようかとも思ってた所です。ちょうどいい機会だし、思い切って今日の午後からとかでも可能ですかね」
「さすがに直ぐに返事はできないわ。もうすぐ彼らが予定を確認しに来ると思うから、その時に聞いてみるけど……あまり期待はできないわね」
「あっ、それで構いません。お昼には一度、戻ってきますのでその時にどうなったか教えてください。もし無理なら今度は都合を合わせますので」
「わかったわ。じゃあ、どちらにしてもお昼にもう一度ね」
そう言ってジャッジアはにっこりと微笑んでくれた。
「お手数をお掛けします」
私は再度、目礼をしながら差し出されたギルドカードを受け取った。
西の城門を出て北の森の狩り場に向かいながら、このあとの予定を考える。いったん午後は休みにすると言ってしまったので、午後からのやる気が削がれてしまった。こんな状態からモチベーションを上げ直してもミスをする原因になりかねない。それならば、今日はどちらにしても午後は休みにしようと決めて気合を入れ直す。
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狩り場に着くと、獣道の傍で身を伏せ魔物が通るのをひたすら待つ。この辺りは魔物が多いとはいえ、運が悪いとアンブッシュした状態で数時間待ち続けることになる。それでも下手に動き回るより安全だし、何より他の場所で無作為に目当ての編成を探すよりかは断然に遭遇率が高い。
目当ての編成というのは単価が高いオークを含んだ集団で、オークの数がそう多くない集団だ。今日はオークの数が3匹までならば攻撃してみようと思っている。さすがに4匹以上いるとなるとワンミスで窮地に陥る可能性があるのでパスだ。
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薮に潜んで30分もしないうちにゴブリンの姿が視界に入ってきた。今日は運が良い。このあたりで1匹だけで歩くゴブリンなんて、ほとんどが先行して偵察している奴だ。このゴブリンに手をだすと後に続くオーク率いるゴブリン混成部隊に囲まれ、命からがら逃げる羽目になる。
身動ぎせずに遣り過ごす。
予想通り先行している奴が見えなくなってから数十秒後に本体の気配を感じ取る事ができた。
藪を切り払いながらグギャグギャと騒がしく進む音からすると10匹ぐらいだろうか、良さそうな感じだ。あとはオークの数が問題なんだ、ベストはオーク3匹だが…………当たりだ!
前の世界で釣りをしてた時に叫んだ「HIT!!」というような感覚だろうか。それともパチンコで連荘確定の大当たりを引いた時の小さくガッツポーズをするような感覚だろうか…………いや、あんな物より数倍は大きな興奮を必死に押し殺し魔物たちの様子を窺いながら、目の前を通り過ぎて行くのを黙って見送る。
アドレナリンが分泌されているのか、視野が狭くなっている。ここで焦っちゃだめだ。音が漏れないようにゆっくりと深呼吸をする。今まで見たことは無いが、念のために後続がいないか気配を探りつつ、数十秒を掛けて気を落ち着かせる。
……良し! 後続もいないし視界もクリアーになった。準備が整うと音を立てないように注意しながら魔物たちを追っていく。
切り払われた藪の後をたどっていくとすぐに魔物たちの後姿を見つけることが出来た。一番後ろを歩くオークはたまに横に視線を向けるぐらいで油断しきっている。エアーカッターの射程まで気付かれないよう注意して近づき、詠唱する。
〈ダァヴ イェン クラァン スヵリィプ ハゥ〉
不可視の小さな刃が空気を切り裂き飛んでいき、いちばん後ろを歩いていたオークのアキレス腱を切断すると、そのオークが躓くように音を立てて転がった。少し前を歩いてたオーク2匹が物音に驚き振り返るが、不様に転がり慌てているオークの姿をみて嘲りの表情を浮かべる。
〈ダァヴ イェン クラァン スヵリィプ ハゥ〉
先制の魔法を放ち終えたあとはすぐに身を伏せ這いつくばっていたのだが、その状態のまま、今度は馬鹿面でこちらを向いて笑ってるオークの首筋を狙い2発目の風の刃を飛ばす。
左にいたオークの首筋に赤いラインが浮かび上がると、血が噴水のように吹き出した。それを見た魔物たちはようやく自分たちが襲われていることに気付いたようだ。残ったオークも自分の急所を守るように武器を構え、常に位置を変えるように動き回りながら周囲の様子を窺っている。
だが、まだこちらの位置はばれてない。身を隠したまま、もう一度魔法を唱える。今度はストーンバレットだ。ああなると、風の刃で急所を狙うのは難しいし、アイスニードルだと分厚い筋肉や骨を貫けない可能性がある。
〈ドァイ スォウ メチェン プロゥ カァ シヴァ クラァン スカリィ〉
最も得意と言っていい魔法で作られた石の礫が、オークに向けて翳された手のひらから射出されると一直線に飛んでいき、最後まで立っていたオークの頭をパァン!! と弾いた。
ここまではパターン通り完璧だ。やはり風魔法を2回連続で使えるようになったのが大きい。訓練と違って実践の緊張感の中で使い続けたおかげか、もうミスをする気はしない。
それで戦いに組み込んでみたのだが……予定通りなのだが、上手く行き過ぎのような気もする。このあとは事後処理になるが気を引き締めないと。
そうは言っても、ここ数日の経験でゴブリンはすでに脅威では無くなっている。さすがに無抵抗で殴られ続ければ危険だが、棍棒で1発や2発なら殴られても我慢できるのは判っているし、もし刃物で斬りかかられても、非力なゴブリンが持つボロボロの刃では今着ている外套を貫くことはできない。たとえ、たまたま当たり所が悪く骨折してしまったり、衣類のないところを切られて傷を負ってしまったとしても、その時の為にちょっと高めのポーションも用意している。
それにこの状況になれば、ゴブリンが突っ込んでくることはない。自分たちより力の強いオークに無理やり率いられていたゴブリンたち。そんなゴブリンたちの目の前でオークの頭が弾け飛んだのだ。足の建を切られただけのまだ元気なオークがいくら喚き叫ぼうとゴブリンたちは動かない。いや恐怖で動けないのだ。
いつものここからの戦いは、魔力を温存する為にゴブリンに対しては剣を使い、傷を負わないよう慎重に戦ってじっくり始末していくのだが、今日は午後からを休みにしたので魔法でどんどん処理していこうと思う。
氷の棘の魔法を唱える。
〈プルァ ヴゥ ムショオ ヴリィチェク クリィプ ウゥ〉
ゴブリンに向けて翳された手のひらに、鋭い氷の棘が少しずつ姿を現し詠唱の完了と共に発射される。氷の棘が1匹のゴブリンの胸に突き刺さった瞬間、他のゴブリンたちが一斉に逃げ出した。………この4発目の魔法でゴブリンの心を折ってしまったようだ。逃げるゴブリンに追撃の魔法を打ち込むが、そのあと2匹しか仕留められなかった。
最後に残され呆然としていたオークに止めをさし、魔石と素材を回収する。何気に、この時間帯が最も危険なのだ。戦闘の数倍の時間を掛けて魔石を取り出し、オークからは下顎の牙を抜き取る。ゴブリンの耳は臭いし単価も低いので最近は剥ぎ取っていなかったのだが、今日はこれからここで狩りを続けても中途半端な時間なので、これも残さず剥ぎ取る事にした。
そのあと、討伐依頼の数合わせのためにはぐれゴブリンをもう2匹だけ狩ってから、DA9に戻った。
・・・
・・
・
昼食前の微妙な時間帯だったが、素材を処分したりするとちょっと遅くなりそうだったので先に冒険者ギルドに向かう事にした。
すでに休憩してるかな? と思っていたギルドの受付嬢のジャッジアは、待っていてくれたのか建物の中に入ると直ぐに声を掛けてきた。
「アールさん、お帰りなさい」そう言いながら笑顔で手招きしてくれる。
この時間のギルドは空いているので、そのまま受付譲の前まで進んで早速と用件を切り出した。
「ただいま戻りました。それでジャッジアさんどうでした?」
「アールさんはこんな時でも、いきなり用件を切り出すのね。なんか私、自信なくしちゃうわね」
揶揄う様な笑みを浮かべながらそんな事を言ってきた。私としては昼休憩の前という時間帯でぐだぐたと時間を浪費するのは迷惑だろうと考えたのだが……。
「ジャッジアさんは、もう昼食を食べたんですか?」
「いいえ、まだよ。最近稼いでいるアールさんがご馳走してくれる?」
これって誘われているのか!? それとも社交辞令か?? ………分からん。分からんが、こんな泥と血に塗れた汚らしい格好して、さらに臭う素材を持ったまま、女性を食事に誘うのはさすがにおっさんでもNGだ。
そう、モテないおっさんだからこそ、女性を誘う時は格好をつけたいのだ。
「食事の方はまた後日に改めてお誘いしますよ。それより今日の午後の顔合わせは無理だったんですかね」
「食事のお誘い是非お願いね、美味しいもの期待してるから」
そういって笑みを浮かべたあと、ひと呼吸おいてジャッジアは話をつづけた。
「それと紹介の方はやっぱり、朝に言って昼から会うってのは無理みたい。依頼の関係もあるし、彼らもお金を稼がなくちゃらないしね。特に駆け出し冒険者はカツカツの生活をしてる子が多い上に、紹介する子はちょっとあって特にね………」
紹介するのは格下になると言われていたが、駆け出しの上に問題ありなのか……数日前にあった柄の悪いウサギ狩り専門の冒険者たちを思い出す。さすがに信頼出来る仲間までは望まないが、それでも命が掛かった狩りに出るのに信用できない者を連れて行きたくはない。
例えば前の世界で誰かが車を運転していたとして、そんな誰か分からない人を信頼なんてしていない。ただ一般常識として交通ルールは守るだろうと信用はしている訳だ。だから街中を平気で歩くことができるのだが、事故が起これば即ケガで下手をすれば死んでしまうのも事実だ。その為に自分もルールを守り、さらに死角に入らないように気を付けたり、曲がり角で飛び出したりしないなどルール以上の事にも注意を払ったりもする。
走り屋や暴走族なんかの改造車みたいに見た目で分かる車だけでなく、フラフラしている車や急制動を繰り返す車、車間距離が近い車など信用できない車からは離れるのは前の世界も同じだ。同様に信用できる相手であったとしても、己が信号無視をしたり交通量の多い幹線道路を歩道でもないのに横切ったりすれば、法律問題はさておき、事故が起こるのは当たり前で被害は自業自得と言われるだろう。
そんな事を考えながら黙っていたら、ジャッジアが私の気持ちを汲み取ったのだろう、状況を説明してくれた。
「紹介する子の人柄は私が保証するわ。まだ駆け出しだけど性格も真面目だし頑張れる冒険者たちよ。ただ、少し前に事件に巻き込まれちゃって情報伝達の不備から長い間、尋問を受けていたのよ。しかもその事件でパーティーメンバーが1人かけてピンチなのよね」
まあジャッジアがそこまで言うのなら性格的には信用できるのかもしれないが、ピンチって通常状態じゃなくて異常状態って事だ。会うだけ会って軽々しく決めなければいいか。
「ジャッジアさんの紹介ですので、もちろん会わせてもらいます。えっと、それで都合ってどうなりました?」
「私、ちょっと先ばしちゃった見たいね。私がアールさん乗り気かもって言ったから、向こうは明日の朝からでも会いたいって言ってるわ。駄目?」
「いや、全く問題ないですよ。でも、それで朝からだと時間が余るかもしれないし……こんな事を言うのはあれなんですが、他に候補者っていないんですか?」
「うーん、私的には彼らはお勧めなのよね。小さい時から見てきたので自信はあるわ。確かにアールさんの実力だともっと高ランクの冒険者も紹介できそうなんだけど……やっぱりアールさんの見た目って、人を選んじゃうのよね。
この辺りは辺境深淵地域なんて呼ばれてるけど、実際は私みたいな連邦都市部からの移民が大半を占めてるのよ。だから、結構偏見を持ってる人も多くて………。
アールさんの故郷の風習や伝統をとやかく言うつもりは毛頭無いんだけど、この辺りではやっぱり、そういう風に髪の毛や髭を伸ばしっぱなしの人って珍しいのよ。だから、みんな身構えちゃうっていうか、一歩引いちゃうっていうか……私はアールさんの人柄を信頼してるから―――――――」
・・・
・・
・
「えっ??」
「えっ!?」
昼飯を食べる前に髪と髭を切ろうと心に決めた。
オークの素材、魔石-銀貨4枚、牙-銅貨2枚、雄の竿-銅貨2枚、雄の睾丸-銅貨3枚、鉄製武具-時価




