なかなかの値段
アールは昨日、酒場で偶然聞いたある目的地に向かってDA9の北西にある街並みの中を歩いていた。ラブホ街を抜けこの前寄った奴隷商の区画とはまた別の区画に向かって進む。
しばらくするとアールが得ていた情報通り、それっぽい建物が見えてきた。道路の両側に並ぶ建物は大きなガラス張りのショーウィンドウで飾られている。パッと見た感じは高級ブティックが建ち並ぶおしゃれな通りのようだ。
だがおしゃれな通りとは違いショーウィンドウの中にはマネキンは置いておらず、代わりに在るのは生身の女性の姿である。又、女性は売り物の商品で着飾っている訳では無く、露出が高い薄手の服を身に着けているだけであった。
その女性の姿を見たアールは思わず唾をのみ込んでいる。
ショーウィンドウの中の商品とは、生身の女性その物なのだ。そう、ここは娼館通りなのだ。
年齢は10代前半から50代ぐらいまでだろうか。首元を確認するとほとんどの女が奴隷の首輪を付けている。しかしあまり悲壮感は漂っておらず、アールに手を振り媚びを売っている者もいる。店によっても特徴があるようで、普通の人間ばかりの店もあれば獣人が多い店もある。
ショーウィンドウで気に入った娘を選び、それを入り口にいる受付に伝えるシステムのようだ。アールは思わず足を止めキョロキョロと周りを見渡した後、思考をフリーズさせたようである。
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こんな所に来たのは初めてだ。周りにいるのは全て娼婦なんだろうか。思わぬ景色に頭の血が全部下半身に回って思考が止まってしまったような感じだ。
中年のおっさんがこんな事では恥ずかしいと思う反面、経験がないのだから仕方がないと思う自分もいる。それにここまで前面に押し出されたエロイ景色は前の世界にもそうは無かったはずだ。ネットで見たオランダの飾り窓ってのが近いのかもしれない。
そう言えばその時の情報では、オランダの飾り窓は最近は観光地化しているなんて事も書いてたな。確かにこの光景は眺めるだけで眼福だ。
それに、これならチェンジとか言わなくても良さそうだ。と経験した事も無いのに情報だけ知ってる事をあれこれと思い浮かべる。
良し、くだらない事を考えていたら少し冷静になってきたようだ、まずはどの娘にするかを決めよう。
獣人族に興味が有るか無いかと問われたら、有るとは答える。ただ、安直に獣人族に決めようとは思わない。うちのコボルトや冥府の番犬が獣人となったのならば迷わず撫でまわすだろうが……。
どちらかと言うと毛深い女性の裸体を想像してしまうのだ。そして、毛深い女性で興奮出来るかと問われたら疑問符がつく。私には業の深いモフモフ属性ってのは無いって事だろう。こんな所で冒険する必要はない。最初は普通の娘の白く柔らかな肌を求めようとおもう。
ひとりひとり吟味しながら進んで行くと、3件目の店にいい娘がいた。20代後半だろうか、男好きしそうな顔になかなかの体つきだ。そういう目で見てるからか、とにかくエロイ。この娘がいい!!
店の入り口に立つ派手な衣装の女に向かって、単刀直入に聞いてみた。
「この娘はいくら?」
目を付けた娘を指さしながら訪ねる。
派手な女は、こちらの身なりを上から下まで舐めまわすように見たあと答えた。
「その娘は売れっ子なの。銀貨12枚よ」
一晩で12万円って感じか、数日暮らしてきてなんとなく物価が判ってきた。銀貨1枚1万円ぐらいだと考えると相当に高いな。そんな思いが表情に出たのか、女が続ける。
「あんた、冷やかしかい?」
女が冷たい視線を向けてくる。
「いや、ちょっと合わなかっただけだ。他の娘も見せてほしい」
「お金さえ払ってくれるならね」
ぶっきらぼうに返事する。
隣にいた余り可愛くはないが胸が大きな娘を指さす。
「じゃあ、この娘は?」
「その娘は、銀貨9枚よ」
それでもイメージしていたよりもずっと高い。もっと手ごろな女はいないのかと、他のを指さして尋ねて行く。
30代ぐらいの犬の獣人だろうか、頭の上に耳がちょこんと生えいてる女は銀貨8枚。この店で一番年齢が行ってそうな40代の人間の女や、デブ専って奴だろうか、豚みたいに太った女でも銀貨6枚を下回る事は無かった。
「高いな」思わずつぶやく。
「当たり前だろ、かよわい女にあんたの欲望をぶつけるんだ。うちの娘たちの値段にケチをつけるなんて、罰辺りもいい所だよ。神様が慈悲を与えて下さってるってのに、あんたみたいなのが女を救おうとしないなんてどういう了見してんだい」
と、女が捲し立ててきた。
慈悲云々いわれても、あれだ。自分が楽しみたいだけなんだが……どちらかというと、女の肌に癒されたいのはこちらの方なんだが。
この世界とは少し感覚がずれているのだろうか。取り敢えず誤魔化すしかなさそうだ。
「すまない。今持ち合わせが無かったので、つい……もう少し稼いだらまたくるよ」
「やっぱりあんた冷やかしかい、真面目に働いてから来な」
それ見た事かという感じで追い払われた。金をもっていない客に対する態度としては理解できる。だが、それ以前に私を受け入れるって感じがないのだ。すっかりと興奮も冷めている。
こういう店はどんな客に対しても、媚びるように誘ってくるものだと思っていたが、違うようだ。他の店でも同じような対応を取られた。
なんか、高級ソープに行ってドレスコードに引っかかったような感じだ。もちろん、そんな経験はないしドレスコードがある訳はない。色んな所から仕入れた情報で作り上げたイメージなのだがとにかくあしらわれて拒絶された、そんな感じだ。
軽い気持ちで性欲処理が出来るなら、と思ってきたのだが最低でも銀貨6枚か。明日からはもっと頑張って稼がないと。と、打ちひしがれながら宿に戻る。
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「もう少し稼いだら、また来るよ」と言っていたアールだが、このあとはこの場所に来ることは無かった。
実はこの区画にある娼館は教会によってつくられた施設で、食べる物にも困っていた貧しい女性たちや幼い子供を抱えたまま未亡人となった者などを雇い、金を稼げる場所として提供しているのである。
得てしてこういう場所では不幸な事が起りえるのだが、そこは教会が“神の救済”たる奴隷の首輪を授ける事によって防いでいるのだ。
しかしながら、教会の弱者救済という教えの下に運営されているので、利用者に相互扶助という意識を求め、また奴隷の首輪の運用費用も掛かる事から必然的に料金設定は高くなっていたのだ。
それに中で働く者たちも体をどんどん売って淫らで贅沢な暮らしをすると言う訳ではなく、神に感謝を捧げ、清貧に暮らし、仕事が無い時は奉仕活動を行い、生きていく上での必要最低限のお金を稼ぐといった営みで過ごしていた。
そう言った背景を持つこの娼館の受付に、見た目も態度も悪いアールが冷たくあしらわれてしまったのは仕方の無い事だったのだが、玄人童貞のアールの心には小さくない傷を負わせていたのである。その所為でこの場所を誤解してしまい、2度と足を運ばなくなる訳だが、その誤解が解かれるのは後日の話になる。
なにはともあれアールは宿に戻るとすぐに翌日の宿泊費を払い、風呂に入って洗濯を頼むのであった。
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街に来て4日目の朝。
外の様子を確認すると薄暗い。まだ太陽は顔を出していないようだ。
ここでの生活にも随分と慣れてきたなと1階に朝食を食べに降りて行く。
今日の朝食はミートパイとふかしたジャガイモとコンソメスープだ。いつもより品数が多いのはミートパイが昨日の晩飯の残り物だからだろうか。私としては美味しい料理を2日連続で食べれるのだ、品数も増えてるし文句なんかある訳がない。
舌鼓を打っていると、いつものように宿屋の主人のマイルズが顔をだした。宿泊費は昨日帰って来た時にすでに払っている。私には関係ないかと思っていたが、目が合うと声を掛けてきた。
「晩飯と部屋は用意しておく。ちゃんと帰ってこいよ」
いつもと同じセリフを残し、厨房に入っていく。
朝日に照らされた大通りを、昨日と同じように人波を躱しつつ、冒険者ギルドに向かって進む。
しかしこの世界の人たちは何時に起きてるんだろう、素朴な疑問が沸いてくる。これ以上早く起きるとか私には無理だ。休みの日なんかは何時までも寝ていたいタイプだ。とはいえ、最近は年齢を重ねたからか長い時間眠り続けるのも難しくなってきていた。
その点、ダンジョンは理想的な環境だ。いつでも寝れたし、何時間でも大丈夫だったのだ。どうしようもない事でダンジョンが恋しくなってきた。
冒険者ギルドに着くとすぐに掲示板に向かう。ここもいつものように、見習い冒険者たちが集まっていて、ガヤガヤとした感じで騒がしい。
そんな様子の見習い冒険者たちを避けて、昨日決めていた通り少し報酬の良い、銅貨6枚の依頼書とタンポポの依頼書を1枚ずつ剥がす。
窓口の列に並び、順番になったので依頼書とギルドカードを受付嬢のジャッジアに渡した。
「アールさん、おはようございます。今日は依頼を2つ受けて頂けるのですね」
いつものように微笑みながら挨拶してくれた。ああ、心が癒される。
「ええ、今日はジャッジアさんのお勧めに従って数を増やしてみたんですよ」
返事を返すが、自分でも表情が崩れているのが分かる。
「ありがとうございます。そう言って頂けると私も嬉しいわ」
にっこりと笑顔を作ってくれた。
ジャッジアは手元の依頼書の内容を確認しながらギルドカードを水晶に翳している。
その姿を眺めてしばらくの間待っていたら、受付作業が終了したようだ。こちらにギルドカードを差し出してきた。
「アールさん、受付は終了しました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
ギルドカードを受け取りながら、ちょっと拍子抜けする。
増やしたといってもたった2つだ。だからもっと出来るとか頑張ってとか言われるのを無意識のうちに期待していたようだ。思わず恥ずかしくなって顔が赤くなるのが分かる。
そんな私の表情を読み取ったのか、ジャッジアが小首を傾げて声を掛けてきた。
「アールさん、何か問題でもありました?」
その表情とその仕草は、なかなかのインパクトだ。さっきの羞恥心も相まってか、ドキドキしてしまった。
「いえ、何でもないです。じゃあ行ってきますね」
動揺する心を抑えながら言い訳をする。逃げるようにして冒険者ギルドを出ると、胸に手をもっていき、ダンシングレードルを握りしめ心を落ち着かせる。
まるで青臭いガキのようだ。と自分で自分を嘲笑する。昨日の夕方、冒険者ギルドである程度の時間を過ごしたのだが、そこで見たジャッジアの応対は誰に対しても一様で、私への態度が特別変ったものではないと理解している。ただ私の立場が特殊な物であるため、普通の者より言葉数が多いだけなのだ。それを勘違いするとは……。
前の世界では肩肘張って、慣れあわないようにと思いながら生きてきた。だが、こっちの世界に来てダンジョンで生活し始めてからは、信頼できる仲間に囲まれ、随分と甘くなってしまったのかもしれない。冥府の番犬の姿を思い出すと、あの3つの首筋を無性に撫でてやりたくなった。
昨日と同じく、西の城門でリキッド隊長と挨拶をしたあと、採取依頼を始める。
今日の依頼内容は、タンポポ採取とホオズキ採取だ。タンポポは昨日と同様、楽に集める事ができるだろう。という事で先にホオズキを集める事にした。
まずは昨日見つけた川沿いを探す。1メートル弱ぐらいの背丈でオレンジの提灯がぶら下がっているので直ぐ目に付くのだが、同じ場所にそんなに量がある訳ではない。集めてみて依頼の量を確保するのは思った以上に大変そうだという事に気づく。廻りにタンポポがあるが、そっちは後回しだ。
途中、ホーンラビットを背負った他の冒険者パーティーの荷物持ちがホオズキを採取しているところを見かける。やはりタンポポと違いある程度の報酬の依頼だからライバルもいるようだ。
午前中いっぱい探し回ったが、結局は半分程しか集められなかった。移動中に買ってきた昼食用のパンを齧りながら、午後の方針を考える。
このまま川沿いに進んで行けば、依頼量を集める事は可能だと思う。ただあまり離れすぎるのは時間の無駄だ。ここは探す場所を変えて西の城門の北側、獣道周辺を探ってみようと考える。おそらくあの辺りならこの川沿いより人の手が入っていないはずだ。
昼食を食べ終え、先にタンポポを採取して依頼量を確保してから城門の方に戻っていく。
獣道に移動して森の中を探してみると、予想通り川沿いよりも沢山生えている。それ程移動することなく2、3時間である程度の量を確保する事が出来た。
午前中は結構手間取ったが、これならもう少しで依頼量を集める事が出来る。夢中になって探していると、不意に「ゴブゴブブ」という鳴き声が耳に響いた。
ドキッとして、思わずその場にしゃがみ込んだ。
息を潜めて腰の剣に手を伸ばそうとするが、直ぐ目の前の藪から荒い呼吸音が聞こえ、体がぴくっと止まった。近すぎる、ちょっとでも動くとばれる。
まだ敵の姿を視認出来ていないが、こちらの位置が気付かれた雰囲気はない。あの鳴き声はおそらくゴブリンだ。そしてゴブリンに気付かれていたならもっと騒々しく近付いてくるはずだ。頭を素早く回転させる。
荒い呼吸音が聞こえる距離だが、間に障害物があるのだろうか姿は見えない。
剣に手をやるのを我慢し、同じ体制を保ったまま時間が過ぎ去るのをただひたすらに待つ。冷汗が額から顎に伝っていく。心臓の激しい鼓動の音が相手に聞こえないかと不安になる。
しばらくすると呼吸音が遠ざかり、藪の隙間からゴブリンが遠ざかっていく姿が確認できた。
どうやら気づかれなかったようだ。が、少し体制を整えただけでそのまま身を潜め続ける。街に来た時に遭遇したゴブリン部隊みたいに後続の部隊がいないか様子を見る。
危惧してたとおり、1分もしないうちにボブゴブリン2匹がゴブリン5匹を率いて現れた。今度はある程度距離が離れているので、気づかれる心配は無さそうだったが気を抜かず剣の柄を握りながら危険が過ぎ去るのを待つ。
「ふぅー」辺りに魔物の気配は無くなった。思わず大きく息を吐く。
ホオズキを集めることに集中し過ぎていたようだ。ゴブリンが接近してくるのにまったく気付く事が出来なかった。もし偵察のゴブリンに発見されていたら、そのまま敵本体に囲まれて戦わざる得ない状況になっていただろう。
採取がしやすい場所には、しやすい理由があるという事だ。この辺りで採取するなら、魔物との遭遇を覚悟しなければならない。別に1人でも遭遇をメインで考えるならまた別なのだろうが、採取メインで考えるとあまり良い状態ではない。
1人で周囲の安全確認を行いながら、採取する。どう考えても効率が悪い。
今日は仕方がないのでこのまま周囲を警戒しながらホオズキ集めを終わらせる事にした。
冒険者ギルドに納品し終えた時には、空は少し暗くなりつつあった。昨日より時間が掛かって昨日と同じ成果である。
この世界でお金を稼ぐのもそんなに簡単じゃないかと、肩を落として宿に帰った。




