旅の恥は掻き捨て
空を見上げ、太陽の位置を確認するともう昼に近い時間になっていた。
冒険者登録をしただけなのだが結構な時間がかかってしまったようだ。とは言え、依頼を受けなかったのでこの後やらなければいけない事は何も無い。取り敢えず服と下着を手に入れる為、街中をぶらつく事にする。
二階建ての冒険者ギルドの隣にはさらに大きな四階建ての建物が建っていて、中には商業系のギルドと生産者系のギルドが入っているようだ。この建物の中は細かく区画割りされているようで、様々なギルドが軒を並べているらしい。今のところ、商売をするつもりもなければ何かを作るつもりもない。出入りしている人も多いし、中の様子を覗く必要もないか。
大通りを南の方に向かって進んで行く。
通りの西側には雑貨屋や商店が並んでいる。目に付いた雑貨屋にふらっと入ってみた。店の棚には鍋や包丁なんかの調理器具や、ガラス瓶や皿なんかの食器が置いてあり、何となくダンシングレードルが見たら喜びそうだと思った。余裕があれば何か買って帰っても良いかもしれない。
反対の東側には肉屋や八百屋、飲食店なんかが並んでるみたいだ。肉は何の肉だろうか、いろんな種類が置いてある。八百屋なんかも品揃えが豊富に見える。そう言えば昨日、城門で畑から作物を運んでいる人たちの姿を見たな。毎日仕入れて売っているのだろうか新鮮そうな野菜が並んでいた。
香ばしい匂いにつられて少し先の店舗まで進んで行くと、パン屋があった。フランスパンみたいな長いやつとか黒パンみたいな丸くてデカイのが並んで売られている。切り売りはしていないのか鉄貨5枚から銅貨1枚の値段が付いていた。お腹は減ったが懐に余裕がある訳ではない。宿では銅貨1枚で朝と晩の食事を出してくれると言っていたし、今日の昼ご飯は持ってきていた稲妻猪のハムでも齧って我慢する事にする。
でも、小麦が普通にあるのが分かっただけでも収穫だ。何とかして小麦の種を手に入れたいな。小麦の種って、そのまま小麦の実でいいのか? 良く判らん。
しばらく進むと、少し大きめの平屋の建物が見えてきた。中を覗くと何か飲んでるようだが、飲食店や酒場とは少し雰囲気が違う。近くにいた猫耳の男に声をかけてみる。
「すみません、ここって酒場ですか?」
「何言ってんだ、公衆浴場だ。あんたもご主人様に言われてきたんだろ、早く入ってさっぱりしていきな。そんななりじゃ、ご主人様にご迷惑をかけるぞ」
怪訝そうな表情を浮かべたあと、早く入ってこいと手招きしている。
「いや、そう言う訳じゃないんです。ちょっと覗いただけなんで」
ぼうっとしてると引きずり込まれそうだ、逃げるようにして外に出る。
昼時だというのに、結構な人が利用していた。宿屋にも風呂はあったし、この世界の人は綺麗好きみたいだ。
その後も高級そうな店はパスしつつ、武器屋を覗いたり、貸し倉庫のような場所を見たり、薬屋で回復ポーションを見かけて、思わず買いそうになったりしながら進んで行く。
大通りから西に2本ほど入った通りでようやく服を買えそうな店を見つけた。店に入って値段を見ると、銅貨3枚から銀貨1枚ぐらいの値段設定のようだ。
「すみません、着替えが欲しいんですが、よろしいでしょうか?」
店の奥に向かって声をかける。
犬の獣人だろうか、尻尾を垂らしながら出てきた男がぶっきらぼうに答えた。
「俺の店になんか用か?」
「服が欲しいんですが」
「あんたが着るのか?」
「ええ、私が着る服です」
「外のワゴンの中に服がある。その中のは全部、鉄貨5枚にしてある。銅貨1枚で2着だ。選んだらこっちに持って来い」
店の外にある襤褸切れがつまれたワゴンを指さす。
あんな所にちゃんとした商品があるんだろうか、怪しみながら外に出てみる。下取りしたのであろう、古着が山と積まれていた。辛うじて着れそうではあるが、うん、ゴミだわこれ。それに下着も欲しいのだが、下着の古着なんて流石にありえんだろう。
店の中に戻りもう一度、店主に声を掛ける。
「店の中の棚に並んでいるもう少し良いやつを、見繕ってもらえます?」
「あんたが着るんだろ。それともご主人様の服も一緒に買いにきたのか?」
頭の天辺から足の爪先までジロジロと眺めてくる。
不躾な視線にさらされながら、改めて自分の姿を確認する。
身に着けている服は洞窟で回収したボロボロの服だ。破れたりしている所は継ぎたして補修してあるが……あれっ、服なんて着れればいいと無頓着だったから自分でも忘れてたが、ワゴンの物と変わらんわ。ちょっと恥ずかしい、誤魔化すように声を荒げてしまった。
「ご主人様って、奴隷かなにかと間違えてるのか? 首輪なんて付けてないしわかるだろう。俺は奴隷じゃないし欲しいのは、俺の服だ。長旅してきたから服がこれしかないだけだ。銀貨1枚と銅貨5枚で新品の下着2枚と上着とズボンを1枚ずつ見繕ってくれ」
「見ない顔だし何処かから、金を盗んで逃げてきたんじゃないだろうな。面倒事はごめんだぞ、それが本当なら、通行証明書か何か身分を証明出来る物を持ってるだろ、それを見せろ」
胡散臭さいとばかりに警戒しつつ身構えている。
「こんな格好してるからって、そこまで疑う必要はないだろ。これでいいのか?」
少しイラッとしながら、首にぶら下げていたギルドカードを店主に提示する。
「あんたその身なりでカード持ちの冒険者なのか!? 名前も年齢も種族も表示されてるから本人のもんのようだな……」
店主は驚いたような表情で呻くように声を出すと、ギルドカードと私の顔を何度も見比べている。
どうやら信用してもらえたようだ、ギルドカードを手に入れて本当によかったと思った。正直なところ服買うだけでこの騒ぎって、面倒くさいな。とっとと見繕ってもらって帰りたいわ。
「これで、信用してもらえたのか。問題ないなら、さっきも言ったように予算内で服を選んでほしい」
「あんた冒険者なら、もっと自分の身嗜みに気を付けろよ。まあ、長旅してきて服がないってのは分かった、ちょっと待ってろ」
店主は窘めるようにそう言うと、ブツブツ言いながら服を選びだす。
「あんたなら、これと、これだろ。で、これを2枚か……」
手に持った商品を私に見せると、店主がひと息入れて話し掛けてきた。
「あんた、しばらくこの街に滞在するつもりなら、あと銅貨5枚上乗せ出来ないか? 冒険者なんだろ、着替えが1つだけだとどうしようもない。今回はまけておいてやるから上下2セットと下着2枚を銀貨2枚で売ってやる」
私の姿を見ながら呆れるような表情を浮かべたあと、仕方がないな、という感じで提案してきた。選んだ商品の値札を見ていたが、今のままでも予算をオーバーしている感じだった。その上でさらにまけてくれるって事のようだ。これなら、こちらからお願いしたいぐらいだ。
「そんなにまけてもらって良いのか。それともさっきの態度を反省したって事なのか?」
正直に聞いてみる。
「まあ、そんなもんだ。それにカード持ちの冒険者なら、直ぐに金を稼げるようになるだろ。これでも服は足りんだろうから、その時にまた、うちに服を買いに来てくれ」
上着とズボンを追加して、にやっと笑いながら話すが人の好さが滲み出ている。
「そう言って貰えると助かる。金が出来たらまた、買いにくるわ」
そう返して代金を渡そうとして、お玉さん用の革ひもの事を思い出した。この店主なら話が分かりそうだ。第一印象は最悪に近かったが、良く考えれば私が悪い。その後の態度には好感が持てる。ついでとばかりに話を振ってみた。
「あっそれと、ネックレスに出来そうな革紐って売ってないか? この匙をネックレスにしたいんだが……」
内ポケットからお玉さんを取り出し、店主に見せる。
「はぁ? そんなボロボロな身なりしてるくせに、そんな所だけ色気づくのか?」
不思議そうな顔で聞いてきた。
「いや、形見みたいな物なんで肌身離さず持ってたいんだ。それでいい革紐があったら売ってもらえないかと思ったんだが」
「それなら丈夫な方が良いな、ちょっと待ってな。どこかにロックリザードの革の切れ端があったはずだ」
そう言うと店主が奥に入ってしばらくしてから戻って来た。
「これだこれだ、中途半端で使い道がないから、もう少しで捨てる所だったわ。おい、巻いてやるからその匙を貸してみろ」
お玉さんを渡す事に一瞬躊躇したが、信用して手渡すことにした。
「お願いします」
店主は小さな匙を手に持つと器用に革ひもを巻いていく。手には肉球が付いているって訳ではなく、少し毛深く爪は鋭そうだが、思っていたよりも普通の手とは変らない。ほんの数分で作業を終えると、私にお玉さんを返してくれた。
小さな匙の柄の部分には革ひもが丁寧に巻いてあり、簡単に解けそうにないし革自体にも相当に強度があるようで、切れる心配もなさそうだ。
「こんな良い物を、値段は幾らになる?」
「あんた、金ないんだろ。どうせ捨てる様な材料だ、サービスだ。その代わり金が入ったら分かってるよな」
目くばせしながら笑いかけてきた。
「色々とありがとう。本当に助かった、また来るんで」
犬人族っぽい服屋の店主は本当に良い奴だったようだ。出会いに感謝しつつ代金を支払い、お礼を言って店をでた。
服と下着は手に入ったし、お玉さんもこれで肌身離さず持っていられる。これで目的が無くなってしまった訳だが、まだ陽も高い、暗くなるまでは町をうろつくことにする。
少し進むと、防具屋が見えてきた。お玉さんが起きるまでは鎧が無い状態である。一度は店に入って鎧の値段を確認しとくのも良さそうだ。
中に入ると、いろんな種類の防具が並んでいる。1つずつ値段を確認していく事にした。
フルプレート鎧は金貨二十枚、スケイルメイルが金貨五枚、チェインメイルが金貨八枚とまったく手が出せない値段だ。革鎧も金貨3枚となかなかの値段である。何とか手が届きそうなのは、旅人の服って奴だろうか、少し厚手の生地に革の膝当と胸当てが付いている防具だ。それでも銀貨8枚はする。しばらくはお金を貯めないと話にならないようだ。
奥にいた防具屋のおやじが店先に出てきて不機嫌そうな顔をする。
「あぁ? 何のようだ」
さっきの服屋の店主が言ってたが、自分の格好は相当なもんなんだな。ギルドカードを見せればいいんだろうけど、今は買う予定も金もない。面倒臭いので、尻尾を巻いて退散する事にした。
大通りから離れて、さらに西の城壁に向かって進んで行く。
少しずつ雰囲気が変って人通りが少なくなってきた。いや、人通りが少なくなったんじゃない、歩いてる人の種類が変わってきたようだ。若い女性や子供の姿が見えなくなり、今いる人たちもを文字通り、脇目も振らず歩いてる。前の世界の繁華街にあったホテル街のような感じだ。情報収集は出来なかったけど、本来の目的地に近づいているみたいだ。懐は心もとないが、市場調査を行う事にする。
懐が心もとない……はっ!!!! 今気づいた。なんでダンジョンの魔石を持って来なかったんだろう……俺はバカだ。
長い間、ダンジョンで暮していたからお金の存在を忘れてたのか。それとも人間の街に来るって事に全精力を傾けすぎたのか。
後考えられるとしたら、前の世界いた時ですら風俗なんか利用した事が無かったから、お金が必要って認識が抜け落ちていたのもあるかも知れない。
もし前の世界で風俗に行くって事になったら4、5万を握りしめ戦々恐々としながら店に向かうんだろうが、そんな経験はなかった。実際は4万も5万も使って外れを引くぐらいなら、好きなゲームに突っ込むなりして、性欲処理はネットにDVDといくらでも方法はあった、そちらで済ませていた訳だ。
それに、この世界を舐めてたってのもある。奴隷がいるような文明化されていない社会なら、どうとでもなると思い込んでいた訳だ。無い袖は振れない、後悔先に立たずってやつだな。無理やりことわざを使って心を落ち付かせる。
この辺りに建っている建物は、そのまんまラブホテルって感じみえる。店先にも『休憩 銀貨1枚、宿泊 銀貨1枚銅貨5枚』と看板を掲げている。2人で泊まったとしても今の宿屋よりこっちの方が高いんだな、そんな事を考えながら少し足を早めて進んで行く。
こういう所ではあまりキョロキョロしないのが礼儀ってもんだ。しかしラブホ文化って日本独特の物って聞いてたんだが、そうでもないのか。もしかしたら、城壁の中という狭いエリアにしか住む場所がないから、こういう施設も必要なのかもしれない。
ホテル街を北に抜けると、目的地について客引きでもいるのかと思っていたが少し雰囲気が違う。人通りはほとんどなくなり、たまに歩いている者は整った身嗜みをしている。この辺りの店は高級店なのだろうか。ちょうど大店の旦那様って感じの男が出てきた店が目に入ったので、その店を覘いてみる事にした。
「いらっしゃいませ」
店に入ると、すぐに挨拶が聞こえてきた。
見ると正装をした男が、片手を胸にそえ、体を『く』の字に曲げてお辞儀をしている。やっぱり高級店か、ちょっと面食らっていると、顔を上げた男が表情を変えて言い放つ。
「なんだ、客じゃないのか。うちは奴隷の買い取りはやってないんだよ。身売りなら他所にいってくれ」
犬を追い払うかのように手をシッシッと振っている。
買い取りとか身売りって事は、ここはもしかして奴隷商なんだろうか。特に用事がある訳ではないがこんな態度を取られたら、流石にイラッとくる。ギルドカードを見せつけながら声をかける。
「俺はこの街にきたばかりの冒険者なんだが、何人か見せて欲しい」
イラッと来たのでわざと横柄な態度を取ってみる事にした。
「お客様でしたか、これは失礼いたしました。わたくし、この店の主をしておりますネーガスと申します」
店の奥から主と名乗る男が出てきて、さっきの男はすぐに下がっていき姿を消した。
冒険者ギルドの受付が言ってたように、ギルドカードの威力はすごい。さっきの服屋でもそうだったが対応が180度変わる。何となくいい気分に浸っているとその後の言葉が聞こえきた。
「お手数ですが、ギルドカードを確認させて頂いてもよろしいでしょうか?」
こんな格好の男を相手にしてるのだ、やはり店の主として、不信感はぬぐえないのだろう。偽物じゃない存分に調べてくれ、と申し出通りギルドカードを首から外して手渡す。
奴隷商の男は私からギルドカードを受け取ると、カウンターの奥に移動していき、それを水晶玉にかざした。冒険者ギルドの時と同じように水晶玉が淡く光り、中に何か模様が浮かんでいる。ああ云う物がいろんなところに置いてあるのだろうか。
そんな事を考えていたら、内容を確認したのか男は既にこちらに戻って来ていて、目礼しながらギルドカードを返してくれた。
「確認させていただきました。アール様が仰るように冒険者であるのは間違いありませんでした」
一呼吸入れて間を取ると、私の姿をもう一度確認して、目を細めて話だす。
「ただ登録して間もないようですので、今すぐうちの商品をお買い上げいただくのは無理かもしれません。とは申しましても、ギルドカードをお持ちという事は将来的に奴隷が必要になる事もあるでしょう。ご参考までに、商品をご覧に入れましょう。何かご要望はございますか?」
全部ばれてるようだ。
「戦闘奴隷ってのはいる? あとは荷物運び、他に、夜の相手をしてくれるようなのも見てみたい」
開き直って、素直に要望してみる。
「戦闘奴隷となりますと、今は亜人や獣人、戦争奴隷がいませんので犯罪奴隷しかご用意できません。荷物運びは普通の奴隷で問題ないです。それと、夜の相手という事ですが女中という事でよいのでしょうか、それとも性的欲求を満たす為だけの奴隷をお求めでしょうか」
なんか思っていたより複雑だ、何を選べばいいのかすら分からない。適当に話を合わせておく。
「戦闘用は犯罪奴隷でかまわない。あとは適当に一人ずつ選んで見せてくれないか?」
「承知いたしました。ただ、性奴隷は獣人しかご用意できませんがよろしいでしょうか?」
「ああ、獣人しかいないならそれでも構わない」
「では連れてまいります、しばらくお待ちください」
奴隷商が席を外したので、改めて部屋の中を見渡す。
目に付くところには檻なんか見えない。それどころか、部屋の中は照明を少し落としているが薄暗いという訳では無く上品な感じだ。ソファーなどの調度品も質の良いものを使っているようで自分の姿を思うと、なんか場違いに思えてきた。
尻がこそばゆいってこんな状況の事を言うんだろうか。
金貨1枚=10万円
『尻がこそばゆい』を『ケツの穴がむず痒い』と覚えていて、調べるのに苦労しました。




