純潔と守る事について考える
太陽は沈み、深淵の第9都市の上空はすっかり暗くなってる。だが西の城門からつづく道は、その城門の衛兵長であるオドー・リキッドが持つランプの明かりに照らされていた。
薄っすらとランプの灯りに浮かぶDA9の町並みは中世ヨーロッパ風といわれる様式であろうか。煉瓦を積んだような壁に三角屋根。むき出しになった柱と梁は太く立派な木材が使われている。
地震がすくないのだろうか、建物は意外と高く3階から4階建てのようだ。そんな建物が道路に面してまっすぐ上に伸び、横に並んだ建物も隙間を開けずにピッタリとくっ付いてる。建物にはガラス窓が嵌め込まれていて、所々から小さな灯りが漏れてきている。
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宿まで案内してくれているリキッド隊長が話し掛けてきた。
「アールさん、もう尋問じゃない。答えたくなければ、答えなくていいんで質問してもかまわないか?」
さっきの取調室の高圧的な感じではなく、断れば質問を止めてくれそうな雰囲気だ。だが無碍に断る理由もない。
「ええ、私に分かる事ならお答えしますよ」
「オークを単独で倒したってのは聞こえてた。それにあんたが装備してるその鎧も、普通のもんじゃないっての分かってる。体内の魔力量もそうそうお目に掛かれるもんじゃない。実際、あんたはどれくらいの実力があるんだ?」
リキッドが単刀直入に質問してくる。
「どれくらいと言われても倒したことのあるのは、シャドウフルフにオーク、それにゴブリンぐらいですね」
「それじゃあ判断できんな。今までで一番強かった魔物は何になる?」
質問内容を変えて、もう一度聞いてきた。
「ドラゴンを見た時は、震えて逃げ回りましたよ」
「ドラゴン!! それは当然っていうか、見たことあるってだけでもすごいな……良く逃げ切れたな」
驚いたように声を上げる。
まあそんな反応も当然か。あれは存在自体が反則だった。今でも思い出しただけで寒気がする。
「ええ、ドラゴンがほかに気を取られてるうちに必死に身を隠して逃げ出しましたよ」
「そう言えば、あんた“魔の森”を通ってきたんだったな。もしかして竜の壁を見たのか……悪いことを思い出させたかもしれん」
なんか、勘違いしてるようだが訂正するのもあれだ。
「気にしないで下さい。そうですね、倒したので強かったのはハイオークでしょうか」
ちょっと悪い気がしたのでダンジョンに来たオークの襲撃を思い出して答えておく。
「ハイオークまで仕留められるのか。さすがは“魔の森”を越えてきただけはあるな。今の話を上に持って行かせてもらいたい。アールさん、あんたの腕と経験を見込んで頼みたい事が出てくるかもしれん」
思案顔で聞いてきた。けど、面倒な事ごめんだ。私には人肌に触れるという崇高な目的があるのだ。
「話ぐらいは問題ないですが、大事になるのは困りますよ。しばらくは静かに暮らしたいんです」
「悪いようにはしないつもりだ」
その内になんか頼んでくるのかな、ちょうど話に一段落がついた所で目的地に到着したようなので話を終える。
目の前の店の扉や窓からは外まで灯りが漏れており、この暗い夜の町の中ではひと際目立っている。窓から中を覗くと酒場になっているようで結構な人数がテーブルを囲んでいた。
「1階が酒場になっていて、2階と3階が宿屋になってる」
リキッド隊長がそう説明をしながら扉を開けて入っていく。
扉が開かれると店の中の喧騒が外にいる私の耳にまで届いてきた。歌を歌っているやつ、楽器を奏でているやつ、怒鳴り声をあげているやつ、ちょっと苦手な雰囲気だ。二の足を踏んでいた私に、隊長が急かす様に手招きをしてくる。
店の中は隊長が言うように酒場になっていて、扉を入ってすぐのホールには、4人掛けのテーブルが2列3段に並んでいる。入り口と反対側の壁には15人ぐらいが座れるL字のカウンターバーがある。カウンターバーの奥にはドアのない開口部があり、厨房に続いているようだ。
L字カウンターの左奥には上にあがる階段と奥に続くドアが見える。店の中は8割ほどが埋まっていて、その中のテーブル席のひとつから声が聞こえてきた。
「オドーこっちよ、早かったじゃないの!」「早く酒が飲みてぇ―んだよ、察してやれよ」「アハハハハ」
どこかで見たような陽気な雰囲気の中年の男女がこちらに向かって手を振っている。隊長が応えるように手をあげて「後で行く」と返事を返し、店の奥にある酒場のカウンターに向かってまっすぐ進んでいく。
「マイルズ、客を連れてきた。この町に着いたばかりだ。冒険者になる予定だが、まだ宿が無いんで頼む」
私を紹介するように、カウンターの中のジョッキに酒を注いでいた中年太りの男に声をかける。
「ケイトー、宿に客だ。カウンターを見てくれ」「はいはーい、ちょっと待ってねー」
マイルズと呼ばれた男が酒を注いでいた手をとめて、カウンターの奥の厨房に向かって声をかける。すぐに、明るい声が帰ってくると、少し目付きはきついが笑う顔が素敵なエプロン姿の女性が出てきた。エプロン姿の女性は「マイルズこっちはやっておくわ」と男に変わってジョッキに酒を注ぎ始める。
マイルズは階段横のカウンターまで移動すると、こちらに視線を移し声を掛けてきた。
「この店の主のマイルズだ。で、1人か?」
「はい」
「1人部屋が銅貨5枚で大部屋が雑魚寝、寝具なしで銅貨1枚。どちらも飯は付いてない。欲しければ銅貨1枚で朝と晩の食事を出す。ここまで降りてきてくれ」
宿泊料金に食事代は含まれていないのか。まだ袋の中に食料は残っているので、とりあえずはそれを食べよう。
「1人部屋でお願いします、食事は無しで」
「日数は?」
「とりあえず1日で」
「なら、泊りで銅貨5枚と保証金で銀貨2枚になる」
「えっと、銀貨2枚!?」
おもわず驚いて聞き返してしまう。
「保証は私がする。もし何かあったらこっちに言って来てくれ」横にいたリキッド隊長が口添えしてくれた。
いや、そんな金持ってませんよ。口添えしてもらえて助かった。でも通行料が銀貨3枚なら払えたのか? あっ、どっちにしても銅貨5枚足りないか。
「へぇ、オドーが新参者に肩を入れするなんて珍しいな」
少し驚くようにリキッド隊長の顔をみる。宿の主は眉をピクリと動かしたあと、こちらに向き直ると話を続けた。
「まあ、そういう事なら保証金はいらん。代金を払って、後はこの台帳に名前を書いてくれ、書けなければ代筆する」
そう言って、宿帳みたいなものをこちらによこしてくる。文字って読めるのか? 少しドキドキしながら宿帳を見ると問題なさそうだ。銅貨5枚を渡して名前を書き込むと、それを確認したマイルズが部屋の鍵を取り出した。
「部屋は2階の左側の3つ目の部屋だ。酒場の客が帰れば消灯だ。部屋のランプは消灯後は使うな、使う場合は追加で金をもらう。それと、あんたは1人部屋だから関係ないが、大部屋に移ったら風呂の値段は銅貨1枚だ。あと、2階の右側は女用の大部屋だから絶対に近づくな」
「わかりました」注意事項がいっぱいだ。
「あと、荷物を下ろしたら、ベッドに入る前に風呂に入ってくれ。そのままベッド使ってシーツを汚したら、弁償してもらうからな。そこの奥にある扉が風呂だ。今は開いてるはずだ、一応確認はしてくれ」
リキッド隊長にも言われたが、自分の体は相当汚いのだろう。保証金を立て替えてもらう訳にもいかないので、ここは素直に答えておく。
「すぐに使わせてもらいます」
目礼して差し出されたカギを受け取り、リキッドにお礼をいう。
「リキッド隊長、わざわざ案内までしていただき、ありがとうございました。それに保証金の件は助かりました」
「私がここで酒を飲むついでだ、気にするな。それより、風呂に入ったら下まで降りてこい、一緒に酒を飲まないか」
こういう騒がしい雰囲気は苦手だし、すこしダンシングレードルと話がしたい。それにお金がないってのもある。チャンスがあれば夜の店にも行きたい。あっ、そっちのお金もなかったか。どちらにしても誘いを断っても問題ないだろう。
「すみません、屋根の下で眠るのは本当に久しぶりなんで、ゆっくりさせてもらいます。それに、お金もありませんし……」
「そうか、金がなければ酒は奢ってやるが。まあゆっくりしてくれ。それと明日、冒険者ギルドに行くなら通行証明書を忘れるな、返金がある。じゃあ私は飲んでくるよ」
そう言うと、リキッド隊長は酒場の方に戻っていった。
私は部屋に向かって階段を上がり面頬を閉めながら、お玉さんに小声で囁きかける。
「ふぅ、やっとひと息つけるわ。お玉さんに聞きたい事がいっぱいある……けど、とにかく部屋に入ってゆっくりしようか」
『主様、申し訳ございません。どうやら限界のようです、お部屋の方に早く移動していただけますでしょうか』
話したい事がいっぱいあるって事か? でも、そんなニュアンスじゃなかったな。なんかもっと深刻そうな感じがするけど、なんだ!? 限界ってどういう事だ。混乱しながら、階段を駆け上がって左側の扉を数える。
右は女用の大部屋とかいってたな。が、お約束をしてる場合ではない。一応ノックして返事がないのを確認してから、鍵穴にカギを差し込む。
部屋の広さは2畳ぐらいだ。ベッドとクローゼットとランプが置いてあるだけで他には何もおいてない。奥の壁には道路に面した窓があるが、嵌め殺しのようで一部しか開ける事は出来ないようだ。後ろ手でドアと鍵を閉め、背負い袋をクローゼットに投げ入れながらお玉さんに話し掛ける。
「限界ってなに?」
1人部屋とはいえ、壁は薄そうだ。声が大きくなりすぎないように気を付ける。
「申し訳ありません。もう魔力の限界のようです、鎧を維持できません」
思念が直接、頭に響くのではなく、右の籠手からお玉さんの声が聞こえてくる。おもわず、目を向けると小さな匙が籠手からこぼれ落ちた。
「魔力を使い過ぎてしまいました。空中で体を維持する事も出来ないようです」
ベッドの上に転がった小さな匙を拾い上げようと少し屈むと、鎧が次々と剥がれていき、地面に落ちる前には消えていく。
下着姿になりながら、小さな匙を拾い上げ手のひらに包み込む。なんだこれ、めっちゃヤバい状況ってことか。突然の事に焦りながら、出発前に抱いていた危惧を思い出す。いや、ダンジョンポイントなんてどうでもいいわ。そんなことよりお玉さんが居なくなる、そんな事は認められん。
「お玉さん大丈夫なのか? どうすれば良いんだ?」
「ご心配をかけて申し訳ございません。限界を超えて魔力を消費してしまったようです。しばらくの間は生命維持にしか魔力を使う事が出来ないようです」
いつもより弱々しい声だ。
「はっ!? 限界を越えるまでってなんで言わなかったんだ?」
「旅の途中で主様を危険にさらす訳には行きません。町に着くまでは持つと思っていたのですが……」
「いやいや、意味がわかんない。限界を越えてそんなのに成るなんて許されん。でもあれか、生命維持にしかって事は、一応は大丈夫って事なのか?」
「はい、ご心配をかけて申し訳ありません」
「いや、めっちゃ焦ったわ。俺にはお玉さんが必要なんだよ。とりあえず、お玉さんには俺を残して死なないように命令しておく」
その言葉を聞いたお玉さんは嬉しそうな、そしてどこか悲しそ……んっ、妄想か。小さなスプーンだからよく分からない。
「申し訳ございません」反省しきりで申し訳ないって気持ちは伝わってくる。
「なんども謝られても仕方ないし、もう謝るのは禁止で。それで、生命維持にしか魔力を使えないって具体的にどういう状態になるんだ?」
「主様、もうし……了解しました。休止活動に入ります、簡単に言うとただ単に眠ります」
めずらしく、噛んだ。でもただ単に寝るだけってのはどういう意味だ?
「普通に寝るだけなのか?」
「はい、眠るだけです。ただ、意識を完全に閉じてしまうので、外部とのコミュニケーションは取れません。つまり、完全に無防備になります。数日から数週間、ある程度魔力が回復するまでは起きないと思います」
「結構ながいんだな。でも仕方ない、お玉さんの体が大事だ。それで、すぐに寝ちゃうのか?」
「少し朦朧としています。おそらく、長くは持ちません」
「そうか。もうそろそろ限界だろうけど、最後に聞いておきたい事がある。無理せず鎧を召喚するのってどれくらいの時間になるの?」
帰るプランを考えるのに、聞いておかなければならない。
「12時間です」
「はあっ!? 初日から越えてるじゃん!!」驚きの答えが帰って来た。
「初日は夜の世話をさせて頂いて、主様から力を分けていただきました。ただ、全開までは主様にご負担が掛かるかと思いまして、それで少し足りなくなってしまいました」
「……夜の世話? 力を分けた!? 負担?? 意味がわからん」
まじで意味わからん。
「申し訳ございません、主様。限界のようです。もしよろしければ、私が寝ている時は肌身離さず……」
「だから、謝る必要はって……はあ? お玉さん、意味わからないんだけど。おーい、お玉さーん!!」
いくら呼びかけてもお玉さんは、まったく反応しなくなった。触れていると魔力は感じるので、説明してたとおりただ単に眠っているだけではあるようだ。そこのところは少し安心できる。
でも緊急事態だ。お玉さんの安全のためにも、自分の安全のためにも今すぐにダンジョンに戻った方がいい。だがここからダンジョンまで戻るのに、たった1人では難しいかもしれない。幸いここは人間の街、1人では難しくてもほかに方法があるかもしれない。チャンスはあるはずだ。
それにしても、と考える。お玉さんの最後の言葉は意味がわからん。夜の世話? 力を分けた!? 負担……?? そう言えば2日目の朝って妙にすっきりしたような……。ふと、召喚しようと思ってあきらめた『あちき』とか『ありんす』とか言ってた魔物の事を思い出す。
もしかして、そういう事なのか。私の純潔はすでに汚されてしまったのか。いつの間にそんな能力を……眠りに入るタイミングも、まるで何かを隠そうとした計画的な匂いがする。まるで昏睡レイプのやり逃げだ。
いや、あの時『あちき』は“味方は騙せない”と言ってたからもしかして同意のもとなのか。いやいや、それより寝てたんだからノーカウントか。『ありんす』も“夢の中”で、とか言ってたし……。
取り敢えず起きたら、別の意味でも聞かなければらない事が出来た。まあ、それまではしっかり守ってやろうと思う。
こうして、DA9の一角で一人っきりのおっさんの生活がはじまる。
この話で4章『おっさんと世界との交わり』が終了となります。
2月19日(日)から5章『おっさんがこの世界の街に生きる』を公開します。
よろしければお楽しみください。




