緑色のあいつがいた
気が付くと、そこは草原の真っ只中だった。
周りを見渡してみるが、所々に3メートルほどの木がポツンポツンと生えているだけだ。他に目につくものは何もない。足元の草は膝上まであるが、動けなくなるほどではなかった。
30メートルほど先の木陰に向かってとりあえず歩き始める。
「えっと、何してたんだ………」無意識に言葉を発し自分の記憶をたぐり寄せる。
ここ最近忙しかったのだが、ようやく仕事が落ち付いて来たので、久々の3連休を迎えたはず。
で、ゲームをひたすら楽しむべく一昨日は、朝から晩まで眠気の限界までがんばって………。なんかムカつく奴の事を思い出したが、まぁそれは置いといて。その後は気を失うかの如く眠りに就いたのは覚えてる。
昨日はたしか昼前に起きて、いまいちゲームを楽しむ気になれなかったので、カップ麺を食べた後、また寝たのか………。
「げっ!! 休み一日、損してる」
真っ先に頭に浮かんできた、そんな見当はずれな思いを『やっぱり疲れが溜まってたのな』等と、現況を無視した方向に思考を飛ばしつつ、木陰に入り込む。
日影に入って一息つき、もう一度周囲を見渡す。次いで自分の姿を確認して、初めて服装が変わっていることに気付いた。
寝るときは、短パンにTシャツだったはずだが今は、上半身はロングTシャツの上に厚手のシャツ。下は綿のズボンに分厚い靴下とトレッキングシューズ。背中にはリュックサックまで背負っていた。
5、6年前に買った懐かしい登山用の装備一式だ。当時、一緒に山に登りに行っていた人がいた。山登りだけでなく人生も一緒に歩んでいくと信じていたのだが、結婚という山を登るタイミングが合わず、2年前に愛想をつかされて去って行ってしまったのだ。
まぁ、簡単に言うと優柔不断で振られた訳である。それっきり山を登る事もなく、登山服も着る事が無くなっていた。
見ているとちょっと切なくなってきた……って、感傷に浸っている場合じゃない。
状況を確認してみる。
日差しはきつそうなのだが、暑がりな自分にしては汗を掻いてない。あまりの状態に体が吃驚してるのかとも思うが、それほど不安を感じていないし、焦ってもいないようである。
我ながら、あまりに感情の起伏の無さに、頭にフッと非現実的な答えが浮かぶ。
いやいや、そんな事は“あり得ない”思わず飛び出た想いを掻き消すように違う言葉を口にする。
「うーん、昨日昼寝したのは覚えてるけど」
あらためて記憶を辿ってみるが、この状況を説明できるようなものは何も浮かんでこない。どうしようかと視線をあげると、渡り鳥か何かの群れが隊列を組んで飛んで行く姿のが見えた。
なんとなくその方向に川か海でもあるんじゃないかと思い、歩き始める。
黙々と歩き続ける。
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歩けども歩けどもいっこうに草原は尽きる事は無かったが、次第に陽が傾き少しづつ暗くなってきた。気付けば相当長い時間、歩き続けていたようだ。
こんな時間まで水分も食事もとっていない事に吃驚しながら、背負っていたリュックの事を思い出す。
リュックを下ろして中身を確認してみると、水の入った水筒に腕時計。コンパス・テント等よく使っていた物から一度も使った事の無い物まで、昔そのうち使うかも。と、自分が買い揃えた登山道具一式が入っていた。
早速、水筒から水分を補給して少し落ち着く。
真っ暗闇の中、それこそ闇雲に進むとさすがに危険だ。ここで一晩過ごす事にする。
周りの草を抜き平坦なスペースを作り、テントを立てる。中に入り、チーズ味の携帯食を口に入れ、水筒に口を付け流し込む。
気付けば日も完全に沈んでしまったのか、真っ暗になっていた。ヘッドライトの明かりをつけながら、あらためて考える。
旅行に行く予定なんか無かったし、仕事で飛行機に乗る様な予定も無かった。もしかして誘拐でもされて、放り出されたのか。
思いつく限り色んな可能性を考えてみるが、周りに誘拐犯はいないし、飛行機の残骸も無い。今日一日歩いて手掛かりは無かった。それどころか人工物が一切なかった。
こんな広大な平原見たことがない。北海道とかこんな感じなのだろうかと、想像してみるがさすがに無さそうだ。海外か、中央アジアやアフリカなのか。
それともやっぱりも“あり得ない”は“あり得る”のか。否定しきれない感情を抱いたまま、今後の方針を決める。
川か、海に出れば何か手掛かりがあるかも。うん、どっちにしても直観を信じてまっすぐ進もうと思う。
やる事は決めた。
改めてリュックの中身を確認する。水筒の中には水が半分ほど。ヘッドライトが点灯中。予備の電池は4本。コンパスを取り出し、今日進んでいた方向が南東方向だと確認する。腕時計を見ると19時過ぎだった。
すっかり暗くなったのにまだこんな時間なのか、と腕につける。
レインコート、ナイフ、ライター、タオル、防虫スプレー、救急セット。携帯食はチョコ味とフルーツ味が一つずつ。コンロ、火に掛けれるコップ、寝袋に着替えのTシャツとセーター……そして最後に指輪。
誕生日にプレゼントしようと買ったピンク色の真珠の指輪。骨董屋で見つけた掘り出し物だ。見つけた瞬間、彼女に似合いそうだと衝動買いした物だが、結局その誕生日を二人で迎えることはなかった。
また切なくなってきた。
リュックの内ポケットに指輪をしまい、残りの道具も片付けた。明日頑張ろうと思い直し、ヘッドライトを消して寝る事にする。
疲れていたのか、こんな不思議な状況であるにも関わらず、寝つきは異様に早かった。
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不意に目が覚める。そして、発見する。
子供ほどの背丈の緑のあいつがいることを。