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景子と一華はそれから三十分程で帰ってきた。
道中でユキの話を聞いてきたのだろう、一華はすでに『からかう』モードで入ってきた。
「れーいーちゃーん」
と、ニヤニヤしながらリビングへ入ってきたが、ソファの上ですやすやと眠るユキの姿を見て、声のヴォリュームを落とした。
大げさな忍び足で近づいてくる。
「この子が例のかわいこちゃんねー。わー、本当に真っ白ーい。雪虫みたいねー」
『雪虫』という単語にどきりとする。
やっぱり、見た目ですぐわかるもんなのか?
まじまじとユキを見つめる。
いや、落ち着け。
姉ちゃんはいっつも虫のことばっかり考えてるからこういう発想になっただけで、決してばれたわけでは……。
……ん? いや、待てよ。
姉ちゃんにならむしろばれた方がいいよな。俺よりそっち系の知識があるわけだから……。
「ちょっとー、彼女にみとれてないでさぁ、ちょっとは姉ちゃんにもその熱い視線向けてくれないかしら?」
「か、彼女なわけないだろ。ちょっとした知り合いだよ! 知り合い!」
いくらヴォリュームを落としても、この距離ではうるさかったのだろう。ユキは目を覚ました。
「おお、『母さん』が帰ってきたのか。……いや、違うな。レイジ、この者は誰だ」
目をこすりながら、ユキが聞く。
「これが姉ちゃんだ」
「姉に向かって『これ』ですってぇ?」
一華が口元に笑みを浮かべたまま礼二郎を睨む。
「初めまして、ユキちゃん。あたしは一華よ。姉ちゃんでも、一華でも呼びたい方で呼んでね」
「ほう。……では、イチカと呼ばせていただこうか。レイジ、お前以外は最初から好いてくれるな。なぜだ」
「知らねぇよ。特殊なんだよ、ウチは」
車を車庫に入れてきたのだろう。やや遅れてリビングに景子が入ってきた。
「『母さん』だ!」
ユキがソファから降りて景子に駆け寄る。
なんでこんなにも態度が違うんだ。
「あらー、ユキちゃん。お腹空いたでしょ。いま作るから、もう少し待っててね」
「待つとも!」
一華はそんな二人のやり取りを見て、
「そうだね、彼女ではなかったみたいだね」
と言った。
「だから言ったろ。まぁ、それはいいんだけどさ、ちょっと姉ちゃんに話があるんだ」
姿勢を正して真剣なまなざしを向けてきた弟に、少々気圧され、一華も、その場で正座をした。
「まず、俺がこれから言うことは全部本当だから。嘘だろ? って思っても、とりあえず最後まで聞いてほしい」
「何よ、随分もったいぶった言い方ね」
「ユキのことなんだ」
「ユキちゃん? その雰囲気からすると、結婚相手ですとか、そういう類ではないみたいね」
「うん、そう。とてもそんな冗談を言える状況じゃないんだ。あのな、まず、さっきユキのこと『雪虫みたい』って言ったよな。それは正解だ」
「は?」
「俺もよくわかんないし、いまいち信じきれない部分ではあるんだけど、こないだ北海道で雪虫見ただろ? なんかくっついて来たらしいんだ。で、あの姿に……」
我ながらおかしなこと言ってるとは思う。でも、そうとしか言いようがない。
「あたしに……信じろと?」
「俺だって、最初はぜんぜん信じられなかったけどさ。さっき、見ちゃったんだよな。ユキがこれくらいの大きさの雪虫になるところ」
そう言って、自分の親指の爪を指差す。
「この大きさの? 雪虫ってアンタも見たでしょ。もっと小さいやつだよ? こんなに大きいなんて……」
大きめの個体か………数匹の群れ……。
もしかして……。
いや、まさか……。
「じゃあ、あたしにもその姿みせてもらおーっと」
「それは難しいかもしれないな」
「なんでよ」
「なんかすげー体力使うんだとよ。さっきもそれで横になってたんだ」
「でもなぁ、やっぱり実際に見ないと信憑性がなぁ」
「……たとえばさ、ユキはすっげー熱に弱い。こっちが平気な温度でも過剰に熱がって、炊飯器の湯気にも怯えてた」
「ほう。たしかに雪虫は熱に弱いね」
「あと、触れられるのも駄目みたいだ」
「馬鹿者! 雪虫を触ろうとしたのか? 死活問題だぞ! 奴らにとっては!」
変なとこでスイッチが入ってヒートアップしてきた。しかしこれは単純に虫への愛のためであろう。
「だから触ってねぇよ!」
「ていうかそもそもなんでユキちゃんを触ろうとしてんのよ、アンタ」
「……俺のベッドから降りねぇから」
「ベッドぉー? 母さんの話では玄関とキッチンとリビングにしか行ってないと思ったけど……?」
「そこから話さなくちゃ、だったよなぁー……」
礼二郎は肩を落とし、昨夜の出会いの部分から事細かに説明した。
「いっちゃんも、礼二郎もご飯よー」
キッチンから景子の声がする。
「そうだ、ご飯だ!」
元気なユキの声もする。なんだか年の離れた妹みたいだ。
テーブルの上には、パスタが並べられている。ユキの物だけが冷製になっている。
「ユキ、フォークは使えるか?」
ユキの隣に座った礼二郎が小声で聞く。
「フォークってなんだ?」
……やっぱりか。
「いいか、俺の真似をして食うんだ。うまく食えないと『母さん』がきっと悲しむ」
「なに! それは大変だ。早く手本を見せろ!」
「いいか、これがフォークだ。そして……、こう持って……」
ユキは礼二郎の手元をじっと見つめながら、同じようにフォークを持ち、パスタの山にに突き立てる。
「そうだ。そして……くるくる……くるくる……」
「くるくる……くるくる……」
お、いいぞ。ちゃんと巻き付いてる。
「ある程度巻き付いたら、ぱくっと。いいぞ、食え、ユキ!」
「承知!」
フォークに巻き付いたパスタは結構な大きさになったが、口を開けられるだけ開けて一口で食べた。よくよく咀嚼して、飲み込む。
「なんだ、簡単だ! 『母さん』上手だろう?」
ユキは得意げだ。
「上手よー、ユキちゃん。そんなにもりもり食べてくれると作りがいがあるわねー」
景子もつられて笑う。
「かっわいいわーユキちゃん! こんな妹欲しかったのよね~」
一華はそこまで言って、向かいの席に座っている礼二郎を見た。
「いや、礼二郎も可愛いけどね?」
「いいよ、気持ち悪いな」
ユキは一心不乱にパスタを食べている。
パスタを巻き付けるときは「くるくるー、くるくるー」と楽しそうだ。
「母さんのパスタは相変わらず美味しいわー」
一華もユキに合わせて「くるくるー、くるくるー」とフォークを回す。
なんだか、微笑ましい光景だった。
昼食後は礼二郎の部屋で作戦会議をすることになった。もちろん、景子は抜きで、である。
念のため、ユキの小腹が空いた時のためにリビングに残っていたせんべいとチョコレートを全て回収した。
部屋に入ると、ユキは敷きっぱなしになっていた客用布団の上に胡坐をかいた。一華はベッドに腰掛け、礼二郎は学習机の椅子に腰を下ろす。
「さて……と」
一華は小さなカバンから手帳を取り出した。その中に挟まっている写真を取り出す。
「ユキちゃん、ちょっとこの写真見てほしいんだけど……」
ユキは写真を受け取る。最初は上下もわからないようであったが、くるくると回すうちにこれが何の写真なのかわかったのだろう。
「あ……」
そうつぶやくと、ふるふると肩を震わせ、涙を零した。
「え?」
「おい! どうしたユキ! 泣くな! 泣いたら体温が上がるぞ! ……やべっ、保冷剤忘れた! いま取ってくるからな!」
礼二郎はそう言い残すと、階段を駆け下りていった。
部屋には、依然として泣いているユキと、それを見つめる一華が残された。
「ユキちゃん……、わかるんだね? これが何の写真なのか……。教えて……くれないかな」
一華が優しく問いかける。
ユキの涙はなかなか止まらないようだった。
音を立てて階段を駆け上った礼二郎が、部屋に飛び込んでくる。
「ユキ! 保冷剤だ! 早く冷やせ! 姉ちゃん、何見せたんだよ! 何でユキ泣かせてんだよ!」
「違うぞ、レイジ。イチカが悪いのではない。懐かしくなってしまっただけだ」
保冷剤は三つ持ってきた。
さっき入れたばかりのを含めて、残りは五つ。足りるといいけど……。
「懐かしいってことは、ユキちゃん、やっぱり……」
「これは、我が同胞達だ。私のために身を捧げてくれた、同胞達だ……」
ユキは礼二郎から保冷剤を一つ受け取り、涙の上から頬を冷やした。写真を床に置き、もう一つを受け取る。反対側の頬も冷やす。礼二郎は残る一つをどうしようか考えて、仕方なく、頭の上に載せた。
「姉ちゃん、この写真はなんなんだよ」
ユキは少し落ち着いたようだった。頬の赤みが引いてきている。
「あー、これはね……」
一華が話すのをユキが遮った。
「これは、私が生まれた時だ。このようにして見たことはないが。ほら、ここに私がいる」
そう言って、細く、真っ白い柱と、夜の闇の境界線を指差す。しかし、礼二郎と一華にはよくわからなかった。
「これは、ユキちゃんの誕生の儀式だったのね……。さっき同胞達が身を捧げたって言ってたけど、それは……?」
「私は、いや、私達は、たくさんの同胞達の生命を集めて、この世に生まれる。雪虫達の女王として」
女王……。そうだ。ユキは女王だって言ってた。もっとも、その時はぜんぜん信じてなかったけど。
「女王誕生だったのね……。なーにがバトルロイヤルよ」
「姉ちゃん一人で納得すんなよ。俺にもわかるように説明してくれ」
「説明してもいいけど、虫の話だよ? 本当にいいの?」
「うっ……。出来るだけ……ソフトに……お願いします……」
「しっかたないなぁー」
「イチカ、レイジ、私はまた少し眠るぞ。用があったら起こせ」
ユキはその場にごろりと横になった。泣くのも体力を使うようだ。
「お休み、ユキちゃん。さぁーて、どこから話すかなぁ」
虫の話、と聞いて、礼二郎はごくりと唾を飲んだ。
それから一華は、まず、写真の入手経路、そして『氷柱』の説明をした。
だいぶ身構えてはいたが、雪虫に関してはだいぶ免疫が出てきたようで、さほど衝撃はなかった。
「成る程ねぇ。でもさ、じゃあ、これでその学者さん達も一安心だな。解明されたわけだし」
「なーに言ってんのよ。どうやって証明すんの? まさかその学者さん達の中にユキちゃん放り込めって?」
礼二郎は、テレビのコントで見た、胡散臭い宇宙人の人体実験の様子を思い出した。
まぁ、そこまでとはいかなくても、何かしらの実験とか研究に使われちゃうんだろうか。
「それは……出来ないな」
「でしょ」
「でも、いいのかよ。すげぇ発見なんじゃねぇの? その……もったいない……っつーかさ」
「そりゃ、ね。でもさ、女王様がまさかこんな姿で現れるとはねぇ。単なる親指の爪くらいの個体だったら、否応なく捕獲してたと思うけど。……そう考えるとさ、結局、見た目なんだよね」
一華はすやすやと眠るユキを見つめる。
「アンタのの大大大嫌いな『黒いアイツ』がさ、もし小さい黒猫だったら、こんなに嫌われてないじゃん、絶対」
「……そうだな」
「同じ虫でも、カブトムシやクワガタは男の子に人気だし、蝶々だって女の子のアクセサリーのモチーフになったりするでしょ」
「う……、うん……」
あんまり固有名詞は出してほしくなかったなー……。
「なんか、勝手だよね。人間ってさ」
それは、そうなんだよな。
そう言われると、こんなにも虫を毛嫌いしてる自分がものすごい悪人のように思えてくる。
「まぁ……そうだな」
「それに、こんなペーペーの学生が何言っても信じてもらえないしねー。いつかウチの教授が解明するよ」
一華はチョコレートを口に放り込んんだ。
「んでさ、どうする? 今後」
「そう、それなんだよ。母さんには一応家出少女ってことにしてるけど……」
そうね……、と言って一華はユキを見つめ、考え込んだ。
「一芝居……うちますか」