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地上最弱の女王様  作者: 宇部松清
第2章 夏木家とユキ
3/19

 もしかしたら夢なんじゃないか、などとほんのり期待をして目を覚ましたが、事態は何一つ変わらなかった。

 こっそりと客間から運び出した客用布団で、ユキはすやすやと眠っている。

 本当はベッドを使わせようと思ったのだが、床に布団を敷くと、

「こっちの方が涼しくて良いな」

 そう言って、寝転がってしまった。

「そんなものなどいらぬ」

 礼二郎が勧めた羽毛布団も不要らしかった。

 エアコンもつけず、冷え切った床で掛け布団も無し。身に着けている衣服はふわふわとした毛皮のようだが、ノースリーブで丈の短めのワンピースだし、見ているこっちが凍えそうだった。

 風邪を引くから、頼むから毛布くらい掛けてくれ、と言ってみたが、「私を弱らせる気か!」と怒るのである。

 勝手にしろ! そう言って、頭から布団をかぶる。

 旅行の疲れもあったのだろう、気付いたら朝だった。

 さて、問題は、親になんて説明するかだ。

 時計を見ると七時半。父はもう家を出たはずだ。さて、母をどうごまかすか……。

 礼二郎が考えあぐねていると、ユキが目を覚ました。

「おはよう、レイジ。食物を持ってこい」

 起き抜けにそれかよ。人の気も知らないで……。

「おはよう、ユキ。あのな、食物はちょっとだけ待ってくれないか。必ず食わせるから。ちょっとだけ今後の打ち合わせがしたいんだ」

 ユキは少々不服そうな表情であったが、『必ず食わせる』という言葉で何とか納得したようだった。

「何だ、打ち合わせというのは」

 布団の上に胡坐をかく。

 そんな短いスカートで胡坐なんてかいたらパンツ見えちゃうだろ!

 ……と思ったが、どうやらスカートではなく、ショートパンツのようになっているらしい。ほっとしたが、ほんのちょっと、ほんっとーにほんのちょっとだけ残念だった。

 邪な考えを必死に打ち消す。こんな子供に欲情したら、俺、ロリコンじゃんか!

 そう、とりあえず、今後のことをきちんと打ち合わせしておかないとまずい。

 おそらくこの子は家出少女だろう。ただ、この態度からしてそう簡単に帰るとも思えない。後で交番に連れて行くとして、まずは飯だ。

 母に見られずに食糧を調達するのは、この時間は不可能だ。景子は礼二郎が朝食を食べ終わるまでキッチンから動かない。とすると、ユキの腹を満たすためには、ユキを連れて行くしかない……。

「ユキ、あのな。俺としては、いますぐ腹いっぱい食わせてやりたい。ただな、俺はいままで彼女を連れ込んだことはないし(ていうか、いなかっただけだけど)、第一、クラスの女子だってウチに来たことはないんだ」

「ふんふん。それで」

「だから、本当はユキを連れて下に飯を食いに行きたいんだけど、ちょっとそれが難しいんだ」

「ふんふん」

「そもそも、女の子と一晩過ごしたなんてことが知れたら、母さん目を回しちゃうよ……」

 礼二郎はベッドの上で胡坐をかいたまま頭を抱えた。

「つまり、どういうことなんだ。わかるように説明しろ」

「つまり……だな……」

 打ち合わせだなんて言ってみたものの、考えなんてまったくまとまっていないのだった。

「せめて、友達って感じで玄関からスタートしてれば違ったんだよなぁ……」

 そんなの、いまさら無理だとわかっていたが、『せめて』の願望が口をついて出る。

「なんだ。では玄関から入ればよいのだな。どれ」

 そう言うと、ユキはすっと立ちあがり、閉め切っていたカーテンと窓を開ける。急に射しこんできた日の光が眩しい。キリッと冷えた外気が入り込み、起き抜けの冴えない身体に喝を入れる。

「さぶっ……。……って、おい、ユキ!」

 窓枠に足をかけて、ひらりとユキは飛び降りた。

 それは一瞬の出来事だったが、礼二郎にはとてもスローに感じた。

 足、腰、背中、肩、腕、最後に、白く、長い髪が日の光でキラキラと輝きながら、落ちて行く。

「ユキ!」

 礼二郎は慌てて窓に駆け寄り、下を見た。そこには平然とした顔でこちらを見上げているユキがいる。

「レイジ、玄関はどっちだ?」

 下から礼二郎を見上げて、ユキは笑顔で言った。

「え……っと、そっち……」

 礼二郎は呆然としつつも玄関の方を指差す。

 あまりの衝撃に、礼二郎は窓を閉めることも忘れ、その場に座り込んだ。


 やがて、玄関のインターホンが鳴る。

 ピンポーンという音で、礼二郎は我に返った。

 ユキか? ユキだよな、絶対。

 たしかに玄関から入って来いとは言ったけどさぁ、まだどういう設定で行くか考えてないんだけど!

 礼二郎は一気に階段を駆け下りた。

 何とか、母さんが応対する前に……!

「はぁーい」

 景子の声がする。

 出遅れた――――――……!

「私はユキだ。レイジに言われて来た。何か食物を寄越せ」

 第一印象も最悪だ――――――……!

 階段を下り切ったところで礼二郎はがっくりと肩を落とす。

 景子は、目の前にいるやけに居丈高な少女を凝視して、固まっている。上から下まで真っ白なこの少女と、礼二郎の接点が結びつかないのだろう。

 そりゃそうだ。俺だってぜんっぜん結びつかねぇもん。

「えー……っと礼二郎のお友達なのね。待ってて、いま呼ぶからね。れいじ……っ?」

 そう言って、後ろを振り向きながら大声で呼びかけようとして、すぐ後ろの階段に座り込んでいる礼二郎の姿を見て驚く。

「ああびっくりした。後ろにいたのね。お友達来たわよ。もう、そんな恰好で! 女の子の前よ、着替えてらっしゃいな」

 そういえば、慌てて下りてきたので、着替える暇がなかったのだ。

 たしかに女の子の前に出てくる恰好ではない。

 ただ……、まさか、この恰好で既に一晩過ごしていますとは言えない。

「ユキちゃん、ご飯まだなの? 簡単なもので良ければ準備するわね。ほら、礼二郎は着替えて来なさいったら」

「母さん! その子さ、超暑がりの猫舌なんだ。冷蔵庫にプリンかゼリーかあっただろ? とりあえずそれ食わせてやって!」

 この寒いのにー? という景子の声を背に、礼二郎は階段を駆け上がり、部屋に戻って急いで着替えを済ませる。机の引き出しから予備のノートとペンを持って部屋から飛び出した。

 階段を駆け下り、キッチンに入ると、保冷剤で頬を冷やしながらプリンを貪るユキの姿があった。

「保冷剤……?」

「あら、礼二郎。ユキちゃんって変わった子ねぇ。プリン出そうと冷蔵庫開けたら、中に入りたがってね。本当に暑がりなのね。そんなに暑いのかと思って、保冷剤渡したら気に入ったみたいで」

「その手があったか……。いや、この間に……!」

 礼二郎はノートにペンを走らせ、ユキには見せないようにして景子だけに見せた。

『この子は知り合いの子なんだけど、ちょっと訳ありで家出中。アニメで日本語覚えたから言動がおかしいけど、否定すると可哀相だから、あまり突っ込まないでやって』

 景子はふんふんと読み、右手でオッケーのサインを作った。

 この深く考えないところがとてもありがたい。

「えーと、ユキちゃん、プリンだけじゃお腹膨れないんじゃない? 礼二郎も来たことだし、一緒にご飯お食べなさいな」

 そう言って、炊飯器の蓋を開ける。ほわっと湯気が上がる。

 その湯気を見て、昨夜の一件がフラッシュバックしたのだろう。ユキは肩を震わせた。

「あ、母さん、ユキはその飯だとちょっと熱すぎるんだ」

「え? そんなに猫舌なの? どうしようかしら……。冷たいおそばでも作る?」

「ものすごい猫舌なんだ。舌だけじゃないけど……」

 ユキは炊飯器から上る湯気を、まるで恐ろしいものを見るかのような目で見ていた。

「じゃ、ユキちゃん、ちょっと時期外れだけど、おそば茹でるわね。でも、お箸は大丈夫かしら……」

 大鍋にたっぷりと水をいれ、火にかけた。

 そうか、冷たい麺っていう手があったよな。

「箸か……そうだよな。ユキ、箸って使えるか? ていうか、箸ってわかるか?」

 ユキは手持無沙汰なのか、ぬるくなって柔らかくなった保冷剤をもんでいた。

「箸はわかる。見たことがあるぞ。でも、使ったことはないな」

「あらー、やっぱり外国の子には難しいかしらねぇ。……あ、そうだ!」

 そう言って、冷蔵庫を開けて何やら探している。

「何? なんかいい方法ある?」

「うふふ。母さんに任せなさいって」

 景子はなんだか楽しそうだ。おそらく、一華が出て行ってしまったので、久しぶりの女の子とのやり取りが嬉しいのだろう。

 しばらくしてそばが茹で上がった。ミトン型の鍋つかみを装着し、ザルにあける。

 炊飯器の時よりも大きな湯気を見て、ユキは保冷剤をぽとりと落とした。

「レイジ、何をしている! あんなに熱いところに当たったら『母さん』が死んでしまうぞ! 早く『母さん』を助けに行かんか!」

 プリンと保冷剤を与えてくれた『母さん』に恩義を感じているようだ。うっすらと涙ぐんでいる。目の端が赤い。

「大丈夫、ユキよりも熱さには強いんだから。そんなことより、泣いたら体温上がるんじゃないのか?」

「泣いてなど!」

 そう言って目をこする。やっぱり泣いていたのだろう。

 そんなやり取りがあることなどつゆ知らず、景子はせっせとそばを流水で冷やし、薄めた麺つゆに浸す。そして、先ほど冷蔵庫から取り出した真空パックの『味付き稲荷あげ』の中に詰めていく。大量に白米が残った時などに、景子はよく稲荷ずしを作るので、冷蔵庫には必ずストックしてあるのだ。

「さーて、ユキちゃん、これならどうかしら~?」

 優に二人前はありそうな量のそば稲荷を大皿に載せて、景子が振り向く。

「おおおお、これはなんとうまそうな!」

 景子が皿を置くと同時に手を伸ばす。成る程、これなら手づかみで食べられる。

 泣いたカラスがもう笑った、……か。

 にこにこしながらそば稲荷にがっつく姿を景子は微笑ましそうに見ている。

 お茶でも……と、急須に手を伸ばしかけて、あ、そうね、とつぶやき、冷蔵庫から麦茶を取り出す。コップになみなみと注いで、ユキの前に置いた。

「外国の子でも、こういう味ってウケるのねぇ。良かったわー」

 幸せそうな顔で次々とそば稲荷を口へ運んでいくユキと、それを見守る景子の顔を見て、とりあえず、これからどうしよう……と礼二郎は思った。


 食後も景子はユキと話したそうにしていたが、ボロが出る前にさっさと交番に連れて行かなくてはならない。

 ならないのだが……。何て言えば良いのだろうか。

 シンプルに不法侵入です、かな。

 でもなんか可哀相だよな。

 家出少女です、で乗り切れるかなぁ……。

 などと考えていると、電話が鳴った。はいはい、と言いながら景子が出る。

「はい、夏木でございます。……あら、いっちゃん」

 いっちゃん……。電話の主は一華のようだ。昨日の今日でなんなんだろう。

「あら、そうなのね。楽しみ。うん、礼二郎に代わるわね。はいはい。礼二郎、いっちゃんよ」

 景子から受話器を受け取る。ユキは新しくもらったカチカチの保冷剤で手と頬を冷やしている。まるでカイロのようだ。

「もしもし。代わったよ」

「おー、礼二郎。久しぶり~」

「そんなわけないだろ! 昨日までいっしょにいたじゃねぇか! なんなんだよ」

「もー、冗談通じないんだからー。あんね、いきなりだけど、今日のお昼の便で帰るわ」

「……は? なんで? 学校は?」

「もー必要な単位は全部取ってるからヘーキヘーキ。だってさ、愛しの川俣教授がさ、一週間も出張なんだって! 教授がいないんだったら行く意味ないのよ!」

 きっぱりと言い切った。

 おい、それ、学費払ってる父さんの前でも言えんのか……?

「まぁ、いいけどさ……」

「礼二郎買ったお土産着くの明日だよね? 良かったー、多めに買っといて。そんなわけで、あたしはお土産買わずに帰るから」

 横から景子が「迎え、必要かどうか聞いて」と小声で話しかけてくる。

「はいはい。姉ちゃん、母さんが、迎えはいるかって聞いてるぞ」

「いるいるー。ありがとーって言っといて。十二時十分着の予定だから、よろしく!」

 そう言って電話は切れた。

「随分急だったわねぇ。でも、楽しみね~。あ、礼二郎に女の子のお友達がいること伝えるの忘れてたわ! 母さんったらうっかりー」

「いいだろ、そこは言わなくても!」

 二人の会話をユキは不思議そうな顔で見つめている。

 ……待てよ。姉ちゃんなら、なんかうまいアドバイスをくれるかもしれない。

 女同士の方が話しやすかったりもするだろうしな。

「レイジ、『母さん』は何をそんなに嬉しそうなんだ?」

「ああ、今日、俺の姉ちゃんが帰ってくるんだ。面白いやつだからさ、きっとユキも気に入るよ」

「『姉ちゃん』か……。それは私も楽しみだ」


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