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地上最弱の女王様  作者: 宇部松清
第7章 ユキと魔法使い
17/19

 基樹の車が第二駐車場に入ってくる。

 あの中には、ユキを北海道へ連れて行く魔法使いが乗っている。

 死神かよ……。

 礼二郎は、濃紺の着物に身を包んだ信吾の姿を思い出す。

 二人の姿を見つけた基樹は、目の前で停車し、窓を開ける。

 車内では暖房をきかせていたのだろう、開けた窓から暖かい風が流れてくる。

「ユキちゃん、もう行くの?」

 助手席から一華が窓から身を乗り出す。

 ユキは一華の方へ駆け寄った。

「ああ。そろそろ……。イチカ、たくさん世話になったな。ありがとう」

「あたしも楽しかった。ありがとう、ユキちゃん」

 一華の目が潤んでいる。

 ユキはぐるりと運転席の方へ回った。

「『下僕』もココに連れてきてくれて、ありがとう」

 基樹は車内で説明を受けたのだろう、『下僕』という言葉に笑うこともなく、真剣な表情でユキを見つめている。鼻の頭が赤い。きっと、泣くのを我慢しているのだろう。

「ユキちゃん……、頑張ってね……」

 それだけ言うのがやっとのようだ。

「では、参りましょうか」

 ドアの開閉音はなかったはずなのに、気付くと信吾はすでに車から降りていた。

「女王、ご準備はよろしいですか……」

 信吾がユキに手を差し伸べる。ユキはその手を取る。

「ああ。もう覚悟は出来た」

 何だよ。触れちゃいけないんじゃないのかよ。魔法使いは……特別なのかよ……。

 その視線に気付いたのか、ユキは一度信吾の手を放し、手持ち無沙汰気味にヘッドライトを撫でていた礼二郎の方へ駆け寄る。

「妬くな、レイジ。魔法使いの手は特別なんだ。でも、最期だから、お前も特別だ。ちょっとかがめ」

「は? 別に妬いてなんか……」

 そう言いつつ、身をかがめ、ユキの身長に合わせる。

 その瞬間に唇が重なる。(おそらく)人生初となるキスは、氷のように冷たかった。

「っつっめてぇ……」

「っあっつぅ~……」

 二人同時に唇を押さえる。

 運転席と助手席では、目の前でいきなり起こった出来事に唖然としていた。

「だ、大丈夫か? ユキ……」

「レイジこそ、大丈夫か?」

「や、俺は大丈夫だけど……。人間に触ったら、弱るんだろ? お前……」

「最期だからな。レイジは特別だ」

 礼二郎の熱のせいだろう、真っ赤になってしまった唇で、ユキはニィっと笑った。

「お前も特別だよ。でも、俺からは触んねぇぞ」

 そう言って、両手をあげた。

「頑張って来い、女王様」

「ああ、立派にやり遂げてみせる。こっちに届くのはまだ先だと思うがな」

 ユキは最後に礼二郎のチェーンをつかみ、大きくジャラジャラと振った。まるで、別れの握手のように。

 チェーンから手を離すと、レイジから目をそらさずに数歩後退りし、一度、ゆっくりと瞬きをした。そして、信吾の方へ向き直ると、再度差し出された手を取る。

 信吾とユキを囲むように、砂埃が渦を巻いて舞う。目を凝らすと、信吾の足が徐々にその砂埃と、いやおそらくそれを舞わせている風と同化していくようだ。

 ユキの身体は、その風によってふわりふわりと浮かびあがる。

 毛皮のような白い衣服はほんのりと発光している。

 透き通るように白い髪は、風のままに漂う。

 信吾が完全に風となり、ユキは大きな白い光の塊となって、海の向こうへ消えていった。

 風が止み、しばらくは、海の音だけが聞こえていた。

 やがて、一台のトラックが通り、その音で、現実に引き戻される。

「行っちゃったな……。ユキ……」

 ユキが消えていった方をじっと眺めていると、「おい!」と基樹の声がした。

「乗れよ。寒いだろ」

「そうだな。なんかいまさら寒さが込み上げてきたよ」

 そう言って、車内に乗り込む。エンジンは切っているはずなのに、車内はとても暖かく、その温度差で鼻水が垂れてくる。

「ほらよ、ティッシュ。一華さん用のは柔らかいやつだけど、お前のは、フツーの、やっすいやつだからな」

「うるせぇな、わかってるよ」

 一言多いのは基樹なりの優しさだろう。礼二郎もそれに乗っかる。

 ティッシュを引き出し、鼻をかむと、それにつられてか、涙が溢れてきた。

 一華と基樹に気付かれないよう、派手な音を立てて鼻をかみ、素早く涙もぬぐう。

 その様子は、バックミラーで丸見えだったのだが、一華も、基樹も、何も言わなかった。

 しばらくは、無言の中で、ティッシュを引き出す音と、それで鼻をかむ音だけが響いていた。

 この沈黙を破ったのは、一華の鞄の中から聞こえてきた着信音だった。

「もしもし。あ、着いた? えーとね、うちらは第二駐車場にいるけど……。来る? うん、わかった。白のミニバン……って言っても、あたしらしかいないからすぐわかると思う」

 そう言って、通話を終えると、またスマートフォンを鞄にしまいながら、「魔法使いの息子、こっち顔出すって」と言った。


 祥太朗が運転する赤いRV車が第二駐車場へ入ってくる。

 礼二郎は、基樹が小声で「負けた……」とつぶやくのを聞いた。果たして何に対する敗北なのかはわからなかったが。

 基樹のミニバンの助手席側に駐車し、窓を開ける。

「父さん間に合っただろ?」

 この人が……魔法使いの息子か。この人は普通の恰好なんだな。

「間に合った間に合った。間に合いすぎてびっくりしたわ」

「あの人、本気出したら地球の裏側まで一瞬だからな」

 そこまで言って、運転席の『息子』は一華の奥にいる基樹に会釈する。

「えーと、弟……?」

「違います! 弟は後ろッス! 俺は……」

 基樹は必死に否定した。俺は、恋人、とまた言おうとしたのだろう、ちらりと一華を見る。一華が肘を構える。

「弟の友人の……唐橋ッス……」

「成る程」

 二人の力関係は理解したようだった。

「じゃ、君が弟か。どうも。着物のおっさんの息子の祥太朗。あのおっさん、見た目ちょっとアレだけど、ちゃんとした魔法使いだから、安心して」

「どうも……。弟の礼二郎です」

 見た目がちょっとアレ、というのはおそらく……いや、十中八九、着物のことだろう。

 何が『ちゃんとした』なのかはわからないが、あの風になる様子を見れば、只者ではないことぐらいは礼二郎にもわかる。

「ちょっとちょっと! 『ちょっとアレ』って何よ!」

「そうよそうよ! 『おっさん』じゃないでしょ!」

 向うの車内がなんだかがやがやしている。見ると、女性二人が運転席の祥太朗に向かって野次を飛ばしているようだ。

「ちょっ、恥ずかしいから止めろ! ほら、見られてんぞ!」

 祥太朗がそう言うと、女性二人は急におとなしくなる。運転席側の後部座席の窓が開き、女性二人が顔を出した。一人は見たことがある。

「魔法使いの妻の佳菜子ですー」

「祥太朗の妻の千鶴でーす」

「妻? 祥太朗さんの?」

 あまりの衝撃に、思わず声が出る。基樹に至っては二度目の「負けた……」発言だ。

だから、何に対してなんだよ。

「え? だって、見た感じ、すげぇ若いのに……」

「若いも何も、あたしと同い年よ。さっきお父さんも大学でお世話になって、って言ってたでしょ」

 一華はしれっと言う。

「千鶴ちゃんも同い年なんだっけ? 初めましてー。櫻井~、可愛い嫁じゃん」

「可愛いだなんて~。ありがとうございます~。同い年ですよー。よろしくお願いしますぅー」

「でしょー? 可愛い嫁なのよ~」

 この女性陣には『謙遜』という言葉はないらしい。

「あ、あれ、もしかして『さくらいかなこ』さん? こないだテレビで見ました! 俺!」

 基樹はいまさら気が付いたらしい。

「あらー、恥ずかしいわー」

「ちょっと皆落ち着こうぜ」

 祥太朗が女性陣に声をかける。

「夏木、とりあえず、どっかで飯食おう。俺ら昼飯まだなんだ。つうか、お前らもう食った?」

「ううん、あたし達もまだ。唐橋君、どこかいいとこあるかなぁ」

「ええとですね、ここから少し行ったところに海鮮が食べられるお店がありますよ。そこはどうでしょう」

 返答が早い。おそらく、あらかじめ調べておいたのだろう。

「いいわね。櫻井、そこでもいい?」

「俺はどこでも。んじゃ、そっちについてくわ」

 基樹は車のエンジンをかけ、アクセルを踏む。車はゆるやかに発進した。


 店内は広く、客の入りも良かった。

 せっかくだから、と、奥の座敷のテーブルを二つくっつけてもらい、夏木ご一行と櫻井家での食事会となった。席は女性と男性で別れたが、基樹は何とか一華の隣を死守した。

 皆、空腹だったのだろう。食べたいものを片っ端から頼んでは、誰のものとも関係なくつまんでいく。腹が膨れると、やっと人心地が付いた。

 店に向かう道中で、魔法使いが現れたいきさつと、その息子である祥太朗の説明を受けたが、礼二郎は、女性二人の尻に敷かれている、この見るからにいまどきの青年もまた魔法使いであるというのが、どうにも信じられない。

 そんな礼二郎の視線に耐えられなくなった祥太朗が口を開く。

「どうした、夏木弟。そんなに見つめんなよ、照れるから。俺、そっちの趣味、ないんだけどな」

「あ、いやいや、別にそういうわけじゃないです! ただ……その……、祥太朗さんも魔法使いだって……聞いて……。でも、そんな風には見えないから……」

 これ以上見つめるわけにもいかず、手元のメニューに視線を落とした。

「え? ああ、夏木から聞いたのか。まぁ、無理もないよな。俺もあんまり実感ないっつーか、やっぱ父さんほどは出来ないしな」

「そうだ! 櫻井! ちょっと何か見せてよ!」

 一応、周りの客に気を遣ったのだろう、やや抑え気味のトーンで一華が言う。

「は? なんでお前に見せなきゃなんねぇんだよ」

「あたしもいまいち信じらんないしー」

「だったら信じなくていいよ。親父は本物なんだからいいだろ」

「そう言って、君はすぐ謙遜する」

 いつの間にか、祥太朗の後ろに信吾が立っていた。

 免疫のない夏木ご一行はこの登場の仕方に驚いていたが、櫻井家では普通らしく、誰一人驚かない。

「お帰り、父さん。先に食っちゃったけど……。何か食う?」

「いや、僕は大丈夫。それより……」

 そう言って、じっと礼二郎を見つめる。涼しげな切れ長の瞳に見つめられ、どきりとした。

「レイジ……君、だったかな。ちょっと、いいかな……。あと、祥太朗も」

「え? はい」「……俺も?」

 信吾は、真剣なまなざしで、手招きする。礼二郎と祥太朗がコートを持って腰を上げると、くるりと背を向け、歩き出す。ついて来いということだろう。

 一度、くるりと振り向き、一華を見つめ、

「少しだけお借りします」と言った。

 店の外に出ると、冷たい風が襲ってくる。海の香りが強い。

 駐車場へ行き、基樹の車の前で立ち止まる。

「ごめんね、ちょっと寒いよね」

「あの、何なんですか? ユキのことですか?」

 コートのファスナーを口元まで上げる。祥太朗もファスナーをすべて上げ、ポケットに手を入れている。

「そうなんだ。女王は死なずに済むかもしれない」

「え……?」

「父さん、マジかよ!」

「思いの外、今年の女王の力は強いみたいだ。あれなら、力を出し切らなくても、充分足りるはずだ」

「なんだ! 良かったじゃん、夏木弟!」

「いや、そんなに簡単じゃないんだ。まずは女王の意志がなければ」

「それで、俺ですか……?」

「本当は、こんなことを伝えるのは、自然界のルールに反することなんだけどね。実は、力の強い女王というのは今年が初めてじゃない。ただ、その時は女王が思い止まるような『理由』がなかった。そんな強い女王が力を出し切ったら、どうなると思う……?」

「大規模な雪害……か?」

 祥太朗の言葉に信吾は頷く。

「自然なこととはいえ、雪害は避けられるものなら、避けたいからね」

俺はユキを止める『理由』になるんだろうか……。

「で、俺はなんで必要なんだ?」

「実は……、そこが今回の一番の難所なんだ」

 信吾は眉間にしわを寄せた。こんな父の表情は初めて見る。

「どういうことですか……?」

「まず、行きは、僕が運ぶ。ここまではいいんだ。女王が雪を降らせているのは、稚内の上空だ。もし女王が力を出し切らずに済んだとしても、雪を降らせるのを止めたら、もう自力で飛ぶことは出来ない。そうすると、女王は僕が運ぶしかない」

 ……ということは……。

「俺が、夏木弟を運んで……戻ってくるってことか?」

「……そうなんだ。なので、一番の問題は、女王の説得よりも、君らが凍えてしまうっていうところなんだ」

『俺は父さんみたいに暖房の機能はついてないんだよ』

 電話で一華に言った台詞だ。

 魔法使いになりきれていない自分の右手を見つめ、強く握りしめる。肩が少し震える。

「……凍えるだけで済むわけねぇだろ。魔法使いと一緒にするんじゃねぇよ」

「祥太朗……」

「……保険として聞いとく。俺の手が駄目になったら、新しいのは作れんのか?」

「もちろん。責任持って、僕の手を半分あげるよ」

 礼二郎にはこの会話の意味するところがさっぱりわからない。

自分だけが蚊帳の外だ。

 ぼぅっと二人のやり取りを見ていると、祥太朗が両肩をつかんで揺さぶってくる。

「おい、夏木弟! ぼーっとしてんじゃねぇぞ! お前は覚悟できてんのか?」

「覚悟……?」

「いいか? 帰りはぬくぬくの薪ストーブ付ジェット機から、ボロいエアコン程度のヘリコプターになるって話だ。それでも女王様説得に行けるか?」

 両肩がずしりと重い。

さっき、この人は「親父ほどは出来ない」と言っていた。

それでも、自分を守ろうとしてくれている。

「……行きます。お願いします」

「よっしゃ! 今年の雪はお前にかかってるんだからな! 気合入れろ!」

 再度両肩を強く握る。

 信吾は袂からマッチを取り出し、一本擦ると、左手で風よけを作る。

「君も、気合入れないとね」

 そう言うと、眉間のしわを一層深く刻んだ。

 マッチの小さな火が大きく大きくなっていったかと思うと、次の瞬間には消えていた。


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